第20話 僕、彼女と趣味を楽しむみたいです
「今日はどうしましょうか?」
朝食を終えたダイニング。コーヒーを淹れ終え、彼女の前に座りながら聞いた。すでに着替えも終えている。福江さんは胸元が花のレースで飾られた白のロングスカートワンピースで、自分は上品なフリル装飾が特徴的なやはり白いワンピース。こうお揃いだとやはり親子という感じがするが、二人の左手薬指にはペアリングが光っている。
「そうね。せっかく会って1週間だし、またデートしましょうか。」
そう言ってミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒーを口にする彼女。
「はい、ぜひ。」
自然と笑みがこぼれてしまう。飲んだブラックコーヒーの香りが鼻を抜ける。
「鈴は行きたいところある?」
彼女がまっすぐこちらを見る。
「特には。一緒にいられればどこでも楽しいなって。」
言っていて自分で照れくさくなって下を向いてしまう。視界端に自分の頭から垂れたふわふわロールの金髪ウィッグが一対揺れているのがなんだか不思議な光景だ。
「そう言われちゃうと嬉しいけど困るわね。うーん。それじゃ、とりあえず私の行きたい所に付き合ってもらっていいかしら?」
窓から差し込む光に、白いカップを持った彼女が映えて美しい。まるで一枚の絵みたいで見惚れてしまう。それでも、彼女の言葉にはすぐに反応出来た。
「もちろんです。どこでもお供しますよ。」
「ふふふ。じゃあ今日は一日お買い物ね。」
嬉しそうに笑う彼女。しかし、彼女の行きたい所とはどこなのだろう。行ってみたら彼女のことがもっと知れるかもしれない。いや、知りたいことがあるならば彼女に直接聞けば良いのだが、彼女のやりたいことを一緒にやることで理解するのもまた良いだろう。
彼女の顔を見ながら素敵な一日を思って飲むコーヒーは格別の味だった。
小さな駅を出て少し歩くと、ビル街の中に昔ながらといった感じの商店がいくつか並んでいる所に出る。福江さんが行きたいと言っていたからおしゃれな店を想像していたが、思わぬ店構えだ。
しかしその店の商品を見て合点が行く。
「ここに来るのも久しぶりね。」
彼女に連れられて入る小さめの店には色とりどりの様々な布地が所狭しと並べられている。ほとんどがロール状に巻かれて計り売りになっているようだ。
「こんにちは。」
「いらっしゃい。あらぁ、福ちゃん!久しぶりだねぇ。元気だった?」
福江さんのあいさつに返事をして出て来たのは品の良いおばあさん。実に嬉しそうに笑っている。
「ええ、おかげさまで。ずいぶんご無沙汰してまして。」
「ほんとよ。でも元気そうで安心した。そっちの子は娘さん?」
おばあさんは福江さんの手を握りながらこちらを見る。
「違うわ、私の旦那よ。新婚なの。」
「あらぁそうだったの。素敵な旦那様ねぇ。」
「設楽鈴之助です。こんにちは。」
おばあさんに手を握られ、あいさつする。しかし今の自分の格好は、白いワンピースに金髪の縦ロールウィッグである。これを旦那と紹介されてあっさり受け流すあたりは歳の候だろうか。
「はい、こんにちは。鈴之助さんねぇ。とっても可愛らしい。」
「でしょ?うちの旦那可愛いでしょ。」
福江さんはご満悦だ。
「それで、今日は結婚報告に来てくれたの?」
「ええ。それもあるけど、鈴に服を作ろうと思って。いろいろ見せてもらってもいいかしら?」
「もちろん。好きなだけ見て行ってちょうだい。」
お礼を言って福江さんは店内の布を見始める。自分も彼女について行く。
「ここはね、学生のころから通ってるの。昔からの布の問屋さんなのよ。」
「そうですか。学生のころから服作りを?」
嬉しそうに布を見ている彼女に聞く。
「ええ。高校生の頃、演劇部の手伝いで衣装作りをしてね。そこから自分で服を作ったりデザインに興味を持ったの。お裁縫自体は母から教わってたんだけど、本格的に
布地を見る福江さんはなんだか少し遠くを見ているように感じる。
「じゃあ、ご自分の好きな事を仕事にされたんですね。すごいなぁ。」
彼女の才能や行動力に改めて感嘆の声を上げてしまう。大学まで出て夢を諦めてしまった自分には眩しすぎる。そんな彼女が求めていたモノの一つが自分で本当に良かったのだろうか。
「まぁ、好きでやってるのは確かなのよ?でも仕事でするのと趣味でするのは違うから、息抜きに自分の好きな服を作る時もあってね。でも、最近どうも手につかなかったのよね。」
彼女の瞳が少し憂いを帯びているように見える。
「そうですか。僕に何かお手伝いできればいいんですけど。」
そう言った途端、彼女の目がキラリと光を取り戻したようにこちらを見る。
「ふふ。それじゃあお言葉に甘えていろいろ作っちゃおうかしら。作るモノが思い浮かばなかったのは鈴に会う前までの話。あなたに会ってからは着せたい服が沢山思いついてもう何から作ろうか迷っちゃうくらいなのよ。」
にこにこと笑いながら言う彼女。笑ってくれるのは素直に嬉しいが、一体どんな服を着せられるか一抹の不安がよぎる。
「お、お手柔らかにお願いします。」
それから二人で布を選んだ。布地もいろいろな材質があり、色も同じようで風合いや質感が違うものも多い。彼女に好きな色や手触りを聞かれながら一緒に様々な布を確認する。店のおばあさんは少し多めに布地を切ってくれたり、僕らの話を聞いて店頭に並んでいない布地も出してもらった。気が付けば持ってきた大き目のバッグは色とりどりの布でいっぱいになっていた。
「それじゃあ、いろいろありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそ。いろいろ買ってもらって大助かりだわ。」
そう言っておばあさんは笑う。
福江さんは作りたい物も決めずに、とりあえず気になった布を次々選んでおり、それをそのまま買ったものだからこんなことになっていたのだ。僕も趣味の本を、お金に余裕がある時、とりあえず気になったものを何冊も買ってしまったことがあった。結局すぐに読み切れず積んでしまったわけだが、彼女ももしかしたらそんな感覚なのかもしれない。
「そのうち出来た服を見せに来るわね。それに、いつか子供が産まれたら一緒に来たいわ。」
「あら!それは長生きしなくっちゃね。」
いつかなんて福江さんは言ったが、彼女が酔って帰った日以外は毎日励んでいるのだ。問題が無ければ来年には産まれているだろう。
「ええ。ご自愛くださいね。それではまた。」
「ええ。またねぇ。二人の赤ちゃん楽しみにしてるから。」
にこやかに手を振っておばあさんと別れた。
「だいたい欲しいものは買ったわね。」
「そうですか。どんな服が出来るか楽しみです。」
あの後いくつか店を周って、フリルやレース、糸等布地以外のものもいろいろと買い集めた。時間はそろそろお昼になるだろうか。
「鈴、お昼はなにが食べたい?」
福江さんが顔を覗いてくる。しかし、昼ごはんのことなどまったく頭になかった。
「えっ?ラーメン――、あ、いや福江さんの食べたいもので。」
とっさに思いついたものを言ってしまいあわてて訂正する。
「ふふっ、いいわね。久しぶりに食べに行きましょうか、ラーメン。」
「福江さんでもラーメンとか召し上がられるんですね。」
「あら、意外だった?」
口を尖らせる彼女。失言だっただろうか。
「いえ、その。深い意味は無くて、ちょっとイメージ出来なかったと言いますか。」
右手は福江さんの買った荷物を持っているので、左手だけを振って違うとアピールする。
「ふふ、別に怒ってないわよ。ただ鈴が私をどんな風に見てるのかなと思っただけ。」
いたずらっぽく笑う彼女に安堵する。
「どんな風と言われると。ええと、良い家柄で育ちが良くて、庶民的な事はあまり知らないのではと。すみません。」
1週間彼女とすごした正直な感想だったが、勝手なイメージでもある。
「そんな風に思ってたの?別に一般的な家庭で育ったのよ。まぁ父親が厳しかったからちょっと人より知識が無い事もあるかもしれないわね。でも特別お金持ちだったわけじゃないし、ファッションデザイナーとして独り立ちした頃なんてお金が無くてだいぶ切り詰めた生活してたりもしたのよ?」
「いろいろとご苦労なされたのですね。」
やはりまだまだ彼女のことは知らない事が多いと思い知らされる。
「まぁ家を出てからは大変だったけど、あの頃は夢中だったからあんまり考えてる余裕はなかったわね。今思うとだいぶ無鉄砲だったわ。」
彼女が苦笑する。そのうち昔話をしてくれるだろうか。これから時間は沢山ある。
「さて、それじゃどこのラーメンが良いかしら?」
そうだった。今はお昼ご飯の話をしていたのだ。
「自分で言ってしまってなんですけど、本当にラーメンで大丈夫ですか?お洋服とか髪が汚れたりするんじゃ。」
初デートの時は女性の服や髪が汚れる汁ものの食事は避けろと昔何かで読んだ気がする。まぁ初デートではないし、彼女の服や髪はもちろん、自分の服やウィッグも汚さないよう気にしないといけないのだが。
「大丈夫よ。大き目のハンカチを持ってきてるから前掛けにすれば良いし、シュシュや髪留めもあるからね。」
「さすがですね。僕はそこまで気が回りませんでした。」
いくら見た目が女の子になっても、そういう気配りが出来ない事辺り、やはり自分はおじさんなのだ。
「普段から必要にかられて持ってるだけよ。だから気兼ねなく食事を楽しみましょう。それで、どんなのが良いかしら?出来ればあっさり目の方が良いのだけど。」
「そうですね。僕も、歳のせいか濃厚なのはもたれるので。近くであっさり目のラーメン屋さんを探してみます。」
そう言ってスマホを取り出す。
「そうね。なんだかんだ言ってもアラフォー夫婦ですからね。」
見た目は歳不相応とはいえ、妙なところで同年代の感想が出てしまい、思わず二人で笑ってしまうのだった。
お昼を食べ終え、福江さんの買い物が終わったのであればあとはノープランだ。彼女が早速服作りに取り掛かりたいのであればすぐに帰ってもいいのだが、もう少し二人での外出を楽しみたい気もする。
「実はね、鈴。この後も一緒に行きたいところがあるの。」
彼女が真剣な顔で言う。
「どこですか?福江さんの行きたいところって。」
なんだか今までと雰囲気が変わった気がして、ゴクリと唾を飲む。
「それはね……、鈴の好きなところ。」
「えっ?僕のですか?」
予想外の答えに思わず目を丸くしてしまう。
「そうよ。鈴も趣味があるでしょ?ぜひ知りたいの。」
嬉しそうに言う彼女。
自分の趣味と言えば読書とゲームくらいか。ハードカバーや実用書なんかも時折読むが、ラノベや漫画がほとんどだ。
彼女の家にあった本と言えばファッション雑誌くらいで、そういったものはまったくなかった。ましてテレビゲームなど彼女はするのだろうか。
いや、テレビゲームと言う表現がすでにおじさんなんだろうと少し思ったが、彼女だって同年代ならむしろその方が判りやすいかもしれない。もっともテレビゲームと言いつつゲーム機だけでなくパソコンやスマホのゲームだってそれなりにやってはいた。こちらに住んでから1週間、ゲーム機は持ち込んでいないし、いろいろあったせいでスマホのゲームすらやっていないが。
「ええと、そうですね。小説とか漫画とか、あとテレビゲームとか。福江さんはそういうのは全然分からないですかね?」
恐る恐る聞いてみる。そういった趣味は女性受けしないと何かで見たのは何年前だったか。それ自体古い考えなのかは分からないが、彼女は自分と同年代。嫌がられる可能性も高いのではないかと不安になる。
「そうなの。私はそういうの全然分からないのよね。父親が厳しくて漫画とかアニメとかゲームとか中学に上がった頃からほとんど禁止だったから。少し興味はあったんだけど、本当に何も知らないと手の出しようがなくって。ぜひ教えてほしいわ。」
予想外の反応だった。知らないからこそ興味があるというのは分からない話ではないが、僕に合わせてくれているのだろうか。
「それじゃあ、ええと、近くの書店を調べますので少し待って下さいね。」
「ええ、よろしくね。」
さて、まったく知らない彼女にどうやって自分の趣味を教えるべきか正直悩んでしまう。いろいろなものを見せるよりはとっつきやすそうな漫画に絞ったほうが良いか。ならジャンルの幅広いところが良いだろうし、専門店の方が良いだろう。
正直都内の地理など1週間程度ではさっぱりだが、むしろ地元では車で1時間はかけないと行けなかったり、そもそも店舗が無かったりした有名チェーン店が都内なら数十分の範囲でよりどりみどりだ。
あまり時間をかけて悩んでも仕方ないと、同じチェーン店を利用したことがあって近い店に行くことにした。
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