姉を死に追いやったのは何でも「ちょーだい!」という妹だった

黒星★チーコ

全1話 彼女は何故死んだのか

「いいなあ、ちょっとちょうだい?」


 彩佳あやかはこう言われるのは好きではない。いや、むしろ言うのは好きな人間はいても、言われるのが好きだと言う人間はいないだろう。だが彼女は笑顔で応えた。


「いいよ」


 彩佳の差し出したチョコレートパフェに友人は遠慮なくスプーンを突っ込み、最後のお楽しみに取っておいたブラウニーごと削ってかなり大きめのひとくちを持っていった。


「あっ、あたしのも食べていーよ!」


 そう言った友人のイチゴパフェ……だったものはイチゴは全て食べられた後で、クリームとバニラアイスとイチゴジュレしか残っていない悲惨な光景だ。


「あ、うん……貰うね」


 彩佳はバニラアイスを小さくひと掬いして食べたが、そのひと掬いを飲み込むと身も心も寒くなった。

 こんな思いをするならうまく断れば良かったのだろうが、断れないのは長女のサガかもしれない。


 昔、妹や弟に「ちょっとちょーだい!」とねだられて断ると大泣きし駄々を捏ねられた。あげく両親に「お姉ちゃんなんだから分けてあげなさい」と言われるのだ。過去の出来事は一度や二度ではなく、今も鎖となって彼女を縛り付けている。


「ねだる」も「ゆする」も、同じ当て字で「強請る」と書く。妹や弟がやっていたことは「ねだり」のようでいて実は涙を使った「ゆすり」だったのではないか……と、削られたブラウニーを眺めながら彩佳は考えた。


「良いなぁ、ちょっと頂戴」


 それなのに耳許で聞こえた声に彩佳は反射的に応えてしまう。


「いいよ」

「え?」


 はっとして顔を上げると、ぽかんとした表情の友人が居た。


「え? 何?」

「いや、こっちが何? だよ。もしかしてひとくち取ったの嫌だった?」

「えっ、あ……」


 そんなつもりは無かったのだが心の内が駄々漏れだったのだろうか。彩佳が俯いてパフェを眺めながら呟いたのを見た友人は思うところがあったらしい。明るく両手を合わせた。


「ごめーん! ねぇ、さっき迷ってたチョコプリン、あたし頼むから半分あげるよ! お詫びねっ」


 友人はそう言って店員を呼んだ。彩佳は友人の気遣いを嬉しく思い、先ほどバニラアイスで冷えた心が温まったが身体の冷えは消えなかった。パフェのアイスを食べ過ぎたのかもしれない。友人がチョコプリンを頼む横で彩佳も言った。


「すみません。私も追加で。ホットのミルクティーを下さい」



 ▼



「あれ、いつもの着けてないね?」


 友人は彩佳の左手首を見て言う。

 先程までモコモコのセーターに包まれて見えなかった手首は両手でティーカップを包むように持った為にあらわになり、そこにいつも着けていたブレスレットが無い。


「そうなの。出がけに糸が切れちゃって」


 彩佳のお気に入りのブレスレットは淡いピンクと透明の石が繋いであり可愛らしいデザインだったが、今朝うっかり引っかけて石がバラバラになってしまったのだ。


「なんか最近ツイてないなあって思ってたんだけど、こうしてお喋りしてたら吹っ飛んだよ」

「ほんと? 良かったー。あたしも彩佳に会えて嬉しいよ~」


 二人はチョコプリンをわけあいながらコロコロと笑い、お喋りを楽しんで幸せな時間を共有した。


「ねえ、また時々こうして美味しいものを食べに行かない?」

「ちょっと頂戴」


 友人の問いかけに被さるように耳許で声が聞こえた。彩佳は思わず振り返ったが、後ろの席の人が話した言葉だったのかもしれない。


「彩佳?」

「……ううん、なんでもない。さっきの、いいよ。また行こうよ」


 彩佳はにっこりと応えた。



 ▼▼



 友人と別れ、電車に載る。最寄り駅で降りると冷たい風が吹きすさぶ。今日は特別冷え込みが厳しいようでゾクゾクと寒気が突き刺さった。彩佳はコートの襟元を手でぎゅっとあわせながら改札を通る。

 と、改札口を出てすぐ脇のたい焼き屋の前で女の子が大泣きをしていた。


「わあぁん!! お兄ちゃんばっかりズルい!!」

「ズルくないよ! お前、さっきジュース買って貰ってたじゃん!」

「ズルい!! ズルい!!」

「お前こそズルい! ジュースくれなかったクセに!」


 彩佳が通り過ぎながら横目でチラリと見ると、兄らしき男の子の手にはホカホカと湯気が立つたい焼きがあった。

 兄妹ゲンカの声を背にした彼女は想像する。おそらく二人の母親はそれぞれの欲しいものを一つずつ買ってやったのだ。妹はジュース、兄はたい焼き。

 そしてジュースを飲みきった妹は兄が羨ましくてこう言ったのだろう。


「ねぇ。ちょっと頂戴」


 後ろから女の子のリアルな声が聞こえたような気がした。今日の友人とのやり取りを思い出した彩佳は苦笑しながらいつも言わされていたセリフをつい呟く。


「いいよ」


 それを口にした途端、自身の苦い思い出が蘇り覆い被さるかのように彩佳の背が重く、寒々しくなった。

 彼女はぶるりと身震いをし、家路への足を早めた。



 ▼▼▼



 彩佳は社会人1年生、実家暮らしである。

 駅から15分の道のりを歩き自分の部屋にたどり着くと、彩佳を包んでいた冷たい空気はかなり和らいだ。エアコンをつけるとすぐにふんわりと温かい空気が広がり芯まで冷えた彩佳の身体を温めてくれた。


「あ、お姉、お帰り~。ねえねえ服貸してよ。今度サークルの交流会があってぇ」


 妹の遊佳ゆうかが部屋に入ってきて彩佳の返事を待たずクローゼットの物色を始めた。彩佳はため息交じりで応える。


「いいけど汚さないでよ。あとちゃんと返してね」

「わかってるって♪ ……あれ?」


 妹はアクセサリートレイの上に置かれた水晶とローズクオーツの石たちに目を留めた。


「あっ、これもしかしてブレスの石? 糸切れちゃったんだぁ」

「そうなの。テグスを買ってこなきゃ」

「ねぇ、これ私にちょーだいよ!」

「えっ」

「ちょうどさ、こんな感じの石でアクセ作りたかったんだぁ」


 彩佳の顔から血の気が引く。今日はなんという日なのだろうか。「ちょっとちょーだい!」の嫌な思い出に数回触れた後に、本当に妹から「強請り」をされるなんて。でもこれはなんてもんじゃない。


「だっ、だめ!! これはお祖母ちゃんから貰った大事なものだから!」


 ブレスレットは風邪をひきやすかった彩佳に祖母が「御守りだよ」とプレゼントしてくれたものだった。着けてからは不思議と風邪をひく回数が減ったのだ。


「えぇ~お姉ばっかりズルいぃ~!」


 彩佳の頭の中に、たい焼きを握りしめ反論する男の子の顔が浮かぶ。


「ズルくないよ! 遊佳だってお祖母ちゃんに色々買って貰ったじゃない!!」

「えぇ~それはそれじゃん。石でアクセ作ったらお姉にも使わせてあげるから~!」

「それはそれなら、これも別なの! このブレスレットは大事なものだって言ってるでしょ!」

「うるっせーぞ!!!」


 銅鑼どら声と共にバン!と勢い良くドアが開く。二人が振り向くと弟の涼太りょうたが入口で仁王立ちをしていた。顔つきもまさに仁王のそれだ。


「姉ちゃんらが騒ぐから勉強できねーだろ! 遊佳、お前良い歳してガキみたいに彩佳姉ちゃんを困らすな!」

「ちょっと涼太、なんで私は呼び捨てなのよぉ。私もお姉ちゃんでしょ!」

「うるせぇ! お前みたいなクソは姉じゃねえ! お前のせいで落ちたら殺すぞ!」


 涼太は昔は遊佳と同じように彩佳に強請る方だったが、いつからか大人しくなった。だが高3で受験が間近となった今はかなりイラついている。彩佳は涼太に謝り、まだ喚いている遊佳を部屋から追い出した。


「ふう……」


 部屋に一人きりになると自然と小さくため息が漏れた。彩佳はアクセサリートレイに近づき、その上に置かれた透明とピンクの石たちを見つめる。

 そっと石に触れ、自分がこれらを妹から守ることができたと思うとモヤモヤしていた気持ちがスッキリした気がした。



 △△△



 翌日。

 今日も朝から底冷えのする日だった。彩佳は首をすくめて駅までの道を行く。ふと昨日のことを思い出した。


「お願い。ちょっと頂戴」


 彩佳はくすりと笑い、独り言を呟く。


「いいよ」


 昨日とは違い、今は気持ち良くその言葉を言える。ブラウニーくらい分けてあげたって良いじゃない。本当に大事なものだけキチンと守れれば……と思えるようになったのだ。


 木枯らしが吹きすさぶ。彩佳の身体は徐々に冷えたが、心は温かかった。



 ▼



 昼休み。

 同期の子とお昼を共にしようと、二人で社食に来た。彩佳は自販機の前で少々悩んだ末、きつねうどんのボタンを押した。


「あたしはAランチにしようっと……あ、やだ10円足りない」


 同期の彼女は小銭入れを覗いた後、彩佳に向き直る。


「ねぇ、ちょっと貸してちょっと頂戴

「え?」


 同期の彼女の言葉が歪んで聞こえた。口の形は「貸して」と言っていたようなのに、彩佳には「頂戴」と言われた気がしたのだ。


「今、一万円しかないの。明日返すから10円貸して?」

「あ、うん。いいよ!」


 やっぱり空耳かと彩佳は思い、10円を彼女に手渡した。



 ▼▼



 会社からの帰り道。彩佳の足取りは重い。

 今日はおかしな事ばかりだったからだ。


「いいな。ちょっと頂戴」


 まただ。

 彩佳はイヤホンを取り出し装着すると、音量を最大にして音楽を再生した。だがそれでも


「……ねぇ……ちょっと……頂戴よ」


 ギターとピアノの音に紛れ謎の声が聞こえてくる。


「!」


 彩佳は全身の肌が粟立ち、イヤホンを耳からもぎ取った。

 昼休みの時は空耳だと思った。だが、午後になり徐々におかしいと気づいた。


 誰かが話しているとそれに被せるように「ちょっと頂戴」という声が聞こえるのだ。お陰で午後は何度も相手の話を聞き返すことになり、仕事にならず体調不良で早退することにした。


 彩佳は震えながら必死で歩を進める。それは寒さが彼女に突き刺さるからだけが理由なのだろうか。本当は目を閉じてしまいたかったがそれでは歩けない。とにかく今は家に帰りたかった。彼女は歯を食いしばった。


「ただいま」

「あらどうしたの? 早いじゃない」


 口うるさい母親に適当に返事をして2階に上がり自分の部屋に入る。部屋は薄暗く冷えた空気が支配していた。彩佳はエアコンのスイッチを入れた。と、アクセサリートレイの上にあった石たちが無くなっている事に気づく。


「……遊佳!?」


 妹の部屋の扉をノックするが返答がない。開けると無人だった。彩佳はしばし言葉が出なかった。


「姉ちゃん、どうした?」


 声をかけてきた涼太に石たちが見当たらないことを告げると、涼太の表情が一気に苦いものになる。


「くっそ、やっぱアイツったんだな……!」


 先程遊びに行くと出掛けた遊佳の首と耳にキラリとストーンが光るアクセサリーがあったので嫌な予感がしていた、と涼太は彩佳に話した。


「アイツが帰ってきたら取り返してやるよ」


 涼太はそう言ってくれたが彩佳は自分で取り返すからと言った。こんなことで弟の勉強時間を削りたくなかったし、多分遊佳に悪気はないのだ。借りたくらいの気持ちでいるのだろう。

 自分の部屋に戻るとエアコンで部屋は暖まっていた。だが疲れのためか指先は冷たいままで小さく震えている。

 ベッドに転がって指先を眺めた彩佳の耳に入ったのは。


「ちょっと頂戴」


 彩佳はゾッとして跳ね起きた。周りを見回す。だがいつもの自分の部屋がそこに在るだけだ。違うのは、ブレスレットの石が無いことだけ。


「ほしいな。ちょっと頂戴よ」

「ちょっとだけ頂戴?」


 誰かが、いや、が。


 ……それも少し違う。正確にはが。

 代わる代わる彩佳の耳許でささやいている。


 声も喋り方も少しづつ違うが内容は一緒で「ちょっと頂戴」と主張してくる。彩佳に「いいよ」と言わせるまで。だが「いいよ」と言ってはダメだと直感でわかる。言えば彩佳の持つなにかをに盗られてしまうのだ、と。


「嫌……助けて……」


 声がかすれ小さく喋ることしかできない。それでも彩佳は拒否の言葉を絞り出す。すると初めては別の言葉を話した。


「なんで? ちょっとだけだよ」

「いいじゃんちょっとくらい」

「そこの二人にはあげたのに?」

「どうして二人は良くて私はダメなの?」


 

 一拍置いて、彼女はそれがどういう意味か悟る。朝と昼、妄想と空耳だと思って「いいよ」と言ってしまった。それを言った


「……あ……」

「ねぇ、ちょっと頂戴よ」

「良いなぁ。ちょっとだけ、頂戴」

「温かそう。ちょっと頂戴」

「寒いの……お願い。ちょっとでいいから頂戴」


 彩佳の手が、足が、震える。指先が痺れて感覚がわからない。


「ちょっと頂戴…………あなたの温もりを」


 舌がもつれる。上手く喋れない。


「い、いy」


 それは拒否の言葉だった筈だ。だが何か達・・・は是、と受け取ったのだろう。




 ▼▼▼▼▼▼▼▼……



 彩佳は死体となって発見された。

 死因は低体温症による凍死。



 その葬式では彩佳の祖母が泣き崩れた。彩佳を怖がらせたくなかった為に本物の「御守り」であることを伏せていた自分をただ責め続けて。


 それを聞いた涼太が遊佳に詰め寄る。


「お前が……姉ちゃんの石を盗らなければ!」


 仁王の化身となった弟は固く握った拳を振り下ろした。

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