第22話 僕、彼女と休憩するみたいです

 漫画を買って店を出るころにはすでに日が傾き始めている。自分には少々予想外な展開もあったが、彼女と過ごす時間は楽しくてあっという間だった。


「そろそろ暗くなってくるけれど、どうしましょうか?」


 彼女が聞いてくる。駅に近いから移動しやすいタイミングだが、時間的に多くの人で賑わっており、電車内が混んでいるだろうことは想像に難くない。


「少し夕食の買い出しをするくらいで帰りましょうか。荷物もありますしね。」


 本当はお昼に一旦帰って買ったものを置いてきても良かったのだが、一緒にいるのが嬉しくてそのままだった。そんなに重くはないとはいえ結構買いこんでいる。


「お休みだし外食でもいいんじゃない?」

「いえ、よろしければ今日は僕に作らせて下さい。好きな人と夕食の買い物するのちょっとあこがれだったんです。」


 我ながら恥ずかしいことを言ったと思ったが、彼女には素直に話すと決めたのだ。


「ふふ、それも楽しそうね。それじゃお言葉に甘えて鈴の手料理をお願いしようかしら。」

「ええ、ぜひ。」


 なんだか嬉しくも恥ずかしくて彼女の顔を見てもはにかんでしまう。

 行先は決まったので連れ立って歩く。はぐれないように、お互い荷物を持っていない方の手をつないで。


 人の流れに乗って混雑する駅の中を進み、在来線のホームへ入る。思った通りの混雑。もっとも、都内の電車の本数ならこの混雑でも案外すぐに乗れる。

 車内ではあいにく座る事は出来ず、ドア付近に立つことになる。


「福江さん、ドア側にどうぞ。」


 こういう時は男性が車内側に立って女性を守るものだといろいろな作品で見た。まぁ実際に体験するのは初めてだし、そういった作品は小柄な女性に覆いかぶさるよう長身の男性が守って立っていたものだ。自分が彼女を守ろうとしても胸から下を庇うくらいしか出来ないが、痴漢対策ならそれで十分だろう。


「だめよ。鈴は痴漢にあったばっかりでしょ。鈴がドア側になさい。」


 そう言って車内側に立ってしまう彼女。


「ですが、福江さんが痴漢に会ってしまうかも。」


 同じ痴漢に会う可能性があるなら、男の自分の方がマシだと思う。


「それじゃ、私の腰に手を回して荷物でお尻を隠してちょうだい。それなら大丈夫でしょ?」


 たしかに荷物で後ろを守るというアイディアは悪くない。ただこの方法には重大な欠点があった。


「ええと、それって僕が福江さんのお尻触ってしまうかもですし、密着しちゃいますし。」

「夫婦なんだから別にいいじゃない。それにもう動けないわよ。」


 彼女の言うとおり、すでに電車のドアは閉まり、発車してしまった。今更この混雑した車内で場所を入れ替わるのは困難だろう。仕方なく彼女の提案通り、荷物を持った手を彼女の腰に回してお尻を荷物で隠す。彼女はドアに手をつき、所謂いわゆる壁ドンみたいな体制になっている。

 電車がカーブにさしかかり、ドア側に引っ張られると、丁度ドアと彼女の胸に頭が挟まれる。顔を下に向けて辛うじて窒息するのを免れたが、彼女の胸に頭が、お尻に手が当たっている。公共の場で、一体自分は何をやっているのか。


「鈴、大丈夫?」

「な、なんとか。」


 彼女の柔らかさ、体温、香りで主に一部分が大丈夫ではない。スカートを膨らませるパニエのおかげでテントを張らずには済んでいるが。


「少しだから我慢してね。」

「は、はい。」


 頭の上から声がする。わざと押し付けているんじゃないかと思ってしまうほど頭が胸に密着している。彼女は体を支えるためにか、脚をドアへ押し付ける。あろうことか自分の脚の間へ。


「うっ……。」


 彼女の膝が股間に当たる。


(我慢しなきゃ。ひい。)


 硬くはなっているものの、歳のせいで性欲が減退しているおかげか暴発は免れている。それでも彼女の長い脚はこの体制でもその膝が容赦なくこちらの股間を刺激してくる。


「ふう。」


 心なしか頭上の彼女の息遣いが洗い気がする。この混んだ車内で上手く身体を支えるのが大変なのか。もしかしたら彼女の脚も不安定なこちらの体を支えるのに股間に当たっているのかもしれない。だとしたらその刺激が辛いなんて申し訳なくてとても言えない。

 もはや焦らしプレイのような状況で、駅に着くまで無心になることだけ考えるしかなかった。


§


 身体が熱い。彼を電車のドアに押し付ける形で抑え込んでしまっている。

 彼の顔が胸に当たり、私の鼻先に彼の頭がある。ウィッグ越しだが彼の香りを堪能してしまう。熱量は彼の温もりだけではない。身体の内側からこみ上げてくるよう。


(もう数分も無いんだから我慢しないといけないわ。)


 彼を押しつぶさないようドアに付いた手と片足もつま先をドアに押し付けている。ハイヒールで少しバランスが取りづらいとはいえ、片脚を彼の股ぐらへ突っこむ形になったのはまずかっただろうか。膝に硬い物が当たっている。

 そもそも私から車内側に立つと言ったのだ。彼は数日前に痴漢に会ったばかり。対して、自分は何度も混んだ電車に乗った経験はあるのに、一度でもそういう目に会ったことは無い。まぁ会わないに越したことはないけれど。彼の可愛らしさを引き出したのは良かったが、おかげでよからぬ輩を惹きつけてしまうのは不本意だ。


(でも、私だって。)


 彼が必死にしがみついてくる。腰に手をまわし、荷物をこちらのお尻へ。うつむき加減の頭が電車の振動でぐりぐりと胸元へ押し付けられる。実に愛らしいが、なぜだか彼を押し倒したい欲求に駆られる。昨日もだが、今までこんな気分になることなどなかったのに、彼にはなぜか性的な興奮を感じてしまう。


(こんなの我慢できないわ!鈴だってそうでしょうし。)


 膝に当たっているものが性的興奮無しに生理現象でそうなっているとは思えない。いや、思いたくない。彼だって同じ気持ちのはず。


(あそこに行ってみましょう。鈴だって嫌がらないでしょ。)


 行ったことが無いので場所は分からないが、調べればすぐ分るはず。電車を降りたら調べてすぐ彼を連れて行こうと決めたのだった。


§


 目的の駅を出て人通りを避けたところで少し休む。電車には10分も満たない時間しか乗っていなかったのにどっと疲れた。残念ながら体の熱は未だ逃げてはくれていない。

 日は傾きかけているが、人通りは衰えるどころかますます増えている。時おりこちらを見てくる人もいるが気にしていられる状態ではなかった。


「ここじゃ休まらないでしょ。少し歩ける?」


 スマホを見ていた彼女が言う。


「はい、大丈夫ですよ。」


 彼女に連れられ、手をしっかりと繋いで人の波へ戻る。そもそも人ごみは得意ではないのでそれだけでも辛いところであったが、彼女の手の温もりで我慢できる。

 いつも買い物をしているスーパーはここから歩いて数分だ。人は多いが流れているのでそこまで時間はかからないだろう。


(あれ?なんか違うところへ行ってない?)


 行く方向が違う。というかすでに通りすぎてしまったような。


「福江さん、どこへ向かっているんです?」

「夕飯の買い物の前にちょっと休憩しましょう。」

「は、はい。」


(どこかカフェにでも入るのかな。)


 たしかに少し疲れてしまった。多少休憩してからでも問題はない。そもそもそんなに急ぐ時間でもないしゆっくり買い物をしてから帰ってもいいだろう。


 少し人の減る裏通りの方へ歩みを進める彼女について行く。手を引かれているからついて行くしかないわけだが。そういえばさっき少し休んだとき、彼女がスマホを見ていたから、この付近で休めるところを探していたのかもしれない。

 いつの間にかホテルの看板がいくつか掲げてあるビルの間に差し掛かる。人通りが少なく、ビジネスホテルとかそういう雰囲気ではない。おそらく宿泊用じゃなくて男女の休憩所だと思う。


「福江さん?ここって……あの、その。」

「じゃあ少し休憩してきましょ。」


 迷わずその一つに入って行く。手を引かれているから拒否もできない。いや、拒否したいわけではないがいくら日が傾き始めたとはいえ。


「ええと、さすがに時間が早いんじゃ。」

「問題ないでしょ?鈴は嫌?」


 振り向かずに言う彼女。手はぎゅっと握られている。そりゃあアラフォーの夫婦だ。何の問題も無い。


「嫌じゃないですけど……。」

「じゃあ決まりね。」


 顔は見えない。ただ手を引く彼女は止まらずドアを開く。


「こういうとこ初めてで……。」

「私もよ。」


 気のせいか声が艶っぽい。手を引かれたままドアを潜ってしまった。もう覚悟を決めるしかないようだった。




 休憩を終えて外に出るとすっかり暗くなっている。手は指を絡めてしっかりと繋ぎ夕食の買い出しへ向かう。

 身体の火照りは未だ残っているが、頭はずいぶんすっきりした。まぁ休憩と言うわりに少し疲れたのはご愛敬か。もし一週間前の自分に、グラマラスな美女と結婚してホテルでご休憩すると言っても絶対に信じないだろう。それくらい世界が変わってしまった。もちろん良い方に。


「それじゃ買い物して行きましょうか。」

「はい。」


 連れ立って店に入る。カートの下に荷物を入れ、上にカゴを乗せて自分が押す。漫画を見ている時も思ったが、傍から見たら母親と娘だろう。あんまり失礼な気がして今も言わないが、もし彼女に言ったら怒るだろうか。案外笑われるかもしれない。

 とりあえず野菜の売り場へ連れ立って歩く。


「福江さんは何が食べたいですか?」


 好きな人と話ながら夕飯の買い出し。こういう事がしたかったのだと改めて思うと胸が熱くなる。もっとも漫画やらアニメやらで見たシチュエーションは女性の方が料理する場合が多かった気もするが、些細な事だ。


「そうねぇ。やっぱり精が付くものが良いし、お肉かしらね。」


 なぜ精を付けたいのかは聞かない方がいいだろう。というかさっきしたばかりではないか。もはや日課に近い寝る前の子作りはさっきの分とは別ということだろうか。


「そうですね。精が付くもの……。」


 嫌なわけではもちろん無いのだが体力的にちょっと。


「ふふ、なんなら栄養ドリンクでも買っていく?」

「いえ。明日は僕も福江さんの会社へ行くのでしょう?ほどほどにしておいたほうが。」


 揶揄からかうように笑う彼女を慌てて止める。もし止めなかったら朝まで――いや、さすがに自分も彼女も年齢的にそこまで持ちはしないか。毎日しているといっても、寝る前に1~2回だ。別に相談したわけではないが、少しずつ継続してやるという感じに落ち着いている。

 買い物中に考えることではないか。今は夕飯の献立だ。


「と、とりあえず主菜はお肉で。副菜は何にしましょうか。」


 話題を切り替えて野菜を見て行く。


「そうね、こうやって食材を買いに来るのも久しぶりだし。鈴は毎日来てるんでしょう?」

「こっちに来てからはそうですね。まだまだ野菜の選び方も料理も慣れてませんけどね。」


 少し苦笑してしまう。自分からやり始めたとはいえ1週間程度ではたかが知れている。


「そう?鈴はお料理上手だと思うけれど。あんまり無理はしないでね。」

「無理なんてしてませんよ。お料理するのも楽しいですし。」


 もちろんそれは食べてくれる人が居るから余計にだ。


「とりあえずご飯は炊いて、お味噌汁はワカメとお豆腐あたりにしようかと。副菜は煮物にしましょうか。」


 そう言って人参を手に取る。


「うーんこっちの方がいいかな。」


 野菜の見分け方はこのところ買い物に来るたび買わない野菜も見て覚えられるようにしている。しかし1人では確認しても合っているか分からないので上達しているのかも微妙なところだ。


「そうね。こっちのほうがいいわ。皮がつるんとして色も濃いし。」


 僕の取った人参を見てくれる福江さん。


「ありがとうございます。福江さんは家事が得意なんでしたっけ。」


 一通りできるとは言ってたと思うが、実際にやっているところは見たことが無い。


「ええ。花嫁修業だって母に仕込まれたから。一人暮らしの時はだいぶ役に立ったけど、やらなくなってから結婚するっていうのも皮肉ね。」


 そう言って苦笑する彼女。


「そうだわ。私も何か作ろうかしら。鈴には食べてもらってないし。」

「福江さんのお料理が食べられるなんて嬉しいです。それじゃあ副菜はお任せしますね。」

「ええ、まかせて。」


 嬉しそうに笑う彼女に自分も思わず顔がほころぶ。自分の憧れていたシチュエーションに今まさに置かれているというのは嬉しいような恥ずかしいような。

 ふと、冷蔵棚の方に目をやると、鏡のような棚の内側に自分たちの姿が写っている。慣れというか他に意識が行っていたせいというか、忘れていた自分の姿。金髪で装飾の凝った白いワンピースの少女。少なくともこんな格好で歩くことなど考えたことも無かった。


「どうしたの?鈴。」


 立ち止まった僕に彼女が顔を覗きこんで来る。


「いえ、その。改めて自分の格好がすごいなと。嫌ではないんですけど。」


 恥ずかしい気持ちは無くなっていないが、いろいろあって、美しくいなければならないという気持ちのほうが強くなっている。今の自分は客観的に見てどうなのだろうか。


「ふふ。大丈夫、今日も可愛いわ。私の自慢の旦那様よ。」


 嬉しそうに肩を抱き寄せてくる彼女。


「ありがとうございます。福江さんも今日もお綺麗で僕の自慢の奥様ですよ。」


 もっと自分の気持ちを伝えなければと思い、彼女の言い方を真似してみたものの、照れくさくてついはにかんでしまう。


「嬉しいわ。それじゃ張り切ってお料理しなくちゃね。」

「はい。僕も美味しい物作りますからね。」


 そう言って笑いあう。ただこの愛しい時間だけで、女装して過ごすことなど何でもないと思えてしまうのだった。

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