なんだか物足りない。でも心配しているの。
国王であるフレデリックは、執務室でほぅと息を吐いた。とりあえず公務が落ち着いているこの頃、フレデリックは暇を持て余すことが多いのだ。
通すことが決定している、最終の判を押すだけなのだ。
そして、平和はなによりなのだけれど、と、息子を思い浮かべた。
最近は仲良くあの檸檬の木の下でお喋りをして過ごしているという。
仲良く……
ただ、お喋りをしているだけ、だとコルドバは言う。暇だからだろう、若いふたりの現状が気になって仕方がないのだ。
「物足りない……」
「何が物足りないのです?」
そんな風に呟いた時に、ローゼマリアが部屋に入ってきていた。驚いた顔をしていたのだろう。ローゼマリアが「ノックはしましたよ」と続けた。
「いや、悪い。あのふたりのことを考えておったのだ」
フィンとトニカのことは、ローゼマリアも心配していたのだ。心に傷を持っているふたりだから、見守ってあげなくてはなりませんね、と言うくらいだったから。だから、ローゼマリアは嬉しそうに目を細める。
「とても良い雰囲気で、お喋りを楽しんでらっしゃるそうですわね」
「あぁ、いい雰囲気、だそうだな」
別に人それぞれだからそれはそれで、いいのだ。しかし、内容が……。可愛くない。聞き及んでいる内容は、まるで執務室と同じようなのだ。
本当に夫婦としてやっていけるのだろうか……。
フレデリックはそれを心配している。
だが、そんなフレデリックの思いを読み取ったようにして、ローゼマリアはツンとして続けた。
「わたくしは、あなたに似なくて、とても良かったと思っておりますけれど」
苦笑いを浮かべたフレデリックは、わざと彼女をからかった。
「して、何のご用かね? 太陽の女王様」
その言葉を嫌な顔一つせずに受け止めたローゼマリアは、意地悪な微笑みを浮かべて彼に答えた。
「婚約発表会場をリマ様のお屋敷でと、そのおふたりが申しているそうです」
その言葉にフレデリックが露骨に嫌な顔をし、その平和が崩されたことを知った。
✿
顔を真っ赤にして、さらに、ぷるぷると震えている甥っ子を見ながら、リマは現状を僅かながらに憂いていた。
「お、お、お伯母上がそんなに破廉恥な方だとは思って、おりませんでした」
そして、続ける。
「ま、まだ、正式に婚約も終えておらぬ、淑女の手を……その手を握り……歩くなど、なんて……」
二度も同じ言葉を口にすることも躊躇われたようだ。ただ、そんなに恥ずかしがるようなことでもないと、リマは思う。ただ、「今度二人でいらっしゃる時には、あのお庭の道を手をつないでいらっしゃっては?」と言っただけなのだ。
フレデリックならそんなこと息をするように自然に……と思い、リマは言葉を呑み込んだ。フレデリックはリマにとっての天敵なのだ。近寄ってはならないし、近寄りたくもない。
そして、リマがそんな風にフィンに伝えた経緯は、珍しくロンからの手紙を受け取ったことに由来する。
『兄上とトニカ様は五年も婚約されており、さらには、トニカ様はその間、ずっとこの敷地の中で生活しております。それなのに、まだ名前で呼び合う仲でもございません。その上、おふたりのお話の内容は政治的でまったく面白くありません。これは、所謂政略結婚というものなのでしょうか? であれば、アラバス家はなにか不審な動きをしようとしているのでしょうか? それでも、王家が止めれる事柄ではないために、トニカ様が、そのための人質としてあるのでしょうか? だから、トニカ様はいつまでも兄上のことを"殿下"としかお呼びにならないのでしょうか』
第二王子であり、王位第一継承者でもあるロンは国王フレデリックによく似て、世渡り上手なところがある。世間というものを眺めながら、今を考え、自分の立ち位置を考えられる資質があり、そのように育てられている。だから、その資質が眼を曇らせてしまうこともあるのだろう。ただ、フィンとトニカの今に限り、確かにそう思われても仕方がないところではある。
だから、その手紙はこう締められていた。
『もし、そうだとすれば、お優しい兄上が可哀想すぎます。確かにトニカ様は素敵な方だと思います。でも、五つも年長の婚約者を押しつけられて、自由に恋も出来ぬのですから。兄上はリマ伯母上に信頼を置いておられます。ですので、リマ伯母上からも、兄上にもしこの婚約に心配なことがあれば僕に伝えるよう言ってください。僕が父上を説得します故』
この手紙を受け取ったリマはもう笑うしかなかった。十三歳の弟に心配されるなんて。
しかし、可愛い甥っ子の恋愛状況にリマも興味があったのは確かだ。だから、外の国の品物を仕入れてきた今日、フィンが訪ねにくることをいい機会として捉えた。
「ごめんなさいね。本当に怒らせる気はなかったの。ただね、心配で。もうすぐ婚約発表も正式にされるわけでしょう?」
「それが何だというのだ」
ただ、フィンのその反応にほっとするのも確かなのだ。まったく、国王フレデリックに似ていないところが、リマはとても嬉しい。
もちろん、このかわいい甥っ子が恋をしていないとは、露も思っていないリマは、その話題を終わらせることにした。甥っ子はある意味というか、実際にというか『箱入り』なのだ。『紳士たるは』の文言をそのまま信じて大きくなってきたような、そんな子なのだ。
まだ怒りというか羞恥が
「そうだわ。婚約発表の前にトニカ様のお誕生日がありますわよね。婚約の記念にもなりますし、なにか贈り物をなさいませんか?」
まぁ、ある意味、トニカ様の環境も純粋培養ですものね。
焦る必要なんてまったくないのでしょう。
「………………。そうか、贈り物か……。いや、花壇は贈り物になるのか?……でも、あれは綿花用だからな。昨年は『時間』とかいう変なものを欲しがっていたが……」
別の話題にぽつぽつと言葉を零し始め、機嫌を直し始めた甥っ子フィンが、続ける。
「伯母上は、可愛いものがお好きか? トニカは可愛いものの方が似合うと思うのだが、それは、失礼なのだろうか?」
リマはおおらかに微笑み、助言する。
「好きな殿方が一生懸命選んでくれたものだと分かれば、どんなものでも嬉しいものですよ」
「そうか……して、リマ」
その後に続いたフィンの言葉に、今度はリマが青褪めることとなった。
✿
「また、ナターシャは」
トニカが手を止めず、少し不機嫌になる。
「殿下は紳士なのですよ。とても綺麗な心を持っておられるのです」
しかし、ナターシャは思う。心が綺麗だとかそんなことは関係ないはずだと。
「でも、お嬢様、フィン殿下とのお喋りはまるでお務めのようにしか聞こえないのですけれど……」
そう、この国の未来や外交以外に、もっと他に話すことはないのだろうか。
「私はとても楽しんでおります」
「それは分かっております」
ただ、これ以上何を言っても変わらないことも、ナターシャは分かっている。
「ナターシャ、このくらいで良いでしょうか?」
トニカはやっと自分の作業から目を離して、ナターシャを見上げた。
紅花で布に色を付けているのだ。
「初めは一斤染にしようかと思っていたのですけど、檸檬の蕾の色だとこのくらいにしておいた方が、それっぽく見えますし、色が濃い方が高級になりますものね」
白い色とその紅色を縫い合わせて、ハンカチにするのだそうだ。檸檬の蕾が花開くような、そんなイメージだそうだ。最終的に白い刺繍糸で、檸檬の葉と実も縫い取るという凝りよう。しかし、まだまだ作業工程は多く残っている。これから何度も水洗いして、色落ちも防ぐつもりだろうし。
楽しそうではあるのだけれど……。嬉しそうでもあるのだけれど……。
「殿下は喜んでくださるかしら」
「きっと、喜ばれると思います」
確かに喜ばれる、と思えるのだから、それでいいのだろうけれど。
だけど、なんだか物足りない、のだ。
だから、ナターシャは「トニカ様の思うようになさいませ」と心の中で呟いた。
そして、そんな皆の心配が、彼らに降り注ぐのも目前に迫ってきているのだった。
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