第17話 僕、彼女のお世話するみたいです
駅にほど近い年季の入った居酒屋。店内にある水槽には注文によっては捌かれるのであろう魚が何も知らずに泳いでいる。木製のテーブルに椅子、壁には品書きが所狭しと貼られ、店内は週末を
その一角に陣取った私たちの前には、すでにいくつか注文した料理が並んでいる。さらに、私のグラスにはすでにワインが注がれ、実奈の前にはワインボトル。飲ませる気まんまんといった様子。
社長になってから人と食事や飲みに行くときは、高級な店やおしゃれな店を選ぶ事が多くなった。だがリーズナブルかつおしゃれとは程遠いこの店は、独立したてでお金が無いころから、今日のメンバーのような親しい友人と飲む時に利用している行きつけだ。
内装の通り基本和食が多く、水槽を見てわかるように魚介類がおいしい。だが、そこは居酒屋なので和食以外もいろいろあるし、お酒だって日本酒や焼酎の種類が多いもののそれ以外も頼めば出てくる。だからといって、いきなりボトルでワインを頼む客もそういないだろうが。
「さて、準備も出来たしそろそろ話してもらおうかしら。」
隣に座った実奈二ヤついている。一応彼女もワインの入ったグラスを持っているが、ボトルは明らかにこちらに注ぐためのものだ。経験上、人から話を聞く時の実奈はガンガン飲ませてくる。口の滑りを少しでも良くしようというつもりなのだろう。私はお酒に強い方だけれど、実奈だってそれは承知の上だ。さすがに40歳にもなるのだから飲む量は自重したいところだけれど……。
「話すって何からよ。」
取りあえず一口ワインを飲む。変に飲むのを抑えると余計に勧められる可能性もあるからだ。決してただ飲みたいだけではない。
「そうね。まず婚約者君のお名前と年齢から。」
聞くのが婚約者のものでなければ面接でもやっているのかという質問。まぁ何も知らないのだから当然か。
「名前は設楽鈴之助。年齢は1コ下よ。」
「1コしたぁ!?えっ39歳ってこと?」
わざわざ年齢を言わないようにしたのに。まぁ言わなかったからなんだということもないのだけれど。
「彼の写真もっかい見せて。さっきのやつじゃなくてもいいから。」
理由は分かる。スマホを取り出し、彼の写真を探す――いや待ち受けがすでに彼の写真か。ネイルをした時に彼が自撮りしたものだ。それを画面に映したまま実奈に渡す。
「ありがと。これが、39歳男性?ウソでしょ。見てよこれ。」
実奈が真と彩子に見せる。真が実奈の前、その隣に彩子が座っている。
「これはすごいね。全然見えないよ。」
「うーん。たしかにすごいわ。」
「ほら、典子ちゃんも。」
さらに典子に渡す。典子は私を挟んだ実奈の反対側に居る。
「なるほど。可愛らしいですね。」
皆最初ほど驚いてはいないようだけれど、彼の写真だけを見て39歳のおじさんだと言うのは無理があるようだ。
「真君、彩子ちゃん。写真からみて写真の加工とか化粧の具合とかどうよ?」
そう来たか。まぁ疑われてもしょうがない。
「まぁこれを見た感じだとスマホの自動設定でただ撮っただけだね。加工とかはしてないと思う。」
「うーん。化粧は覚え初めの子が自然に見えるように薄くやっただけみたいね。顔立ちがいいのよこの子。」
さすがに的確な指摘だ。鈴が画像加工なんてやるはずがないし、化粧も私が少し教えただけだ。
「それでこれ?ほんとに39歳のおじさんなの?まさか未成年を39歳と偽って――。」
「そんなわけないでしょ。」
少し怒った口調で言ってワインをまた一口。
「冗談よ、冗談。まぁでもこれはすごいわ。10年探しただけはある。」
「でしょ?一目惚れだったんだから。」
彼のことを褒められるのは素直に嬉しい。本当は鈴と一緒に居られた方が嬉しいが、今は我慢だ。そう思ってワインを飲み干す。
「はいはい。んで、どこで知り合ったの?」
実奈が私のグラスにワインを注ぎながら聞く。
「ん、ありがとう。婚活アプリよ。」
そう言ってまた一口。みんな話に聞き入っているのかと思ったが、結構料理やお酒が進んでいる。もっとも視線は私に集まっているが。
「婚活アプリ?そういえば結構前からやってたんだっけ。なんか意外だけど。」
実奈には婚活について何度か相談したことがある。もっとも細かに内容を報告したりはしていない。
「5年くらいやってたわね。4つくらい平行で。時間が空いた時にしらみつぶしで漁ってたわ。」
「それもすごいけど。結局婚活パーティとか結婚相談所とか知り合いの紹介はダメだったわけ?」
少し呆れたように言う実奈。彼女もワインを飲んでいるが、本当に少しずつだ。
「私には合わなかったわね。私は条件を満たした人を探してたから、相手からのアプローチは意味がなかったのよ。」
「あぁ。たしか福ちゃんのデザインが似合う相手だっけ?男でそれは無理っぽいと思ったけど、こうして見つかっちゃうとなんとも言えないわね。」
なぜかみんなも頷いている。そこまでひどい条件だっただろうか。意外と女装している男性はいると思ったが。
「そういえばメイド服の写真。あれ実奈やつばさちゃんには小さかったやつだよね?その鈴くんは普通に着られたの?直した?」
彩子が聞いてくる。
「そのままよ。」
「えっ?彼身長いくつよ?」
実奈が驚いている。まぁ彼はたしかに男性にしては小柄だ。身長は少し低めくらいだったが、体つきはだいぶ華奢だったと思う。
「いくつだったかしら。数字は忘れちゃったけど並んで私の胸に頭が来るくらいね。」
なぜか典子がこっちの胸を見て渋い顔をしているような気がする。たしか典子の前で胸の話は禁句だった。スレンダーな胸を気にしてるみたい。
「それだとこのメンバーでも一番背が低いくらいか。まぁ私も彩子ちゃんも典子ちゃんも女子にしてはそこそこ身長あるけどさ。」
なるほど、私の身長が突出しているせいで、周りは普通の身長に見えていたが、平均より背の高いメンバー揃いではあったのだ。そのせいで余計に彼を小さく感じていた部分もあるだろう。しかし、服のサイズからして彼が平均より小柄なのは事実なので、私と並べばお互いのサイズ感がより強調されて感じられていたはず。
「んで、婚活アプリでお話して仲良くなったと。」
「違うけど?」
「え?どういうことよ?」
実奈はまさか否定されるとは思わなかったという感じ。婚活アプリで相手に合うってそんなに会話が必要なのだろうか。
「別に条件に合う彼を見つけたから家に呼んで話をしただけだけど?」
事実を口にしただけなのに、皆はなぜか驚いている。
「えっ?いきなり呼び出し?」
真が目を丸くしている。
「福さんらしいと言いますか何と言いますか。」
典子が呆れたように言う。
「えーっと、呼び出しってどんな風に?」
おかしな空気を払拭するためか、単に好奇心か、実奈が改めて聞いてくる。
「どんなって、彼からメッセージでやりとりしたいって言うから、夫になる気があるか聞いて、あるって言うからうちのマンションの前で待ち合わせって送っただけ。」
「ウソでしょ……。」
実奈が信じられないという顔をしている。
「それですぐ来たの?その後は?」
こんなに食いついてくる話だろうか。とりあえずワインで喉を潤す。
「えーと、確か週中ごろに会う約束して、日曜に会って、部屋に入れて着替えさせて――。」
「ちょっと待って待って。え?いきなり部屋いれて着替え?いろいろ早すぎない?」
「そうでもないわよ?」
実奈がありえないと首を横に振る。真と彩子は苦笑している。典子はいつもどおりだが若干冷ややかな気もする。
「とりあえず、着替えって何に?」
聞かれてスマホの写真を漁る。鈴が着替えた時はいつも全身を撮影していた。まぁ本人が撮られているのを気づいてるかは分らないが。そういえばメイド姿だけまだ写真に収めていなかったか。
「あった。これよ。」
ゴシックロリータの鈴。恥ずかしそうに俯いている。実に可愛らしい。
「ちょっ。呼び出していきなりこれ着せたの。よく着てくれたね。」
喜んでいるのか呆れているのか実奈が口を抑えている。それから真、彩子と順に写真を見せていく。真は苦笑、彩子はあきれ顔だ。
「鈴さんは女装趣味がおありで?」
最後にまわってきた典子が聞く。いつも通りの表情だが視線が若干冷たいような。
「ないでしょうね。これ着せた時けっこう恥ずかしがってたし。」
「まぁちょっと気弱そうだし、福ちゃんに着ろって言われたら断れないでしょ。」
彩子が苦笑する。
「どういうことよ。」
「いろいろ大きいし顔が胸の前でしょ?圧がね。」
彩子が付け足すように言うが、典子の顔が心なしかまた渋くなっているような気がする。
「まぁでかすぎる福ちゃんの乳はいいのよ。その後どうしたの?」
典子の目が氷点下だ。とにかく先を話すしかないか。
「あとはお茶して、レストランでディナー。で、帰って一緒にお風呂入って寝たわね。」
「えっ?一緒にお風呂の後寝たって大人だからその……。」
真がだいぶ驚いている。そりゃただ添い寝のわけはない。
「会ったその日に女装させて連れ歩いてやったの?どんだけよ。」
実奈は諦め顔だ。そんなにおかしかっただろうか。
「失礼ですが、福江さん。処女でしたよね。」
典子はもうちょっと聞き方が無かったのか。いや、もう今更隠すような仲のメンバーではないけれども。
「それはそうだったけど。さすがにこの歳の男女なんだから経験が無くたって……ねぇ。」
ワインをぐっと飲み干す。
「ああ見えて鈴君はけっこう?」
実奈がワインを注ぎながら言う。
「鈴も初めてだったらしいわ。まぁ、その辺はさすがにいいじゃない。」
いくらなんでも夜の営みまでこんなところで話すのはどうかと思う。
「さすがに純情だったか。ふふ、ますます会うのが楽しみになったわ。」
含みのある笑い方をする実奈。なんだか会わせるのが心配になってきた。
「まぁ月曜日に本人に会った方が話で聞くより確実でしょ。」
なんとか話を切り上げられないかと試しにやってみる。
「それはそうだけど、会ってからそこそこ経つんでしょ?まだまだいろいろあるんじゃないの?」
やはりダメだった。しかし、なにをこれ以上期待しているのか。
「いろいろもなにも、まだ会って1週間も経たないのにそこまで無いわよ。」
「えっ?日曜って今週の頭だったの!?」
実奈の声が大きくなる。
「そうよ。明日籍を入れる予定だけど。」
なんだかみんなの目が呆れているというか生暖かいというか。
「10年も探してたとは思えないくらい電撃結婚ね。」
呆れたように言う彩子。別にそこまでおかしな事をしたつもりはないけど。
「それは相手が見つからないから10年もかかっただけで、見つかればあとはすぐ行動でしょう。」
そう言ってワインを飲む。
「まぁその辺の行動力はさすが福ちゃんよね。そこのところを詳しく聞きたいわ。」
実奈は興味津々と言った感じ。
「もう好きにしてちょうだい。」
ワイングラスを空にする。どうせすぐ注がれるのだが。一体どれほど事細かに聞けば気が済むのか。実奈はまだまだ離してくれそうになかった。
§
静かな部屋にスマホの画面をスワイプする音だけが響く。時刻は深夜にかかろうとしている。梅雨前とはいえ若干肌寒いので少し暖房を入れている。肌寒いのは薄いネグリジェの寝間着のせいかもしれないが。下着も寝間着も実に肌触りがよく、見た目さえ気にしなければ寝心地は良いと思う。ただ、福江さんが自分と暮らす前からこんな格好で一人で寝ていたのかと思うと何とも言えない気持ちになる。
切りの良いところまで小説を読み終わって、スマホを置く。遅くなるといった彼女の連絡を聞いてからすでに食事も入浴も済ませている。だが、せめて彼女が帰ってくる時は出迎えたくて、こうして起きているのだ。
水でも飲もうとソファーから立ち上がり、ダイニングの方へ向かおうとする。すると、チャイムが鳴って玄関から「鈴ぅー。」と声がする。
あわてて廊下へ出ると玄関に腰を降ろしてぐったりとした福江さんが居る。
「福江さん!」
「あっ、鈴ぅ!ふふっただいまぁ。」
近寄ってしゃがんだ自分に抱き着いてくる彼女。顔が赤く、呼気がアルコールを帯びている。
「大丈夫ですか?だいぶ飲まれたみたいですね。」
「へーきへーき。うぷ。」
手をひらひらさせているが、少し気分が悪そうだ。靴を脱がせ、とりあえず彼女に肩を貸す。
「大丈夫なら少し移動しましょう。すこーしだけ。」
ゆっくり気持ち大き目の声で言い、彼女をトイレへ連れて行く。
なんとか便器前について、顔をそこへ向けている彼女の背をさする。胃の中のお酒を出せればこれ以上の酔いは多少軽減されるだろう。
自分は飲み会で多くお酒を勧められた時はそうして酔いを軽減していた。もっとも、だいぶ酔いがまわっている彼女にどの程度効果があるかわからないが、少なくとも出るものを無理に抑えるほうが良くないと思う。
とりあえず出している彼女を残し、コップに水を汲んで来る。
「さぁ、お水ですよ。飲めます?」
彼女の横から顔の近くに差し出す。トイレで飲むのはどうかとも思うが、この際そんなことは言っていられない。
「ん、大丈夫ぅ。ありがとぉ……。」
そう言って少し水を飲む。結構こぼしてしまっているが、ただの水だから大丈夫だろう。
それからもう水しか出なくなるくらい、吐いて水を飲んでを繰り返した彼女を、肩を貸してリビングへ移動させる。残念ながら華奢で筋力の無い自分では、いろいろ立派な身体の彼女を持ち上げて運ぶことなど不可能だ。情けないが彼女の動ける範囲で移動してもらうしかない。
なんとかリビングのソファーに寝かせる。寝室へ連れて行ってもあのでかいベッドの上へ上げるのは無理そうだ。
とりあえずソファーの周りにはタオルを多めに敷いてある。万が一の時でもソファーや絨毯にかからないように。実は彼女から連絡があった後、買って来た物の一つがこれだった。家にもバスタオルやハンドタオルはそれなりにあったが、足りない場合もあるだろうと考えたからだ。あとはプラスチックのバケツも。もっとも、使わないことを祈るばかりだが。
「福江さん、上着脱ぎましょう。あと少しお化粧落としますね。」
「うん……う。」
半分眠りかけている。これ以上動かすのは無理そうだ。少なくともこのまま吐いても出るのは水ばかりだろうから惨事にはならないだろう。今日はブラウスにスカートとどちらもいつも通りおしゃれながら派手過ぎないよう装飾がされている。その上から着ている上着だけとりあえず脱がせる。あとはピアスを付けているのでそれを外し、ネックレスも外す。
作業部屋の化粧台から拭くタイプのメイク落としを取ってきて出来る限り丁寧に化粧を拭き取る。洗顔で落とすほどきれいには落ちないだろうが、やらないよりはマシだろう。あとは彼女の動きに注意しながらスキンケアして、タイツも伝線してはいけないとなんとか脱がせる。スカートの中に手を突っ込む形になるが、今更だ。
タイツが脱げる時、スカートの中から1日履いていたせいであろうかぐわしい香りがして股間が反応してしまうが、酔って寝ている彼女にいやらしいことをするつもりは毛頭なかった。本当は下着を代えて寝間着にでも着せ替えられれば良いのだろうが、寝ている彼女を完全に着替えさせるのは困難なため諦める。
(あとは風邪をひかないように毛布を取ってこよう)
すでに寝息をたてている彼女をそのままに寝室へ向かった。
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