3.


「もう変身したんだ」


 残念な思いがつい口からこぼれた。ウェイターの男性はキョトンとし、隣りに立つ真柴くんに目を向けた。


「二名さまでしょうか?」

「はい」

「空いているお席へどうぞ」


 綺麗な一礼を残してウェイターさんが立ち去った。


 あ、とふいに真柴くんが呟いた。


「ほら、あの猫でしょ?」


 彼が指さした方向に目をやると、カウンターの奥にあるStaff Onlyと書かれた銀色の扉の前に、白い猫がお行儀よく座っていた。ブルーの首輪もそのままだ。


 飼い主なのか、猫は女性店員にオヤツをもらっていた。私は目を皿のようにしながら、黙ってその様子を眺めていた。


 猫と変身後の人間が別々にいて何がなんだか分からなくなる。


「せっかくだから珈琲でも飲んでいきません?」


 真柴くんのスマートな誘い方に、無意識に「うん」と頷いていた。


「先輩の進路、何となく分かりましたよ」


 ソファー席に座り、ウェイターさんにお水とおしぼりを運ばれてから真柴くんがズバリと言い当てた。


「創作系ですよね? 漫画家とか小説家とか……エンタメ系の専門学校に進むんですか?」


 縦長のメニューを見ながらカフェオレを選び、「うん」と彼の意見を肯定する。


 真柴くんが店員さんを呼んで飲み物をオーダーする間、私は何を話そうかと頭の中で整理した。


「私ね。子供の頃からファンタジーな空想をするのが好きで。将来は小説家とか脚本家になるのが夢なの」

「……へぇ。なんか、あん子先輩らしいっスね」


 彼は頬杖をついたまま穏やかに微笑するだけで、私の夢を馬鹿にしたりはしなかった。無論、彼がそんなことをするはずがないのは分かっていたが。ただただ面映おもはゆかった。


「……でもよく分かったね」


 私は俯きがちにおしぼりを握った。


「だってあん子先輩、さっき猫に話しかけてたから。変身できるんでしょ? て」


 聞かれていたのか……!


 瞬間、頬から耳にかけて熱くなる。視線を手元に据えたまま、私は変な汗をかいていた。


「だから空想するのとか好きなのかなと思って」

「っあ、あれは空想じゃないのよ。ただの勘違いだっただけで」

「勘違い」

「あの白い猫が店員のお兄さんに変身したと思ったの。変身するのを見たと思って……」


 返答が予想外だったせいか、彼が「え」と言葉を詰まらせる。


「実際は木で視界の切れ間もあったし、私の早とちりだったって分かったけどね。なんか……腑に落ちないの。そこの空き地で猫を見失ったんだけど、忽然と消えた気がして」


 それはあれですよ、と彼が教えてくれた。


「地下通路に繋がる階段があって、そこが普段から猫の通用口になっているそうなんです」

「階段。そんなの、なかったけど……」

「猫が入って来たのに気付いたら飼い主さんが蓋をするからですよ。普段は目立たないようにしているらしいです」

「そうなんだ。……ガッカリした」


 真柴くんの発言が人づてに聞いたものだと気付き、直接ここの店員さんに確認したのかもしれないな、と思った。


 手前の丸いテーブルに湯気をたてた白い食器が二人分並んだ。注文した珈琲とカフェオレの香りが私たちの間に充満し、癒してくれる。


 珈琲にミルクのみを入れてかき混ぜながら、「それじゃあ例えば」と彼が別の話題を振った。


 別の話題でありながら変身に関する内容で、私は彼の話に聞き入った。


「例えばですよ? 根暗で太っている男子が九年経って、痩せて明るいイケメンになっていたとしたら……それはあん子先輩にとっての変身になりますか?」


 カフェオレのカップを両手に包みながら、え、と反応する。


「そう、だね。なるかも」


 甘めに調整したカフェオレをひと口すする。口内が温もりに包まれて幸せな気持ちになる。


「設定としてはベタだけど、ラブストーリーに組み込んだら素敵だよね」

「……なるほど」


 真柴くんは真剣な面持ちでありながら、どこか嬉しそうに頷いた。


「でもね。元々が猫の姿だったらもっと素敵だと思うのよ。魔法使いがさ……猫を人間に変えちゃうの。人間の女の子に恋をした猫が、お近づきになりたくて人間の男の子になっちゃう、みたいな。そんなファンタジー……」


 諦めきれないファンタジー現象をやはり愚痴としてこぼしてしまう。彼は柔らかい笑みを浮かべ、カップを白いソーサーに置いた。


「じゃあそういう物語を作ったら見せてくださいよ、俺が先輩の素敵を判定しますから」

「……ん、分かった」


 恥ずかしいという気持ちはあったけれど、正直なところ嬉しいと思っていた。


 教室では地味でさえないグループに属している私だが、彼は私の好きなことを笑わない。


「ところであん子先輩って、実は忘れっぽい性格だったんですね」

「え、なにが?」


 カフェを出て帰る際、何故か真柴くんが落ち込んで肩を落とすので、無性に気になった。何か失礼なことをして傷付けたのかもしれない。


「……いや、別に」


 真柴くんは拗ねてそっぽを向いた。けれども視線はとんぼ帰りをし、ハラハラする私の様子を興味深く観察した。「まぁいいか」と独りごち、照れ臭そうに頭を触っていた。


〈了〉


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