第21話 僕、自分の趣味を紹介するみたいです

 福江さんから僕の趣味を知りたいというリクエストを受け、漫画やライトノベル等サブカルチャー系の専門書店へとやってきた。駅に近い店舗で電車ですぐだったのもここを選んだ理由だ。

 ここは出版物だけでなく同人誌も含め各種漫画やライトノベル、小説を扱っている。多少CDやゲーム、グッズ等もあるが、とりあえず何も知らない福江さんに紹介するなら無難かと思ったのだ。あと、成人向けの書籍も扱っているが、そちらは紹介しないつもりだ。年齢的には何の問題もないとはいえ、配慮は必要だろうと思ったのだ。


「すごいわね。こんなにいろいろあると目移りしちゃうわ。全く知らないお店って不思議な感じがするわね。」


 知識の無い彼女からはどう見えるのだろう。もしかしたら午前中初めて布屋に行った時の自分と同じような感覚だろうか。


「そうですね。僕も布屋さんに行ったときはびっくりしましたけど。」

「ふふ、そうよね。鈴は生地の事なんて全然知らなかったみたいだもの。退屈だった?」


 福江さんが笑って聞く。


「そんなことありませんよ。いろいろ教えてもらえましたし、福江さんと布を選ぶのは楽しかったです。」


 お世辞ではなく、彼女との布選びは本当に楽しかった。もっとも、それがいずれ自分の着る服になるのかと思うと少し気恥ずかしくもあったが。


「それは良かったわ。それじゃあ今度は鈴がいろいろ教えてくれる?」

「もちろんです。まかせてください。」


 そう言って彼女と連れ立って店内を歩き出す。

 日曜日の昼下がりとあって店内は多少混んでいる。しかし、自分たちの方を見てくる人はほとんどいない。理由はカジュアルな装いの人や制服姿の学生に混じって少し派手なファッションをしている人が居るからだろう。今の自分程度の服装ならここなら少数だけど普通に居る程度なのだ。目立ちはするが気にするほどでもないというところか。

 あとはほとんどの人が真剣に本を選んでいて周りの人をあまり気にしていないせいもあるだろう。自分も一人でこういう店に来た時は、周りはぶつからないように程度しか気にせずほとんど本棚へ目をやっていた気がする。


「ええと、福江さんはどんなジャンルのお話が好きですか?ドラマとか映画とかでもいいので。」


 何の手がかりも無しに膨大な作品の中を歩くのは無謀というものだろう。もっともある程度漫画を嗜んでいれば、特に買うものを決めずに見て歩くのもおつなものではあるが。


「そうねぇ。話題作りのために流行りの作品を見たりするけど、ジャンルで見るものを決めたりはしたことがないのよね。鈴のおすすめや好きな漫画を聞きたいわ。」

「僕のですか?そうですねぇ……。」


 自分もそれなりに幅広く読んでいる。好きな作品も上げればきりが無いが、最近なら癒しを求めてノンストレスのゆるい作品か日常系が多い。さて、どれをおすすめするか。なんなら買わなくても実家から自分の蔵書を送ってもらうか、スマホで電子書籍版を試し読みしてもらったほうが手っ取り早いかもしれない。

 そんなことを考えながら新刊のコミック棚前にさしかかる。


「この辺りは新刊の棚みたいですね。あぁ、これとか読んでますね。丁度新刊が出てます。」

「へぇ、こういうのを読んでるのね。なかなか可愛らしいドレスだわ。」


 それは乙女ゲーの令嬢に転生してという系統のやつだ。だいたいこの辺の異世界は中世ヨーロッパあたりに近い世界設定だし、表紙の少女も貴族令嬢らしくフリルのあしらわれた可愛らしいドレスを纏っている。しかし、まっさきにキャラクターの服装に目が行くあたり、さすがファッションデザイナーである。ある意味職業病だろうか。


「これは貴族の御令嬢に転生する系のやつなのでドレス姿ですね。このジャンルだと中世のヨーロッパの貴族がモチーフなので女の子はドレス姿が多いですね。」

「そうなのね。装飾やデザインが変わっててなんだか面白いわ。」

「そう言われるとたしかに変わったデザインですね。今まで漫画のファッションとか気にしたこと無かったので、そういう着眼点は新鮮です。」

「そう?やっぱり服装が気になっちゃうのよね。」


 そう言って苦笑する彼女。それから順に棚を見て歩いて、読んだことのある作品を手に取っては内容を軽く説明していく。それに彼女は感心したように頷いて聞いてくれるが、やはりキャラクターの衣装には特に興味深々といった感じだった。もっとも、傍から見たらお母さんに漫画を説明している娘のように見えるのではないかとも思ったが、それは言わないでおいた。


 ある程度見てまわって、なんとなくファンタジー系で登場人物の多い、というか登場する服装の多い作品に興味があるようだと絞れた。当初の好きなジャンルがどれかという切り口ではないが、趣味の入門なんて興味がある所から入れば良いと思うので問題はないだろう。これで少しでも彼女が漫画を好きになってくれて、共通の話題でも出来れば嬉しい。

 もっとも、結局見た漫画は買わず、後で電子書籍で試し読みしてもらって、気になった漫画を買うということにした。実家の自分の蔵書は父に送ってもらうにしても、欲しい漫画を知識のない父に探してもらうのは難しそうなので諦めた。そのうち気兼ねなく帰れるようになったら自分で持ってきてもいいかもしれない。

 ざっとコミックは見たのでさてどうしようかと考えながら、いつも本を見に来る時の調子で店内の他のコーナーへ歩みを進めてしまう。もちろん彼女を連れ立ったまま。


 「こっちはずいぶん薄い冊子ね。」


 商業コミックの棚を過ぎて同人のコーナーに差し掛かる。まだ一般向けの棚とはいえこちらは説明しづらいところもあるので紹介する気はなかったが、まぁ多少見てもいいかもしれない。成人向けの方に行かなければいいのだ。


「この辺は同人誌ですね。出版されてない個人やサークルで作られた本です。言うなればアマチュア本といいますか……。プロが個人的に作った本もありますけど。この書店だと委託販売されてるので。」

「へぇ、そういうのもあるのね。」


 その辺の説明は触り程度しかしなかったが、思えば服だって、布を買って個人で仕立てるなんてこともあるし、そういった服を売ることだってあるだろう。上手く説明出来ていなかったが、福江さんにもなんとなくイメージは伝わったようだ。


「いろんな物を仕事でなく好きで作っている人っているのね。当たり前と言えば当たり前だけど。知識がない私が見てもすごいクオリティだと思うわ。まぁ私も仕事と関係ない服を作る時もあるから気持ちは分かるわ。」


 同人誌だけでなく少数ある同人のCDやゲームを見てなんだか感心している彼女。同じ物作りに打ち込む者として思うところがあるのだろうか。

 そして小説の棚を少し見てそのまま奥へ進んでいく。しかしその奥のエリアはちらりと見えただけでデートで突入するべきではないと分った。


「あっ、福江さん、そっちは……。」

「こっちって、あら?」


 止める間もなくどんどん進んでいく彼女。別に入ってはいけないというわけではない。成人向けの作品エリアだ。そこらじゅう、半裸や全裸の女性や少女が艶めかしく描かれた表紙で埋めつくされている。

 アラフォーの二人が入ったからなんだと言うことは無いのだが、少なくとも夫婦がデートで来る場所としてはどうなのか。というか夫婦でこんな漫画を見に来る人がどれだけ居るというのか。


「ええと、見ての通りです。成人向けのコーナーなので、ご気分が悪いようでしたら――。」

「面白そうね。こういうのも読んでみたかったのよ。見て行きましょう!」

「あ、はい。」


 予想外に嬉しそうに進んでいく彼女について行く。もっとも平積みになっているのはほぼ男性向けだ。女性向けのコーナーは別にあるだろうが、彼女はお構いなしに興味深げに眺めている。


「鈴もこういう本を買うの?」


 恥ずかしげもなく直球で聞いてくる。彼女は下ネタなど気にしないのだろうか。いや、それを言ったらこういう物を売っているお店に連れてきた自分に問題があるだろうが。


「ええと、まぁ、少しは。」


 気恥ずかしくて顔を背けてしまう。


「そうよね、鈴も男性ですものね。どんなの読んでるか気になるわ。教えてちょうだい。」


 気のせいか一般向けを見ていた時より熱が入っている。


「それは、構いませんけど。大丈夫ですか?その、性的な。ええと、わりと過激なやつもあったりするかもですし。」


 別に隠す気はないのだが、下手に性癖を暴露して引かれないかという心配もある。あと単純に恥ずかしい。ようやく女装に慣れてきたというのにまさか自分から羞恥心を煽られるところへ飛び込んでしまうとは。


「別に漫画なんだから過激でもいいんじゃない?読んで楽しむ分には誰にも迷惑はかからないんだもの。一緒に読んで、良さそうなら試してみてもいいかもだし。」

「はい。えっ?いや、一緒に?試してって……。」


 一体何を言い出すのだ彼女は。この1週間で彼女の行動力はある程度理解した。やると言ったらやりかねない。


「ほらほら、いろいろ教えてくれるって言ったじゃない。いきましょ。」

「は、はい。」


 一体何を教えればいいというのか。彼女に手を引かれるままいかがわしい本の海へと突入してしまった。

 それから見た目の年齢がどうとか、胸の大きさとか、シチュエーションとかなるべく深く掘り下げないように説明していく。さすがにプレイ内容とかいくらこんな場所でも説明できないと言ったら夜にベッドの上で教えるはめになった。平積みの新刊や雑誌、作家の五十音順と棚を過ぎてジャンルの特設コーナーにさしかかる。


「やっぱり胸の大きい女の子の本が多いわね。鈴もそういうのが好み?」

「いえ、胸はまぁそうかもですけど、あんまり子供みたいな見た目はちょっと。」


 ぼかして言ったが、ちょっとだけ嘘である。実は胸は小さめというかスレンダーで、ちょっと大人びた、なんならボーイッシュな感じの少女が好みだった。だったというのは、まぁ連日豊満な肉体に抱かれていれば好みも変わらざるおえないというか、惚れた弱みというか。

 そりゃあ漫画ならありえないサイズの乳房もあるが、そこに並んでいる漫画の表紙でも大きい方のサイズに比肩する人が今隣に居るわけで。


「たしかに小さい子が表紙の本もあるけど、だいたい高校生か大学生くらいっぽいんじゃない?あぁでも、この辺はおばさんっぽいわね。私の歳でもけっこういけちゃったりするの?」

「福江さんは美人でスタイルも良いですし、きれいなお姉さんですから。」

「ふふ、ありがと。でもこういうちょっと歳の行った女性でも需要はあるってことなのね。NTRって何かしら?」

「そこは……。あんまり、ええと。」


 ジャンルコーナーの一角にスペースは小さいが、彼女の言ったとおりNTRと書かれたものがある。他のコーナーに比べて年齢が上に見える女性の表紙が多く、妻とか奥様とかいった文字がタイトルについている物が多い。今の自分が一番読みたくないジャンル。


「どうしたの鈴?」


 言い淀む僕に、彼女がこちらの顔を見てくる。ただの漫画、フィクションだと分っていても胸がざわつく。


「いえ、その。NTRはネトラレ。つまり夫や恋人の居る女性が他の男にされるとか奪われるとか。」


 言葉が喉に引っかかる。ただのジャンルの説明ではないか。


「そうなのね。私は鈴以外の男なんてありえないけど。」


 彼女が後ろから抱きしめてくる。


「そ、そうなんですね。よ、良かったです。」


 後頭部に柔らかい感触。こんな売り場にいても、最近は慣れというか歳のせいというかいやらしい気分にはならなくなって来ていたのだが、この感触には抗えなかった。


「ふふ。鈴はこういうのはお気に召さないのね。あら、こっちのはコスプレ?」


 頭上からする彼女の声に本棚に目をやると、ジャンルの中にコスプレと書かれた一角がある。現実では廃れてしまった古いタイプのスクール水着やら体操服やらナース服やら、コスプレが題材の本というより、種々のコスチュームが目立つ作品を集めたコーナーらしかった。もっともそこは成人向けゆえ、着こんでいるよりはだけている表紙が多い。それらの中にメイド服の本もあり、家事用に自分が着ているものより長いスカートで、なんだか複雑な気分になる。


「面白いわね。する時は脱ぐものじゃない?」


 何を面白がっているのかは分らないが、疑問は分らなくもない。


「まぁ、着る場面や職業が限られる服とかは、そのシチュエーションが興奮するって人もいるでしょうし、裸より煽情的に見せる服なんて考え方もあるみたいですから。」


 正直このジャンルは聞きかじった程度の知識しかない。もっとも着た方が煽情的だというのは少し分る気がする。毎晩来ているシースルーのネグリジェだって、一緒にお風呂に居るときより煽情的だと思う。


「なるほど。より煽情的に魅せるための服か。そういう場面を想定した服って今まで考えたこともなかったわね。興味深いわ。」


 真剣な表情で言う彼女。そういえば彼女の服は、自分が見た範囲だが可愛らしさや美しさが際立つものばかりだった。セクシーなデザインは彼女が着る服に多少あったと思うが、成人向け漫画の性的アピールを表現した服装とは似て非なるものだろう。

 女性の美しさを表現するためのセクシーさと性的興奮を高めるものでは、結果的に男性を惹きつけるという効果は同じでも、想定された場面や用途はまったく違うものだ。まぁ理屈で理解しても実際に分っているかといえばまったく自信はないけれど。


「ちょっと参考にしたいし、内容も読んでみたいから、この辺買っていきましょう。」

「えっ?参考って何のですか。」

「まぁいろいろよ。後で一緒に読みましょ。楽しみだわ。」


 何の参考にするのか考えるのは怖いが、男女の営みであるなら、先ほどの彼女の言葉からすれば相手は自分以外いないわけで。

 いや、それよりもウキウキとした様子でいかがわしい表紙の漫画を何冊か手に取る彼女。そのままレジへ向かおうとするのを慌てて止める。


「待って下さい。えっと、お会計は僕がしてきますから。」

「そう?別にどっちが払ったって同じじゃない?」

「いえ、ここのポイントカードも持ってますし。福江さんはもう少し成人向けじゃない方も御覧になられては?」

「そうなの。それじゃお言葉に甘えようかしら。荷物は私が持っておくわね。」

「すみません。すぐお会計済ませてきますので。」


 手荷物を渡し、彼女から本を受け取りレジへ向かう。地元でもここのチェーン店は車で1時間程だし、ネット通販も利用するので会員証は持っている。だがそんなことは言い訳で、彼女をこの本を持ってレジに行かせてはならない気がしたのだ。

 別に彼女が買っていけないわけではないが、図らずも成人向け漫画を紹介してしまったことに罪悪感が募る。なんだか申し訳なくて、そういう本を恥ずかしげもなく持つ彼女が人目に晒されることを阻止したかったのだ。それならいっそ自分が恥ずかしい思いをするほうがマシだった。


 近くにあった買い物かごを取り、彼女が選んだ本を入れるとレジへ並ぶ。人数はさほどでも無いのに、待っている時間がやたら長く感じてしまう。幸い店が店だけにじろじろ見てくる人は皆無。成人向けの商品があるのだから買う人が来るのは当然。ならお互いに見ないよう気を使っている雰囲気がある、というのは勝手な想像だろうか。

 ただ、今の見た目で成人向けの漫画を買おうとして、果たしてすんなり行くだろうか。未成年と思われて身分証を確認される可能性も考えた方が良いかもしれない。

 緊張で手汗が滲む。今日は手袋をしていないが、慣れない指輪がじっとりと蒸れている感じがする。とりあえず先に自分の財布を取り出し、会員証も出しておく。


 ついに自分の番が来てレジに買い物かごを置く。少しでも早くレジを済ませたくて会員証も置いておく。

 対応してくれたのは生憎と、若い女性の店員さんで余計に緊張してしまう。しかし自分の気持ちなど知る由も無い店員さんは、何事もなく商品をうち、あっさり会計が済む。ありがたいことに商品は中の見えない袋に入れてくれ、受け取ってレジを離れる。


 成人向けの漫画とはいえただの買い物にこんなに緊張するとはいつ以来だろう。思った以上に手が汗で濡れていた。こんなに無駄な緊張をしていたのかと少し可笑しく思いつつ、そっとハンカチで手汗を拭い、待っている彼女のところへ向かった。

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