第7話 側近の二人
空に浮かぶ5つの船は森と平原の境界線上の少し内側に佇んでいた。目視はできない。管理室のレーダーには赤い点となり映る。線で結べば五芒星のようだった。ズームをすれば船の姿も鮮明に捉えることが出来る距離である。
ブレインは後ろを振り返り、1歩1歩を踏みしめながら自分の席へと戻った。上半分がガラスの開放的な部屋。くるりと椅子が回転する。正直なところ興醒めな気分であった。その感情に入り混じるのはティーカップに角砂糖を1粒入れるような安堵である。
大森林と呼ぶにはそこまで広くない範囲だった。ドローンを飛ばし、全体像のスキャンはすぐに終わってしまう。
何事もなく帰ってきたドローンの姿に[異常無し]の報告書が次々と上がってきた。それを読み取り、大体を理解する。それは無事なことを意味するが同時に何も情報を得られていないことも指している。釣り針に魚はかかっていない。調査員……釣り人たちはまだまだ成果を求めている。脂が乗った魚を。スキャンされた3Dマップとして映る大森林の全貌を見る。……我々はただ大海だけを知ったのだ。
ブレインは飲み干したティーカップを静かに机の上に置く。どうやら角砂糖1つでは足りなかったらしい。それは甘さの感じない紅茶である。もしくは、糖分が劇薬に変わらないだけマシなのだろうか。そんな風に問題提起をしても、生化学作用に確かな答えがでるはずない。優秀な学生がテストのスケジュールや授業環境に文句を言う前に自らカフェインや睡眠薬を投与することのように明確なのは何がどうであろうと我々はまだブドウ糖が必要だという真実だ。
アンジェリークとメイキン・アンシーを呼んだ。
広い扇状の管理室。コンサートが開けるほどに大きい空間にブレインも足を運ぶ。少しの足音も響き渡ってしまうので赤いカーペットが敷いてある。黒いテーブルには様々な装置や器具が一つ一つ存在感を示すように置かれていた。
行き交う人々は一般的な調査員よりも統一されているホモ・エクスマキナたちである。彼らが文字通りの調査員ならば、管理室に住む彼らは軍隊、もしくは情報戦略員とも言えた。より精鋭的な調査員たちである。彼らの様式、雰囲気、服装は極度に精錬されており、それらは空間にさえ波及していた。ようは実際に怒号が聞こえるとかではなく言葉にできない圧。息つく間さえもピリついている。1秒1語も争うように。
「こちらでございます。会議室001です。議題はこれからの調査計画について及び情報戦略部隊からの分析結果と考察になります。圧縮データは
「今確認した。001だね。」
「お師匠様。お久しぶりでございます。」
「やぁ、アンジェリーク。元気にしてたかい?」
「すこぶる健康でございます。」
人財管理室 情報戦略部隊のアンジェリークは天使のような微笑みを浮かべた。高身長な彼女は常に真っ黒なスーツと背中に掛けている反り上がった刀がトレードマークである。普段はクールで無愛想だが、笑うと可愛いやつである。一方、メイキン・アンシーは正直あまり印象がなかった。確か最後に会ったのはアンシーが5歳とか6歳あたりの話である。つまり久しぶりの再開となる。
「アンシーもより可憐になったね。どうやら10年以上も会ってなかったようだ。」
「そうですよ。もう18歳になったんです! それでえと……覚えてますか、あの時のやくそく……?」
もじもじとしながらアンシーは頬を赤らめる。
「え、うん。やくそく?」
「成人したら結婚してくれるって話……」
もしかして覚えてないの?という顔をするアンシー。背後から一段と低い「えっ……」と呟くアンジェリークの声が聞こえた。はて、10年前……10年前は何をしていただろうかと高速で脳内が回転する。
メイキン・アンシーとの思い出はどのような話であったか……。まだ幼いアンシー。どこかの星だ。そこは敗戦星国となったようである。ブレインは船の修理をしていた。船の修理?……。船はボロボロで飛ぶこともできない。だが、突如頭上に現れた船にボロボロの船は吸い込まれた。ブレインとアンシーは星を脱出する───その後、別れた。
助けてくれたのは今思えば黒いことをしている者たち。即ち、マフィアである。ただ粗暴な奴らでは無かった。なんならブレインとアンシーのことを歓迎してくれた。同じ星から脱出した仲だと腕を組み合えるほどに。程なくしてブレインは彼らの船から降りて地球へと戻ることになった。まだ幼いアンシーとは、その時に別れることになった。
お別れするタイミングで、泣きじゃくる彼女は置いていかないでと言っていた。あぁ、そうだったなと思い出す。あの時、ブレインは15歳ほどの風貌をしていた。血は繋がっていないが兄として、妹の面倒はみようと気遣っていた記憶が蘇る。次会った時はお兄と結婚する!と幼き頃のアンシーは涙ぐんで言っていた。
絶対に次こそも会おうね、という意味だとブレインは受け取っていた。なにせこの宇宙は何億光年の倍乗以上に広くて暗い次元的に無数的な世界なのだから。そして数十年を経て再開したというわけだ。ネットワークも乏しい中で。すなわち奇跡だ。
「あぁ……そういえばそうだったな。また今度考えるよ。」
「考えてくれる……?」
「うん。今度また考えてみるよ。」
「分かった!」
上手い言い回しも咄嗟に出なかった。当然、無事にまた会えるとは思ってなかった。彼女のDNA配列は昔と完全に一致している。別人や幻覚の類ではない。
何度でも思う。まさかこの船で再開するなんて、どれほど幸運なことだろう。ブレインに対して、彼女たちも生きていると気付かせてもらえたことに、この2人を推薦してくれた戦略情報局長には感謝しなければならない。ランクをもう1つ上に押し上げてやっても良いだろう。
顔合わせと意見交換が終えたところで、合流した2人と一緒に足早く移動した。会議室に入ると空気さえも精錬していた。気圧を1013hPaほどに調整すれば、物を落として少しばかりの詫びやさび、静寂そのものを楽しむことも出来るだろう。遺伝継承で生き残った地球が持つ、一欠片のDNAとも言える。そんな小ジョークが頭に浮かんだところで迂闊に呟いてみろ。どう考えたって彼女らに刺さるはずがない。
それはオヤジギャグのようなものだった。残念ながらこの感情を誰かと共有することは難しいのである。あるいは地球生まれ・地球育ち、もしくはどちらか一方のホモ・エクスマキナが1人でもいれば良かったが……そのような者は当然ながらこの船にはいない。今となっては極めて稀で特殊。地球は、あの青い惑星は、ここではお伽噺に出てくる白亜の一城のように一種の幻想的で特別な存在となった。故郷である
「お疲れ様でした。ブレイン様。」
「お疲れ、アンジェリーク。アンシー。わざわざこの為だけに済まなかったな。有意義な時間となった。」
額に汗が滲んでる。アンシーは会議があまり好きじゃないようだ。
「いえいえいえ……こうしてブレイン様に会えただけでも光栄でございます。それともう1つだけ、お話があるのです。」
「ん……? 話って?」
疑問にブレインが思うと、小さな咳払いをしてアンジェリークはアンシーと目配せした。
「このたび、私たち2人がブレイン様の側近となることになりました!」
「ふふ、そうなんです。ブレイン様は作戦の途中から参加したようなので存じなかったかもしれません。今まで側近が居なかったと聞いていたので候補してみたのです。以上サプライズでした!」
「え、本当に!?」
驚くブレインにアンシーはくすくすと笑った。
「はい、本当です!!」そう言ってアンジェリークはブレインの耳元まで口を近づけ、こっそりと補足した。
「なにせ、私たちはここの調査員と違って外星育ちですし……。所属はブレイン様と同じ ”o3”……マフィアですから。」
そのアンジェリークの行為に、隙をつかれて出し抜かれたという顔をアンシーはした。「ちょっとぉ? アンジェリーク??」そう言って彼女は少し慌てるようにブレインの空いているもう片方の耳元まで近づく。「こっちを見てブレイン様。」アンシーの動悸は早くなっていた。甘い息がこそばゆく感じる。ギュッと手元を握られたままアンシーの話に耳を傾ける。
「外星育ち。その点が私たちと副責任者……政五郎・ジョー殿とは違う点です。純度を高めるために統制を取っている人たちのほとんどは船育ち……そうでしょ?」
「そうだ。それで……? o3がお前ら2人を送り込んできた理由は他にあるだろ。」
甘い空気とは別に脳内は朝焼けの海のように穏やかだ。冷静に俯瞰してこの状況はハニートラップのようにしか感じない。ゆえに断ち切ったような冷たい言葉をブレインは放った。
「ひぇっ……」
殺気の漏れ出る覇気にアンシーの口から小さな悲鳴がこぼれる。説明してみろとブレインは怖気ついたアンジェリークにアゴを上向けた。
「……し、ししょ……ブレイン様。べ、弁明させてください。私たちは別に”o3”に忠誠を誓っている訳ではありません。た、ただ貴方に近付く手段でしかありませんから……これを参照してください。」
彼女の人差し指と中指の間から小さな小さな物理メモリーのチップが出てきた。
「差し込んで……頂けませんか?」
「嫌だね。」
代わりに引き出しから1つのボールペンを出した。スイッチを押し込むとカシュッと小さなスロットが開き、アンジェリークから手渡された物理チップを差し込む。ランプが緑色になったのを確認し、ブレインは口を開いた。
「このデータの中身は?」
「私たちの個体識別番号です。」
「はぁ、どうしてこれを……? なぜ俺なんだ。」
怒りを通り越して呆れが生まれた。個体識別番号はホモ・エクスマキナにとって最重要データの1つである。知られるだけで他人に人権の1つを握られていると言っても良いだろう──実際は多重で複雑なセーフティとロック機能があるが技術的なそれとは別に”渡す”ことが礼儀的な意味を持つ。ホモ・サピエンスにおける電話番号や住所と同等……いや五感インターフェイスの拡張を行っている分、それらよりも、もう少し重要な位置付けに値さえする。人身売買に加担するのと同等だ。到底そんな気にはならない。18とはいえ彼女たちだってバカじゃない。これを渡すという意味は十分に分かっているはずだ。
「ボスの命令です。ブレインの下に着くなら全て渡せと。こちらのチップが個体識別番号のパスワードになります。」
「そうか……」
何とも言えない気分となった。緑色に輝くボールペンの形をした情報安全性装置を机に置く。アンジェリークとアンシーの瞳を見ると真剣な眼差しでブレインを見ていた。
「……了承した。それなら貰っておこう。だが、本当にいいんだな?」
「はい。私たちは覚悟ができています。」
「……そうか。分かった。お守り係が俺でいいのか。変わったヤツらだ。」
「えへへ……元からです。」
彼女たちの気持ちを踏みにじるつもりはない。古くからの弟子であるアンジェリークと、妹みたいな存在であるアンシーとの再開を喜ばしく思う。
ただ、ボスの狙いがどこにあるのか分からなかった。彼女たちにも使命があるのと同等に、ブレインにも使命がある。
この3人が交錯したことで叶う何かしらの目的があるのだろう。そのような──唯一とも言える──ボスの思慮を考える権利が、ブレインにはあった。
彼らはただ命令に従い目標に到達したか否かを問われるだけである。他の多くの幹部とは、その点が違った。側近2人を使っていいなら新たな策も錬れるだろう。
扇状の管理室は横にも広く、上にも高い。真ん中にはスキャンによって構築された3Dマップが浮かび上がっていた。まるで小さな島が透明上の大海に浮び上がるようである。奇怪な大森林は暗く深く入り組んでおり、一部の地域はスキャンが上手くできていない。ところどころ抜け落ちるように//No signal//というマークで埋められていた。
これが意味するのは───まだ3Dマップの島は探索する余地があるということ。最新の科学技術を使っても、抜け漏れができる。上陸作戦を視野に入れてもよいだろう。そのようなレポートが上がっていた。
さて、その予測に基づく手立ては既に先程の会議で9割9分できていた。ブレインは透明な大海の眼下でセッセと生きる調査員たちを見ながらコーヒーを飲みこむ。苦くてザラっとした液体は喉を伝った。
上陸作戦第2陣を始動する。第1陣のドローン調査の報告に基づき、調査員の精鋭部隊が大森林へとはいる。複数のドローンによって形成された大森林の3Dマップに入り込み、リンクし、送られてくる映像などの情報を処理する。
コーヒカップが軽くなるほど、室内の人の動きはエントロピー増大法則に従うように慌ただしくなっていた。
いよいよ始まる。ブレインも参加する予定だ。吸う息を多くするも口腔内には豆の残り香だけが漂った。
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