Scene5-1
5
「おつかれさまでしたー」
まだ残っていた先輩達に挨拶を告げ、俺は翔陽と部室をあとにした。話しながら昇降口まで向かっていると、途中の廊下で背の高い男子と水谷が並んで歩いているところをばったり目撃してしまう。
男子の方は大きめのリュックを片肩にかけ、片手にスポーツドリンクを持っていた。水谷はその横でなにかを話しかけている。ポニーテールが左右に揺れる姿はまるで犬が尻尾を振っているみたいで、遠くからでも彼女の機嫌の良さが伝わってきた。
「よくマネと付き合えるよな。オレなら絶対無理だわ。別れたあととか、絶対いろいろめんどくせぇし」と翔陽が小言を漏らした。
「そうだなー。ほんっとそれ思うわ。中学の頃、おまえと岬が別れなくて、ほんっとよかった」
「あれ? オレの話?」
「あのときは大変だったなー。おまえらが喧嘩したとき、部活の雰囲気ちょっと悪くなってさ。なんで俺がいつもおまえらの仲裁しなくちゃいけなかったんだろうなぁー。話聞くと大体は翔陽が悪かったんだよなぁ。あー、昔のこと思いだしてたらなんか喉乾いてきたなぁ?」
「繋げ方が雑すぎんだろ」と翔陽が笑いながら云った。「んじゃまあ、あとでコンビニ寄りますか?」
「じゃあ麦茶で」
「いや奢らんよ?」
「なんでだよ。どう考えても奢る流れだろ」
なんてふざけ合いながら話していると昇降口に到着し、靴を履き替えて正面玄関へ。駅までの道のりが同じせいか、すこし遠目ではあったものの水谷達の姿がまだ見える。
すると男子の方が持っていたスポドリを水谷に手渡し、水谷はそれを口に含んだ。
「……なぁ、なんでオレの横に舞衣はいないんだ?」
「どうした?」
「アレを見てるとなんか、なあ」
……いや、切なくなるからその声やめろ? わかるから、岬と高校が別々になって寂しいおまえの気持ちは。
と思ってはいるけれど、取ってつけたような慰めをするのもなんだか違うような気がして、いまはそっとしておこうと思い、俺は黙ったまま前を行く水谷の背中を見つめた。
水谷が彼氏といっしょに帰るのを見るのは、はじめてだった。
だけど、その姿を見てもなんの感情も湧き上がらないくらいさっぱりとしていて。まだ水谷のことが好きなのかと問われれば『いいえ』とはっきり云うことができる。
過去として消化したというよりも、熱が冷めた、という云い方のほうがしっくりくるのかもしれない。
そう思えるようになったのは、フラれてから徐々に過去の自分を客観的に見れるようになって。俺はただ、恋に恋をしていただけなのかもしれないと思ったからだった。
水谷を好きになったのは、一目惚れだった。
入学式の日に、彼女を見かけて、恋に落ちた。
これまでに可愛いと思ったことのある女子は何人かいたけれど『付き合いたい』という衝動が起きたのは、水谷がはじめてだった。
しかし残念ながら、水谷はとなりのクラスだった。入学式から数日が経ち、ただふつうに過ごしていたら接点がまるでないことに気づき、このまま想いを寄せているだけではなにも変わらないと思い立って、勇気をだしてIDを訊きに行った。
……そのときのことを思い出すだけで、脈絡もなく叫びそうになる。水谷と付き合えていたら初々しい思い出に変わったんだろうけれど、フラれたいまとなっては、ただの痛々しい古傷になってしまった。廊下ですれ違うくらいの面識しかなかったのに、教えてくれたことが救いだったと、水谷に感謝したいくらいだ。
ただ。
あのときの行動力は、間違いなく、水谷に恋をしていたから生まれたものだと云い切れる。
もちろん、その後のことも。
見かけたら挨拶をしたり、しつこすぎると印象が悪くなるかもしれないので、適度に間隔を空けながらちょっとしたことでメッセージを送ったりして、水谷に意識してもらえるように――できることは、やれることは、全部やった。
振り返っても、過去の自分が自分じゃないような感じがする。シニカルに捉えるなら『痛いやつ』に見えるだろう。そんなに頑張ったって実るかどうかもわからないのに、時間と労力を費やすなんて無駄だ、と。
そういうことを考えられないくらい、恋に、酔っていたんだと思う。
『恋をしている』ことが、愉しかったんだろうな、きっと。ひとりであれやこれやと妄想したり、ただの返信ひとつで一喜一憂したりして。
独りよがりな、恋だったと思う。
そしてフラれたことが、酔いから醒めるきっかけになった。
時間が経てば経つほど酔いから醒めていって。酒を飲んだことはないけれど、夜風を浴びて酔いが醒めていく感覚というのはああいう感じなのかもしれないと、なんとなく思った。
もちろんフラれたことはショックだったから、ある程度の期間、落ちこんだりもしたけれど、熱しやすく冷めやすい恋の仕方をしたせいか、時間が経つごとに『ああ、終わったんだ』と自然に受け入れられるようになっていた。
それから水谷ともう一度、なんて気には一切ならない。諦めずに、あのふたりが別れるまで待つ? それともふたりのあいだに割って入る?――ないない。そんな情熱、マジでない。
恋に恋するのは、もう、終わったんだ。
「やっと着いた……マジ、あっ、ちぃー……」
「ほんとにいま九月なのかよ。あーヤバ、涼しぃ……」
入店を知らせるコンビニ特有のベルが鳴る。入った瞬間にエアコンの冷気が身体中を駆け巡り、ふぅーっと息が溢れでた。きょうはいつもよりすこし気温が高く、湿度もあるせいか、歩いているだけで首や額に自然と汗が滲むほどだった。
「ありがとうございましたー」
麦茶を持って外にでると、先に支払いを終えていた翔陽が入口の近くで立っていた。
「食う?」と翔陽がチキンを差しだした。
「いらね」
このクソ暑いのに流石に食べる気にはならず、俺は断ってから買った麦茶の蓋をひねった。一口飲むと、また一口、もう一口とつづけて含んでしまい、あっという間に半分くらいなくなってしまう。
部活帰りと思われる人たち、その他にも色んな服装の人が目の前を通り過ぎていく。青紫に沈んだあかね色の空、湿気を含んだ生あたたかい風、すこし前まではまだ明るかったのに、いまはほんのりと暗くなってきていて、夏の終わりが見えはじめたことになぜだかちょっとだけ寂しさを覚えた。
空を見て情緒的になっていると、その雰囲気をぶち壊すようにゴキュ、ゴキュと喉鳴りが聞こえてくる。チラッと横を向くと、となりで翔陽が豪快に水を一気飲みしていた。
「ぃーっし、行くかぁ」
残り僅かになった麦茶を指で挟みながら、目と鼻の先にある駅に向かって歩いていく。コンビニに寄っていたせいか、水谷達の姿は、もう見えなくなっていた。
「俺もさぁ、いっしょに帰ってみようかな」
ぼそっとつぶやくと、翔陽が「いいんじゃねーの?」と平坦な声で返してくる。こういうときに「マジでマジで? どうしたどうした?」みたいに過剰に反応してこないのが翔陽らしい。
実を云えば、コダマ喫茶に立ち寄った日、俺は渕とはじめていっしょに帰った。部活後で、それもそこそこ時間が経っていたので、同じ学校の制服を着た人には帰り道でほとんど出会わなかった。
正直なところ、俺は内心ビクビクしながら歩いていた。
ちょっとだけ、俺は恐れていた。渕と付き合ったことが、水谷の耳に入るかもしれないことを。あれだけ熱心にアプローチをしていたにもかかわらず、フラれた後に告白されて付き合ったことで、水谷に『なにか』思われるかもしれないことを。
じゃあ、俺はいつまでフラれた男でいつづけなければいけないのだろう?
半年?
一年?
それとも高校生活が終わるまで?
もう終わったんだから、別になにをどう思われたっていいじゃないか。
水谷達が帰るところを見て、どこか吹っ切れる。
いま俺が向き合わなきゃいけないのは、水谷じゃなくて、渕のほうじゃないのか、と。
「んじゃなー」
「おう。また」
改札を通り、お互い別々の方向へ。階段を上がっていき、ホームで電車が来るのを待っていると、俺は空を仰いで「お幸せに」とだれにも聞こえないくらいの小さな声で、届くはずのない言葉を一番星に向けてつぶやいた。
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