トニカは変な女である③
リマ伯母様の屋敷へ。目的はイブリンの首輪と……一応、リマへはトニカの髪飾りを準備して欲しいと頼んではいる。しかし、トニカが何を欲しがるのかは分からない。
ただ、どうしてトニカに何かをやろうと思うようになったのか、まだしっくりしないのだ。
理由としては様々並べることが出来る。
イブリンのことを気に掛けてくれているし、食事も欠かさず持ってくるし、爪も切ってくれている。
母の髪飾りなどに縛られて、自由を求めることを諦めて欲しくもないし、こんな城内だけの生活も楽しくないだろうとも思った。
もしかしたら、外の空気を吸えば、こんな不自由から逃げたくなって婚約も破棄するかもしれない。当人ふたりが嫌がれば、父上だってもう諦めるだろうし。
そう思うと、なぜか……穴が開いたような、不思議な気持ちになるのはどうしてだろう。
ただ、自由に、といっても勝手気ままに歩くことは出来ない。気分転換くらいになればいいなとは思う。しかし、護衛に挟まれながら馬車に揺られ、本当に気分転換になるのだろうか。
自分自身はこの環境でずっと過ごしてきているから、全く気にならないのだが、トニカの場合、小さな領地の領主だ。自由になることもたくさんあったはずだ。
何だか煮え切らない思いを抱えつつ、やはり同じく護衛に挟まれて馬車に揺られながらのトニカを見た。
トニカも、言われたとおり外を眺めていた。今は商店が立ち並んでいる道である。
商店にある品物で気に入るものはあるのだろうか。
屋台の食べものなども、食べたかったりするのだろうか。
公園を歩きたい、となれば、……人払いがややこしい。日を改めてもらおう。
いや、それよりも外を眺めるということを、命令として取られてはいないだろうか。
そんな心配が過ぎり、トニカに視線を戻すと、トニカと視線がぶつかってしまった。
「すまない、もうすぐ着く」
退屈させているのかもしれないと思うと、彼女から視線を外してしまった。今まであまり会話すらしてこなかったこともあり、しかも、この小さな空間では逃げることも出来ず、どんな言葉をかければ良いのか、全く分からないのだ。
それに、今日の彼女は普段と違った雰囲気のドレスを着ていた。もちろん、出掛けるというのだから、お洒落をしているのだろうが、いつもはストンとしたシンプルな作りのワンピースドレスに、白いショールを掛けている事が多いのだ。それなのに今日は、落ち着いた淡紅色のものを着ていて、スカート部分もふんわりと膨らんでいた。袖とスカート裾、襟部分には同系色のレースがあしらわれており、髪には、あの髪飾りがあった。しかし、それが何だかとても似合っているのだ。ただ可愛いと思える姿なのだ。
可愛いなんて感想、きっと年上の女性に失礼に違いない。
だから、そわそわする。早く目的地に着くようにしたい、そう思い、町を抜けたところで、御者に合図させた。
ほんの少し、馬車の振動が増え、速度が上がったのが分かった。
きっと歩いていらっしゃるに違いないわ。あの子は慣れている振りして、あの箱詰め状態が苦手だから。
リマはそう思いながら、品物のチェックをしていた。イブリン嬢に似合いそうな首輪は、桃色に水色、それから金色も素敵かもしれないわね。大きなリボンが背中に回るようなものもかわいいわ、きっと。
白い毛並みに青い瞳だと仰っていたから、意外と水色が映るのかもしれないけれど。
だけど、今回はこちらがお楽しみなのよ。
ふふふと笑いながら、別の長テーブルへとリマは進む。
容姿も詳しく教えてくだされば、もっと絞り込んで良いものを選べたのに、残念だわ。
その長テーブルの上には髪飾りがたくさん並べてあった。落ち着いたものから、可愛らしいもの。リボンが魅力的なものや花細工が綺麗なもの。金色の台に銀色の台。
お好みはどんなものなのかしら。
噂では年上で賢い方だと聞いているが、どうも大人びた気がしないのだ。それは、フィンが書いてきた文章からリマが嗅ぎ取ったものでもあるのだが、どこか、……
イブリンが世話になったお礼に、ここに連れて来るという方なのだもの。
フィンが連れてこようと思う方だもの。人一倍人見知りが強くて、感受性が高かったあの子が、その方をお誘いできたのですもの。
今まで誰かを連れてきたことのないような子が、そんな方を紹介してくださるということは……なんだかくすくすと笑いが止まらない。
だけど、一番良いのは、この中のものを選ばないこと。リマはにんまりしながら、彼らを待った。
白い門には王紋によく似た花の紋がある。これは母が正妃になった暁に、国王が母の生家に授けた紋だった。檸檬の花と王紋である木蓮の花を組み合わせたものだ。そして、いつものように門の中に入ると、そこで馬車が完全に止められる。
私はいつものように警護の者が降りた後に続き、馬車を降り、警護に挟まれるような形でトニカが降りようとする。
だから、馬車からひとりで降りようとするトニカの手を慌てて取り、馬車から降ろした。本当にマナーを学んでいるのだろうか。甚だ疑問である。
そして、考えた。
トニカはとにかく変な女なのだ。
この国の歴史書に興味を持っているようだし、それを彼女の侍女とコルドバを介して、借りに来るのだ。そして、最近借りていった本が風土についての分厚い本だった。もしかしたら、本を取り寄せた方が良かったのかもしれない。
そして、ふと自分のペースで歩いていることに気付いた。トニカの衣装は歩きやすいものではない。今回ばかりは馬車で通り抜けるべきだったのだろうか。
僅かに振り返ると、挙動不審なトニカがいた。飛び去った鳥を視線で追いかけていたり、木々を眺めていたり、木漏れ日に視線を落としていたりする。真っ直ぐ前を見て歩けないのだろうか。トニカの足元はいつもより不安定なのだ。いつもより高さのある白いヒールでは、転んでしまいそうだ。
「疲れはないか?」
だから、そのトニカの挙動不審を見なかったように、前を見て心配の言葉をトニカに掛けた。
「お気になさらないでください。私は大丈夫ですので。殿下こそお疲れではありませんか?」
それなのに、なぜか逆に心配される。
「私は歩くことが好きだ」
「私も、楽しく歩かせていただいています」
そうか、楽しく歩いていたのか。そうだな、トニカは変わった女だからな。
そう思うと何だか胸を撫で下ろしたくなった。
屋敷前にはリマがいて、深々とお辞儀をしていた。
このお辞儀は構わないのだ。家紋を持つくせに、爵位は返上している彼女の場合、敬意を払うべきものへ対するお辞儀なのだから。ただ、彼女の場合、本当に敬意を払っているのかどうか分からない。
王位継承すらないだろう私に敬意を払ってくれとも思わないけれど、婚約者として同列であるはずのトニカがそれに合わせて自己紹介し、お辞儀するのは、少し違う気がする。
そして、ずっと変なトニカが一段と変になったのは、イブリンの首輪を選んで欲しいことを伝え、トニカにも何か好きなものを選んで欲しい旨を伝えた時だった。
「私も?首輪を?」
何を言っているのか全く分からなかった。なぜ、人間が首輪を選ばなければならないのか。自分の言葉を振り返り、足りていなかったかもしれない言葉を付け足す。
「何を言っておる。トニカには世話になっている。だから、町にあったものでも、ここにある他のものでもなんでも好きなものをやるということだ。感謝しているのだ。馬車の中から外は見ておっただろう?」
何が足りずに、そんなことになったのか分からないが、トニカは変な女なのだ。だから、とにかく言葉を付け足さなければ、通じないのかもしれない。
「どうして父上がその髪飾りをトニカにやったのか分からないが、それは私の母のものだ。そんなもので縛られてしまうのは嬉しくないだろう? 私はトニカも自由で良いと思っている」
それなのに、トニカはずっと呆然としたままだった。
何がいけなかったのだろう。視線の先にいるトニカが全く動かない。いつもなら、すぐに反論でも意見でも、なんでもしてきそうなものなのに。
もしかしたら、その髪飾りの意味を今『束縛』と捉えたのだろうか? ショックで動けないのだろうか。
だったら、……
そう思い、口を開こうとすると、リマが先に話し出した。
「トニカ様の髪飾りはこちらに用意しておりますよ」
そう、別のものを選んでくれればいいだけなのだ。それなのに、トニカの瞳がイブリンが驚いたときのように丸くなっている。そして、トニカが口を開いた。
「あ、あの、殿下。失礼を承知で申してもよろしいでしょうか」
やっとトニカが動き出した。少しだけほっとした。
「構わない。トニカはいつも失礼だからな」
トニカが真っ直ぐ見つめてくる。何なのだろう。息が詰まるし、鼓動が早い。逃げたいが、向かい合うリマの視線の威圧が怖くて、動けなかった。
「もし、たとえば、殿下がお嫌でなければ、このままこの髪飾りを、私が、使ってもよろしいでしょうか」
何なのだろう。
「トニカは、フィン殿下のことをもっと知りたいと存じます」
トニカが、何か変なことを言っている。リマの声が聞こえた。だけど、言葉が耳に残らない。どういうことなのだろう。
なぜ、トニカは私のことを知りたいなどと宣うのだろう。言葉が浮かばない。
「殿下、私に殿下の時間をください」
「へ?」
リマが笑い、「殿下、お返事を」と促した。
今、私達は檸檬の木の下にいる。私が生まれた日に植樹されたその檸檬の木の下には、母が愛用していたテーブルと椅子が、木陰に守られて置かれている。トニカの視線はイブリンにある。
「イブリン嬢は、今日も幸せそうですね」
膝の上にあるイブリンはトニカが選んだ桃色の首輪に紋章入りの金色の鈴を付けて、ぐっすり眠っている。
「お茶をお持ちしました」
ナターシャが二人分の紅いお茶を注ぎ終わると、その水面が揺れた。そして、どんな言葉をトニカに掛ければいいのか分からず、そのままその水面に言葉を落とした。
「イブリン……トニカは、変わった女だ」
ただ、こんな時間も悪くないのかもしれない。
そんな風に思えた。
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