第3話
それから女将は、仕事が手にかつかない。浩明の嫁が現れたり、田渕の嫁の厚子から、青木の自分に対しての気持ちを、聞かされたりしてしまったのだから。
女将は、10時半のなっても暖簾は出さないし、椅子に座ったままで、考え事をしているようにしか見えない。店の常連客である立花と友井が
「おはよう」
と店に入ってきても、女将は無視したままだ。暖簾が掛かってないのは、よくあることなので、二人は気にしなかったが、女将が返事をしないことは滅多にないことなので、二人は顔を見合せ
「女将、どうしたん。熱でもあるんか」
と言って、友井がカウンターの中に入って、女将の額に手を当てたが
「大丈夫や、熱はないで」
女将は
「大丈夫」
と言ったきりで、立花と友井の前にビールはおろか、コップも女将は出さない。いつも常連の二人が来ると、まず瓶ビールとコップに取り皿と箸が出るのは定番なんだが。
「女将。何か、悩み事でもあるんか。頼りないかもしれんけど相談に乗るで」
「えぇ」
と言ったままで、やっぱり女将はじっとしたままだ。
立花は、友井に
「どうする?」
「店、閉めた方がええんとちゃうか?」
「女将の身体の調子、悪そうやし」
「そうやな。全然。開店準備も出来てないみたいやし」
そこへ青木の同僚が4人で来て、店の暖簾が掛かってないのに気付いて、常連の立花に
「おはようございます。どうしたんですか?」
「女将の身体の調子が、悪いみたいで」
「あー、呑みたかったのに」
立花が
「せっかく4人も、仕事帰りに来てくれたんやから、女将に休んといてもらって、わしらが勝手に店やろか」
友井が
「よっしゃ、わしが出し巻き作るわ」
「大丈夫か」
「これでも家で、家事やってるから、任せなさい」
「ほんまかいな」
「女将の作ってるとこ、いつも見てるから、大丈夫やで」
「誰、食べる?」
立花は、青木の同僚の4人と顔を見合って
「誰食べるって、全員分を作るで」
「えー」
「立花さん、女将を休ませて」
「おー、そうやな」
「女将、2階で休んどき。店は、わしと友井さんとでやるから」
店の2階は、女将の自宅になっている。
「すいません、それじゃあ2階で休ませてもらいます」
「あー、今日は青木さん、乗務で良かったな」
「そうやな。青木さんは、女将がおらんかったら、どないもならんもんな」
女将は、青木という名を聞いただけでビクッと。
一方、友井は、玉子を手際よく割ってポールに入れ、かき混ぜてからフライパンに広げおでんの出しをおたまで入れ、フライパンの持つ手をもう片方の手でボンボンと調整し。その慣れた手つきに、見ている者を感心させた。
「流石、言うだけのことある」
「けど、旨いんかな」
女将を2階へ連れて行った立花が、店へ降りてきたので
「まあ立花さん、食べてみて」
と、出し巻きがひとつ出来上がり
「お、俺?」
と、立花が食べることに。恐る恐る口に入れた立花は急にニコッとして
「おっ、旨いわ」
と、友井を見た。すると4人が
「えー」
「じゃあ、俺も」
「俺も」
「何や、何や。そんなに旨いのなら、自分もください」
「みんな、わしは毒味役か」
と立花が言うと、みんな大爆笑。友井が
「ビールのお代わりは、冷蔵庫から自分で取ってや。それと酒も、自分で注いでや。焼酎のお湯割りもチューハイもや。みんなセルフやから」
自分で酒を注いだ青木の同僚は、コップに表面張力が出来るように注ぐのが難しく、何度も繰り返して
「いやぁ、女将って上手やなぁ」
立花が
「中々難しいやろ。女性で、一升瓶を持つのは重いし、それでコップに表面張力を生かしてギリギリに注ぐ。それこそプロの技や」
「ええ勉強させてもらいます」
「だけどセルフやからって、ちゃんと支払ってや」
と、立花が言うと
「勿論ですよ。立花さんと友井さんにも、そのまま返しますよ」
「おう、任せなさい」
立花と友井は、その後も続々と来る客に対して、大忙しだった。その間も女将は、2階で横になってはいるが、目は冴えて眠れなかった。
青木と女将のセッティングを、田渕と嫁の厚子がする事に。
「こうなったら、乗り掛かった船よ」
田渕が
(流石、俺の嫁さんや)
って誇れるくらい張り切っている。
「あなたは、青木さんの方を頼むわ」
「うん、任しといて」
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