Scene2


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「最後、ダウンいきます」


 先輩からの指示を受けて、短距離メンバーが揃ってかけ声をだした。練習で疲労の溜まった身体を労うように早歩きよりすこし速いくらいのペースで、学校の外周を走っていく。


 九月も下旬にさしかかったというのに暑さは相変わらずだったけれど、真夏の時期に比べたら夕方は幾分涼しくなり、湿度も僅かだが控えめになった。空も薄水色に橙が混ざり、ほんのすこしだが秋っぽくなってきたような気がする。


 ジョグの最中は和やかな雰囲気で、先を行く先輩達も話しながらだったりと、適度にリラックスしながら走っていた。弱小でもなく強豪校というわけでもない俺の所属する陸上部は部員数がそこまで多くなく、短距離メンバーは先輩を含めても男女合わせて両手で数えられるくらいしかいない。練習がきついときはもちろんあるが、大会で勝ち抜くことを第一目標にしてがむしゃらに励むような感じではなく、締めるところと適度なゆるさが丁度よく、いまのところ無理なくつづけられている。


「もうすぐ大会だなぁ」


 となりを走っていた栄 翔陽(さかえ しょうよう)が声をかけてきた。背丈は俺よりすこし高いくらいで短髪の前髪をいつも上げている。顔つきは目鼻立ちの整った爽やかな感じで、身体は夏を超えてから厚みが増し、俺よりもひと回りほど大きくなった。


「そうだな」と俺は空を見上げながら返した。「夏合宿終わってから、あっという間だったな」

「な。もうこんな時期かよって感じだわ」と翔陽が云った。「今回どこまでいけっかなー。一成(いっせい)はどこらへんまでいけそうな感じ?」

「俺は準決残れればいいくらいだろ」

「いやいや、さすがにもうちょっといけるんじゃね?」

「タイム的に順当なラインだと思うぞマジで。翔陽は決勝いけるくらいだろ?」

「いっ……やぁーどうだろうなぁー。もう流石に無理じゃねえかなぁ」と翔陽がちょっと自信なさげな声で云った。「ま、やれるだけのことはやるけどさぁ」


 表向きは謙虚な感じではあるけれど、言葉の端々に負けん気が滲んでいた。勉強してねぇーわと云いながらちゃっかり裏ではやっていて、蓋を開けてみると好成績を残すタイプなんだこいつは。


 翔陽とは同じ中学出身で共に陸上部に所属していた。種目も同じ短距離ということもあってその頃から付き合いがあり、休日には買い物をしたり、ゲームをしたりと、親しい間柄といって云い関係だと思う。中学では一度も同じクラスにはならなかったが、高校は偶然が重なって同じクラスとなり、部活や休日以外でも関わる時間が増えていた。


 外周をまわっていると正面玄関前にさしかかる。友達と連れ添って下校している人や、部活を終えて重そうなカバンを抱えた人がいるなかで、花壇のあたりに首からカメラをぶら下げた女子が二、三人ほど集まっていた。


 そのなかに、渕がいた。


 なにかを撮影していたのか、カメラの画面を見ながら近くにいる女子と話している。


 そのとき、ふと、渕が顔を上げて。

 目と目が合った。


 そのほんの一瞬の出来事に、心臓が跳ね、俺は思わず目を逸らしてしまった。まさかいきなりこっちを向いてくると思わなかった……ペースを上げたくなる気持ちを抑え、俺はわずかに息を入れると、翔陽がなにかを察したのか「お。あれ渕さんじゃん」と俺にわざと知らせるように云ってきた。


「あーま、っぽいな」


 あまり気乗りしない雰囲気を嗅ぎつけたのか、翔陽が「そういや、あのあとどう?」と声のトーンを抑えながら訊ねてくる。


「特に、進展はないな」

「そっか」


 掘り下げることもなく、それだけ聞けばすべてを察したようにその後はなにも聞いてこなかった。むかしから翔陽はあまりグイグイと踏みこんでくるタイプではなく、そういうところが仲良くなれた理由かもしれない。


 俺は翔陽にだけすべてを話している。


 ここのところ俺のようすが変だと感じていたらしく「なんかあったか?」と訊かれたのがきっかけだった。表面的な付き合いの友達であれば「いや別になんにも」と返していたが、渕と付き合った経緯や、自分の心情などなど――軽蔑されてもおかしくないことを話すことができたのは、それだけ翔陽を信頼していたからだと思う。


 その話をしたあとに、翔陽から云われたのは「付き合ってみたら、好きになるかもしれないぞ?」だった。


 他人事という風でもなく、その場で思いついた軽い感じでもなく、自分にも彼女がいるからアドバイスしてやるよという変な上から目線でもない。俺にかけられる言葉のなかから、最もシンプルでストレートに届くものを導きだして伝えてくれたのだな、と俺は云われてから感じた。


 俺は、渕のことをほとんどなにも知らない。


 翔陽がそのことを察して云ってくれたのかどうかは訊いていないので知らないけれど、俺はその助言に妙に納得するところがあった。好きでもないのに付き合った罪悪感から『別れる』という選択が何度か頭をよぎったが、その助言があったから踏みとどまれていると云っても過言じゃない。


 外周を走り終え、締めにメンバー全員で円を描くようにしながらストレッチをする。そのあとは各自タオルなどの荷物を持ちながら先輩達が先に部室の方向へ歩いていった。


「あー腹減ったぁ。なー、きょうちょっと寄り道していかねー?」

「お前なぁ、大会近いのにそういうのどうなのよ」

「おいおい急に真面目になるじゃん。どしたどした?」

「俺は予選で負けるかもしれないからいいんだよ別に食べても。でもお前は勝てる実力あるからダメだわ。顧問にも云われてるだろ、食べるものに気をつけろって。油断とか甘さが結果に現れるんだって。だからお前は大会終わるまで禁止な? 俺は食うけど」

「はいウザいー! そう云ってちゃっかり予選通るやつー!」と翔陽が笑いながら云った。


 部活が終わって開放的になったせいか、いつもの砕けた感じで翔陽と話しながら部室へ向かう。部室は第一体育館の近くにあり、その途中でいろんな部活の人とすれ違った。


 部室のなかは鍵つきのロッカーがあり、湿布や制汗スプレーの香りがほのかに漂う。先輩達がパンツ一丁でふざけ合っているいつもの日常に一日の終わりを感じながらロッカーを開け、まずはスマホで時間を確認すると、渕からメッセージが届いていた。


『部活おつかれさま

  終わったあと、すこし時間ありますか?

    会いたいです』


 読んですぐ、ぎゅっと、胸がなにかに掴まれたみたいになった。どう返事をしようかと思い悩んで指が止まり、しばらくその場に立ち尽くしてしまう。友達と先約が入っているから、ごめんきょうは疲れたから――断るための云い訳を思いつくけれど、なぜか指が動いてくれなくて。


「おい一成、どした?」 


 そんな俺を見て、近くで着替えていた翔陽が声をかけてきた。


「悪い。この後、行くとこできた」

 

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