第3話 来訪・啓示

 学者から信徒へと転身した夜の話だ。あれは何年前の出来事かと、《可逆の思慮者》ウェイカーは鋼の瞳を静かに閉じて、物思いにふけていた。

 まぶたの裏に映るのはそう、天から舞い降りてきた神の姿。傍らには巨大な竜が両翼を広げて飛んでいた。まさしく、新たな世界が始まろうとする日だ。

 自分が何者であるかを思い出す為に、今でも記憶回路は鮮明であると言い聞かす。上書きに上書きを重ねる。瞳に映ったあの夜の出来事と、これからの出来事を。

 あれは紛れもなく夜だった。

 ──空飛ぶ神はまず「光あれ」と言った。すると闇一変だった天が大きく割れはじめ、一筋の光が大地を差した。砂降る雲から次々と小さな切れ目が生まれる。普段は穏やかな海の波さえこの時は轟々と大きく唸りを上げていた。神の一言による天変地異の凄まじさに、ウェイカーは思わず息を飲み込んだ。

 気付けば天の向こう側から複数の竜が現れた。不鮮明な輪郭の黒き者たち。降り落ちる稲妻で姿形が変わり、激昂するような咆哮が空気を震わした。状況は不確実性を増した。身体がピリピリと痺れる。今まで遭遇してきたどの存在よりも遥かに強く、遥かに違和感を覚える認識だった。本能に深く刻み込まれる。この世界の存在ではない。受け入れるがままの超越的な何かである。《可逆の思慮者》ウェイカーは明確にそのような理解が出来た。それでも脳と身体は同化していないものだ。胸は波のようにエグってくる畏怖が襲う。頭が真っ白になり、腰が抜けて逃げることもできない。

 やがて複数の竜が目の前に着地した。激しく大地が揺れて共鳴するように竜は低い唸り声を上げていた。ウェイカーは見定められているような気分になる。心の奥底を覗かれるように赤く点滅する竜の瞳に恐れた。それどころか大地にいる竜だけが全てではないことが更に恐ろしかった。いつでも見ているぞと言わんばかりに空を埋め尽くすほどに飛んでいた。そして一番巨大な竜が中央に降り立つ。神は竜の傍らに存在していた。

「この近くに大森林The Forestがあると聞いた。」

 宙に浮いたまま神は問う。背筋が凍る。ウェイカーは目線を地べたに向けた。上手く歯車が回らない。背中がジンジンと熱い。油が不足した生渇きの震え声をだしながら、ようやっと口から言葉が出た。

樹海The Forest……ですか?」

「そうだ。大森林The Forestだ。」

 神は静かに頷いた。どうして、樹海The Forestの場所を知りたいのだろう、ウェイカーはそのように思いながら後ろを静かに指差した。幸いにも背面には広大な樹海が広がっている。その大半が貴重な変圧器や高性能な制御チップが実っている樹海。深くて恐ろしい樹海があった。進化サイクルが早く、島の中でも狡猾で珍しいアニマルばかりが生息している樹海だ。幸か不幸か、ウェイカーはそんな樹林について調べている最中だった。

「なるほど。良ければ……そこまで案内してくれないだろうか?」

「わ、……分かりました。」

「申し訳ないな。」

 聞き違いじゃなかった。確かに神はそのように感謝を述べた。浮遊している神はそのまま真上を通りすぎる。竜は護衛をするかのように、静かな唸り声を再び上げて飛び始めた。いったい何が起こるのだろう。一般的な民のように、聖書や神話の類いを頭から信じるタイプでは無い。審判者たちにとっては異端である。神に救いを求めず、自然の摂理と共存しようとしている学者もどきと呼ばれ、銭ばかりの権力者からレッテル貼りをされる。そんな権力者に甚だしい不満を抱いていた。しかし、この時ばかりのウェイカーは少し違う。確信的に、本能的に「彼が神であり、主である」という神妙な感情的理解が実に腑に落ちるという。誰か、誰か、この摩訶不思議な現象を説明して欲しかった。神を日頃から信じる者たちから心底頼りたい、そんな気持ちで呆然と立ち尽くした。今だけ、浮遊するチリや砂が気になる。いつもと違う胸がざわつくこの感覚ノイズに。


 ○○○


 その惑星がメザラと呼ばれ始めた由来は分からない。誰が命名をしたのか、いつから存在していたのかも不明である。発見当初、船の幽霊域と呼ばれていた魔の星域にて見つかった。これらはルーメル、エナーゼ、グラシャイパルコスと呼ばれる星を三角形で囲む場所にあり、特異な物理現象──電磁波由来の性質かも不明──によって星はさながらカメレオンのように宇宙と同化していた。望遠レンズで見ても、距離的に船で近付いても星は見えない。宇宙のみが広がるように見える。区域へと無闇な侵入をするとカメレオンが飛ぶ虫を捉えるように、星の重力で船が気付かぬまま大気圏へ引き込まれて墜落する。当然、船の中にいた人や荷物、財産は空気との摩擦によって燃え上がり、塵と化する。

 この事象を暫定的にカメレオン現象と名付けた。幽霊域は超高速路航法の航路の一部である。開拓時代に活用されていた小さな航路だが、航路上での度重なる事故と不思議な船の消え方に調査を開始した。その結果、以下が記録簿に残された経緯となる。航路を保有していたのはルールズ商事であった。すぐに調査員を派遣し、月日を要して解析したのだ。

 調査員は苦虫を噛み潰したよう顔をした。誠に信じられなかったからだ。一定の原理、原則から逸脱している。たしかに幽霊域に星は存在した。見えるが、見えない。嵐雲に隠れる小さな島のように。星を囲むのがガス雲なのか、それとも未知な現象なのかすら分からない。

 ただ、これは科学世界にありがちだが、現象自体が不明であれど、現象を解析して星へ辿り着く手法を確立させることは可能であった。

 事実、グノーレ社は到達及び着陸手法を確立させたのである。

 ルールズ商事はグノーレ・スペース・オーパーツ社に委託した。そして、グノーレの調査員はメザラへと降りる。その未知の惑星の地上へと。


 調査員[Secret]「こちら熱圏から成層圏へと突入。3.2.1...」

 応答者「応答……応答……」

 調査員[Secret]「砂……[ノイズ音]……嵐がす……[ノイズ音]……られそ……」

 応答者「臨機応変な対応を。到達目標を忘れるな。」

 調査員[Secret]「……も……[ノイズ音]……ろんです。」


 想定限度を超えそうな砂嵐の力に機体が耐えられないと判断した調査員[Secret]。本来ならば対戦闘に使用されるブラウン化・ニトロ中性子エネルギー(以下フィールデリアと呼ぶ。)を張った。激しいエネルギー供給に1度、機体内部のランプが点滅する。それは一瞬であったし、時間にして0.01秒もない。細かいノイズである。しかし、調査員[Secret]は素早く電源供給を切り替えた。冷や汗のようなものが出そうだった。改めて、この星の異常性を深く認識し直す。注意深く操作のレバーを指示し、現状を見るしかなかった。視覚から浮かぶ文面の情報。脳に直接入り込んでくる膨大な情報が、今までに無い奇妙な航路を突き進んでいるのだと再認識する。

 幸いにも砂嵐の対処はフィールデリアを張ることで一時的に解決した。このままでは大小様々な砂粒によって、船がヤスリのように削られ、最後は同じく砂と化していたに違いないだろう。巨大なエネルギータンクを消費することで解決したが、予備電源のリソースを割いたトレードオフだ。


 調査員[Secret]「信号調……[ノイズ音]……号調整。応答願いま……」

 応答者「着陸したか?」

 調査員[Secret]「……これ……からで……」

 応答者「ミッション遂行に集中せよ。」


 通信機器が切れた。調査員[Secret]は着陸するように船に指示する。激しく振動しながら船は砂嵐を抜けた。途端、見えてくる広大なに驚く。緊急着陸態勢を行い、重力加速度のメーターの数値が指数関数的に増大する。ボロボロに粒子化しているフィールデリア。砂にまみれて、ぼろ雑巾のようになった船は、着陸が成功すればその時点で上々であった。

 例え、星から出る帰りの道が存在しなくてもだ。


 頭脳エイリアス「アクセスポイント到達まで残り20秒。」

 調査員[Secret]「なるべく安定地点を目指せ。」

 頭脳エイリアスラジャーRoger


 このとき、調査に使用された船はグノーレ・スペース・オーパーツ社の製品を一部改造したものである。名はオーパーツ・クオーリー。船の心臓部である頭脳AIには、アドム・エイリアスシステムを採用している、名はエイリアス。この頭脳提供システムはツリー・クロージャー社が製品化しているサービスだ。交通、産業に活用され、膨大な情報処理を簡単に行い、分析して判断してくれる汎用型の頭脳だった。

 一重に、船の高価さに見合う判断をする頭脳が搭載されている。そんな頭脳だ、緊急着陸する指示を受けて地上の様子を伺った際、広大な砂漠の流動性にすぐに気付いた。大地全体のその謎のうねりに。ゆえに緊急の着陸は危険だと、回路全体がオーバーヒートしながら船の頭を上昇させた。


 調査員[Secret]「エイリアス!??……エイリアス!!」

 頭脳エイリアス「砂漠に謎の異常性を感知しました。急上昇します。」


 聞いたことがない鋼の削れるような振動音。機体が真っ二つに折れそうになる。船全体が大きな悲鳴を上げて複数の調査ボールを打ち出した。ノイズの波となったモニターには重力に沿って流線形に流れていく様子が見える。


 頭脳エイリアス「複数の調査ボールを放出しました。船の耐久限度が20%超過しています。激しい衝撃音に注意してください。」


 調査員[Secret]は咄嗟に身構える。一瞬、ふわりと身体が浮かんだ。その気の所為はすぐに収まったが、エイリアスが指令した上昇とは別の下落が発生している。否、それは反重力で速度を落としながらの落下だ。


 頭脳エイリアス「報告、エンジンルームの激しい炎上を確認しました。及び、第2通路の損傷が激しい為、後部切除をいたしました。」

 頭脳エイリアス「これより、限りなく安全な着地点を目標に推進運転に切り替えます。反重力操作が可能なため、慣性運転を補助動作とします。」


 しかし、そのエイリアスの努力は実を結ばなかった。ゆるりと襲う落下の浮遊感が最後まで止まることはなく船は広大な砂漠に飲み込まれていった。先頭から突っ込む。削れるような着陸と地震のような揺れ。流動する砂が扉を破り、通路に押し寄せてくる。多量の砂が調査員[Secret]を殺し、地中深くにエイリアスは沈んでいった……。

 船から放たれた調査ボール──言うまでもないが球形状だ──小さな反重力と慣性で推進しながら以外の場所を目指していた。調査ボールにはエイリアス機能の一部が付いており──その性能は船頭脳エイリアスよりも限りなく極小だ。ある程度の地形分析や自由制御が行える。

 本来ならばオーパーツ・クオーリーの頭脳であるエイリアスを基地局とすることで、調査ボールは初めて性能を発揮する。詳しくは、より精密な操縦を可能とするのだが、流砂海に沈んだ為にそれぞれが自立した飛行が行われていた。

 調査ボールはあらゆる環境に対応できるようにコンパクトながらも設計されている。灼熱、零下、気圧、水圧、微細な塵、静電気、無重力などなど……。ゆえに、それぞれの調査ボールは上手に飛んだ。眼前の景色を小型な頭脳エイリアスで分析し、それぞれの着地地点を見つけた。一部の装置が損傷し、不時着して流砂海に飲み込まれる機体もあった。それでも概ね、島らしき何かに辿り着いた。

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