『キャンプ』をカジってとんだ趣味イナゴな僕は⑫
【前回のあらすじ】
全員お昼寝。爆睡のあげく目を覚ますとすごい空腹。
殺気立った三匹の獣と化した我々は、雨の後に火をおこすのにさらに殺気立った。無粋な罵りあい。
いやーやっぱ食わなきゃだめだな!
さんざんに憎まれ口を叩きあっていた我々だが、何となーくで火起こしに成功した。なんて事はないな。案ずるよりナントカというやつよ。
さっそく大ナベいっぱいの水を火にかける。水の分量は適当。パックご飯もレトルトカレーもあったまればいい。それに、乾麺類の粉末スープはすでにかなり持て余している。もはやしっかり水の計量をする必要はない。
ほら、一度に何玉も食うんでね?
例えば6食分のラーメンをナベにぶち込んでも、投入するスープは3袋から4袋がせいぜいなのですよ。未使用の粉スープだの、付属のダシが溜まっちゃってる訳ですよ。
三人ともいつも以上に飢えている。おかわりが利くようにナベ用ラーメン。のびにくいから。あの技術スゴイよね。
誰もしゃべらない。そして地獄の釜にメンが茹で上がりざま、餓鬼と化した我々は貪り食らった。乾燥野菜のチップをザックザクと流し込む。おかわり。真空パックのハムやベーコンなども放り込む。おかわり。おかわりにつぐおかわり。もはや遠慮はいらない。おかわり。
これ、肝心なことなのに書いていなかった。
このキャンプは最長で四泊五日の予定を組んでいた。いい大人のくせして遊びすぎである。で、手に負えないほど天候が荒れるならスタコラ逃げ帰ることになっていた。一泊目の明け方、寒さに震えた時もわりと気安く
『帰っちゃおうか……?』
という雰囲気になったのも、この前提のせいだ。
なお途中撤退の際は、繁華街で大いに飲み食いし温泉大浴場のあるビジネスホテルに泊まり、腹いっぱい朝バイキングも楽しみ野球などを見に行くことになっていた。いかにも負け犬らしい怠惰な予定である。
しかし、今はすでにキャンプ三日目の夜。残りの食事回数はたかが知れている。食材は遠慮せず使い切ってしまった方がいい。帰りに荷物なので。おかわり。
また加工肉類は我々の天然冷蔵庫である『渓流の石囲い』で冷やしていた。しかし雨での増水を警戒し、森田がすべて引き上げていた。
俺がジーンズの石焼きに熱中していた頃、他の二人はしっかり雨に備えてくれていた。感謝。
であるからこの肉製品たちは何時間も、真夏の常温にさらされていた。ヤバイかもしれない。ニオイを確かめながら、ナベに放りこんだ。
よし、コレも食える。コレもオーケー。
塩っ気がほしい。俺が砂肝焼きを食おうと開けてみた時である。
「グぁあっ」
みたいな声を発し、俺は悶絶した。ニオイがヤバい。意識とぶかと思った。
開けた当人の俺のみではない。数メートル離れた大屋と森田ですら
「オエッ」「グエッ」
とえずいた。もはや兵器だコレ。
とにかくラップやらビニール袋で幾重にも、厳重に密封する。吐きそうになりながら封印する。ちくしょう。ニオイが目に刺さって、涙が出てくる。
「焼いたほうが虫とか寄ってこなくて、いいんじゃないか? ……オエッ」
などと何かと燃やしたがりの森田が言った。冗談じゃない。やるならお前がやれ。あとコレを無臭にまで焼き尽くすのは、焚火じゃおそらくムリである。自治体様に任せよう。
いやーほんっとすさまじかった。
内臓系はやっぱ腐ると強烈なのか。食ったら死んでたんじゃないかな。もうね、不快とかそういうレベルじゃないの。本能が接触を拒絶する感じ。邪悪の波動。死の砂肝。
包装にキズが入ってて、腐敗がすすんでいたのかな。常温保存品と銘打っていても、油断してはいけないね。
結局メシは、三人で9玉ぐらい食った。大満足。
やっと一息つける。火を眺めていると……なんだか妙な感じがする。
なんだこれ。すっごいシアワセ。強烈な多幸感。
なんかもう世界がキラキラして見える。大屋と森田が、なんか無二の親友でいいヤツで格好よく見える。ああ俺は何て幸せ者なんだろう。なんて贅沢な時間を過ごしているんだろう。なんて自然は美しいのだろう。森は生きている。川も生きている。俺は生きている。
そんな境地になった。ちょっとばかし常軌を逸している。
きっと血糖値のせいだ。どん底というか、枯渇状態から過剰に上昇したから。あと塩分やミネラルが身体中に全力配送されてるとか?
そりゃ人間なんて、水で出来てんだからな。待ちに待った全身の細胞が狂喜してんだろう。脳も幸せ感じるよな。
「ほら飯食うとこんなにシアワセだぞ。もうこんなに腹空かさないでくれよ」
って風に、脳が俺を教育してたのかもしれない。アメとムチだね。
待てーい。
ナチュラルトリップに興じている場合ではなくてだな。最大のイベントを我々は残している。これを実行に移すかは現地で検討を要する、としていたのだ。長期の天気図がビミョーだったから。
そのイベントってのがね!
すでに俺達はこのキャンプ地、つまり山の中腹にいるわけだ。しかしせっかくだからこの低山の頂上まで登ってやろうじゃないか。制覇してやろう。
というヤツだ。まさに目玉だ。なぜ先送りしたんだ俺たちは。体力面を考慮しても早めに行っておくべきだった。
到着日は、荷運びとキャンプ設営で終了。これは仕方ない。
二日目は明け方の寒さへの対応で森田が町へ出張した。あとの時間は釣りと川魚の調理に費やされた。
本日である三日目にはすでに天候が怪しくなっていた。とりあえず近くでできるサバゲ遊び。のち、降雨でテントに退避。そして死んだようにお昼寝。
ズルズル来てしまったような、止むを得なかったような……まあ両方かな?
とはいえ登山といっても本格的なものではない。せいぜい七百だか八百メートルの低山だ。さらに大屋はルートの経験者だ。一度すでに兄とともに、このキャンプ地と頂上との往復を果たしている。まーた兄貴かお前は。
しかし、経験者がいるとは頼もしい限りだ。だからフツー安心する所なんだが、ヤツの説明が俺にはピンと来ない。
「全部で3~4時間ぐらいだったから、余裕だよ余裕」
大屋はそう言った。なんかオオザッパすぎないか。
「それ往復時間だろう。片道どんぐらい?」
「わからん」
「山頂で休憩したか?」
「ちょっとはした」
そんなんでわかるか。
だって片道換算で一時間と二時間じゃ全然違うじゃん?
休憩をたくさんとってたら、むしろハードなルートかもしれない。
しかし大屋は〝ダイジョーブダイジョーブ〟と言うばかりだった。そりゃまあ、まずまず問題ないと思われる。事故らなければ。どんなんでも、一応は山登りだ。
事故るのに山の高低はあまり関係ない。人間が滑落して、ケガしたり死ぬのに落差は百メートルも要らない。十メートルも転がれば骨の一本くらい食われるのに十分である。
この山は見晴らしがよければ、遠くに市街が見える。それに直行ルートのピストンだ。スマホのコンパスもある。電波もある。まず方角違いは起こすまい。だが大屋が登った時は快晴だったという。……ガスって出るときはどこにでも出るからな。
一切イメージが湧かないので、俺は結局どういう山道なんだかサッパリわからない。そして我々には装備が全くない。ペットボトルに水入れて登るしかない。三名で2リットルだ。とてもじゃないが、余裕とは言えない。
ホンットにさ。釣り場の情報もそうだったが……登山道まで、大屋は事前情報をマトモに伝えてくれない名人である。これは面と向かって
「そりゃ良くねえクセだぜ、大将よォ」
と大屋に言った。反応は覚えていない。とくに口論にもならなかったのだろう。
だが愚痴る一方で俺は燃えていた。
俺は趣味や勉学を理由に、高校の部活を途中で文化系にジョブチェンジしている。対してこの二人ときたら。
卒業まで部活動を貫徹し、さらに大学でも励み、ついには消防と防衛の職に就いている。正直に言う。こいつらのそういう筋金入りな所が、俺には眩しい。俺にはできない。届かない。自分の選択は後悔してないし良かったと思っているんだけど。
この妬ましさと憧れと優越感がグチャグチャな感じ。そういう身勝手で複雑な劣等感がこいつらに対してある。ときに男ってこういうもんだと思う。
この二人はまったくそんなこと、考えもしてないだろうけど。
(単純な筋力はともかく。お前らにブザマは晒さんぞ)
心中、俺はそう息巻いていた。完全な独り相撲なので口に出さない。しかしこれは筋金入りの大屋と森田に対し、俺の体力を示し秘めたコンプレックスを払拭する、絶好のチャンスだ。
サバゲで川に落ちたのは事故だね。アクシデント。体力がどうこうじゃない。無様じゃない。単なる不運だ。そうだね?
チナミニ・チナミニ・ソウイエバで、また本線が進んでないな。
カロリーと元気と理性を取り戻した俺たちは、真面目に協議した。
明日こそ決行。もう日数的に、明日しかないのだから決行の一択だ。せっかくココまで来たんだ。そうだそうだ、やっちまおう。
俺と大屋がそんな気炎をあげた。しかし沈毅の豪傑、森田はモノ申した。
「しかし諸君。雨天決行、これだけはあまりに暴挙ではあるまいか?」
「うーん……」
確かにドロドロの足場を、Tシャツにスニーカーで駆け上がるのは無茶……か。そうかな。意外と行けるんじゃないかな。やっぱダメかな。真夏でも低体温症ってなるの?
「あーもう、とにかく予報だ。予報を見よう」
俺たちはそれぞれケータイから調べた。
曇り時々雨だの、雨時々曇りだの、というもっとも参考にならない予報だった。山の〝時々〟なんて読めないじゃん。平気で半日ぐらいスポットで降るじゃん。
『ともかく出発するかの決断のリミットは、明日の昼までだ』
みんなしてそういう事に落ち着いた。
往復4時間かかるとみればだ。一応多少のトラブルを見こして、そのくらいには出なければならない。ちょっと足りないくらいだ。空模様を見つつ、ホントにダメだったら明日の午後は撤収の準備に集中して、明後日には未練なく早めに帰ろう――という事になった。
そして登山に際し、俺だけにはなんとしてもクリアすべき問題があった。
どうせロクにかわいていないだろう濡れたジーンズだ。二人から離れ、テントに干してあるジーンズに触れる。期待してなかったが、案の定あまり変わってなかった。
(そうだ。完全に乾いている必要はないんじゃないか?)
要はさ。動ければいいんだよ。
俺はジーンズを持って、そろそろとテントの反対側に回った。大屋と森田からは見えない。そしてスウェットを脱いだ。それから、パンツをぬいだ。
そうです。まごうことなき下半身真っ裸です。
待て。下着まで脱いだ理由を説明するから待ってくれ。登山中にジーンズから水が染みてきて、パンツまでずぶ濡れになったとしよう。濡れた生地は、互いに貼り付く。よって非常に動きにくいだろう。
もうそれなら二人には黙って、ノーパンで登山してしまおう。道中で雨が降ればどうせ濡れるんだから、むしろ下着は邪魔だろう。そう思ったのだ。
こうして無人の暗闇で露出狂と化した俺は、ジーンズに足を通した。
(つめたい……!)
とくに、布の密着する尻から股下にかけてとか、急所とか腰にかけてとか、すごく冷たい。太腿も冷たい。チルド室に入れてたんじゃないかってくらいの体感で冷たい。
そして結局、動きにくい! ちくしょう。パンツ関係なかった。
ヒエッとか声が出ないようゆっくりとジーンズを脱ぐ。これまた貼り付いて脱ぎにくい。やっとパンツを履き、俺は露出狂から文明人に戻った。
コレ、何かの罪になるのかな。見てた人いないからいいのかな。山の神様は見てたかも。だけど、山神はだいたい肉食系の
いいや、もう、そんなことは全てどうでもいい。天罰よ、降るなら降ってこい。俺は焦りを通り越してもはや怒っていた。やるしかあるまい。
ジーンズを持って焚火に戻ると、二人にナベをどけてもらった。火元を低く調整する。
「おいお前まさか」
「焼く!」
俺は焚火のアレ――あのアレ、排水溝の鉄格子――にジーンズをふわりと置いた。直火焼きだ。もう仕方ない。元々、コイツはこのキャンプのために買った古着だ。ここで物惜しみをしてメインイベントに参加できないなんて、本末転倒だ。そんなことは許されない。
大屋と森田は苦笑い。そりゃそれ以外リアクションがないだろう。
「昼から乾かしてて分かった。ここまでしないと明日までにコイツは乾かない」
「燃えちゃうんじゃないか?」
という危惧の声が出た。
「これだけ水を含んでる間は、大丈夫だ。火も弱めたし」
俺はそう答えたが、なんの根拠もなかった。
もう、いくらか焦げた穴が空こうが構わない。
『こういうパンキッシュなジーンズですが何か文句あります?』で通す。
しばらくすると流石のガンコなジーンズ野郎も湯気っぽいのをまとい始めた。いいぞいいぞ。いまいち、湯気なのか煙なのか分からんけど。
「フハハハ、苦しかろう。乾いてラクになってしまえ!」
みたいにテンションが変になった俺は、ひとり勝利の予感に陶酔していた。二人はもう無表情で、別の事話してた。へんなことやるとテンション上がるよね。しばらく裏返したり、灰を払いおとしたりした。
そして持ち上げてみる……やはり、ジーンズは湯気を吹いている!
「オイ見ろ! 効いてるぜコイツ。確実に水分が飛んでいる」
「そうか。俺ぁ、ちょっと寝る」
腹が満ちた大屋と森田は、それから思い思いに仮眠をとった。天気予報の更新を見たり、たまーに面白がって直火焼きの見物に来たりした。いいよなお前らは気楽で!
結果として俺は数時間の格闘の末、ほぼほぼジーンズを乾かすことに成功した。
感触はへなへなでジットリ。家での洗濯なら〝まだ乾いてないよ〟レベルだ。でも重くないし、冷たくもない。これで十分だ。これなら着ていける。お前となら走れる。それにこれ以上やると火が付きそう。
勝った。勝ったな。俺の勝ちだ。待ってろよ山頂。降るなよ雨。
なお後日談。
このジーンズだが、とっても香ばしい木の匂いが染みついてしまった。要するに焚火で
数カ所が、茶色く焦げた。
思い出の品なので部屋着としてでも使い倒したかったのだが、この匂いがどうしても取れない。
洗濯、漬け置き、天日干し、影干し、消臭剤、漂白。思いつく限り試したがどうやっても焚火の匂いがとれない。
泣く泣く捨てた。でも一生忘れないよ、お前の事。
文章を書くのが趣味です、なんてまだ言えない僕は 秋島歪理 @firetheft
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