第16話 入浴 〜 Sofia Awake ep2

 行ってから5分も経たずに緊急信号だ。


 ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ


 ん? 何かあったか? 急いで風呂の入り口に駆け寄る。


「どうした? 大丈夫か? 何かあった?」


 黒子は、か細い声で返事を返す。

「お風呂、気持ちいいのだけど、筋肉が緩みすぎたのか、腕ひとつ動かせないみたいなの」


「そ、そうか。よ、良かった。えっと、お風呂を出られないってこと?」

「いえ、それもあるけど、頭を洗いたいの。入浴するのを手伝って貰えないかな? って思って」


「え、え、えーと、見られても平気なの?」

「いやよ! 恥ずかしいに決まってるじゃない! でもね、わたし、あなたが信用できるもの。目を閉じて、私の言葉にそって、私の髪を洗ってほしいと思っています。お願いできますか?」


「きょ、今日は洗髪を諦めるという選択もあるのでは?」

「記憶がないから、よくわからないのだけど、よほどひどい1日だったのか、汗をかいたというレベルではないの。油を浴びたのか、煙にも巻かれたのか、草にもまみれて、泥だらけにもなって、ありえない状態なの。そんな状態の髪で寝たくないし、髪も痛めちゃう。何より命の恩人であるあなたに、汚いとか臭いとか思ってほしくないの」


「そんなこと思わないから大丈夫だよ?」

「ううん、私が許せないの。女の子としての矜持だってあるのよ」


 それでオレが洗うのなら同じじゃない? って、思ったけど、いったん飲み込んだ。


「そうしてほしいなら、そうするよ」

「じゃあ、目隠しできるもの。アイマスクか、なければ縛れるタオルか手ぬぐい。それと濡れてもいいように水着とTシャツに着替えて来てね」


「アイマスクなんてたぶんないよ。海パンはあったかな~? Tシャツ? 必要?」

「必要だよ~。私のことをやってもらっている間、寒いでしょ? それに私が目のやり場に困るじゃない」


「わかった。ちょっと待ってて」

「のぼせそうだから、早めにね」


「お待たせ~。アイマスクと海パンあったよ」

「アイマスクしたら入って来て! 早く」


「入るよ~」

「そのまま進んで。そう。そこで止まって。右前に一歩。左に90度回転。そう、右前に半歩。そしたら両手を50センチ位前に伸ばすと私の両肩があるの。そう。あっ、ひゃん」


「あ、ご、ごめん」

「ううん、冷たくてビックリしただけ。でも冷たくて気持ちいい。そしたら両手をわきの下に入れて、私を立たせてほしいの。私、手も足もうまく動かせないのよ」

「わかった」


 思いもよらぬ状況にドキドキするが、オレは善意の紳士。言われることを淡々とこなすだけだ。そう言い聞かせながら手を脇のあたりに差し込む。や、柔らかくて、スベスベしてる。女の子ってすごい。なんだか別の生物なのでは? と思えてしまう。


「ひゃう。う、そのまま上に持ち上げて。ア、アイマスク、してるよね?」


 いちいち発する言葉が脳裏を刺激する。いや、なんとも言えない魅力的な声が、心をくすぐり続けるんだ。人として、他人とを分かつ、見えない心の柵を、ミニチュアな黒子の妖精がひとつひとつ、優しく溶かしていく、そんな感じだ。まずい、このままじゃ心の奥まで丸見えになってしまう。落ち着け、オレ!


「だ、大丈夫。何も見えてないよ。じゃあ、持ち上げるよ」

「うん、お願い」


 ザバンっ。


「ひゃ。恥ずかしい。み、見えてないよね?」

「だ、大丈夫。見えてないけど。君の声の反応にこっちがドキドキしちゃうよ」


「ごめんなさい。じゃあ、外に出してほしいの。わきの下をそのまま持ち上げるか、無理なら、お、お姫さま抱っこで」

「うん、抱え上げてみるよ。せえの!」


 ザパァン。ピチャピチャ。


「足、ドラム缶に当たるみたいだけど、曲げられないの?」

「無理。それができないから、今お願いしてるのよ」


「そっか、ゴメン。身長差がもっとあれば、ヒョイって出せるけど。うーん。抱っこしかないかな? あっ、君が両手をオレの首に回して抱きつくようにすれば、オレの両手が空くから足をなんとかできるかも?」

「そ、それはダメよ。いい案だけど、今の私の手は力が出ないから、つかまってられないの。それにその、お、む、胸が当たっちゃうし、ごめんなさい」

「ぶっ!」


 お、む、胸? 超弩級の攻撃を受けた気がした。 (モヤモヤァ)

 見えないからこそ、想像が止められない。あぁぁ~~っ。


「ちょ、ちょっとぉ。素っ裸で抱え上げたまま、停止しないで~っ! 恥ずかしすぎる……」


 え? 想像を抑えようとするオレの良心の欠片に、非情な王手の一撃。す、素っ裸で、停止? ぐぁっ。脳内が加速する。彼女の甘い声から放たれる言葉だからこそ、今の見えていない羞恥心全開な状態を120%補完するには充分過ぎた。

 見えてないけれど、今のオレの手のひらには、リアル黒子の柔肌がある。そしてその指先には、その先の小高い丘へと続く麓の一角。その柔らかさたるや……だ、だだ、だめだ、その先を想像しちゃ。


 リアル黒子に触れている感触は、刺激的過ぎる脳内黒子姿を、さらに妖艶に補完する。オレの心を絡めとるのにそう時間は必要なかった。う、でちゃ……っ……た。うぅ。見てもいないのに。想像に負けたこと。理性が欲望に抗えなかったこと。何より、早かったこと。複雑な敗北感から、一気に放心状態に。


「ちょっとぁ。聞こえてる? 何で止まってるの? 恥ずかしいよぉ」


 ハッ! 一気に我に返る。良心の呵責から、自分の情けなさから、涙が出てきた。君を汚すつもりはないのにこの背徳感。


「ご、ごめん。ズズッ」

 彼女を足が着くまでゆっくり下ろす。


「泣いてるの? そんなにひどいこと言ったかしら? ごめんなさい。でも恥ずかしかったのよ」


 違うんだ。ごめんなさいはコッチのセリフ。

 でも彼女の声とその表情は、甘美な誘い。さっきの背徳感もなんのその。軽々と吹き飛ばしていく。瞬く間に、再び心は彼女色に染めあがる。それでなくても、第一印象で既にずきゅぅん、と打ち抜かれ、話すごとに好感度はうなぎ登り。声と言葉の波状爆撃。粉々になったというか、骨抜きにされたというか。もう彼女には抗えないことを一方的に悟る。


「じ、じゃあ、抱っこして出すね。右手は右肩で、うん、ここだよね」

「そう。その辺」


「左手は両足の膝の裏から、太ももにかかるところだよね?」

「たぶんそのあたりかな」


 左手で位置を確認しようとずらしていく。


「腰はこの辺?」

「ひゃ。そ、そこはお尻の近くだよ……」


「ご、ごめん。もしかして足が長いのかな?」

「さぁ、どうだろう? 全身を見た記憶もないからわからない」


「じゃあ、この辺が膝裏の太もも寄りのところ?」

「あっ、そ、そこは太ももだけど、お尻寄り。そこでも良いけど……ちょっと恥ずかしい、か、な?」


 ずきゅぅん。


「ごごご、ごめん。じゃあ、この辺?」

「そう。その辺」


「じゃあ、抱き上げるよ?」

「お願いします?」

「せいのっ!」


 じゃぽんっ。いっせいに抱え上げた。と思ったら、思ったより軽かったから、勢いが少し余って後ろによろける。

 抱き上げたしなやかな肢体が自分よりに。少し傾き加減なうえ、落としてはまずいと腕に力が少しこもった。あ、自分の右胸部分に彼女の二の腕と、その上に感じたことのない柔らかな感触。こ、これは、お、、、。い、意識が飛びそうだ。グルグル、回る。顔が熱すぎる。きっと真っ赤になってると思う。顔を見られてたら恥ずかしい。


 彼女から、心配される。

「だ、大丈夫?」

「う、うん」


 バ、バレてないみたいだ。ふぃーっ。

「じゃあ、左に90度回転してくれる? そう。半歩くらい前に椅子があるから、そこに座らせてほしいの」

「わかった。この辺かな?」


「半分お尻が落っこちちゃうから、10センチくらい前。そう。そこで下ろしてくれる? うん、ありがとう。じゃあ、今度は右前に一歩進んで、左90度回転。その辺にもう一つの椅子と、桶と、シャンプーと、リンスがあると思うから、それで髪を洗ってほしいの」

「わかった」


「あっ、その前に。今までのでわかったと思うけど、私の身体、なぜかいろいろ空っぽになっていたのか、身体がうまく動かせないの。でも、お風呂に浸かって、血が巡ろうとするけど、うまく流れないみたいで、今の状態なの。最初にしてくれたみたいに、手と足をほぐすように、軽くマッサージしてもらえると、少しは自由がきくような気がするの。今お願いできる?」


「いいよ。そんなことくらい。いつでもやってあげるから、いくらでも言いなよ」

「ありがとう。嬉しい」


「じゃあ、まず肩から揉もうか? 先に首まわりと肩をほぐしたほうが、血の流れ的にはいいような気がする」

「お任せします」


「じゃあ、始めるね」

「あっ、気持ちいい。すごく上手だね。頭の憂鬱さが薄れていく感じ。あっ、肩も。そこそこ。う、うん。こんなの初めて。天才なの? 毎日お願いしたいくらい」


 彼女の甘美な声と言葉が、脳をくすぐり続ける。


「うっ、ふぅーっ、うん、はぅ」


 終いには怒涛の重爆撃。オレのハートを守り固める強固な理性の鎧は、するりと脱がされ、小さく細かく揺さぶりがかけられたかと思ったら、最後の漏れるような吐息に、オレの素っ裸のハートはもう粉々に……


「あああ、あの、その声、ししし、刺激的すぎて、心臓が爆発しそうで、その……」

「あああ、ご、ごめんなさい。変ですか? 私の声」


「いや、変じゃなくて、むしろ凄く素敵な声で、でも、だからこそ、とろけちゃいそうで」

「え? いや、凄いのはあなたのマッサージのほうで、とろけちゃいそうなのは私のほうよぉ」


 端から見たら、何? この二人、みたいな会話だが、理屈じゃない。もうオレの心は鷲掴み状態だ。いやいや、勝負なんてしてるわけではないけれど、何故か敗北を認めざるを得なかった。ん? なにに? 


「いやいや、もうオレの負け。降参です。す、すす」


 ここでやめておけば良かったのに、後から後から湧き起こる心の声の濁流の圧に抗えず……


「好きです。愛しています。結婚してください。初めて見たときから一目惚れです」


 あ、極度にテンパってしまって、思わず心の声が零れてしまった。あぁぁぁ、もぅ止まれない。突っ走るしかない。


「き、君のことをどこの誰かも、何が好きで何が嫌いかもよく知らないし、君みたいな可愛い子が振り向いてくれる訳ないし、既に心に決めた恋人がいるのかもしれない。でも、会って間もない短い時間だけど、記憶を失っている、まさに素の君を見て、今まさに素っ裸の君を前にして、目に見えている今の君以上の本当の君がいるのかもしれないけど、今の君未満の君がいることはない。今後、これ以上の君を知るしかない以上、今の好きから、それ以上の好きになる未来しか思い当たらない」


 もぅなにがなんだかわからなくなってきた。でも発した言葉は終わらせなきゃ。


「その愛らしい顔、声、仕草、思いやる心。打ちのめされた敗北感しかない。君のすべてを一生をかけて見ていたい。そして守っていきたい。心からそう思う。

……あ、ああ、言ってしまった。あわわわ。思いっきりテンパってた。ごめん、忘れてくれていいよ」


 黒子はぽかーんとするばかりだった。


「そそそ、そ、それは、ももも、もしかしてプ、プロポーズなの?」


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