第16話 何気ない話をしたかっただけ
森山律
年が明けた。大みそかの夜は、例のお笑い番組を見ながら紅子ちゃんと談笑しているうちに終わった。それからしばらくは、これまたお正月番組を見たり、ひたすら寝たりして過ごした。そして、今年に入ってからもう十日ほど経過していた。もう世間からはお正月ムードが抜け、年初めの仕事や学業に勤しむ時期だ。しかし、私たちは変わらず何も起きない、何もしない日々を過ごしていた。私はもうかれこれ三カ月以上、こんな生活を強いられていたことになる。
昼夜逆転した生活で時間感覚は薄まっていた。時計を見ると、深夜二時だった。なんとなくちょっかいをかけたくなって、ベッドで隣に座る紅子ちゃんに肩をぶつける。
「最近、あの人たちんとこ行かないね」
「ああ」
紅子ちゃんは短く答えた。
「ほんとに真由香のこと殺さないでおいてくれるんだね」
「……そもそも、アイツらにはその殺害計画に反対されてた。というか、初めはほぼアタシの独断でやろうとしてただけだった」
紅子ちゃんは暇そうにあくびをする。
「じゃあ、なんで、真由香のこと殺そうとしたの」
「はっ、それは教えらんねぇな」
「……そう」
普通に考えれば、真由香が紅子ちゃんたちの犯罪について、何か情報をつかんでしまったのだろう。ただ、それは一体どのようなきっかけで、どういう内容のことを知ったのか……そこまでは推測できない。私は天井を見上げる。
「暇だねー」
「そうだな」
「紅子ちゃんはまだいいじゃん。携帯あるし、外出もできるし。友だちんとこ行かなくていいの?」
「……行きづらくなった」
紅子ちゃんは携帯を置く。そして、後ろに手をついて、私と同じように天井を見上げた。
「学校、行きたいか?」
「うん」
「そうか」
学校。学生の私にとって、それはずっと生活の全てだった。それがない今は、どうしても思考がぼんやりしてやるせない日々を送るしかない。大変だったけどもそれなりに楽しかった日々を思い出すと、なんとも切ない気持ちになった。
「うちの学校、文化祭どんな感じなの」
「なんで」
「私、あんなに一生懸命準備したのに、参加できなかった。第一高校の文化祭、一回くらい体験したかったのに」
「……」
紅子ちゃんはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「アタシも、よくわかんない」
「どういうこと?」
「……いじめられてたから。文化祭、シフト終わったらすぐ帰った」
「あっ」
そこで私は、久しぶりに思い出した。かつての紅子ちゃんは、黒髪の地味な少女で、いじめ被害者だったことを。今の派手な見た目と奔放な暮らしぶりからは想像もつかない。
「うちの学年は、縁日とお化け屋敷をやった。私はお化け屋敷の担当で、案の定お化け役にさせられた。文化祭準備の間は、『悪霊だ』とか言われて、物投げつけられたりした。さすがに当日は、お客さんもいたし何もしてこなかったけど」
紅子ちゃんが自身のいじめについて語ったのはこれが初めてだった。いつもと変わらない淡々としたトーンで、けれど妙な喉の引っかかりのようなものを感じる。
「……なんか、うちの学校でもそんなことあったなんて知らなかったな。今もまだその人たち、在学中だよね」
「ああ。アタシは退学したけどな、そいつらはおとがめなしだよ」
「……酷い」
「そこは同情してくれんのな」
「同情とかじゃない。私、そういうのほんとに嫌いなだけ」
紅子ちゃんは私の頭をわしわしとなでた。急な行動に驚き、彼女の方を見上げる。
「おまえ、正義感強いもんな」
「そういう風に見えるんだ」
「うん。あと真面目」
「へぇ」
こんな生活のどこからそんなことを読み取ったのかはわからない。ただ、紅子ちゃんは褒める風でもなく、私にそう伝えてきたのだった。
「そうだ。部活はやってたの?」
「うん。美術部だった」
「えっ、ほんと!」
私は驚いた。紅子ちゃんは芸術になどまるで興味がないのかと思い込んでいたのだ。しかも、私と同じ部活だったなんて。
「私も、美術部だった。中学から?」
「いや、中学は帰宅部……」
「そっか。なんで美術部に入ったの?」
「他の部活よりはマシかと思って……なんか、中学の時からたまに絵を描いたりしてたし。黒歴史だけど」
紅子ちゃんはどことなく気恥しそうに言った。そして、こちらに視線を向ける。
「律は?」
「私はね、中学から美術部だったの。昔から絵を描くのが好きで、よく賞とかもらってたから」
「そうか。それはすごいな」
紅子ちゃんは軽くほほ笑んだ。意外な共通点が見つかり、私はますます紅子ちゃんと学校生活について話したくなった。もちろん、つらい記憶を思い起こさせないようには注意しつつ。
「てかさ、てことは紅子ちゃんって新保先輩たちと同輩? だよね!」
「新保……ああ、そうだな。アイツは愚直なやつで、正直生半可な気持ちで入部したアタシをよく気にかけてくれた」
「新保先輩が今の部長だよ。あと、杉本先輩が副部長」
かつての同輩に思いをはせるように、紅子ちゃんはどこか遠くを眺めるようなそぶりを見せた。そして、ぎこちない様子で両手を擦り合わせて始めた。
「良いやつが多かったんだけどな、美術部は。助けてくれようとしたこともあったけど、良いやつすぎてかえって頼れなかったわ」
「そっか……でも、きっと先輩たちも紅子ちゃんのこと忘れてないよ」
「そうかなぁ」
かつての地味な出で立ちの紅子ちゃんのことを知っている人は、意外にも身近にいたようだ。初めに調査団について行った頃、まず先輩たちに霧崎紅子について尋ねなかったことが悔やまれる。
「もしかしたら今頃さ、新保先輩たちと同じように『霧崎先輩』って呼んで、一緒に活動してたかもね」
「……そうだな」
「なんかそれも、素敵だよね」
私が笑いかけると、紅子ちゃんは何とも言えない困ったような顔をした。きっと、彼女はそんな未来を想像していなかったのだと思う。紅子ちゃん自身が私をこんな目に合わせているのに、私にそんな夢を語られると罪悪感がある、といった表情だ。
「アタシも、ちゃんと相談すれば良かったのかもしんねぇけどな」
「それで、学校やめちゃったの?」
「うん。兄貴には反対されたけど……」
「そっか」
紅子ちゃんはため息をついた。彼女には何となくふさわしくない仕草だ。私は寂しい気持ちになった。
「アタシは、中学でもいじめられてた。それで、中三から不登校になりかけた。けど、兄貴が『高校だけは卒業しろ』つって、学校に通わせて、勉強もさせた。第一は私立だし、高校からのクラスは人数が少ないから、新しい環境として良いと思ったらしい。高校からなら偏差値も高くないから、アタシでもちゃんと勉強すれば入れそうだった。そして、試験に受かった時には、兄貴はボロ泣きだったし、アタシも嬉しかった……でも実際は、入学してからも中学と同じことの繰り返しだった」
「……あの人たちは、どこで知り合ったの。見たことない制服だった」
「言わなかったか? 中学ん時の知り合い。おまえはわからないかもしれないが、ここは第二市だ。アタシはあえて市を跨いだ第一高校を選んだが、アイツらは地元の第二高校に通っている」
わが第一高校があり、私の家があるのが第一市。今私がいる場所は、それに隣接する第二市らしい。意外にも、今まで知らなかったことだった。
「ふーん、そうなんだ……ここ、私の家から結構遠いんだね」
「ああ、連れてくるの時間かかっただろ」
「覚えてない」
家族や友人と物理的な距離も離れていると思うと、今までよりも心細くなった。自分が助かる望みが一段と薄くなったような気がする。しかし、あの私を探している旨を書いたチラシがこの家まで届いていたことは確かだ。きっと、私だって見つけてもらえるはず——だろうか。
「ねぇ、聞きたいんだけど」
「何?」
「いじめに関することで……ちょっとつらいことかもしれない」
「……なんだよ。逆上したりはしない。言ってみろ」
私は、初めて霧崎紅子の存在を知ったあの日、真由香に言われたことを必死に思い出しながら、おそるおそる聞いた。
「いじめの一環で、援交させられてたってほんと?」
「……はぁ」
紅子ちゃんはあきれた顔で言った。
「それはデマだ。どういう経緯でそんなこと知った」
私は、真由香に見せられた盗撮動画のことと出会い系サイトの画像のことを説明した。もちろん真由香の名前は出さずに。嫌がらせで出会い系サイトに登録されたことに関しては、すでに知っていたらしい。盗撮動画に関しては知らないらしく、紅子ちゃんはその場でその情報を調べ始めた。そして、確かに動画が存在することを確認した。
「でも、援交はさせられてないんなら、ここに映ってるのは別人ってこと?」
「いや……アタシだ」
「え?」
「それより……あぁ、この動画、まあまあマズイな」
紅子ちゃんは突然頭を掻き始めた。この動画に、なにやら見られてはいけないものが映っているらしい。
「何がマズイの?」
「あぁ、えっと……アタシこのあと、このおじさん殺してる」
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