第19話 再会

   森山律

 

 午後六時、声を枯らした紅子ちゃんはペットボトルの水をがぶ飲みして、つぶやいた。

「この後、外出する」

「そう、行ってらっしゃい」

「違う。おまえも一緒に行くんだよ」

紅子ちゃんはまた水を一口飲んで、こく、と喉を鳴らす。

「飯泉が、死体を埋める時に使ってたほったて小屋の整理をするから人手がいるって。死体の所持品とかが残ってるらしい……ったく、なんで一緒に埋めなかったんだよ」

紅子ちゃんはだるそうに言う。私は何となく飯泉の依頼の内容に違和感を感じた。

「それ、なんかちょっと怪しくない?」

私は口を挟んだ。

「ほら、今紅子ちゃん言ってたけど、普通所持品も死体と一緒に埋めようとするよね。現金とかは抜くにしてもさ。そうだったじゃん……私が手伝わされた時は。それに、人手がいるからって、重いものを扱うわけでもないのに、気まずい今の状態でわざわざ私と紅子ちゃんの二人を呼び出すのは少し不自然。それに、向こうにはすでに三人も人手があるんでしょ?」

「確かにな。まあ、そんなに気にするほどではないと思う。それより、律、おまえも犯罪者思考になってきたか? 現金は抜くだなんて」

「違う!」

私は反論する。すると、紅子ちゃんは笑いながら言った。

「だとしても、急になんか鋭いな。飯泉なんかろくに話したことないだろ」

「私はあの人、なんとなく嫌いです。誘導的な話し方をするから」

「ふーん」

紅子ちゃんは興味深そうにうなずいた。それから、先ほどの私の提言をさほど真に受けていないのか、水を飲み終えるとそのままコートを手にとって支度を始めた。

「それとも、やっぱりおまえはついてきたくないか」

「ううん。外の空気が吸いたい」

私は狭い窓の方を眺めた。暗くて天気はよくわからない。

「どっか行くのか」

仕事をしていた紅子の兄が手を止めて、こちらを振り返って言った。紅子ちゃんはぶっきらぼうに答える。

「ああ。こいつも連れてく」

「そうか」

短く答えると、紅子の兄は再びパソコンの方へ向き直った。

「じゃあ、おまえも準備しろ」

「はーい」

私はカビ臭くなったレインコートを羽織ると、以前のように手錠とタオルで拘束された。

 外に出ると、凍てつくような寒さで鼻が痛くなる。白い息を漏らしながら歩いていく。山にある住宅街の奥、階段を登り、街灯など一切ない山道を進んでいく。やがて車も入れないゾーンにたどり着き、丸太でできた簡易的な階段さえ途絶えても、ひたすらに登っていく。呼吸が満足にできない私は、さくさくと登っていく紅子ちゃんのペースに付き合わされて、頭がどくどくと波打つような痛みを感じた。

「ついたぞ」

極寒だったはずが汗だくになり、足がまともに動かなくなってきたところで、ようやく紅子ちゃんがそう言った。顔を上げると、確かに小屋——というか、大きめの木箱にトタンを乗せただけのようなものがあった。

「お、おい——」

不意に背後から声がした。相沢と呼ばれていた男が、紅子ちゃんの肩を叩いていた。

「あっちに、燃やして処分するものをまとめた。燃やすの手伝ってくれ」

「ああ」

すると、小屋の方から声がした。

「おーい、こっちも手伝って〜」

飯泉と呼ばれた女だった。紅子ちゃんは飯泉を呼びつけると、私とつながれていた手錠を外して、相沢の方について行った。残された私は、飯泉に小屋の方へ連れて行かれた。

「森山さんには、とっておきのものを用意しているからね」

嫌な予感がした。その時、

「助けて!」

小屋の中から叫び声が聞こえた。

「真由香!」

反射的に叫んでいた。小屋の方へ駆け出そうとすると、飯泉に手錠の空いている方の一端をつかまれる。

「離せ!」

「まあまあ、手は出してないから。無事でいることは確かだから、安心して」

気がつくと心臓が波打っていた。私は小屋に少しでも近づこうとするが、手錠の鎖がピンと張る感覚に疲れるだけだった。飯泉は私を押さえつけつつゆっくりと小屋に近づき、扉を開けた。

「真由香!」

小屋に押し込まれた私は、一目散に真由香の方へ駆け寄る。すると、後ろでドアがしまって真っ暗な視界がさらに漆黒に染まった。

「大丈夫?」

「律、どうしよう……」

真由香はロープでぐるぐる巻きにされていた。よく見えないので、私は無理やりそれを引き剥がす。

「いたたた」

「ごめん」

目が慣れてきた頃、何とかロープを解くことができたが、剥き出しだった真由香の腕は擦過傷だらけになってしまっていた。

「どうして真由香が——」

「律、逃げよう」

その言葉に私はハッとする。今私が逃げようとしたら、真由香の命が危ない? いや、真由香は目の前にいる。絶対に離れなければ、きっと大丈夫だ。

「わかった、逃げよう。でも……」

この小屋の出口はドアだけだ。その前には当然飯泉やその仲間たちが立ちふさがっている。

「後ろの壁、壊せないかな」

私は木の板が張られた壁を思いっきり殴った。ごおんと鈍い音が響くが、ビクともしない。

「屋根は?」

真由香が言う。トタン出できた屋根は脆そうだ。しかし、腕が届かなかった。私は提案する。

「肩車すれば、いけるかも」

「えっ、肩車なんてできる?」

「やってみよう」

私はさっとしゃがんでみせる。すると、真由香がクスッと笑った。

「普通に考えてさ、私が下じゃない?」

「えっ」

「ほら」

今度は真由香が地面にしゃがんだ。

「大丈夫? 無理しないでね。怪我とかしてるなら、やめた方がいいと思うけど……」

「へーきへーき。さっき連れて来られたばっかりだから、まだ元気」

「……へぇ」

さっきと言うのがいつかわからないが、真由香はさほど長く閉じ込められていたわけではないらしい。確かに、声色にはいつもと変わらないハリがある。

「じゃあ、失礼」

私は真由香の肩に脚をかける。髪の毛を巻き込まないよう細心の注意を払う。

「……やっぱ無理だよね?」

真由香は立ち上がろうとするが、とてもできそうになかった。私は何となく恥ずかしくなる。

「んー、律軽いから行けると思ったんだけど……」

立ち上がってスカートを直しながら、真由香もはにかむ。とにかく、屋根を壊すことも難しそうだとわかった。

「どうしよう」

「どうしようね」

突破口は見つからなかった。もう一度いたずらに壁を叩いてみるが、もちろん変化はない。真由香とともに部屋の隅にへたり込むしかなかった。

「まあ、いいよ。律と会えたから。乾杯」

「乾杯」

私たちはコップを持つ真似をした後、同時に飲む真似をした。思わず笑ってしまう。

「律は今までどうしてたの?」

「えっとね……家で、監禁されてた」

「犯人の家ってこと?」

「うん」

真由香はつらそうに喉を鳴らす。私の身を心配しているのだとわかった。

「酷い目に遭わなかった?」

「大丈夫」

「ほんと? 怪我とかは……」

「したけど、もう治った——」

「ダメ。帰ったら病院にすぐ行かなくちゃ。傷見せて」

私が靴を脱ぐと、真由香は怪訝な顔をする。私は靴下を脱いで、かじかんだ足を見せた。

「ほら、これ。足の裏のとこ」

「えっ、ボロボロじゃん。バイ菌入ったら大変だよ」

「だいぶ前に傷はふさがってるから平気だよ」

真由香は真剣な表情で私の傷を眺めたので、何となく恥ずかしくなり、私はすぐに靴と靴下を履き直してしまった。

「他は? そんな切り傷だらけなの?」

「それだったら死んじゃう。他に大した傷はないよ」

真由香はまた怒りをかみ殺したような表情を見せた。それから、私の様子を観察して言う。

「服は……律のじゃないよね? お風呂は入れたのかな。食事は……相変わらずガリガリのままだけど、まぁ、別に今まで通りかな」

「うん。わりと普通に生活できてた」

「それならいいんだけど……服は、犯人が用意したの?」

「うん」

「律にこんなブカブカの着せても……まぁ、クソみたいな男のすることだからしょうがないとは——」

「え?」

私が頓狂な声をあげたので真由香はこちらを見る。外の音がざわざわと聞こえた。

「大丈夫、どうかした?」

「え、いや……犯人は女なの」

「えっ、そうなの? じゃあやっぱり飯泉さんが……」

「違うよ。実は——」

「それとも、連続殺人の話は関係なかった?」

私はハッとした。私は自分から真由香に近頃の連続殺人のひとつと思われるものを目撃したとは話していない。まさか、真由香はどこかからか連続殺人事件と私の誘拐事件の関連を知ってしまったために、こんな目に遭わされているのではないか。

「ううん。犯人は連続殺人犯の女。で、実はその名前が——」

その時、突然小屋のドアが開いた。

「誰!?」

真由香が反射的に叫ぶ。私たちは部屋の隅で縮こまった。霧崎紅子だった。今まさに話していた——

「やめて!」

真由香が悲鳴を上げたかと思うと、ごおんと鈍い音が響いた。真由香は頭を強く打ったようだ。

「真由香!」

突き飛ばされた彼女の方に向かおうとすると、ガっと強い力で抱きとめられる。

「嫌だ! 離して! 真由香……!」

私は無言のままの紅子ちゃんに攫われるようにして、小屋から連れ出された。誘拐されそうになった時よりもっと強烈に抵抗した。ひたすらに暴れた。しかしながら、私はその腕から逃れられなかった。確かに彼女の腕に私の爪が食い込んだ感覚はあったのに、足元に蹴りを入れた手応えはあったのに、彼女は少しも動じなかったのだ。真由香は失神してしまったのか、ピクリとも動かない。

「真由っ——」

再び叫ぼうとするも、口元を抑えつけられる。

「お願い、それ以上うるさくしないで」

紅子ちゃんはささやいた。なぜ彼女がそんなことを言うのかわからなかったが、うんともすんとも言う以前にもう声が響くことはなかった。

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