Scene11-2
待機場所での全体ミーティングが終わって解散になると、全員で後片付けに入る。マネージャーと女子の同級生や先輩は細かな荷物の撤収やゴミ捨て、男子はマットやブルーシートの撤去など、役割を分担しながら作業を進めていった。
先輩と雑談しながら折りたたんだブルーシートを顧問の車に運び終え、俺は「お疲れさまでした」と顧問に軽く挨拶をし、先輩とその場をあとにする。先輩は競技場まで自転車で来ていたらしく、俺は電車だったので、適当なところで別れると、他校の選手がかたまって駅の方向へ歩いていくのが見えた。
日は沈み、空は暗くなりはじめている。俺はジャージのポケットからスマホを取りだして時間を確認すると、渕からメッセージが届いていた。
『きょうはおつかれさま。いまから帰るよー』
『タオル洗って返すね』
送信されてから時間が経っていたのでおそらくもう帰ってしまっているだろう。俺は駅に向かいながら打ちこんだ文章を送信していった。
『おつかれ!』
『返すのいつでもいいから』
送り終えたところであくびが漏れた。さすがに疲れた……早く家に帰って風呂に入りたい。とは思っているものの、渕とのやりとりを『面倒だな』とは思わなかった。そのとき、これが当たり前になってきたんだと、付き合ってることへの実感が急に湧き上がってくる。
明日、渕は来ない。
そのことが、ふと、胸に引っかかった。
水色から藍色に染まりつつある空を見上げる。そうか、いないのか……と改めて思い、残念な気持ちと寂しさが押し寄せてくる。秋に近づいたせいか、日が落ちたせいなのか、ジャージで歩いているとほんのすこし肌寒く、俺はポケットに手を突っこんだ。
いつもはいない場所に渕がいたことが新鮮で、そして心強かった。家族が見に来るのともちょっと違う――なんだろうな、この感じ。一言でしっくりくる言葉が見つからない。
駅へ到着し、改札を通る。土曜だからか人が多く、車内は私服姿の老若男女が多くいて、ぎゅうぎゅうに詰まっているわけではないが、座席に坐れないくらいには混み合っていた。
流されるように空いた奥へ進み、邪魔にならないようにリュックを下ろした。電車が発車すると、窓のほうへ目線を移す。移り変わる景色と、うっすらと映る自分の姿が重なる。
仲良くなったとなりの席の女子。
過去の自分は、渕のことをそう思っていた。
付き合ってから、恋人でありながら友達のスタンスで接してきたように思う。でも段々と――渕と手を繋いで帰ったあの日から、俺のなかで渕の存在感が増していって、もう、そう思えなくなっている。
異性として、渕を意識している。
なーにを恥ずかしいことを考えてるんだと、窓に映った自分をぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、この静かな車内でそんな奇行に走らせない自制心がしっかりと働く。いやいやいや……こんなことをこんなところで考えることじゃないのよ俺。
でもまあ、それがひねくれずにだした自分の素直な気持ちなのだろう。核心に変わったのはたぶん、あのときだ。渕に男友達がいるのかとか、色々考えたとき。……あー。思いだすだけで、なんかちょっと不安になってきた。その不安の裏返しが渕を意識している証拠でもあるんだけど。
そんなことを考えながら電車に揺られ、いくつかの駅を通過していく。途中で二回乗り換え、最寄りの駅に向かう路線へ乗ると、すこしだが席が空き、俺は到着まで間もないが空いた席に腰を下ろした。
眠気でスマホを触る気にもなれず、俺はリュックを抱いたまま寝落ちしそうになるのをどうにか耐える。何駅か通過して、ガチでまぶたが重たくなってくると、急にポケットが震えた。
スマホを取りだすと、渕から『明日も頑張ってね』とメッセージが届いていた。俺はアプリを開き、返事を考えたけれど、疲労のせいなのか『頑張る!』とか『任せろ!』とか安易な返ししか浮かんでこない。
それでも、たぶん渕はなにかを考えて返してくれるだろう、という甘さが心のどこかにあった。だって渕に好かれてるし――思い上がった怠慢さが透けて見えて自分自身に嫌悪感を抱く。
そんな気持ちで胡座をかいていたら、いつか渕に見放されるぞ。
疲れてるのはわかってる。でも、渕の優しさに甘えるな。
電車が最寄り駅に到着し、俺は改札を通っていく。すっかり夜になり、街灯に照らされた商店街の通りを進みながら、俺は『電話してもいい?』と送った。文章でやりとりするのはもう無理だと思ったから。
商店街を過ぎたあたりで、スマホが何度も震えた。
「もしもし?」
『あ、もしもし? ごめん、わたしからかけちゃった……』
「いや。ちょうどよかった。いま家に向かってるところで」と俺は歩きながら云った。「渕は、もう家、だよな?」
『うん。稲田くんは、まだ、なんだね』
「終わったあと、ミーティングと片付けがあったから。あ、それで」と俺は話を切り替えして云った。「……ごめん、また電話で。俺、たぶんこのあと風呂入って飯食ったらすぐ寝るなって思ったからさ」
『ううん。だいじょうぶ』と渕がすこし笑いながら答えた。『疲れてると、思ってたから』
「……そっか。ありがと」
『んーん』
渕のやわらかな声を聞いていると、ふしぎなくらい疲れが癒えていく。渕の優しさに溺れてしまいそうになるのを堪え、俺はスマホをぎゅっと握り締めた。
「あのさ」
『ん?』
「きょう、来てくれてありがとう」
心臓の音が高鳴っていく。きょう走ったレースと同じくらい緊張して、疲労の溜まった足がわずかに震えた。
くだらない自意識や気恥ずかしさなんて全部捨てて、俺は胸の内に思っていたことをありのままに伝えた。渕の好意をキープするために取り繕った言葉なんかじゃなく――誠心誠意の、嘘偽りのない本音を。
「差し入れ、嬉しかった。応援も、心強かった。いてくれるだけで、安心できた」
顔の火照りは、夜風にさらされても冷めることはなく。その熱が、じんわりと身体の内側まで浸透していく。言葉を紡いでいくごとに心が軽くなっていって、俺は夜空を見上げながら最後に「明日も、頑張るから」と付け足した。渕がいなくてもとは、負担になりそうなので云わなかった。
すこしだけ間が空いて、渕が大きく息を吐きだしたような、荒い音が聞こえてくる。
『うん……』
短い相槌だったけれど、声がわずかに震えていて。えっ、とすこし動揺して「渕?」と声をかけたら、洟をすする音がした。
『ご、ごめん……そんな風に、云われるなん、て、思わなかった、から……嬉し、くて』
渕の声に耳を傾けるために、歩く速度をすこし落とした。
『ちょっとだけ、不安で、わたし。見に行きたくて、云っちゃったけど、あれから、色々考えちゃって。邪魔じゃないかな、って……』と渕が云った。『きょうも、ずっと、考えちゃってて。そういう風に、思われないように、してたけど。どうだったかなって、気に、なってて』
きょうを振り返っても、全然、そんな風には見えなかった。それだけそういう風に見せないように気を遣って振る舞っていたのだろう。
そんなことを思っていたのかと、それに気がつけなかった自分を不甲斐なく感じたが、いや、無理だ、と改め直す。
渕だって、俺がきょうどんなことを考えていたのか、知るはずもない。考えていることを、思っていることを口にしなくても読み取れるような超能力者じゃないんだ。俺たちは。
「そんなこと、一度も、思わなかった」
目の前に渕はいないけど、俺は真剣な顔で、声で、云った。
なにを考えているか、思っているかなんて、言葉にしなくちゃ伝わらない。どちらかといえばそうすることが苦手な俺は、それを渕に対してあまりしてこなかった。はじめて付き合ったからとか、恥ずかしいからとか、頭に思い浮かぶ言い訳が、どれもこれも見苦しい。
変われよ、俺。
頭で恋愛してないで、心のままに動け。
「これからも、絶対に、思わない」
強く云い切ると、渕が噛み締めるように『うん』と相槌を打った。深く息を吸う音がしたあとに『……あ。家、着いた?』とこの空気を変えるように話題を変えてくる。
「いや、あとちょっと、かな」と俺はその意を汲んで明るい声音で云った。「すこしだけ、回り道していこうかなぁ」
『だ、ダメだよ。はやく、休んで。明日も、あるのに』
「いやだってさ、家に着いたらこれ切る流れだろ?」
『うーん……』
その通りと認めたくなさそうで、なのにこのまま電話をしていたい気持ちも含まれていて、それでも俺のことを想って家で休んでほしそうな、色々な感情が詰まった声で、渕が唸った。
『ダメ』
渕にしては短くきっぱり云い切ると、それが『めっ』と云われたようで、なんか可愛くて。俺は「ん。わかった」となぜだか優しい声音になって答えていた。
すこしだけ恋人らしくなれたような、その些細なやりとりが心地よく、胸にあたたかいものが広がっていくと、鈍い頭と重たい身体がちょっと軽くなったような気がした。
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