第23話 僕、紹介されるみたいです

 マンションのエレベーターが階下へ向かって降りていく。何度も使っているのに、今日は初めて乗った時のような緊張が襲ってくる。

 エレベーター内の鏡に移る自分の姿は髪はブラウンでふんわりしたセミロング。服は白のブラウスに、黒の上品なスカート。脚はレースタイツにブーツ、手には装飾が控えめなバッグだ。

 ファッション雑誌を読み始めた程度の自分にはコーディネートの理解はまだ及ばないが、妻の見立てが間違いなく素晴らしいものだろうことは分る。ただし、39歳のおじさんが着るものだと思わなければであるが。


「福江さん。」

「なにかしら?」


 手をつないで隣に居る、深い紫のフォーマルドレスの彼女が視線をこちらに向ける。もっとも緊張で彼女の方は見られず、鏡に映った姿を見たのだが。


「僕はその、大丈夫でしょうか?見た目とか。」

「ええ。今日も可愛いわ。」

「ありがとうございます。福江さんも今日もお美しいです。」

「ふふ、ありがとう。」


 そうではない。見た目におかしなところが無いかということではなくて、この見た目が39歳のおじさんだと受け入れてもらえるかだ。

 今日は福江さんの会社へ行くのだ。前から挨拶の内容や心の準備はしてきてはいる。だが、いざその時が迫るとやはり脚が震えてくる。


「鈴、緊張してる?」

「そうですね。受け入れてもらえるかちょっと心配で。」


 自然と気持ちが言葉に出る。なんでも話すと意識してきたことが少し身についたのだろうか。


「大丈夫よ。みんな私が選んだいい人ばっかりだから。」

「はい。」


 彼女の会社の社員ならなんとなく大丈夫そうではある。だが、実際に会ってみないとどうなるかわからないという思いの方が強く、緊張はほぐれてくれない。

 だからといってエレベーターが待ってくれるはずもなく、あっという間に1階へ。

 マンションから出ると1台の車が止まっており、一人の凛としたスーツ姿の美人が立っている。


「社長、おはようございます。」

「おはよう典子ちゃん。」

「お、おはようございます。」


 会釈するスーツの彼女に思わずこちらも頭を下げてしまう。


「鈴、この子が典子ちゃん。うちの総務部長で、家事の達人の友達ね。」

「はじめまして。川島典子かわしまのりこと申します。」


 紹介されたスーツの彼女、川島さんが深々とお辞儀をする。


「典子ちゃん。彼が私の夫の鈴よ。」

「設楽鈴之助です。よろしくお願いします。」


 自分も福江さんの紹介に合わせてお辞儀をする。


「こちらこそよろしくお願いいたします。お噂はかねがね伺っております。」

「ど、どうも。」


 一体どんな噂かは聞きたくないが、この姿の自分が福江さんの夫と紹介されてもまったく動じない所を見るに事情は知っている方なのだろう。

 あいさつもそこそこに促されるまま、川島さんの開けたドアから車の後部座席へ福江さんに続き乗り込む。川島さんはドアを閉めると運転席へ乗り込み、車を出した。


「いつもわるいわね典子ちゃん。」

「いえ。通り道ですのでお気になさらず。」


 福江さんに答える彼女。バックミラー越しに見えるその表情はまったく変わらない。


「川島さんはいつも送り迎えをされているんですか?」

「いえ、朝だけです。私の自宅から会社の途中に社長のご自宅がありますので、一緒に通勤していただいたほうが効率的ですので。」

「そ、そうなんですね。」

 彼女の声に少し気圧される。


「な、なにか怒らせてしまったでしょうか。」

 小声で隣の福江さんに聞く。


「ふふ、大丈夫よ。ちょっと顔に出すのが苦手なだけで、別に怒ってるわけじゃないから。さすがに直接会って驚いてるみたいだけど。ねえ、典子ちゃん。彼、可愛いでしょ?」

「ええ、39歳の男性とは思えません。近くで見ても完璧な可愛らしさだと思います。」

 淡々と言う。福江さんの言う驚いている感じは微塵も感じられない。


「ありがとうございます。川島さんもお綺麗な方で驚きました。」

「恐れ入ります。よろしければ典子と呼んでいただければ。」

 運転しているのだから振り返れないのは当然だが、それにしても声色も全く変わらないのには不安が募る。それに初対面の女性をいきなり名前で呼ぶというのは自分にはいささかハードルが高い。


「お、お名前でお呼びしてよろしいのでしょうか?」

 また小声で福江さんに声をかける。


「もちろん。名前で呼び合った方が親しみやすいでしょ。それにもし結婚したら苗字は変わっちゃうから。」

 なるほど、彼女の言う通りだ。川島さんなりの気遣いなのだろう。なら名前で呼ぶ他無い。


「わかりました。典子さんはご結婚されるご予定が?」

「いえ。婚活は失敗続きですので。」

「し、失礼しました。」

 今のは表情がどうとか関係なく完全な地雷だと分る。余計なことを言わなければよかった。


「まぁ、私も協力するから。典子ちゃんならちゃんとした相手が見つかれば結婚なんてすぐよ。」

 すぐにフォローしてくれる福江さんは本当に頼もしい。


「僕も出来る限りお手伝いします。何が出来るかわかりませんけれど。」

「ありがとうございます。」

 彼女の口調から心情は推し量れない。とりあえず何か言わなければならない気がする。


「ええと、僕も名前で呼んでもらえれば。」

「わかりました。では、これから鈴さんとお呼びさせていただきます。」

「ええ。よろしくお願いします。」

 彼女の言葉に微笑んで言葉を返す。運転席からこちらの表情が見えるかは分からないけれど。

 しかし初めて紹介された典子さんの反応からして、会社に着いたらどうなるか不安ばかりが募ってきていた。


 程なくしてビル街の一角にある福江さんの会社へ着いた。建物は綺麗になっているもののあまり新しいとは言えないビルだ。車は裏手の駐車場へ。降りた後は典子さんに1階の応接室と書かれた部屋へ案内された。


「こちらで少しお待ちください。」

「わかりました。」


 応接室は派手さはないが品の良い応接セットが置いてあり、全体的に落ち着いた雰囲気になっていた。


「こちらの会社は長いんですか?」

「まさか。まだ5年目よ。まぁビルはオフィスだったのを丸ごと居抜きで借りて手直ししたから、ちょっと古いわね。」

「そうなんですね。」


 彼女の説明に納得する。場所も駅からそう遠くない所だし、起業してすぐビルを建てるほどの資金があるとは思えないからだ。だが、彼女の生活ぶりからするにその5年間の経営は上手くいっているのだろう。

 しかしどうにも落ち着かない。応接室のテーブル、壁、観葉植物、壁掛け時計、ブラインドで外が見えない窓。視線だけ動かして気を紛らわそうとするがまったく上手くいかなかった。

 ふと手を彼女が握ってくる。


「ふふ、大丈夫よ。そんなに緊張しなくっても。」


 少し冷たい彼女の手。なんだか安心する。


「あ、ありがとうございます。」


 それからどれくらい経ったのか分からないが、ふいに典子さんが入ってきて、部屋の外へ案内される。少し深呼吸をして、福江さんと手を繋いだまま応接室を出た。


§


 今朝も始業時間になって、総務と営業の朝礼がいつも通りに進む。俺――雲居陽介くもいようすけを含む営業部のメンバーは向かって左側、右側は総務部の社員が並んでいる。多少違うところがあるとすれば総務の川島部長が居ないくらいか。

 階に上がる際すれ違って挨拶したから出社はしているし、用事があるのだろう。おかげで朝礼の進行は営業の安藤部長がやっている。背は高めで自分と同じくらいだが、瘦せ型なのでひょろりとした印象がある。少しシワの刻まれた顔はとぼけているようで、その飄々とした語りは気づけば余計なことまで喋らされてしまうなかなか侮れない人だ。


 昔居た会社で朝礼といえば朝の一言だとか持ち回りで無駄なスピーチをさせられ、10分以上朝の貴重な時間を使わされた。ここはあいさつと全体への連絡事項くらいでものの数分で終わる。まぁどちらが良いかは人によるだろうが、自分は効率的な方が性に合っている。


 取り合えず朝礼が終わったら会社のSNSの更新と、ホームページ用の新作告知のページを手直しして、写真が上がり次第差し替えられるようにしよう。そう仕事のことを頭の片隅で考えていると、連絡事項が終わったところへ川島部長が入ってくる。


 「みなさん、社長からお話がありますので少しお待ちください。」


 朝礼が珍しく延長される。以前に朝礼が延長された時は、任意参加の飲み会の呼びかけと、一度だけ発売が延期になったことくらいか。

 熟考する間もなく社長が美少女を連れて入ってくる。今年出した服の中でも落ち着いた色合いの物を纏っている。うちのモデル二人や、なんなら社長や川島部長だってかなりの美人だが、連れられた小柄な少女は彼女らとは方向性の違う、なんというか可愛らしい印象の美人だ。


「みなさん、おはようございます。」


 社長のあいさつに、おはようございますと全員で返す。


「突然なんだけど、紹介したい人が居るの。私、結婚することになってね。さぁ、鈴。」


 結婚、という響ににわかにざわつきが起こる。しかし結婚とその少女と何の関係があるのか。


「初めまして。この度、福江さんと結婚することになりました、設楽鈴之助といいます。ええと、福江さんのご提案でこちらの服を着させていただいておりますが、身も心も男です。これから、会社のお手伝いをさせていただくことになりますので、どうぞよろしくお願いします。」


 そういって深々と頭を下げる彼女――いや、彼か。意味が分からない。というか、言っている内容は分るが目の前の光景が噛み合わなくて混乱する。

 一瞬の沈黙が部屋を包む。それから困惑や疑問の「え?」と言う声が周りで沸き起こる。しかし、それを当然とばかりに嬉しそうな笑みを浮かべる社長。


「うちの旦那可愛いでしょう。私も結婚したから設楽福江になります。彼が総務や営業と仕事をすることはほとんど無いと思うけど、仲良くしてあげてね。」


 満足そうに言う社長に、少し恥ずかしそうにしている旦那さん。社長がそう言うのならそうなのだろう。むしろ、破天荒なうちの社長には相応しい伴侶だと言えなくもない。とりあえず拍手を送る。

 するとつられて周囲からも拍手が沸き、おめでとうと口々に声が上がる。


「みんなありがとう。」

「あ、ありがとうございます。」


 嬉しそうに礼を述べる二人はとても夫婦には見えないが、イケメン長身の男とか筋骨隆々な男と夫婦だと言われるよりしっくりくるのは、社長のこれまでを知っているからだろうか。


「社長、質問です!」

「なあに花岡君?」


 自分と同じ営業部の花岡昌士はなおかまさしが声を上げる。気さくで、少々暑苦しく思えるようなタイプだが、以外にも気が回る出来る男だ。


「旦那さんの御年齢は?」


 こういう時に聞きにくい事をさらりと聞ける辺りがさすがだ。安藤部長にも通じるところがある。


「私の1つ下よ。」


 ということは39歳の男性が目の前の美少女の正体ということになる。自分は顔に出ずらい方だがこれには驚きを隠せない。周囲からも「えーっ!」とか「見えない!」とか声が聞こえる。

 うちは20代後半から30代の社員が多く、一番年上の安藤部長だって50には届かない。40代は安藤部長と社長だけだから彼はこの見た目で会社でも上から数えた方が早い年齢ということになる。自分よりも10歳以上年上とは正直驚愕だ。


「ね?そんな歳には見えないくらい可愛いでしょ?」


 社長が笑う。周囲から「可愛い」とか「素敵」とか主に女性社員の声が聞こえる。会社の扱っている商品故か、女性社員の方が多く、男は自分を含めても3分の1といったところだ。

 その女性社員たちの嬉しそうな声は、社長の旦那さんだということを考慮しても、お世辞抜きに言っていると思う。そのくらい彼の容姿は可憐な美少女そのものだ。本当に人間なんだろうかと思ったのはさすがに失礼過ぎるか。


「ありがとう。それじゃ話はこれだけだから、今日もお仕事よろしくね。お昼は食堂に居るから個人的に聞きたいことはその時に。」


 そう言って社長は、もう一度お辞儀をした旦那さんを連れて部屋を出ていく。それからしばらく、皆仕事が手に付かないだろうことは想像に難くなかった。


§


「次はこちらの部屋です。」


 階を移動し、別な部屋のドアに手をかける典子さん。

 営業と総務の方々が居た階での挨拶は正直生きた心地がしなかった。社長である福江さんの手前、貶されることは無いだろうとは思っていたが、驚きと困惑、可愛いという声も正直居心地が悪かった。それに祝福の言葉を大勢から言われるのもなんだか慣れなくて恥ずかしいというのもある。

 しかし、心を落ち着ける間も無いまま、次の部屋のドアが開かれる。


「みなさん、少しよろしいでしょうか。社長からお話がありますので。」


 典子さんが先に中に入って言う。先ほどのフロアと同じようにその後福江さんについて部屋の中へ。

 広さは先ほどのフロアより少し狭く、奥にドアがついているので別室があるのだろう。大きなテーブルと壁際にPCデスク。テーブルの上には資料らしきものがいくつか置いてある。その周囲にはトルソーもいくつか置いてあり、中にはロリータファッションのドレスが着せられているものもある。

 先ほどの個人の作業デスクが集まったいかにもオフィスと言った感じとはまったく違う部屋だ。今は中に居る4人全員が自分たち3人の前に集まっている。


「みんなおはよう。」


 福江さんのあいさつに4人があいさつを返す。女性3人に男性1人。見た感じ全員アラサーぐらいか。さっきのフロアと同じように福江さんに促され、あいさつする。

 さっきとは違い、「おぉ」とか感嘆の声とおめでとうと祝福の言葉と共にすぐに拍手される。


「もしかして、先週渡された寸法って旦那様のものですか?」


 ふわりとしたくせ毛の髪にメガネの柔和な女性が聞いてくる。


「そうよ。彼に合わせてもらうことも増えると思うし。鈴、彼女はデザイン企画部の部長の麦島むぎしまめぐみちゃんよ。」

「麦島です。よろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いします。」


 彼女のお辞儀につられてこちらも頭を下げる。


「社長も若くて素敵な旦那さんを見つけられましたね。」


 4人の中で唯一の男性が言う。さわやかな風貌で背もそこそこ。いや、福江さんが特別高くて、典子さんもそれなりに長身。他の女性は低めというか自分と大差ないから平均より少し上くらいか。極端な人が居ると比較がおかしくなる気がする。


「ところが、彼ね、私の1つ下なの。」


 これには流石の4人も「ええっ」と驚きの声を上げる。もう自分の事で何度驚かれたか忘れてしまった。


「鈴之助さんは普段から女装されて居るんですか?」


 麦島部長さんが聞いてくる。


「ええと、福江さんと一緒になってからは毎日ですが、元々女装の趣味とかあったわけではないです。」


 毎日こんなファッションで居るのに、そんな趣味はないというのもおかしな話だ。しかし、福江さんの出した結婚の条件なのだから仕方がない。だとしても、「結婚の条件なので」と彼女が悪いように言うのは違う気がする。それを受け入れた時点で、自分から女装していることに変わりはないのだから。


「そうなんですか。なんというか、男性としてのお姿が想像できないので。」


 麦島部長さんの言葉に他の3人も頷いている。


「そうよね。うちの旦那はとっても可愛いから。さて、とりあえず話はここまでにして、私は彼をスタジオまで送ってくるわね。また後で。」


 わかりましたと返事をして、仕事へ戻っていく4人。


「それでは私も総務の方へ戻ります。鈴さん、後程書類をお持ちしますのでその時にまた。」

「はい、わかりました。僕もお聞きしたいことがありますので、その時に。」


 そう言って典子さんを見送り、福江さんに連れられてデザイン企画部の階を後にした。


 デザイン企画部の階から、途中食堂と呼ばれたところへ寄り、スタジオの階へ。


 食堂と呼ばれているものの、別に食事を提供しているわけではなく、テーブルや椅子がいくつも置いてある休憩室に小さなシンクがついており、ポットがいつくかと電子レンジが置いてある程度だ。


 お昼が必要な人は朝のうちに部屋の入口にあるメニューから選んで、置いてある注文表に名前とメニューの番号を書いておけば総務の方で注文、お昼には届くというシステムらしい。ちなみに給料天引き。

 自分も今日は一日会社に居るので、注文しておくように福江さんに言われ書き込んでおいた。給料天引きということだが、典子さんが後で書類を持ってくると言っていたので、どういう形にせよ従業員にはなるのだろう。そもそも、どんな仕事を手伝うのかも聞いていないのだが。


「ここがスタジオよ。」


 考えながら彼女の後ろを歩いているうちに先ほどの上の階にあるドアの前に着いていた。


「みんな、おはよう。」


 ドアを開けて挨拶しながら入っていく彼女。自分も後ろをついていく。


「福ちゃんおはよう。」


 近くの女性が挨拶してくる。福江さんほどではないが長身で、すらりとした文字通りモデル体型。フリルやリボンで飾られたセーラー服に似た衣装を纏っている。


「おはようございますっ!?」

「きゃーっ!可愛い!あなたが鈴君ね?」


 その女性がいきなり抱きついてきて面食らう。

 しかしすぐ福江さんが僕を抱きしめるように引き剥がす。


「こらこら、いきなり抱きつくんじゃないの!うちの旦那よ。」

「だって可愛いんだもの。驚かせてごめんなさいね。私は一美実奈ひとみみな。よろしくね。」

「設楽鈴之助です。よろしくお願いします。」


 福江さんに抱きつかれているので首だけで会釈する。


「おはよう。おっ、君が鈴君だね?」

「おはよう。実際に見てもすごいわね。39の男には見えないわ。」


 広く、少し薄暗い部屋の奥から出てきた、カメラを持った体格の良い男性と、一美さんと同じ程度の身長に動きやすそうだがファッショナブルな出で立ちの女性が挨拶をしてくる。


「設楽鈴之助です。よろしくお願いします。」

「紹介するわね。今抱きついてきたうるさいのがモデルの実奈。」

「うるさくて悪かったわね。」


 紹介された彼女が口を尖らせるが、福江さんは意に介さず続ける。


「こっちのおじさんがカメラマンの真君。実奈とは夫婦よ。」

一美真ひとみまことです。まぁおじさんだけど、一応鈴くんより年下だからね。」


 苦笑する真さん。ご夫婦なら名前で呼ばないとどちらを呼んだか分からないだろう。朝、典子さんを名前で呼ぶようにした理由が効いてくる。そういえば典子さんと真さんは婚姻届けで証人になってくれた二人だったか。後でお礼を言っておかなければ。


「最後にこっちがメイク担当の彩子ちゃん。」

風巻彩子かざまきあやこよ。一応メイクが専門だけどここじゃヘアメイクもスタイリストも全部やるから着替える時は言ってね。」

「はい、よろしくお願いします。」


 挨拶を終えて改めて3人と部屋の中を見る。撮影用のブースらしきところは背景の設置と飾り付けがされており、照明器具が並んでいる。部屋の隅にはドアが着いた区切られたスペースがあるので、もしかしたら衣装やメイク道具なんかが置いてあるのかもしれない。

 「スタジオ」と福江さんが言っていたが、メイクにモデルにカメラマンということはこの階は撮影スタジオなのだろう。アパレルブランドの会社事情はよくわからないけれど、会社内で撮影出来るようになっているのは驚きだ。


「3人は一応フリーランスでうちの社員じゃないけど、この階はまかせてるし、昔からの友達だから身内だと思っていいわ。」

「そうなんですね。みなさん、僕のことはご存じなんですね。」


 典子さんと同じように証人になってくれた真さんはもちろん、実奈さんも彩子さんも自分のことを知っているような口ぶりだった。


「ええ。先週の金曜ちょっとお話をね。」


 実奈さんがいたずらっぽく笑う。


「先週の金曜というと、福江さんが飲んで帰られた日の。」

「あの日は悪かったね。止める間もなくいつの間にか深酒させちゃってて。」


 真さんが苦笑する。


「そうよ、おかげで鈴に介抱してもらっちゃったし。」


 福江さんが口を尖らせる。


「それは全然かまいませんが、お体の方は気をつかっていただきたいと思います。」

「いやぁ、その辺はほんとごめんね鈴くん。でも、ザルで全然酔わない福ちゃんも悪いんだから。おかげでついつい飲ませちゃって。」


 謝っているのか福江さんを咎めているのかわからない実奈さん。


「いや、それでも限度ってものがあるでしょ。とにかく私らもいい歳なんだし、次からは気をつけるからね。」


 諫めるように言う彩子さん。なんとなく福江さんたちの関係が分る気がする。


「そうですね。よろしくお願いします。」


 上手い返しが思いつかなくて苦笑いしてしまう。


「それじゃ、私はデザイン企画の方へ戻るから後よろしくね。うちの旦那に変なことしないように。」


 そう言って福江さんが身体を離すが、手は肩におかれたまま。


「大丈夫だって、まかせて!」


 実奈さんが胸を張って言う。


「まぁ僕らも注意するから。」

「ええ。実奈ちゃんが暴走しないように見張っとく。」


 真さんと彩子さんが言う。


「暴走なんかしないわよ。まぁとにかくこっちはまかせて福ちゃんは仕事へ戻って。」


 少し腑に落ちないといった表情だったがすぐ笑顔に切り替えた実奈さん。


「そう?それじゃあ戻るけど。鈴、セクハラされそうになったらすぐ逃げて来ていいからね。」

「大丈夫ですよ。僕も良い歳のおじさんなんですからご心配なさらず。」


 なんとか笑顔で答える。


「おじさんと言われても説得力が全勢ないわ。」


 実奈さんの言葉にみんなも頷く。そんなにおかしいだろうか。


「まぁ仕方ないから行くけど、本当にお願いね。」


 名残惜しそうに手を離し、ドアを開ける福江さん。心配そうに振り返る彼女に出来る限りの笑顔で頷くと、彼女も心配そうな表情のまま頷くとスタジオを出ていった。

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