第十七話 シュガー・モーニング

 ふんわりとした春のような暖かさと微かな小鳥の泣き声で、私は意識を取り戻した。

 程よい跳ね返りのあるベッドに背中を預け、そして日の光で温まったシーツに私は身を包んでいる。

 だけど、いつもと違って目覚めた心地はあまりよくない。

 なぜなら、体が重だるく、そして体の節々が痛かったから。


「うぅ……」


 可愛い声ではなく、なんとなくうめき声のそれが部屋に響き渡った。

 それに部屋には私一人だし、こんな声が出ても大丈夫……なんて高をくくっていたら、私の希望は脆くも崩れ去った。


「我が妹ながら、なんともはしたない声だな」


 甘ったるい声が耳に届き、私はそちらを見た。

 ベッドに座って足を組んでこちらを見ているのは、やはり「彼」だった。


「柊也、お兄様……」


 彼は私が目覚めたのを確認すると、私の頭を撫でてきた。

 愛しい恋人に触れるような手つきは間違いなくお兄様の撫で方で、それでもなんとなく人たらしというか、女ったらしの雰囲気が拭えない。


「お兄様、私……」


 少しずつ覚醒していく頭が回りの情報をどんどんと受け入れていく。

 ここは普段いる陰陽寮の私の部屋ではなかった。

 この荘厳とした雰囲気の部屋、年代物もの家具を見る限り、ここは音羽家本邸の私の部屋だった。

 陰陽寮に住む前まではここで暮らしていて、昔のことを少し思い出す。


 ちらりと窓の外を眺めると、昔、お兄様とよく遊んだ庭園があった。

 大きな松の木の近くに鯉が泳ぐ池があって、そこに誤って落ちた私は風邪を引いてしまったことがあった。

 そんなこともあったなと、感慨にふけっていると、お兄様が突然私の頬をぷにっと押した。


「お、おにいひゃま?」

「由姫、さあ、説明してもらおうか」


 お兄様の顔は笑っているが、目は笑っていない。

 ああ、これはきっと逃げられないやつだ……。

 でも、私なんかお兄様に怒られるようなことしたかしら。


 目を宙に浮かせて考えてみるが、一向に思いつかない。

 なぜお兄様を怒らせているのかわからずにいると、お兄様はそんな私の心を見透かしたように告げる。


「さあ、弁明はあるかい?」

「弁明?」


 そうしてお兄様と会話している内に、ようやく記憶が鮮明になってきて、いろいろなことを思い出してきた。

 帝都で起こっていた女学生の誘拐事件に巻き込まれ、そして首輪をつけられて命の危険に晒されてしまった。

 だが、拓斗と楓のおかげもあって女学生たちを無事に犯人の手から無事に解放することができた。

 もっとも、犯人は自らが仕掛けた首輪の爆発によって命を絶ったので、犯人を牢に入れることは叶わなかったが……。


 お兄様はきっとそのことで心配してくださっていて、危険な事件に足を突っ込んでしまったことを怒っていらっしゃるんだわ。

 ……なんて考えたが、私はお兄様に隠していたもう一つのあることを思い出した。

 そもそもこの事件に関わることになったのは、私がストーカーを受けていたからだ。

 犯人は女学生の誘拐犯と同一人物だったが、そもそもこのストーカーのことをお兄様には伝えていない。

 だって、伝えたらきっと目の前に今いるみたいに、目が笑ってなくて異様に手つきだけ優しいこわーいお兄様が現れるはず……。


「由姫」


 私はお兄様の呼びかけにも応じる余裕もなく、頭をせわしなく働かせている。

 いや、そもそもお兄様はどこまで知っているのかしら。

 事件に巻き込まれたこと?

 犯人に監禁されたこと?

 首輪のことだろうか?


 それとも、やはりストーカーのことも知っているのだろうか。

 私は無難な答えで様子を探ってみることにした。


「あ、そうですね。弁明……その、私ごときが弁明できる立場では……」


 そう口にしながらじっとお兄様の瞳を見つめてみる。

 相変わらずイケメンだななんて思いながらも、絆されてはいけないと頭を振った。

 すると、お兄様がにっこりとした爽やかな笑顔で告げる。


「そうか。自白する気はないんだね?」

「へ?」


 私は口をぽかんとして情けない声をあげてしまった。

 しかし、そんなことはお構いなしにお兄様は言葉を続ける。


「さあ、説明してもらおうか。ストーカーに男付きだと思わせるために私以外の男に恋人のふりをお願いして、さらに巷を騒がせた女学生誘拐犯に攫われて監禁されて、危険な首輪までつけられたことを」


 ぜ、全部バレてたあああああああああああああーーーー!!!!!!

 ここまで言われてしまえばもう私に逃げ場はない。

 しらばっくれることもこのお兄様に敵うわけがないし、どんな方法を使ってもダメだ。

 そっか、ここでお兄様にバレてヤンデレ化した兄に殺されるという乙女ゲームの王道バッドエンドか。

 そうか、そうか。

 私の断罪はここだったのかー!

 意外と早い段階からバッドエンドへの道があったものだ。

 そうと決まればもう足掻いてももがいても仕方がないので、私はお兄様に体を突き出した。


「煮るなり焼くなり刺すなりなんでもしてくださいっ!」


 部屋に響き渡った私の声の後、静まり返った。

 すると、お兄様が顔を逸らして肩を揺らしている。


「あれ……?」


 私がきょとんとしていると、お兄様が涙目でこちらを見た。


「いや、ごめん。少し悪戯してみようと思って問い詰めただけなんだけど、まさか身を投じられるとは……くくっ……」

「お、にいさま?」


 こんなに笑っているお兄様は久々に見た、というか初めて見たかもしれない。

 口元に手を当てて、耐えがたいのか体を震えさせて笑っている。


 ようやく少し落ち着いたお兄様は涙を手で拭って、私に言う。


「由姫には敵わないよ。くくっ……」

「もう、そんなに笑わないでくださいよ!」


 そう言いつつも、普段と少し違う穏やかなお兄様の様子を見られて私は嬉しくなる。


「由姫、こっちを向いて」


 すると急に真剣な表情で顔を近づけ、お兄様は自分の唇に人差し指を当ててちゅっと鳴らす。

 その色っぽさに気を取られているうちに、彼はその指を私の首元に当てた。


「え?」

「ふふ、気づかなかっただろう? 今、また『まじない』をかけておいた」

「まじない?」


 私は首を傾げて聞き返した。

 すると、お兄様は私の首元に当てた人差し指を再び自分の唇に当てて、ふぅと息を軽く吐いた。

 次第に熱さを増していく私の首元はなんとなく覚えのある感覚だった。


「あ……これ……」


 この熱さは誘拐犯につけられた首輪によって術が使えなくなった時に外れた瞬間に感じたものと同じだった。

 お兄様は私の瞳をじっと見つめると、笑みを浮かべて囁く。


「アヤカシに術制御をかけられた時にそれを跳ね返すための『まじない』だよ」


 陰陽姫である私もそんな高等な術は使えない。

 むしろそんな術、聞いたこともない。


「お兄様、あなたは……」


 そう言った私の唇にお兄様が指を当てた。


「それ以上はだーめ。男には秘密の一つもあるものだよ」


 そうしてお兄様は立ち上がると、医師を呼びに部屋を後にした。

 私はそっと首元に手を当てる。

 もう熱さはなくなっているが、なんとなく再び不思議な力が宿ったようなそんな気がした。


「お兄様……やっぱり……」


 あなたはわざと自分の力を封じて隠しているのですね。

 お兄様は幼少期のある時、私たち家族に「力が出なくなった」と告げた。


 でもきっとそれは嘘──。


 お兄様はどうしてか力を自分で封じ込めて生きている。


「お兄様、あなたは何者なのですか?」


 底知れぬ存在であることを察知した私は、そう口にしていた──。

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