第12話 もうちょっと客観的に
見知らぬ男女に見下ろされ、私はガタガタ震えて怯えていた。飯泉は床に座り、こちらと目線を合わせると、言った。
「大丈夫? 今それ外すからね」
それまでとは違う、優しいトーンだった。そして、頭の後ろで縛っていたタオルを解かれた。呼吸が楽になった。
「痛いことはしないから。少し聞かせてほしいだけなの」
甘い声色で言われるが、安心はできない。私はただうなずいた。
「あの女のこと、どれくらい知ってるの?」
私は漠然とした質問に戸惑った。女は続ける。
「親しい? もしくは、親しいフリをしてる?」
「わからない、です……」
「そりゃ、自分のこと誘拐した人なんて親しくできるわけないよね。けどさ、こう、例えば会話の頻度とか、なにか言えそうなことはあるかな」
一見優しいようで、実際はかなり誘導的かつ威圧的だった。何か言うまで、延々と質問を繰り返されるのだろう。
「会話は……少し、します」
「なるほどね。短い会話?」
「たぶん、そうだと思います」
とりあえず、肯定するしかない。変に刺激しないことが大事だ。
「そっか……じゃあさ、あの人のこと、どう思ってる?」
「んー、それは……あー、ちょっと、わかんないです」
イエス、ノーで答えられない質問が来ると、途端に脳が混乱する。紅子ちゃんのことをどう思っているか。他人に伝えられるほど、よくわかっていなかった。
「えっ、憎いとかさ、殺してやりたいとか、思わないの?」
突如、飯泉の目が非常に冷たくなった。横で見ていた相沢という男が、口を挟む。
「おい、時間かかりすぎだ。もっと端的に聞け」
すると、飯泉の表情は元に戻る。彼女は相沢にごめん、と言うと続けた。
「最近、あの人に暴力とか振るわれたりする?」
何と答えるべきかわからなかった。事実としては「振るわれていない」だが、飯泉の意図をどうにか読み取ろうとするなら、「振るわれた」と答えた方がいいのだろうか。
「あのね、私たち、あなたのこと傷つけたいとかって訳じゃないんだ。たださ、あなたを逃がしてあげるのに必要かもしれないの。言える?」
私はとっさに返した。
「い、言えません。罠、なんですか? 私が逃げようとしたら、真由香を殺す気なんでしょう」
飯泉はため息をついた。そして、相沢と顔を見合わせる。
「……もういいや。そういうつもりじゃないんだけど」
それ以降質問はなかったが、私には一連の質問になんの意味があったのか、少しも見当がつかなかった。無駄に空気を読もうとして、疲れた。
その後すぐ、男と紅子ちゃんが部屋に戻ってきた。紅子ちゃんは何となく暗い顔をしていた。
「霧崎、さっきこいつは逃げようとする意思を見せた。あんたは舐められてるんだ。だから、今からこいつを絞めようと思う。いいよね?」
抵抗する意思などない。飯泉の詭弁に対し、私は紅子ちゃんの方を向いて首を横に振った。しかし、
「……わかった」
と紅子ちゃんは答えた。すると、飯泉は私を蹴飛ばして横倒しにした。そして、私の頭を踏みつけながら言い放った。
「霧崎、こいつの服脱がせろ」
「な、なんで」
「いいから」
私の前には先程紅子ちゃんを連れ出した男が立ちはだかる。その顔にはにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべていた。怖かった。私は覚悟を決めるしかなかった。紅子ちゃんは私と男の間にしゃがむようにして私の顔を見つめた後、男の方へ振り返った。
「戸田、おまえやるのか?」
声が震えていた。すると、飯泉が声を張り上げて言い放った。
「なんだよ! 情なんか一ミリもないって言ったくせに、こいつが目の前で犯されるのは嫌だってか!」
紅子ちゃんは私の着ている服に手をかけるが、なかなかその手が動かない。何をためらっているのかはよくわからない。私が犯されることに、何かしらの負い目を感じるらしい。飯泉がふたたび口を開けそうになったところで、私は自分からシャツのボタンを外した。なぜそうしたかは自分でもよくわからない。けれど、このままでは紅子ちゃんが追い詰められてしまうということが、嫌だったのだ。すると、ハッとしたように紅子ちゃんは私から離れた。
部屋の中は、変な空気になった。私は再び恐怖に震えた。じっと下を向いて、歯を食いしばっていた。男の手が私の肩をつかみ、私は冷たいフローリングに押し付けられた。怖くて少しも声が出なかった。紅子ちゃんは見たこともないような酷い顔で、呆然とこちらを見下ろしていた。
「飯泉、どこにも新しい傷がない」
「やっぱりそうか」
男は私からすぐ離れた。私は自分で体を起こす。もう誰も私に注意を払っていなかった。
「霧崎、おまえは俺たちとの計画に反し、不必要にコイツを擁護してるようにしか見えない。ちょっとでも油断してこいつが逃げたら終わりなのに、俺たちの人生なんだと思ってんだよ」
戸田と呼ばれた男が言った。その目は先程私を見てきた時とは打って変わって、怒りを宿していた。
「こ、こいつが逃げないようにはした。警察に見つかるようなことはしてない」
紅子ちゃんは主張する。しかし、男は
「違う。こいつが逃げようとするのが問題なんじゃない。というか、こいつが逃げようとしたところで俺たち全員で止めるのは簡単だ。そうじゃなくて、俺が危惧してんのは、霧崎、おまえの態度なんだよ。おまえ自身が、こいつに同情して、油断して、ヘマをしちまうのが問題なんだ」
激しい声色で怒鳴りつけた。紅子ちゃんも必死な様子で返す。
「アタシは今までうまくやってきた。そんなことしない」
そこに、相沢が割って入った。
「まあ、二人とも、落ち着いて……とりあえず、今すぐは大丈夫そうだってわかったじゃん。それなら、余計なことしなくたっていいだろ」
戸田は舌打ちした。飯泉が口を開く。
「今回霧崎のこと呼んだのは私だし、いいよ。だけどさ、霧崎はもっとハッキリさせた方がいいよ。自分の立場を。何が本当に自分の利益になるのか考えてみな?」
紅子ちゃんは黙ったままだ。
「別に、私たちを取らなくちゃいけないとは言ってないからね。ただ、その女がそんなに大事なの? ってだけ」
飯泉は冷たく言った。私は不思議な感覚を覚えた。私が大事? 紅子ちゃんがそんな風に思っているのだろうか。私たちはそんな関係に見えているのだろうか。
「……はぁ、だから、アタシは警察にバレないようにだけは徹底してる。それだったら無駄に毎日暴力振るう必要も無いだろ。そんなことしてたら疲れる。今日はもう帰る」
紅子ちゃんはそう言って、私の手をつかんだ。見えて来ない。この四人の関係性と、今までの殺人事件と私の誘拐事件の全貌。この人たちは共犯のようだが、私を誘拐したのは紅子ちゃん単独の判断なのだろうか。どういう利害関係の成立している間柄なのか、全く見えて来ない。首をかしげている間に、私は来た時と同じように拘束を施された。
「行くぞ」
そう言って、他の三人を睨みつけるようにして、紅子ちゃんは私を連れ出した。
相変わらず、暗い。滞在時間は一時間と少しくらいだろうか。もう久しく昼の街の景色を見ておらず、時間感覚も季節感覚も半分消えている。しかし、厳しい寒さだけはひしひしと感じられた。
「なぁ、律。変なこと聞くけどさ……」
紅子ちゃんがつぶやいた。
「クリスマスイブの日に、何したか覚えてるか」
私は彼女の方を見上げた。正面を見つめたまま、神妙な面持ちをしていた。
「あ、答えられないんだったな」
私はタオルをかみ締めながら、うなずいた。
「そっか……あー、それならむしろ都合がいい。独り言だと思って聞いてくれ」
彼女は口を何度か開閉させて、言葉に詰まった様子だったが、捻り出すように言った。
「アタシはあれ、そういう目で見てる人にするもんだと思うんだけど、律もそう思う?」
私が左手を動かすと、手錠が軽く音を立てた。
「あ、逃げ——」
すかさず、力の入りかけた紅子ちゃんの手を握った。人を殺したのと同じ手とは思えないほど、温かかった。
「それは、どういう……」
私は首を横に振る。「聞かないでほしい」というつもりだった。実際、私は自分の答えがイエスかノーか、ハッキリと導き出せていなかった。ただ、私はその時、それを彼女との力関係を逆転させるための手段だと捉えていた。それ以外の目的や感覚の付随など、覚えていない。
「なんだよ、それ。わかんないよ」
戸惑ったような様子を見せた後、紅子ちゃんはこちらをちらりと見た。
「もう、しない……?」
私はなんのリアクションも返さなかった。もう、金輪際、絶対しないか? もしそうなら、今つないでいるこの手を離したきり、二度と私から彼女のからだには触れられないような気がする。それでも問題は別にないはずだけれども——では、ノーなのか? また、あの夜を繰り返すつもりなのか。あんなに後悔したのに。
困って、私は紅子ちゃんの横顔を見つめた。けれど、彼女はこちらを見ようとしなかった。私は、助けを求めたいような気持ちになって、紅子ちゃんの手をぎゅっと握った。解釈は彼女に任せたかった。私が答えを出すより、彼女の思う答えに私が合わせる方が納得がいくだろう。しかし、紅子ちゃんはそのまま黙っていた。そして、しばらくすると手をぎゅっと握り返してきた。私は……解釈に困ってしまった。
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