Scene3

 


      3



 返事をした後、渕から『コダマ喫茶』という店の名前と場所が送られてきた。どうやらそこで待っているらしく、俺は着替えてからスマホを片手に早歩きで向かっていく。


 向かいながら『コダマ喫茶』を調べてみると、場所は駅からすこし外れたところにあるようで、むかしからある老舗の喫茶店のようだった。こういうところはチェーン店と比べて割高なイメージがあったので、メニューも念のため調べてみたけれど、学生の俺でも高いとは感じないくらいの良心的な金額設定で、ほんのちょっと安心する。


 地図アプリを頼りに十分から十五分ほど歩いたところで店が見えてきた。住宅地のなかにひっそりと佇む古風な外観はおしゃれすぎることもなく、こういうところに入ったことがあまりない俺でも抵抗を感じることなく入店することができた。


「いらっしゃいませー」


 ドアについた鐘の音が心地よく響き、しろいシャツに黒のスラックスとエプロンをした中年の女性がこちらに顔を向けてくる。


「おひとりですか?」

「あ、いや」


 店内を見回すと、壁側のテーブル席に、渕ともうひとり女子が坐っているのが見えた。


「あそこと、いっしょです」と俺は渕達がいるほうへ目を向けた。

「わかりました。すぐにメニューをお持ちしますねー」


 店員がすたすたと早足でカウンターへ向かっていく。店内の広さは普段見慣れた教室を縦に長くしたくらいだろうか。厨房にはメガネをかけた年配の男性がいて、カウンター席にいる常連らしき同じくらいの歳の男性と適度に話しながら作業をこなしていた。


 エアコンは強すぎず、寒さを感じないくらいの程よい設定だった。席はそこそこ埋まっていて、そこかしこから話し声などが聞こえてくる。アットホームな雰囲気で、入店して間もないが居心地の良さを感じた。


 足を動かすと、渕がこちらに気づいてわずかに首を伸ばした。それを見てか、向かいに坐っていた女子が振り返り、目と目が合う。


「……どうも」


 軽く挨拶をすると、彼女が俺を見ながら意味深な笑みを浮かべた。手入れの行き届いたクセのないストレートヘアの前髪は眉毛のあたりで切り揃えられ、涼しげな切れ長の目が映えて見える。高い鼻に小さな口と、無駄な肉のない顎周り。印象に残るところといえば色白の肌と右目の下にあるホクロだろうか。渕と同じ制服を着ているのに、まるで大人が着ているようで、同じ高校生とは思えないくらい落ち着いた雰囲気のある子だった。


「はじめまして。私のこと、知っている?」

「いや」と俺は答えた。「……なにも」

「そう」と彼女が短く答えた。「新藤四季(しんどう しき)。三組にいるわ。渕さんとは写真部がきっかけで仲良くなったの」

「そう、なのか」


 突如はじまった自己紹介にどう返せばいいのか困惑してしまい、俺は言葉に詰まってしまう。微妙な間が生じ、俺はその間を埋めるように「ああ、俺は――」と自らのことを話そうと思った矢先、新藤が「だいじょうぶ。あなたのことは渕さんから聞いてるから」と遮られてしまった。


「それより坐れば?」


 促されて、俺は渕と目配せしてから、となりに坐った。


「渕さんだけだと思っていた?」


 新藤がうっすらと笑みを浮かべ、終わりかけのアイスコーヒーをストローでゆっくりとかき混ぜながら訊ねてきた。


「そう、だな」と俺は素直に答えた。

「安心して、私はもう出るから」と新藤が云った。「そのほうがいいでしょ。ね?」


 新藤が渕と俺を交互に見てからストローをすする。渕も俺もなにも答えなかったが、それをわかっていて云っていたようだった。どちらかといえば、そう云うことで二人がどういう反応を示すのか見てみよう、という意図があったように思える。


「すいません、こちらメニューになりますねー。お決まりでしたらお呼びくださーい」


 タイミングを見計らったように、店員さんがメニューと水を置きにきた。


「それじゃあね、渕さん。また明日、学校で」

「うん、また明日」


 新藤が席を立ち、おいていたカバンと黒い日傘を腕にかける。そのまま出口のほうへ歩きだすのかと思いきや――俺のところへ歩み寄ってきて、顔を近づけてきた。


「安心して。付き合っていることは誰にも云わないから」


 というより、友達は渕さんだけだから、話す相手がいないけど――と耳元でささやいてから顔を離し、まるで俺の内情を見透かしているかのようにうっすらと笑みを浮かべた。


「ここで同じ学校の人はあまり見たことがないから、放課後に会いたいときは使うといいわ」


 それじゃあね、と意味を含めた慎ましやかな会釈をして、出入り口の近くにあるレジの方へ。「ありがとうございましたー」と店員が去り際に挨拶をして、新藤の姿が見えなくなると、俺は小さく息を吐いた。


 二人っきりになって、三人でいたときとはまた違った空気になる。


「……なんか、独特な感じの子だな?」

「あはは……そうかも」と渕がすこし困ったように愛想笑いをしながら答えた。「でも、いい人、だよ。ここ、教えてくれたの。新藤さんが」

「そうだったのか」

「うん。きょうはじめて、いっしょに来たんだけどね」

「新藤は、よく来てそうな感じだったな」

「みたい。それで、部活帰りに誘ってくれて」と渕が云った。「新藤さんが、稲田くんも都合が合えば、どうって……」

「あー。それで」


 付き合ってから、まだふたりで放課後に帰ったり、どこかへ寄ったりしたことがなかったので、渕から誘われたことに正直驚いたんだが、そういう理由だったのか。


「ありがとう、来てくれて」

「いや、まあ、うん……このあと、特になにもなかったし」と俺は云った。「というかきょう、部活だったんだな」

「うん。久しぶりに。撮影会、っていうほどじゃないんだけど、が、あって」と渕が髪を触りながら云った。「走って、たね」

「うん」


 まさか目が合うとは思わなかったけど、と、お互いそのことについてあえて触れないようにしている微妙な空気が流れる。


 すこしの間が空くと、二人でいるのにとなり合って坐っているのも変な感じがして、俺は先ほどまで新藤が坐っていたところへ無言で移動した。


「あっ。なに、頼む?」


 向かい合わせになると、渕が会話のきっかけを見つけたようにテーブルにおかれたメニューを開いた。


「渕は、なににした?」


 渕のその気遣いが読み取れて、わざわざ訊くようなことでもないのに、俺はメニューから顔を上げて渕に訊ねた。すると渕がメニューを指差して「私は、アイスコーヒー。美味しかったよ」と云ってくる。それで終わってしまいそうになるところを、いっしょにメニューを見ながら「レモネードも、いいな」なんて頑張ってつづけようとすると「さっぱりしてそうだから、部活の後だと、そっちが、いいかも」と渕がやわらかい声音で答えた。


 付き合ったばかりで、恋人らしく、どういう風に振る舞えばいいのかもよくわかっていない。それはたぶん、きっと、渕も同じで。お互いぎこちなくて、どこか歯痒くて、ちょっとだけもどかしい。


 付き合いをつづけていけば、自然とそうならなくなっていくのだろう。

 それくらいの関係になったとき。

 俺は渕のことを、好きになっているだろうか。


「お待たせしました。こちらレモネードになりますねー」


 しばらくしてから店員さんがやってきて、コースターの上に注文したものを置いていく。大きめのグラスに入ったレモネードは輪切りのレモンと彩を添えるようにミントが入っていた。部活終わりで喉が乾いているせいか、それを見た瞬間に口のなかに唾液がじわっと広がっていく。


「美味しそう」


 渕がぼそっとつぶやいたので、俺はストローを挿しながら「一口、飲む?」と訊ねた。


「う、ううん、いいよ」と渕が答えた。「……また、今度、来たときに、頼む、から……」


 俯きがちで、声が最後には消えそうになっていた。云おうか云わざるべきか悩んだ末に、勇気を振り絞ってだしたような感じで、それを云い終わってから、渕の顔は真っ赤になっていた。


 その反応を見て、俺もなんだか急に恥ずかしくなってしまう。男友達や部活のノリで気軽に云ってしまったが、よくよく考えてみれば大胆なことをしてしまった、と思った。


 また、今度、か。


 付き合ってわかったことというか、いや、告白された時点でなんとなく勘づいてはいたのだけれど、渕は意外と積極的なところがある。意外というのは、見た目が大人しそうだから、控えめなイメージが俺のなかにあるからなのだけど――実際はそういうわけではなく、思っていることをちゃんと表にだしてくる。


「俺も――次は、アイスコーヒーにしようかな」


 渕がそういう子だから、自分も影響を受けたのかもしれない。慣れないことを云っている自覚はあって、照れ臭くて渕のほうは見れなかったけれど。


「うん。次、ね」


 嬉しさを隠せていない渕の声を聞いて、余計に恥ずかしくなってきた。俺は誤魔化すようにレモネードを口に含む。実を云えば、コーヒーはまだ飲み慣れてなくて、あまり好きというわけじゃないんだよな。


 でもまあ、今度来たときに挑戦してみることにしよう。もしかしたら、それがきっかけで好きになるかもしれないし。



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