第17話 二人ともどうかしている
あまりにもあっさりと出てきたそのワードに、私は急に心臓が収縮するかのような痛みを覚えた。この動画に映っている男性は、犠牲になってしまったというのだ。こんな夜の街で、一体何が目的でこの人は殺害されたのだろう。
「こ、殺した? なんで、どうやって、どういうこと——」
「あーあー今更驚くな。ひとつは金、ひとつは憂さ晴らしだ。身寄りのなさそうな、または消息を失っても不自然に思われなさそうなやつは、こういうところに多い。成人のフリをして誘い出し、人気のつかないちょうどいい場所におびき寄せたところで殺す。ただそれで快感を得ていただけだ」
私は絶句した。やっぱりこの女はおかしいんだと、今更実感する。よく漫画やドラマに出てきそうな、ずば抜けた知能を持つ猟奇殺人鬼とは違う。むしろ、どこか知能なのか、共感能力なのか、コミュニケーション能力なのか、そういうものが欠落しているように感じた。後先考えなさすぎるというか、人の人生を奪うのに抵抗がなさすぎるというか。ただの快楽殺人とも違って、殺しに対する美学だとか、思い入れだとか、こだわりだとか、そういうものも感じない。枝毛を探す癖かのごとく、「別に楽しいわけじゃないんだけど、何となく気持ちよくてついやっちゃうんだよね」という風な語り口だった。
「そんな風に、何人も……?」
「聞かなくたって知ってるだろ。おまえだって死体を触ったことがあるんだから」
私は不快感で歯を食いしばるようにしながら、紅子ちゃんを見上げた。体が末端から徐々に緊張していく私に対し、紅子ちゃんは不思議とリラックスした様子だった。
「安心しろよ。おまえは殺さない」
紅子ちゃんは私の頭をなでた。先程とは違い、私はじっとりとした恐怖が胸に張り付くのを感じた。
「真由香も殺さない?」
「殺さないって」
自分や友人が同じように酷い目に遭うのはやはり耐え難い。私はあくまでも紅子ちゃんの機嫌を損ねないように生きていかなくてはならないのだと、改めて実感した。足の裏の傷跡が妙に痒くなった。
「怖くなった?」
「うん」
「ほんとに大丈夫。おまえのことは殺さない」
「なんで」
私は反射的に聞いていた。いまだに要領の得られる回答がないことが、逆に言えば私はいつ殺されてもおかしくないということにつながっていると思えてならなった。話しをすると楽しいだとか、死体の処理を手伝わせると楽だとかいうのは、あくまでも結果論だ。それに、殺すときに快感が伴わないと言っても、金ばかりかかるようになってしまったとあらば、殺すくらいの手間はいとわないのが霧崎紅子ではないだろうか。
「もう殺せない……アタシだって、面識のあるやつを殺すのは嫌なんだ。こう、やっぱり心にくる。もう、アタシからすると律はそっち側なんだよ。んー、なんていうか単純に、かわいそうになるから」
「知らない人はかわいそうじゃないの?」
「うん」
なんでもないような表情の横顔が、ひときわ不気味だった。
「最初に、『知らないやつ』だった時に私を殺さなかったのは、なんで?」
「何度も聞かれても、困るんだよ。んー、多分だけど、さっきの話で言うなら……アタシは女を殺したことはない。多分、律は年下だし、か弱そうな女子だったし、抵抗あったんじゃないかな。よくわかんねぇ」
「そうなんだ」
何の罪もつながりのない人であっても、かわいそうだと感じなければ殺す。自分の姿の目撃者であっても、何となく抵抗があれば殺さない。感情任せで、完全に論理が破綻しているように思えた。紅子ちゃんが殺人をしてしまう理由がよくわからないのは、教えてくれないのではなく、彼女自身もなんら言葉で説明できるような合理的な理由を持っていないからなのかもしれない。
私は、自分のためにも紅子ちゃんのことを理解しようとするのはやめた方がいいかもしれないと思い始めた。いくら理解しようとしたところで、根本的なものの捉え方が違いすぎる。彼女の思考を解き明かそうとする行為は、かえって恐怖や不安を増大させ、自分を疲弊させるだけの行為なのだろう。それでも——質問自体は続けてしまう。手の届くところにある手がかりが彼女だけなのに、それを無視することは難しかった。
「あのさ、聞いといてなんだけど、そんなこと言ったら私が逃げようとするんじゃないかとは思わないの?」
「おっとおっと。殺さないのと逃さないのは別だ。それこそ、今律が逃げ出して情報を漏らしたなら、死ぬのはアタシの方なんだよ。そう簡単に逃すわけはない」
「でも、殺されないとわかったなら、本気で抵抗するかもしれないよ」
紅子ちゃんは乾いた声で笑う。
「律の力じゃ、アタシには勝てない。武器もないのに」
「武器は包丁でいい。キッチンには入れるから」
「だとしても、この家にはおまえ以外に二人の人間がいる。しかも、アタシはいざとなったらさらに複数人仲間を呼べる」
「気まずくなったんじゃないの」
紅子ちゃんはいぶかしげな表情でこちらを見た。
「おまえ、本気で逃げようと考えてるのか?」
「殺されないんならね。もちろん、私だけじゃなくて真由香も」
「殺されない程度に致命傷を負うことに関しては構わないのか」
「それでも逃げられるんならね」
私は勇気を出して発言した。精一杯反抗したつもりだった。しかし、紅子ちゃんはなぜか私を抱きしめた。
「馬鹿なやつだな」
「なに、急に」
「なにってなぁ。おまえは馬鹿でかわいいやつだと思ったんだよ、律」
私はとても不快だった。弱くて力のない私を、人間扱いしていないような発言に思えた。違う、私は弱くない。本気を出せば逃げられる。周りの人がいつか助けにも来てくれる。奪われた人生を取り返して、仕返しができるくらいの体力と能力だってある。こんな女なんか——
「抵抗すんなよ。いいな」
「うん」
私はただ受け入れるしかなかった。きっと少しの辛抱だ——今だけ、この現実を許容できれば。時にくるフラストレーションはうまい具合に発散すれば、それでやり過ごせる。たまに発狂しそうになるけれど、一瞬でもこの女の顔を見下ろしたのならば、それで我慢できる。囚われている限り、力関係が下になってしまうのは仕方がない、けれど、一度助けが来てしまえば、強いのはこちらなのだから……。
「いい子だ」
私は紅子ちゃんの胸を軽く押して腕を伸ばし、密着していた体を少し引き離した。そして、目の前に来たのは彼女の美しい顔だった。鼓動が早くなる。早く、私の力を示してやりたい。紅子ちゃんの肩を押すと、抵抗がなくパタリと倒れた。
「おまえ、そればっかりだな」
「暇なんだもん。いいでしょ」
空虚な生活を、怠惰が埋め尽くした。
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