第15話 飯泉の告白 後編
突然受け入れ難い事実を突きつけられ、俺は何答えられなかった。
「兄ちゃん、バイトの帰りに死んだって言ったでしょ、階段から落ちたって。事故かと思ったんだけど、本当は違ったの。霧崎が……あいつがやったの」
飯泉は泣き出すでもなく、けれど、少しだけ声を震わせて言った。悲しみをこらえるようでもあったし、怒りを押さえつけるようでもあった。
「兄ちゃんのバイト先のコンビニ、霧崎はよく通ってた……昼間とか、夜間にも居座るもんだから、兄ちゃんはそんな姿を見て心配してたんだよ。兄ちゃんが『おまえの中学の子が、夜中に来てるけど大丈夫かな』って言ってた。その時は、霧崎のことだってわかんなかったけど。戸田も知ってると思うけど、その頃の霧崎は深夜に公園で過ごしてよく補導されてた。その場面に、兄ちゃんは遭遇したんだよ。それで、霧崎ともコンビニで顔見知りになってたから、心配になって声をかけたんだ。それで、霧崎は……何を思ったのか知らないけど、兄ちゃんを突き飛ばした。階段から突き落としたんだよ」
飯泉は声を張り上げる。その拳は、爪が食い込みそうなほど硬く握り込まれていた。俺は困惑してどう対応するべきか迷った。
「そ、それは、誰から聞いたんだよ。どうやってその経緯を知った」
「どうやって……つなぎ合わせに過ぎない。ただ、私が霧崎を疑い始めたのは、アイツ自身の発言だった。『公園で知らない男に話しかけられたから、怖くなって無視して逃げた』って。気になって聞いてみたら、兄ちゃんが死んだ日だった。それから、私は霧崎がただ逃げた訳じゃなくって、本当は兄ちゃんを突き飛ばしたんじゃないかと思った。その後、私は必死に調査した。兄ちゃんのバイト先の人に尋ねて、兄ちゃんが心配してた中学生が霧崎だってことを確かめた。それから、階段について……あそこは手すりもあって、あまり急じゃない。いくら暗いと言っても、よく通ってて肉体も丈夫な兄ちゃんが足を踏み外すとは思えないんだ」
飯泉の勢いに、俺はたじろいだ。数秒の後、かろうじて言葉を絞り出した。
「で、でも、物的証拠は何もないんだろ? だったら、霧崎がやったなんて断言できな——」
「ちゃんとした証拠があったなら、とっくに警察が動いてる。……階段から落ちて頭を打った後、少しの間兄ちゃんは意識を保ってたみたいなんだ。自分で救急に電話をかけてるんだけど、その時に姿勢が変わっちゃったみたいで、『他殺』とは断定されなかったの。けど……けどさ、こんなことあり得ると思う? 私は絶対、おかしいと思うよ。霧崎から、自白を引き出そうとしたこともあるけど、ことごとく失敗してきた。でも、ハッキリと否定されたこともないんだ。アイツは……いつもいつも逃げるんだ! こんな怪しいことがあるかよ!」
またも怒涛の勢いで反論される。しかし、決定的と言える根拠は一つも出て来なかった。俺も圧倒されつつもなんとか口を開いた。
「じゃあ聞くけどよ、そもそも霧崎がおまえの兄貴を殺す理由ってなんだよ」
「私が知りたいよ! でも、霧崎はそもそもなんの理由もなく何人もの人を殺すようなやつじゃん! アイツは……同情されたり、構われるのを嫌う。兄ちゃんが心配して話しかけたもんだから、それに逆上してやったんだろう……怖くなって逃げたなんてのは嘘だ。アイツは感情的になって、優しく声をかけた幸男兄ちゃんの肩を……」
そこまで言うと、飯泉の目から大粒の涙があふれてきた。飯泉はそれを袖で雑に拭う。
「ごめん」
「俺が悪かった。無理やり聞き出そうとすることじゃなかった」
「戸田は悪くないよ……だって、戸田からすれば霧崎だって大事な友だちでしょ? いきなりこんな話されて、一方的に私のこと信じろなんて、そこまでは期待してないから……」
声が震えていた。俺は恐る恐る腕を伸ばし、隣の飯泉を抱きしめた。シャツの胸元に熱さと湿度を感じた。泣き声はなかなか止まなかった。しばらくすると、飯泉が不意に両腕を伸ばして俺から離れた。
「あはは、ごめんね。戸田相手に、こんなのみっともない」
「いいよ」
「戸田は優しいね」
飯泉の嗚咽が収まってきたところで、俺は疑問を投げかける。
「ところでさ——なんでこの件って、相沢に教えたらダメなんだ?」
「あ、それも聞いちゃダメなやつだったじゃん」
「え、あ、すまん」
俺は焦ったが、飯泉はポツポツと語り出した。
「相沢と私が幼なじみなのは知ってるでしょ。それはね、もともと近所で有名な放置児だった相沢を、兄ちゃんがよく遊びに誘ってあげてたのが始まりだったの……うちはいつもお母さんの代わりに兄ちゃんが食事を作ってたから、相沢も一緒に夕飯を食べたりもした。相沢は幸男兄ちゃんのこと『ゆきにい』って呼んで慕ってたし、兄ちゃんは相沢のこと『しゅんちゃん』って呼んでかわいがってた。あの頃はみんな、本当の兄弟みたいだった……」
「じゃあ、おまえがこのことを相沢に言えない理由って……」
「そう。相沢にこんなこと伝えたら、どんな顔するかって想像したら、とてもじゃないけど……でも、然るべき時には私からちゃんと言うつもりだから」
飯泉の寂しげな表情を見て、俺は胸が締め付けられた。こんなに大きな秘密を一人で抱えて、相沢や俺の前では何事もなかったように家族の思い出話をしていた。その裏で飯泉がどんな思いをしていたかは、想像の域を超える。
「あはは、でも、こんな綺麗な理由だけじゃないかな。相沢が霧崎に接触したがってくれてる方が、話が運びやすいし。それにね、私、やっぱりどうしても気に食わないの。どうして、私じゃなくてあんなやつを選んだのって——」
飯泉の顔には再び影が落ちた。相沢を憎む気持ちが心の中で少しずつ湧いてくるのを抑えながら、俺は勇気を出して言った。
「俺から言われたって嬉しくないだろうけどよっ……俺は飯泉が、すげぇ、素敵なやつだって知ってる。誰よりも、他の人のこと思ってるって、伝わってくる」
「ありがと、ちゃんと嬉しいよ。けど……戸田も、変なやつにほれちゃったね」
「はは、いっそ相沢より俺のところに来てよ」
「うへへ、それはや〜だ〜」
勢いで変なことを言ってしまったが、無邪気な様子の飯泉に俺は安心した。同時に、相沢が恨めしくなる。ひとつは、こんなかわいくて優しい女の子に好かれていること。二つ目は、その女の子の期待に応えようとしないどころか他の女にうつつを抜かしているところ……三つ目は、それによって飯泉を傷つけていることだ。ただ、あくまでも俺は相沢のことは大切な友人として好きだ。嫌いにはなれない。羨ましいやつだな、というだけだ。
「でさ、作戦はどうしようかね?」
尋ねる飯泉に、俺は笑い返す。飯泉の笑顔の裏に、どれだけの苦悩が隠れているか、このお遊びのような「作戦会議」にどれだけ重要な事実が含まれているか、それを咀嚼すると、胃が重くなりそうだった。
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