第27話 聞いてもいいよね
「紅子ちゃん」
「何だ」
「私もお願いがあるんだけど、聞いてもらえる」
「ああ」
大して興味のなさそうな返事に逆に安心して、私は吐き出した。
「もう人を殺さないで」
「……なんで」
「なんでって……当たり前にいけないことだからだよ」
「改まって頼んだ理由だよ」
そう言われると、私は言葉に詰まってしまった。思いつく限りのことを、どうにか並べ立てる。
「あのさ、紅子ちゃん。紅子ちゃんはなんで人を殺すの」
「また、そんなことを聞くのかよ」
紅子ちゃんはこっちを見ると、露骨に嫌な顔をした。
「あんな、おまえが急にそういうことを勝手に聞いてきてさ、答えてやっても『私には理解できない』みたいな顔でさ、ムカつくんだよ。アタシの返事なんかどうでもいいんだろ。ただそれで、『こんなオカシイやつに捕まったかわいそうな私、それでも正義を貫いてて偉い!』ってしたいんだろ」
「……指摘はもっともかもね。でも、今回はちょっと目的が違うの。お願い、教えて」
紅子ちゃんは大きくため息をつく。
「まるいち、金。まるに、憂さ晴らし。以上」
「そうだったね。でも、紅子ちゃん、本当はお金にはさほど困ってなかったんじゃないの」
「どういうことだよ」
「学費は免除だし、家には働いている人もいて、生活の保証だけじゃなく遊ぶためのお金だってまあまあ渡されてたみたいじゃん。人を殺してまで奪いたいほど、緊迫してるとは思えない。それに、それなら窃盗でも万引でもいい」
「……おまえ、兄貴になんか言われたのか」
機嫌が悪そうな声だ。私は素直に伝える。
「うん。紅子ちゃんのこと、だいぶ気にかけてくれてたじゃん。お金もちゃんと貰ってたでしょ」
「……兄貴はな、アタシのこと最優先だってのはわかる……まあ、他はよく分からんやつだよ。
確かに、金目的は薄かったかもな。まあ、殺したやつからは必ず現金は奪ってたけど。金があれば遊ぶし、なければ何もしないってだけで、別に金が欲しくて殺したことはそんなにないな」
「やっぱりそうか。じゃあ、二個目の目的がメインなんだね」
紅子ちゃんは、はっきりしない口調で続けた。
「なんか……なんで殺したって、そんなに分からないかもしれない。ただ、殺した時に快感があるのは確かなんだ。普段は勝てないような相手の前でも、ナイフを持っていると、何だか自信が持てた。それで、『やってやった』って言うか、『片づけてやった』みたいな気分になるんだ。虫の息になってる相手を見下ろしている時の感覚はなんていうか……」
「その感覚をさ、なんとか別のことに移すことはできないのかな」
紅子ちゃんはさらにため息をついた。
「例えばさ、殺すまで行かなくても、私にナイフを向けた時はどんな気分だったの。同じ?」
「あー違う。全然違う」
紅子ちゃんは大きな声で否定した。
「え、そうなの?」
「そうだ。おまえは……大人じゃない。子どもだ。おまえは、アタシを無視して来たやつとは違う。アタシを虐げて来たやつとは違う」
「じゃあ、恨みのある人たちを殺したってこと? でも、被害者は無差別だったよね」
「復讐なんかできない」
紅子ちゃんは自嘲気味に笑った。
「ただ、罪のない人に、投影してるだけだよ。惨めな自分を思い出して、恨めしいやつを思い出して……社会っていう大きなものに責任を押し付けて! 誰かが殺されんのも、アタシがこうしてのさばってんのも! 全部放置したやつが悪いって……アタシにこうしてストレスがかかり続ける限り、耐えられなくなる限り、悪夢は続くんだよ……とにかく、やめられないんだ。あの快感がアタシの救いになってる以上……」
私は少しばかりうろたえてしまった。紅子ちゃんがこうして畳み掛けるように胸の内を打ち明けてくれたのは初めてだった。遠回しな言い方でも、面倒そうな適当な口調でもなく、つらい感情を乗り越えて話してくれたのは。それから、彼女はその余波に流されるように続けた。
「ああ、律……ただ、勘違いしないで。アタシはこんなことが復讐だとか、ましてや社会の浄化だとか、粛清だなんて一ミリも考えてない。歪んだ正義を持っているやつとは違う。アタシには正義なんてない。殺人することが芸術だとか、ロマンチックだとか、そういう信念も持ってない。一切だ。殺人はいけないことだし、残酷な行為だ。そんなの理解してる……ただアタシがするのは、快楽殺人だ」
「それを聞くと、なおさら不思議……どんな因縁のある相手でも、ない相手でも、快感は変わらないんじゃないかと思う。なら私は……」
「律」
紅子ちゃんは優しく私に呼びかけるように言う。
「通り魔をするようなやつは、どうして身近にいて殺しやすいはずの自分の家族にまず手を出さないんだ」
「えっ……えっと、そりゃあ、自分の家族が死ぬのは悲しいし、嫌だから……それに、殺人に興味があったとしても、いきなりそんな親しい相手や、大切な相手の前じゃどうしても体が動いてくれないよ」
「そうだよな」
紅子ちゃんは一呼置く。それから、さっぱりした声色で言った。
「律、正直に言うよ。アタシが律を殺せないのは、そう言う理由だ。アタシは、律が死んだら悲しい。つらい。人質を失っていざというとき困るからじゃない。一緒にいて愛着が湧いたからじゃない。私を虐げて来たやつに重ならないからじゃない。おまえが唯一、自分よりも大切な存在だからだ」
私は胸を打たれたような衝撃を受けた。
「なんだよその顔、前から知ってたろ。なんか、改めて言ったら変な気分だけど……」
紅子ちゃんの好意にはとっくに気がついていた。というか、去年から暗黙の了解だったというのが正しい。しかし、私が驚いたのは、紅子ちゃんがその好意を、好きだとか、そう言う言葉ではなく、「自分よりも」大切というそう言う表し方をしたことだ。その言葉は、紅子ちゃんの脳内の内私の占める面積が多いとかそういう話はもうとっくに終わっていて、私が確実に彼女の人生における大事な選択に干渉して、彼女の未来に侵食しているようなニュアンスがあった。私はさっと彼女のニットから手を抜いた。彼女の体に触れていることはいけないことのような気がした。
「ストックホルム症候群」
「……?」
「忘れた?」
「いや、覚えてるけど」
紅子ちゃんは、それから罰が悪そうな顔をした。
「それに対応するのが、なんたあった気がするよ。名前、忘れたけど……」
「どういうこと?」
「誰かを監禁している人が、相手の世話をするうちに好意を抱く現象」
彼女の顔が見づらくて、私は天井に視線を向けた。よく見ると、窓際の方に向けてくすんで劣化しているのがわかった。もう見飽きたと思っていたが、夜とは見え方が違った今は、案外そうでもない。
「なんでも、名前がつけば解決するんだな」
紅子ちゃんは吐き捨てた。
「あのね、紅子ちゃん、私たちの関係は、被害者と加害者以上のなんでもない。そうだよね」
「……」
しばしの沈黙の後、紅子ちゃんはぶっきらぼうに口を開いた。
「キスしてもか」
「紅子ちゃん、認めて。そんな簡単なことも認められないから、あの人たちにも見放されたんでしょ」
「なんで。じゃあなんで、そういう態度なんだよ……。律が話しかけてこなければ、アタシも心を開かなかった。律がこういう状態を招いたんだろ」
紅子ちゃんの声は泣きそうだ。
「生きるためだよ。実際、紅子ちゃんを懐柔したことで私は外にも出られたし、不自由な思いもしなくなった。抵抗し続けて、つらい目に遭い続けるよりよっぽどいい」
「じゃあ、思う壺だったってことか。全部演技なのか」
「演技じゃないけどね。本能だから」
「アタシのこと好きじゃないの」
「好きだよ。その顔とか体とか声とか匂いとか……変に弱々しいところも」
紅子ちゃんは戸惑いの表情を見せた。なんでだ。人殺しになったのも、私を誘拐して人生を滅茶苦茶にしたのも、自分じゃないか。どうしてそんな、裏切られたような顔ができるんだ。
「美術部の先輩後輩としてさぁ……普通に出会えて、普通のカップルになれたらどんだけよかっただろうね」
私がつぶやくと、紅子ちゃんはうつむいて唇をかみ締めた。初めて彼女は自分の行いを悔いたようだった。
どうしよう。ただ自分の時間を奪われたつもりが、いつのまにか彼女の人生に侵食して、勝手に悲劇のストーリーに出演させられているようだ。私は確かに絶望して、死んでもいいと思った。だけど、ただ堕落して表面上で愛を伝え合う以上の距離感に、私の空間に、心底憎い相手など入れたくなかった。ただそれこそ、怒りが湧くわけでも、つらさに耐え切れなくなるわけでもなかった。率直に述べるなら、心底めんどくさい。
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