Scene10-2




 トラックの種目が女子から男子の千五百メートルへ変わり、昼食も食べ終えてすこし落ち着いていると、通路を歩いている翔陽と肩にリュックをかけた岬の姿が見えた。こちらを見つけると、人を避けながら階段を上がってくる。


「うっす。よ」と翔陽が俺から渕へ顔を向けた。

 渕がタオルを首に下ろした。「あ、……どうも」

「うわぁ、マジじゃん……」と岬が好奇心ありありの声で云った。


 見たことのない人がいるせいか、渕が落ち着かないようすで坐りをなおし、タオルをぎゅっと握り締めた。そのようすを察して、俺は「こいつ、俺の友達」と軽く紹介する。


「英嶺(えいれい)高の岬ですー。はじめまして」


 めちゃくちゃ外向きの声と笑顔で岬が渕に話しかけると「あ、渕、です。はじめ、まして……」と辿々しく挨拶を返した。


 初対面同士のなんとも云えない空気が流れる。岬はにやけそうになるのを堪えた表情で、色々と話したそうにうずうずしていたが、この雰囲気を感じ取ったのか、いまは一歩引いたようすで渕のことを見つめていた。


「そういえば、準決の組どうだった?」

「もー終わったよマジで。年上の速い人ばっか」と岬が開き直ったように笑いながら云った。「だけどまあ、やれるだけやるけどね。これから軽くアップしてきまーす」

「ん、頑張れ」

「んじゃ、行くか」と翔陽が背を向けた。

「うん。あ、どもー。お邪魔しましたー」


 岬が去り際に軽く頭を下げると、渕も同じように会釈を返した。挨拶しに軽く顔を見に来たくらいのノリで手短に切り上げ、ふたりが階段を下っていく。


 渕へ目線を移すと、緊張していたのかペットボトルのお茶をぐびぐびと口に含んでいた。飲み終えてからほっと息を吐き、タオルで軽く鼻のあたりの汗を拭く。


「びっくりした?」

「う、うん……」

「俺もびびった」

「え、そう、なの?」


 俺はうなずいた。時間が合えば紹介するとは云ったものの、それぞれスケジュールが異なるから正直ちょっと難しいなと思っていたからだ。それがまさか向こうから会いにくるとは……たぶんここに来るまでに岬は翔陽といっしょにいて、俺たちの場所は翔陽が先輩達から聞いていたのだろう。


「きょう、あいつに渕が来ること話したら、見たい、会いたいって云っててさ。たぶんそれで来たんだろうな」

「そう、なんだ。そういう人、なんだね。わたし、人見知り、だから……」


 俺もそう思ってはいたが、渕自身もそのことに自覚はあるようで、そしてそれがコンプレックスなのか、渕の声が弱々しくなっていった。


「悪いことじゃない、と思うけど」


 渕がこちらへ顔を向けてきて、俺は改めて口を開く。


「あいつさ、中学のときからそうなんだけど、男女問わずだれとでも仲良くなれるんだよ」と俺は昔を思いだしながら云った。「それって、すごいことだと思う。でもまあ、それが原因でいろいろあったりもしてさ」

「いろいろ?」

「交友関係広すぎて、いろんな友達から遊びの誘いが来るんだよ。女友達はもちろん、男友達からも。で、あいつら、中二のときから付き合ってるんだけど、あのときは、それに翔陽が妬いてさ」と俺は懐かしみながら云った。「オレ以外のやつと遊ぶな、話すな、って。で、まあ岬にも云い分があって、それで喧嘩したりして。いつもなぜか俺が仲裁をやらされてさ」

「なんか、意外。栄くん、いまはそういう感じ、じゃないから」

「渕から見てどんな感じ?」

「あっさりしてる、というか、そんなイメージ、ある、かも」

「なんでもヨユーそうだよな。でもそういう感じだったんだよ、中学のときは」と俺は笑いながら云った。「思い返すと、お互い子どもだったなぁって思うんだけど。でもさ、翔陽の気持ち、わかるんだよ。俺はたぶん……翔陽みたいに強く云えない、とは思うけど」


 だから、と俺は急に恥ずかしくなってきて、正面へ向きなおり、話をまとめた。


「人見知りでも、いいと思う。別に」

「……稲田くんも、妬いたり、するの?」


 そこまで云って、なにが云いたかったのか伝わったようで、渕が確認するようにつぶやいた。


「……かも。な」


 素直に云えなくて言葉を濁した。実際、そういう場面になってみないと、どうなるかはわからない。でもたぶん、渕に男友達がいたら、ちょっとだけモヤッとする、ような、気がする。


 これは独占欲、なのだろうか。……独占欲だろうなぁ、これは。


「そっかぁ」


 おかしさと安心とほんのちょっとのからかいが入り混じったような声で渕が云って、余計に恥ずかしさがこみ上がってくる。


 その声を聞いて、ちらっと横目で渕を見ると、目元は笑い、綻びそうになる口元を無理やり引き締めているような、そんな表情をしていた。


 そのあとも、時間の許す限り渕といっしょにいたが、なんだかずっと機嫌が良さそうにしていて。そんな彼女といたせいか、俺も俺で、充実した休憩時間を過ごすことができた。


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