第12話 イルママ奪還帰投
コンコン。
「警察です。連絡を受けて来ました。別の突発事故に手間取り遅くなり、申し訳ありません」
「遅すぎるよぉ、もう……むぐ……」
ジンはすぐさまマコトの口を塞ぐと、小声で指示を出す。
「録音開始だ。マコト」
マコトは頷く。
カチッ。ムーッ。
レコーダーのテープが回り始める。
「どうぞ」
カチャッ。
ドアがゆっくりと開かれ、ジンと目が合った次の瞬間、同時に眼に飛び込む周囲の光景に、警察官の意識はいともあっさりと持っていかれる。
訪問者なら、普通はここで挨拶するところだが、それすらも吹き飛ぶ驚きの状況にあったようだ。
「こ、これは一体?」
警察官は、あまりの惨状に驚きの声を漏らしながら、ジンの脇を引き込まれるように一歩突き進む。
惨状といっても誰も怪我していないから惨たらしい場面ではないが、家具がバラバラで、大量の銃が無造作に散らばっている状況は、その起こっていた事態を見ていなかった者なら流血必至の大惨事が目に浮かぶ状況だ。
―― この警察官の目の開きがわななく感じは、うふふっ、たぶん想像もしていなかったっぽいよね。
入ってきた警察官の状態の感想をマコトは、笑みを携えながら心内でそう呟く。
一頻り見た目の現状が認識できたと思うところで、ジンは警察官に対して補足説明を入れる。
「あー、ひとまず、終わりました。誰もケガはありません」
「ほっ、そうか。よかった」
ジンのけが人なし報告に、警察官はホッと胸を撫でおろす。
安心できたからか、今度は少し違う視点で周囲に目を配り始める様子だ。それを見届けるとジンは状況説明を付け足す。
「悪徳商会が偽造証書で、こちらの親子をさらおうとしていたので、偽造を暴いてやったら、ピストルやナイフを出して襲ってきました」
「なんと! そうなのか」
警察官は目を見張らせ驚きながら答えると、ジンは頷き話を続ける。
「その写真もあります。ただ、急に怖がりだして逃げて行っちゃいました。そこに落ちてるのが彼らの武器で、偽造証書も忘れていったみたいですよ」
説明を聞きながら、忘れ物の数々を辿る警察官の顔はやや興奮気味に、一つ確認する毎に眼の開きが明らかに大きく変わっていくのがわかる。
「こ、これは凄い証拠だ。預からせてもらうよ?」
警察官の仕事だから、その一つ一つがお手柄になって自分の成績が上がることに繋がるわけだが、この警察官の場合、マコトの瞳には、お手柄を喜ぶそれとは違う印象に映る。
「ええ、どうぞ。これだけ揃えば、潰滅は免れないですよね?」
ジンの問い掛けに、警察官の顔はやや陰る。
「あ、あー、そうだな、善処するよ」
なぜか返答も歯切れが悪い。これは悪に荷担している警察官なのではないかと、マコトとジンは顔を見合わせる。
「その言い方だと、何もしてくれなさそうですね」
ジンは少し残念そうな表情で返す。そこへ、警察官はやや声を荒げて反応する。
「そんなことはない! キチンと報告を上げさせてもらうよ。しかし、去年、署長が変わってから、署内の上層部の動きが緩慢になってな」
―― なにやら署内上層部への不信感を感じている風の言葉だね。
―― どうやらこの人も組織内のままならない状況に翻弄されているような感じなのかな。
―― やっぱり癒着? が根っこに蔓延ってるのかな?
そうマコトが思っていると、ジンもそこに着目したようで問い掛けの言葉を返す。
「あぁ、癒着の噂はどうやら本当みたいですね」
外国人であるジンにも知れていることは想定していなかったのか、警察官は一瞬目を見開くと、苦笑い混じりの表情で話し始める。
「君たちの耳にも入っているのか? 恥ずかしい話で申し訳ない。真相はまだわからないが、不正があるなら正さねばならない。どこにどんな繋がりがあるか掴めてないが、本件の動向はまさにピンポイントで繋がる可能性があると見ている。しかも、これだけ証拠が揃っていれば、炙り出しもかなり進みそうだが、利用させて貰ってもかまわないか?」
どうやらこの警察官は正義の塊のような人物のようだ。
そこからの言葉は妙にやる気が漲るやや雄弁な口調に変わる。
―― さっき感じたお手柄とは違う表情は、真に不正を正したい思いだったから?
―― この人はもしかしたら当たりなのかもね。
そんな印象の変化を感じるマコトと、ジンも同じ思いなのだろう。
「あなたは癒着とは関係なさそうですね。それならば、徹底的にやりませんか?」
ジンは提案を持ちかける。それを見てマコトは少し驚きつつも期待の言葉が駆け巡る。
―― おぉ、いつになくパパに気合いが満ちている。
―― パパにとって、今日の奴らはよほど頭にきたのかな?
―― 大事なイルたちを害そうとする輩。そうでなくとも、あまりに極悪非道過ぎる輩だから、マコ的には万死に値すると思うほどだもん。
―― パパが徹底的というんだから相当期待できそうだね。
―― そうだパパ、存分にやっちゃって!
警察官にも響く言葉だったようで、目をやや輝かせながら警察官は食いつく。
「ほう、徹底的にとは?」
「{ゴニョゴニョゴニョ}」
「おぉ、そこまでやれるのか。君は一体何者なんだ?」
―― あー、子どものマコに聞かせないために耳打ちしたのかな?
―― でもなんとなくは聞こえたけどね。
―― マコの耳は地獄耳だもん。ふふん。
「えぇ、まぁ、日本から来ている、しがない研究調査員です」
「ふーむ。日本人か、まぁ、そういうことにしておくか」
「あなたのお名前と、連絡先を教えていただけますか? 私の情報はこちらに」
そう言いながら、ジンは名刺を差し出し警察官の連絡先を尋ねる。
それを見て、警察官はポケットから警察手帳のような物を取り出し提示した。
「おぉ、すまんすまん、順序が逆だったな。私はジェイムズ、こういう者だ。署の番号はこっちだが、あいにくほとんど出ていることが多いからな、このポケベルに要件を入れてくれ。折り返しが必要な緊急時は電話番号だけでいい」
ビジネスマンではないから、名刺などの持ち合わせはないようで、ジンは必要情報を写し取る。警察官のほうは、ジンの名刺を見ながら電話番号に目が留まったようだ。
「お? 君の番号は、もしかして携帯か?」
番号の形式が違うことに気が付いたようだが、この警察官、どこか嬉しそうな表情に見える。
「ええ、こちらの衛星携帯です。山奥にキャンプを張って研究に没頭してるので、電話線が引かれておらず、仕方なくです」
「さすがは日本人だな。大胆かつスマートだ。ちょっと見せてくれないか?」
「どうぞ」
携帯に興味を示したかに見えたが、何かを思い付く警察官。
「ちょっとかけてみていいか?」
「どうぞ。ただ、短めでお願いしますね。通話代がバカ高いので」
―― なにぃ?
―― 人の電話、使っちゃうのね?
―― あぁそうか、警察署に至急の連絡を入れてみたいのか。
―― こちらの事情に向き合ってくれてるのなら、まぁ、仕方ないか。
「分かってるよ」
トゥルルルーッ、カチャッ。
「あー、俺だ俺だ。今掛けてるこの電話の番号を登録しておいてくれ。最重要証人の携帯番号だ。ああ、よろしく頼むよ。今から署に戻る、じゃあな」ツー、ツー、ツー
―― どうやら番号登録しておきたかったらしいのと、なるほど、今後の流れ次第では、理解が早いのは助かるかもだから、こやつ、機転が利く人なのかも。
「おぅ、ありがとな。一度使ってみたかったんだ。仲間にも自慢できそうだよ。それにホットラインができたようなものだ。何を置いても最優先に取るように周知しておくから、小さな情報でも構わないから連絡入れてくれると助かるよ」
―― やっぱりそうだね。
―― ホットラインかぁ。
―― なんかVIP待遇みたいでカッコ良いね。
―― えっと、お名前はジェイムズさんね。
―― 覚えておこうかな。
「わかりました。ご配慮感謝します。それと、今日はこちらの親子を私たちの居住場所で保護します。先ほど命の危険に晒されたばかりですし、今夜襲われる可能性も否めないので」
「わかった。そのほうが確かに安心だな。では特に警察から警護を出す必要はないんだな?」
「はい、大丈夫です」
「わかった。何かあったらすぐに連絡を入れてくれ。じゃあ、コレにて失礼するよ」
「ではよろしくお願いしますね」
「あぁ、それじゃあ」
カチャッ。バタン。
「パパぁ、話し終わったぁ? 運び出す準備はできたよ」
「おお、できたか。すまないな、手伝えなくて。あ、イルちゃんのお母さん。すみません、突然押し掛けて」
「いえ、こちらこそ、助けていただいて、本当に助かりました。なんとお礼を申し上げて良いかわかりません。あなたたち親子が来てくれなかったら、私たち親子はおそらく奴隷のような一生を送ることになっていました。本当に本当に、うぅぅ。コホッ」
―― うんうん。
―― 助けられて、今日がその日で本当に良かった。
―― あ、涙もらいそうだ。
「お母さん、今まで大変でしたね。今日このとき、この瞬間に駆け付けることができて、そして無事、間に合って、本当に良かった。今日からは何の心配も要りませんよ。詳しくはあとでお話ししますが、ひとまず、私たちの居住場所に移動しますが、よろしいですか?」
「はい、大丈夫です。何から何まで申し訳ありません。コホコホッ」
―― マコが一番気にしていた、イルのお母さんを連れてくることが、すんなりと決まってしまった。
―― これぞ災い転じて福となす? いや意味違ったかもだけど、結果オーライだね。
「じゃあ、みんな、積み込むぞぉ」
「「オー!」」
「あ、お母さんはここで座って待っててくださいね」
「申し訳ありません」
「いえ」
「あ、マコト? ふと思ったんだが、うまくやればいっぺんに運べるんじゃないか?」
「あ、そうだね。パパ冴えてるぅ」
「だろ?」
「じゃあ、パパが纏めるよ」
「あぁ、お願いね」
集中してオーラを放ち、荷物を四角くまとめる。一番大きくて固そうな板の上に載せ、浮かせる。
周囲の目があるから、あくまで手で持ち上げたかのように手を添えて、けれど時短のために、手ではありえないくらいの超スピードで、テキパキ積み上げる。
「マコト、手に持たないと不審に想われるから手を添えるよ」
「はい、添えた」
ジンとマコトの二人で手に持ったフリの運搬開始だ。
「じゃあ積み込み開始」
「オー!」
重さを感じない楽々運搬だから、あっという間に車に到着。
「はい、載せるよ。せーの、はい、OK」
「荷物を動かして、中に空間を作るよ。お母さんは助手席だから、この中は二人の空間ね」
「わー、なんか面白いね」
「イルちゃん、お母さんを連れてこれる? あぁ、マコトもエスコートして。ガスの元栓と、戸締まりを忘れないようにね」
「「ハーイ!」」
「パパぁ、イルママ連れてきたよー」
「あぁ、ありがとう。じゃあ、イルちゃんのお母さん、こちらにどうぞ」
「ありがとうございます」
「子どもたちは、子ども部屋な?」
「「りょっかいでーす!」」
「おぅ、なんかウキウキだなー。パパも混ぜて欲しいくらいだ」
「ダメー、パパは運転手ー」
「ゎ、わかってるよ。じゃあ、しゅっぱぁーつしんこー!」
「「おー!」」
ぶるるるーっ。
「今日は本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません」
走り始めて直ぐのこと。イルの母親は神妙な面もちで深々と頭を下げながら、感謝の意を告げる。
運転しながらのジンだから、当然正面からあまり目を離せず、慌てながらも、ちらちらと目線を配り、そのときそのときの運転に使わないほうの手で、咄嗟の手振りジェスチャーを交えながら言葉を返す。
「あ、いや、お母さん、そんなに恐縮なさらないでください。あの、子どもたちから聞いたかどうかわかりませんが、偶然が幾重にも重なって、イルちゃんのお母さんもお誘いしようと向かったんです」
聞き手に回るイルの母親だが、ジンから告げられるお誘いの意図はおそらく初耳だったのだろう。イルの母親は困惑を隠せず眼を大きく見開く。その反応を確認してジンは続ける。
「まぁ、あんな状況が出迎えてくれるとは思ってなかったですけどね。変な言い方をしますが怒らないでくださいね。実はお母さんが来てくれるのかが心配でドキドキしながら向かってたくらいで、今有無を言わさず付いてきて貰ってるこの状況。実はとてもラッキーなんです」
「はい?」
イルの母親にしてみれば、ほんの少し前の時間帯に人生が終わってしまったかと思うほどの心の落胆具合だった。そこから大きく乖離するジンの口振りに心はまったくついていけず、口を半開きにして呆然とする。そんな姿を見届けジンは続ける。
「それに今日のような修羅場に遭遇できなければ、なかなか解決が難しい状況だと思うのですが、そこに出くわすことができたのも、とてもラッキーなことだと思うんです。怖い思いをしてしまったお母さんには申し訳ありませんが」
イルの母親にしてみれば、自分のことを言っているようにも聞こえるが、脈絡のない、どこかの男女の物語でも聴かされているような、自分には無縁のお話に思えるのか、少し呆気に取られた表情だ。
しかし、それでも恩人の言葉であると、聞き漏らさぬよう必死に耳を傾けていた。それをチラリと見届けジンは続ける。
「おかげで一挙に解決へと向かうことに繋がってます。そう思えば、本当に運命に導かれたのでは? と思わざるを得ないくらいのドンピシャなタイミングだと思いませんか?」
怖い思いをしたばかりなことと、初対面の赤の他人から施される、身に余る親切心に圧倒されながら恐縮してしまうイルの母親だった。
しかし『運命』のワードに痛く共感する思いが芽生え、それを問われればこそ、無意識の防壁を越えて、唇は自然に動き出す。
そんな自身の反応に驚きつつも、受け入れ、思いの丈を零し始める。
「はい、今日あの時に現れてくださって、私には、もう神様のお導きなのではないか、とドキドキしていました。ほんとうに心の底から嬉しく思っています」
窮地に差し込む一筋の光を見つけ、心ときめく、感動にも似た心の衝動を言葉に映したイルの母親だ。
その顔は、ややうっとりとした柔らかな表情に包まれていた。言葉を区切り、一転してやや憂いを帯びた表情に変わり、疑問とともに不安の影を落としながら続ける。
「でも、助けていただいただけでも身に余る思いなのに、更に何かをしてくださるご様子。どうしてここまでしてくださっているのか、理解が追い付いていない状況なんです。私たちに払える代償となるものは何も思い付かないのですが、何をすればお返しできるでしょうか?」
一族をいっぺんに失う悲劇、その負債も抱え、誰にも頼れない、痛切な生き方をしてきたからこそ、他人とを隔てる壁の高さへの意識が高いイルの母親にとって、無償の施しなどあり得ないことだった。
「アハハハ、いやぁ、私たちから特に要求するものなどありませんよ」
何かしら対価となりえるものがなければ、気持ちが落ち着かないところに、無いと告げられしょんぼりするイルの母親だった。
「あ、いや、一つありますね」
が、一転、あるとの言葉から報いれる可能性に顔を上げ、頬を綻ばせ、食い気味に尋ねる。
「な、なんでしょう? できることであれば何でもいたします。何なりと仰ってください」
「えっとですね、申し上げにくいし、別に強要するつもりなどは全くないのですが、私たちと一緒に暮らしていただけないかと思いまして、はい」
ジンの要求内容は、イルの母親の予想範囲を遙かに逸脱するものだったから、沈黙しながら激しく動揺する。まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔付きだ。一瞬、間を置くと思い出したように言葉が溢れ出す。
「えっ? どどど、どういうことなのでしょうか? 私たちにはメリットこそあれ、デメリットはまったくないと思います。あの、その、一ノ瀬さん? でよろしかったかしら? そちらにはまったくメリットなどないように思うのですが?」
単純に計算式で測れるようなものでもないが、そもそもその計算式すら成り立たないと捉えるイルの母親は更に尋ねる。
「はい。一ノ瀬仁です。ジンと呼んでください。それで、なかなか説明が難しく、理解していただけるかわかりませんが、聞いていただけますか?」
「はい、ぜひお願いします」
「はい、では、まず、今日、娘のマコトがとある事情により、急遽、イルちゃんを連れてうちにやってきました。いろいろ話をしているうちに、みんな、イルちゃんが大好きになり、今夜うちに泊まることを勧めました。そこでお母さんの具合が悪いことを聞きました。少し前後しますが、ある事情というのはマコトたちがケガ人である友達に、妻、ソフィアの治療と癒やしを与えたかったからで、その様子を見ながら、イルちゃんのお母さんにこそ、癒やしをかけるべきでは? との話をマコトが切り出すけれども、イルちゃんも受けさせたいと思いつつも不躾だからと遠慮するので、お母さんの状態が心配になり、半ば強引に話を聞き出しました。ご一族に起こった不幸、そこから借金が発生し、ボロボロになるまで働き、最近は病み臥せる状況であること。しかしお母さんは借金の詳細や、ご自身の身体の状況を教えてくれない。それはイルちゃんに心配をかけたくない気持ちの表れ、と理解しました。この時点で、私の家族は、お母さんを助けたい、という全員一致の思いに至りました」
愛娘イルの思い。加えて一ノ瀬家の起こす行動。そして自身が辿った悲しみと苦労の数々。ジンの言葉が耳に入るたびに記憶が結ぶ情景が脳裏に蘇り、唇がワナワナと震える。
ジンが言い終わる間際、目頭が緩もうとするが、
一息おいて、イルの母親は言葉を返す。
「そうですか。イルがそんなことを。皆さんのお心遣い、それを聞いただけでも大変ありがたく思うのですが、それに今日も助けていただいてこういうことを言うのもおかしいのですが、そこまでしていただくのは私が厚かましい思いに駆られてしまいます。ジンさんにもそこまでしていただけるような義理はありませんよね?」
感謝の意を述べつつも、理由もなく、他者からの善意を受け取ることに抵抗を感じるようだ。
しかしジンには返す言葉が用意されていた。
「いえ、それがあるんですよ。それを後押しする強力な事情がもう一つあるんです」
「え?」
まさか是の返事が返るとは思いもしなかったイルの母親だった。ジンは続ける。
「イルちゃんの亡くなったお婆さんはシャーマンと伺いました。他のシャーマンとは少し異なる不思議な力を備えていた。そしてそれはあなたやイルちゃんにも血脈として受け継がれてる。おそらくですが、私の妻、ソフィアと同じ祖先であると、つまりは遠い親戚だと推測しています。はるか遠くかもしれませんが」
そして、まさか祖母の、しかもシャーマンだったことが関わっているらしいことに驚き、記憶を探りながら聞いていると、今度は遠い親戚だと言ってくるジンの言に、何の接点も見いだせないイルの母親は、不思議がる表情を隠せない。それを見届けジンは続ける。
「なぜそう言い切れるのかを不思議に思うでしょう?」
ただただそう思うイルの母親は、無言の頷きを繰り返し、ジンは続ける。
「そのうちあなたやイルちゃんにも見えるようになると思いますが、人は皆、オーラというものを纏っています。それには紋様と呼んでいる、指紋のような、人により異なる模様が刻まれています。その紋様がかなり酷似しているのです。いきなりこんな話をしても理解が追い付かないと思いますが、平たく言えば、さっきも言ったように遠い親戚なんです。親戚が窮地にあれば、助けたい、は当然でしょう?」
聞き慣れないオーラや紋様などのワードに反応しつつも、説明自体は理解できるが、現状とは紐付かないイルの母親。
しかし、もしも本当にそうであるのなら親戚というのも頷け、さらに救いの手を差し伸べようとしてくれる行動は辻褄が合い一定の理解に行き着く。
もう既に助けられている現状があり、そこに対する並々ならぬ感謝の念は自身が一番に感じているところでもあるから、ありがとうの言葉が心中に渦巻くイルの母親だった。
そんな表情の変化を見届けながらジンはさらに続ける。
「助けるにもいろいろあります。経済的な部分が一般的な援助ですが、私たちが心配しているのはあなたの身体です。これは一般的な例ですが、同じような状況となったお母さんは、たいてい早く亡くなります」
ピクリと反応するイルの母親。娘とともに良き未来へとガムシャラに頑張ってきた傍らで、病む頻度は増すばかりの状況から薄々懸念していたことだ。
世の中の実情としてそういう傾向があることを告げられると、途端に現実味を帯びた未来予測、考えたくない方向のビジョンとして脳裏をよぎる。そう思いながらも続きに耳を傾ける。
「女性の身体は過度な重労働には耐えられません。すなわち、あなたの身体もかなり傷んでいるはずです。それをなんとかしたいんです。それにもしもあなたに何かあった場合、あなたが背負ってきたものはそのまま、今度はイルちゃんの幼い背中に背負わせることになります。そんな未来をあなたは望んではいないでしょう?」
頑なな姿勢こそ、終始崩すことなく一連の会話を続けられたが、実際には、心の内にわだかまるものなどほとんどなくなっていた。それでも自身のスタンスは守り通すつもりでいたイルの母親だった。
しかし世の実情を告げる言葉と、さらにジンが付け加えた最後の言葉に、はっと気付き狼狽える母親の姿がそこにあった。
それほどに余裕を欠いていた事実にまた愕然とし、途端にオロオロとした態度へと変わっていく。それを見届けジンは続ける。
「そこで妻、ソフィアの癒やしです。彼女の力は本物です。かなりの回復が見込めます。ただ、それでも身体の傷んだ状況まで回復できるかどうかが未知数です。それがダメならもう一つの可能性が残っていますが、こちらは……必要なそのときにお話しします」
イルの母親に、頑なな姿はもう感じられない。実情と予測に落胆したものの、進むべき道が残っていることまで告げられたなら、心の帰結への迷いもほとんどない状態となっていた。
まだすべてを鵜呑みにできるほどの信頼はなくとも、ジンの言葉を聞き入れ、受け留められる心境にあることをつらつらと語り始める。
「はい、まだ眉唾ものな理解ですが、いえ、決して嘘をついているなどと思っているわけではありませんよ。ただ、頭が、私の中の信じてきた常識が付いてこれてないのが現状なんです。信じようと心を進めると気持ち悪くなってきます。心が不整合状態になってしまいます。母のシャーマンの能力も、本気で信じるには至りませんでした。いずれにしても、現実として受け止めてからの理解になると思います」
抗うわけではないが、まだ心に残る僅かなわだかまりを吐露するイルの母親。
心の決着はさておいて、今度は自身の気持ちに焦点を定めて心の内を告げる。
「ただ、私たちを親戚として受け留めていただけること、それ以前にも、助けたい、と思ってくれたこと。暖かい。いえ、お日様のような温かさですね。もう、頭の中はその言葉で埋め尽くされてしまったようで、何も考えられな……ぃ……うぅぅ。本当にありがどぅ、うぅ」
一頻り、言い尽くしたと思えるところで、イルの母親は緊張の糸がぷっつり切れたかのように泣き始めた。荷台の子どもたちに聞こえないくらいには押し殺した大きさだ。
「お母さん。今までよく頑張ってこれましたね。イルちゃんもよく守ってきましたね。到着するまで、今のうちにたくさん泣いちゃいましょう。肩ならお貸ししますよ。運転してるので」
「はぃ、うぅぅ」
そこからは、声量を押し殺しながらも、大人であることを忘れたように、長いトーンの泣き声が終始車内を埋め尽くす。
それほどまでに長い間の苦労の蓄積があったのだと思いを至らせるジンだが、子どものように泣き続けるさまに、うっかり頭を撫でようと、幾度となく空いた手を伸ばしては、車の揺れで触れそうになって慌てて引っ込めるジンの姿もあった。
……そうしているうちに、軽トラはジンたちの住まう地域へ到着する。
「はーい、とうちゃーく、マコト、先に荷下ろし頼む」
「りょっかーい!」
子どもたちは元気いっぱいに動き出す。ジンは泣き腫らしたイルの母親のケアに乗り出す。
「目ぇ、腫れちゃったから軽く癒やしますね?」
そう言いながら、ジンはイルの母親の顔を正面に見据え、その両目と頬を包むように両手をかざす。すると、手からボァーッと緑がかった光が滲み出て、イルの母親の顔が温まっていく。
俯き加減のイルの母親だったが、眼の前の淡い光とそれにより受ける自身の変化に気付き、感じたままが口から漏れ出す。
「えっ? これが癒やしというもの? 確かに何か癒されていっているのがわかるわ。え? でも、癒やしは奥さまでは? というか、こ、これは……温かい。心まで癒されそうです。この力、本物なんですね」
ふと目線を上げジンの両手のひらを見つめるが、癒やしを受けている自覚から、目をスッと閉じ、身を委ねるイルの母親。言葉だけでは違和感しかなかったが、実際に体感することで、心の中に自然に受け止められていく。
癒やしは進み、イルの母親は目から頬にかけての違和感が、泣き腫らしたこと忘れてしまったかのように、いつの間にか解消しているが、そのことに気づかない。
「はい、たぶんOKかな? 私は最近使えるようになった駆け出しなので、これくらいが関の山です。鏡見て大丈夫か確認してくださいね」
癒やしを掛け終わったことを告げ、手鏡を差し出すジン。それを手に取り、そぉーっと自身の顔を覗いてみるイルの母親から、驚きの声が上がる。
「ぅぁーっ、嘘でしょ? 私、確かに今まで泣き腫らしてたよね? まさか幻? 夢? えっと、今、私、起きてますか?」
「ええ、お目目もパッチリと」
驚きすぎて、急に早口で喋りだすイルの母親は、夢と見紛うほどの興奮ぶりだ。
「え、えーっ! じゃあ、やっぱり本物? 今までシャーマンと呼ばれる人たちの、そういう類のものを見るたびに、大して変わっていないのに、大袈裟に変化を強調する姿をたくさん見てきたせいで、本当にできたとしても、ほんの少しの変化だろう、って高をくくってました。これは本物の魔法なのでは?」
「ええ、だから、最初から本物だと言ってますよ?」
変化が本物と確かめられたら、今度は魔法の本物認定。本当に信じていなかったことが浮き彫りとなるが、この高めのテンションはジンにとっても喜ばしい反応で、にこやかに反応してみせる。
「そ、そうでしたね、確かに。なかなか信じ切れてなかったみたい。ごめんなさい」
「いや、それが普通の、当たり前の反応ですよ。じゃあ、行きますか。怒涛のファンタジーの世界へ」
一折の理解も得られ、当たり前を肯定するジン。だが、まだまだ驚きは続くことを促すための言葉を付け足す。
「は、はい。……はい? ?!」
ひとまず了解の返事「はい」を返すが、遅れて脳に届いた『怒涛のファンタジー』の言葉に、思考は届かなかったイルの母親。
驚きはまだ序の口だったことを後に知る。
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