第十話 腕利きの情報屋(1)
どうして忘れていたのだろうか。
あのパーティーは少し変な晩餐会で、主役であるお父様が出席なさらなかった。
どうにも当日に体調が優れなくなったとお義母様から聞いていたけど、二人は前日の熱海行きをキャンセルなさったのよね。
お兄様は何も言わずにお父様の代わりをお務めになって、パーティーも無事に終わったのだけど……。
そんな風に熱海でのことを考えていたら、私は目的地に到着していた。
ギンザ通りの裏道に入ったところにある、赤茶色のレンガで作られた一軒のバーが今回の目的地だ。
焦げ茶色の木の扉を開けると、中には様々なお酒の瓶が棚に並んでいるのが目に入った。
カウンターの椅子を引いて座るのがやっとというような、狭いお店の中には50代ほどの黒ベストに白いシャツを着た男性が立っている。
「いらっしゃいませ、由姫様」
グラスを磨きながら、私にその男性が声をかけた。
「榊、彼はいるかしら?」
「奥に」
私の問いに、榊は返答した。
榊はカウンターから出てくると、お店の一番奥の壁にある小さな取手を引く。
すると、先程までただの壁であった場所に地下室への扉が現れた。
榊が品よく手を差し出して、お辞儀をして言う。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私は地下室への階段を降りていく。
石造りのこの階段はなかなか歩きづらい。
最初は苦労したけど、今じゃ慣れてしまってすたすたと入れてしまう。
榊はこのバーのマスターであり、元々は私の家の執事長でもあった人間だ。
私のわがままにも昔から何度も付き合ってくれて……ああ……今、思うとちょっと罪悪感がこみあげてくる。
地下室にはテーブルが一つに、ダークワイン色のソファが二つ。
薄暗いその部屋に、彼はいた──。
「おや、お久しぶりじゃないですか」
「私も暇じゃないので」
「そんなこと言って~この私をこき使ったのはどなたですか~?」
「さあ、知らないわね」
一応、公爵令嬢でもある私にこんな軽口を叩くのは、陰陽寮の皆と彼くらいなのではないだろうか。
彼は私が個人で使っている情報屋だ。
表では新聞屋をしていて、名前を「ヤマト」というそうだけど、もちろん本名ではないんだろう。
私と彼の出会いは半年ほど前になる。
たまたまこの地下室に彼が間違えて入ってきたのがきっかけだった。
かなりのおっちょこちょいな性格の彼は、表にCLOSEの看板が出ているにも関わらず入って来てしまったのだ。
榊が仕込み中で裏口にいた隙に、この地下室への隠し細工を見破って開けてしまった。
そんなヤマトは、なかなか頭が切れる人物だと思う。
私はヤマトの向かいのソファに腰かけた。
ベルベッド生地のソファはふかふかで、座り心地も大変良い。
「由姫様も何か飲まれますか?」
「いいえ、すぐに出るから大丈夫よ」
「ええ~ゆっくり話しましょうよ~」
「新聞社からクビ手前の宣告を受けてるあなたほど暇じゃないの」
「ひどっ! でもそれはこっちの顔を隠すためのフェイクですよ」
彼はにやりとしながら、眼鏡をくいっとあげる。
長いトレンチコートを羽織る彼は、目の前にあった酒を一口飲んだ。
「で、今日はどうなさったんです?」
「人探しをお願いしたいの」
私の言葉に、彼は両手を大きく広げて言う。
「前みたいに一目惚れした隣国の第二王子の調査、みたいなのはもう嫌ですよ」
「あれは……申し訳なかったわ……」
そう、あれは三カ月前の隣国との二国間協定の議会の日のこと──。
議会の後に開かれた晩餐会に、私も招待されたのよね。
それで私が第二王子を気に入って、どうしても彼について知りたくて、ヤマトに調査を依頼したんだけど……。
「あの後、隣国の警備兵に追いかけまわされて大変だったんですから」
「本当にごめんなさい……」
私の謝罪に、ヤマトが沈黙する。
「ん? どうしました?」
彼の様子が不思議で、私は尋ねた。
すると、彼は至極真面目な表情でこちらにぐいっと顔を寄せて呟く。
「いや、なんか、由姫様、変わりましたね」
「え……!?」
まずい、またこのパターンですか……。
さすがに女神のお告げが……もちょっと怪しい人間すぎるかしら。
ちょっと苦しい言い訳かもしれないけど、言ってみるしかない。
私は目を逸らしながら、虚勢を張って言う。
「そう? まあ、より美しいレディを目指しているだけよ」
「……その自信満々な感じは、やっぱり由姫様ですね」
なんとか信じた……ってことでいいかしら。
よし、このまま話題を逸らしてしまいましょう!
私は話を本題に戻す。
「それでね、私のお父様の誕生日パーティーが熱海で開かれたじゃない?」
「ええ、音羽公爵は確かご出席なさらなかったですよね」
「そう。その時の給仕の人間の情報について、何か知ってることない?」
私の言葉に彼は身体をソファの背もたれに預けて、腕組みをして深く考え込む。
恐らく彼のことだからパーティーの出席者は誰かまでは調べてるはず。
だけど、給仕の人間までは無理かも……。
お兄様に聞いたらわかるかもしれないけど、お兄様にこのストーカーのことを知られたくないし。
──知ったら、ぜっっっっったいに外出禁止にされるもの!
自由に街にいけないなんてそんなの耐えられないわ!
私はそんな未来を振り切るように、頭を左右に振った。
そうして、彼の返事をじっと待っていると、彼がようやく口を開いた。
その顔はなんだか得意げだった。
「ちょうどその『給仕』の人間を追ってたんです」
「え……?」
ヤマトはポケットから出した写真を、テーブルの上に広げた。
私はその写真を見て驚いた。
そこには、私の見覚えのある──今、私が知りたかった「彼」の写真があったからだ。
ばっちりと顔が映し出された写真をヤマトは私に見せた。
「この男ですか?」
「そう! え、どうして……」
彼はカバンから書類を取り出して、私に見せた。
その書類の束の多くは新聞で、その一番上にあるものの「ある見出し」をヤマトが指さした。
「女学生、失踪?」
私はヤマトの指先にある見出しを読み上げた。
「そうです。帝都の女学生が今月に入って5人も失踪している」
彼のその言葉に、私は嫌な予感を覚えずにはいられなかった──。
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