第2話

女将はこの店を、5年前に父親から引き継いだのだ。父親は、嫁に死なれてから男手ひとつでこの店を切り盛りして、女将を育ててきたので、父親が倒れた時、女将は会社勤めを辞めて、躊躇することなく、父親の店を継ぐことにした。

始めは、父親の常連客だけだったこの店も、いつの間にか電車の車庫の連中が、女将のお陰か立ち寄るようになり、その中に青木も。

青木の女将への気持ちは勿論だが、女将の青木を見つめる熱視線に田渕は

(ひょっとしたら)

と、青木と一緒にこの店に来るようになって最近、気付き始めた。

(これは、青木さんのためにも一役買わないと。いつも青木さんにお世話になってるんやから)

「ごちそうさま」

と、その店を出て、ホロ酔い気分で青木と歩いている横で田渕は

(よっしゃ。青木さんが乗務の時にあの店に行って、女将の青木さんへの率直な気持ちを聞いてみよ。けど待てよ。女将が、意固地になってしまったら困るしなぁ、どうしよ)

青木と別れて、田渕がひとり家へと考えながら歩いていると

(あっ、嫁さんや。嫁さんに相談しよ)

ということで、田渕が帰宅して夕食時に、青木と女将のことを、嫁の厚子に話してみると

「あなたは、青木さんにたいへんお世話になってるものね。よし、私がその店について行って、女将に心のうちを聞いてみるわ。それならいいでしょ」

「そうしてくれる。それなら、女同士なら女将も青木さんへの心のうちを言ってくれると思う。よろしくお願いします」


早速、田渕の嫁の厚子は

「善は急げよ」

と言って、会社に明くる日の午前中の半休を取り、田渕と一緒に女将の店へ。時刻は9時半で、女将は開店準備に忙しい。カウンターの上には、暖簾が乗ったままだ。おでんの匂いが、店の中に満ちている。厚子が、田渕を従えて店に入ろうとするちょうどその時、厚子と田渕よりも早く、女がずかずかと店に入って行って

「あなたね、浩明が熱を上げてた女は」

と言って女は、女将を上から下まで見て

「フン、たいしたことないじゃない。いい、これから浩明に近づかないでね。わかった」

女は言うだけ言うと、帰って行った。女将は何のことだかわからず、呆然と。

一方、厚子と田渕は、女を見送ってから

「何やったんや」

「まあ、私たちは私たちよ」

(流石、俺の嫁さんや。俺なら店の前で躊躇してしまうけど)

女将は、浩明という名前に

(あー、あのひとの奥さんなんだ。こちらこそ願い下げよ。浩明はずっと私に、奥さんと別れると言っていながら、結局別れない中途半端なひと。ふんぎりが付いたから会社を辞めて、この店を継いだのよ)

浩明は、女将が会社勤めをしていた頃の上司で、女将が熱を上げていたこともあったが。

厚子と田渕が店に入っていくと、女将は仕事の手を止めずに

「すいません、開店は10時半からなんですげど」

「おはようございます。いつも、お世話になってる田渕の嫁です」

「あっ、田渕さんの」

と言って女将は、開店準備の手を止めて顔を上げると、目の前に厚子と田渕が。

女将は、タオルで手を拭きながら厚子と田渕を交互に見て

「どうしたんですか。急に」

厚子が

「単刀直入に申します。女将さんは青木さんのこと、どう思ってられます?」

「えっ」

「ズバリ聞きます。好きとか、嫌いとか」

「そりゃ、嫌いではないですけど」

「青木さんは相当、女将さんに夢中らしいんですが」

「えっ」

と、女将はそう言いながら田渕を見ると、田渕は頷いている。

「そんな」

「うちの主人、田渕は青木さんにたいへんお世話になっていて、女将さんとのことを何とかしたいと、私に相談したんですです。それでここは女同士、私が出掛けてきた次第です」

女将が田渕を見ると、また頷いている。

店の正面にある年代物の掛け時計を見た厚子は

「あっ、もうこんな時間、午後からの会社に間に合わないわ。女将さん、私の名刺を置いときますんで。電話をいただけますか」

「は、はい」

名刺をテーブルの上に置いた厚子は田渕を見て

「さあ、行くわよ」

と言って、店を出た。田渕が

「もっと詳しく話した方が、良かったんとちゃうかな」

「あれくらいが、ちょうどいいの。女心は、あんたにはわからないのよ」

「そ、そりゃそうやけど」

田渕は、店を振り返りながら、後ろ髪を引かれる思いだったが、しぶしぶ厚子に従った。

一方、店に残った女将は、青木が自分に引かれていることは、薄薄わかってはいたんだが。







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