第14話 僕、今日は大変な一日みたいです

「今日は僕、やる事があるんですよね?」


 紅茶を淹れた僕は福江さんに聞く。昨日と同じダイニング。朝食も済ませた。違うのは朝食も紅茶もデリバリーではなく自分で用意したというところ。

 紅茶は昨日買ってきた茶葉で淹れた。キッチンで見つけた空の砂糖入れも、今はちゃんとグラニュー糖が入ってテーブルに置いてあるし、ミルクも温めて出した。


「そうよ。ちょっと手間がかかると思うけど。」


 彼女は砂糖とミルクを入れた紅茶を一口。


「まずはエステね。予約は入れてあるから、行ってちょうだい。メッセージで送ったから。」


 スマホを確認すると、エステサロンのリンクが貼ってあり、予約時間も書いてある。それとは別のリンクもある。


「わかりました。エステって僕初めてなんですが、どのくらいで終わりますかね?」

「ちょっと時間がかかるかもしれないけど、たぶん午前中くらいで終わると思うわ。」


 リンクを開くとエステサロンの場所は分った。もう一つのリンクは宝飾店。


「えっと、もう一つの方は?」

「そっちは結婚指輪ね。予約は済ませてあるから鈴の指のサイズを測ってもらって。」

「わかりました。」


 頷いてから、自分も紅茶を一口。昨日のコーヒーと同じく、砂糖もミルクも入れていない。


「あと、これを。」


 福江さんは1枚の紙を渡してくる。それは「婚姻届」と書かれていて、自分の書くべき欄以外はすべて埋まっている。


「あとは鈴が書いてくれれば完成だから。」


 福江さんの名前はもちろんあるが、保証人の「川島かわしま典子のりこ」、「一美ひとみまこと」という名前は初めて見る。


「保証人の方ってどなたですか?」

「典子ちゃんは昨日家事の達人って言ってた子よ。真くんも友達でカメラマンをしてるの。二人とも来週会わせてあげるわ。」


 自分は人見知りだが、福江さんの友達ならたぶん大丈夫だろう。期待と不安が入り混じる。


「えっと、出して来るのはどうします?」

「それは土曜日に二人で行きましょう。やっぱり一緒に行きたいから。」

「そうですね。僕も、一緒に出しに行きたいです。」


 なんとはなしに笑いあう。嬉しさと少し気恥ずかしさ。偶然同時にカップに口をつけてしまう。


「そういえば、昨日聞きそびれていたんですけど、家事をするのに、汚れてもよくて、動きやすい服ってありませんか?」


 今日の服装は下は紺のロングスカートで、上は白のブラウス。袖や裾がフリルで飾られているものの、シンプルなデザインだ。ドロワーズは穿いているがパニエは無し。膨らんでいないスカートがなんだか新鮮に感じる。襟は首元まであるタイプで、襟元に細目のリボン。

 上品な装いだと思うが、いつものにくらべれば地味な印象だ。もっとも、だからといって汚したりしたくないし、いつもの格好よりは動きやすいが、家事をする格好ではないだろう。


「家事をする格好ね。たしかにおしゃれしたままじゃやりづらいでしょうし、今日は多少カジュアルにしてるけど、やりやすくはないわね。」

「はい。今日は何か特別なんですか?」


 つい聞いてしまう。別に不満があるわけではない。むしろこのくらい地味な方が着やすい気もする。


「今日はエステに行くでしょう?服を脱ぎ着しやすいようにと思って。本当はアウターもあるし、パニエも履いた方がいいんだけど。でも今日みたいに着崩しても見栄えはするから今日はそれで我慢してね。」

「は、はい。大丈夫です。それで、家事用の服ってやっぱり無いですか?」


 昨日の反省で、きちんと聞いてみることを意識しているが、やはり気が引ける。それでも同じ失敗は繰り返したくない。


「そうそう、家事用の服ね。ぴったりのがあるわ。ちょっと待ってね。」


 彼女は紅茶を飲み干し、ダイニングを出る。


「一緒に行きます。」


 自分は紅茶はそのままに彼女の後を追う。

 思った通り、彼女が入った場所はウォークインクローゼット。今日は一緒に中に入った。


「えっと、前にこの辺にあったのよね。撮影に使うかもしれないから直そうと思ってそのままだったけど、鈴にはぴったりのはずだから直さなくて良かったわ。」


 服の間から声だけ聞こえる。やはり探すのに手間取っているようだ。


(今日少しだけでも整理できるといいんだけど。)


 心の中でそう思っていると、「あったわ」と服をかき分けて福江さんが出てくる。手にはミニスカートの紺色ワンピースに白いエプロン。


「こ、これって……メイド服ですか?」

「そうよ、メイド服コンセプトの試作品だったの。試作まで作ったのに結局不採用だったのよね。」


 たしかにメイドの仕事といえば家事のイメージだ。だが、福江さんの持っているそれは、物語の使用人が着ているようなクラシカルな服ではなくて、明らかにコスプレで見るような短すぎるスカートの服。これを僕が着るというのか。39歳のおじさんの僕が。


「えっと、たしかに家事用といえば家事用なんでしょうけど、その……。」

「あ、コスプレっぽいって思ったでしょう?まぁボツの理由の一つはそこね。でも別にコスプレを意識したものじゃなくて、機能性を重視した結果なのよ。」


 たしかに可愛らしい女性が着れば、男性への効果は抜群だろう。いや、そういう機能性ではないか。一応聞いてみる。


「ええと、どういう意味でしょうか?」

「メイドさんって、家事全般をするでしょう。だから、動きやすいようにスカートの丈は短く、中は厚手のパニエとドロワーズを履けば見えない。寒暖に合わせてある程度調節できるように足元はオーバーニーソックスで落ちないようガーダーベルト留め、暑いときはハイソックスとかにすればいいしね。そして袖はボタン留めで取り外し可能、水仕事をする時にも便利でしょ。さらにエプロンだけ簡単に脱げて洗いやすい素材の上代えも用意してあるのよ。」

「な、なるほど。」


 早口で説明する彼女に少したじろいだが、たしかに家事をしやすい機能性は備えているようだ。


「まぁおかげでパーツ数が多くなりすぎて、工場に負担がかかるからって最終的にはボツだったの。コスプレっぽいのも悪くないと思うんだけど、うちの客層とはちょっと需要が違うかもって意見もあってね。でもこれだって、せっかく本体は紺色、茶、黒と3色用意したし、エプロンも全部白だけど3つずつ、合計9枚もあるのよ。家事をするにはもってこいだと思うわ。」


 ボツになったのがよほど残念だったのか力説する彼女。まぁ会社として販売する以上、アイディアの全てが通るわけではないのだろう。


「とっても素敵な服なのは分りました。でも、試作ってことはここにあるものだけしか無いんですよね?そんな大切な服を汚したり傷めてしまうかも知れないのは……。」


 ボツになった試作品ということは、各色1着ずつしかないだろう。もちろん売り物ではないのだが、仮にオークションにでも出たらとんでもない値段がつきそう。

 いつも着ている販売されているものの試作品だって、市場に出回っていないのだから希少価値はかなりのものだろう。そんなものを着て歩いていると思うと気が遠くなりそうだ。


「ふふ、この服を作ったのは私よ?落ちない汚れがついたり破けたりほつれたりしたらいくらでも直してあげるわ。」


 やはり彼女の手作りだったのか。まぁ作った本人なら直すのもお手の物だろう。


「直せないくらいになったら新しく作ればいいだけ。それに、服は着てもらってこそ真価を発揮するもの。クローゼットに仕舞いっぱなしじゃ可愛そうでしょう?」


 たしかに着られない服というのは可愛そうではある。それに、作った本人がここまで言っているのに着ないという選択肢は無いか。家事をするために着るのだし、家の中でだけこれを着て、出かける時は着替えればいいのだ。一人なら恥ずかしさも軽減される。


「わかりました。ありがたく使わせてもらいます。」


 そう言ってそのメイド服を受け取る。


「ええ。それじゃ着てみてちょうだい。」

「えっ?」


 今、着替えるのか。彼女の目の前で。ふと作業部屋の時計を見るとすでに彼女が仕事に行く時間だ。


「あ、福江さんもう時間では?」

「えっ?ああ。でも少しくらいなら……。」

「後で家事をする時写真を撮って送りますので。早く出ないと遅れちゃいますよ。」


 彼女を急かす。


「うう。必ず送ってね。撮ったらすぐね。」

「分ってます。さ、遅れないうちに。」


 後ろ髪惹かれる彼女を送り出そうとする。なんとか目の前で着替えるのは免れそうだった。




 エステサロンの場所はすぐに分った。駅を出て大きな看板が目についたからだ。ビルの一角にあるそこは、ネットで調べた情報によるとメンズエステの有名な店らしい。男性向けのエステとはいえ当然、入るのは初めてだった。


 服は今朝のまま、それに大き目のバッグを携えている。

 そういえば、朝の家事は簡単なものだけだったので、結局メイド服に袖は通さなかった。当然写真は無いのだが、一応これからエステに入ると彼女にメッセージを送っておく。


「いらっしゃいませ。」


 受付の女性がにこやかに迎えてくれる。昨日のネイルサロンよりはマシとはいえやはり緊張する。予約していたことを伝え確認してもらう。


「ご予約の設楽様。全身脱毛コースですね。お受けになる方は?」


 自分は一人で来ているので連れなんかいない。まぁ今も女性にしか見えないだろうけど。


「僕です。すみません、紛らわしい格好で。」

「失礼しました。それではご案内致します。」


 少し驚いたようだったが、何事もなく対応してくれる。稀にそういうこともあるのだろうか。いや、それよりも、「全身脱毛コース」という不穏な単語を耳にしたような。エステってそういうことか。いや、もう後戻りは出来ないし、ムダ毛の処理が楽になるならと、意を決して店員さんに案内されるまま奥へ進んだ。


§


[これからエステに入ります。いただいた服はまだ着ていないので写真はまた後で。]


 鈴からのメッセージを見る。とりあえずのエステ脱毛だが、これで彼もつるつるになるだろう。自分も脱毛済みだが、完全に脱毛するため医療機関で何度か受けた。彼もそのうちちゃんと脱毛してもらうとしよう。

 とりあえず頑張ってという励ましと写真を楽しみにしているということを書いて返信する。


 それにしても、昨日は驚いた。いや、彼が家事をしたり食事を作ってくれたこともとても嬉しかったのだが、それ以上にベッドでの事だ。

 性的な興奮とか快感なんて今まで考えたこともなかった。けれど、彼の「どうせするのなら気持ちよく出来た方が良い」という提案に、それもそうかと思い、彼に身を委ねたのだ。


 もっとも、私だけでなく彼も経験は無いということで、やり方は調べた。今まで性的な事には無関心だったが、こんなことまで検索できるとは。

 それから彼にしてもらったわけだが、まさかあんな痴態を晒すとは思わなかった。けれど、かなり具合は良かったし、ぐっすり眠れたし、今もすこぶる体調が良い。

 しかしちょっと試しただけであれなのだから、彼が上達してきたらいったいどうなってしまうのだろう。


「――う。社長。」

「あっ。えっと、何かしら典子ちゃん。」


 どうも呆けていたらしい。社長室には一人だったはずだが、彼女がいつの間にか目の前に居る。


「ですから、工場からの試作ロッドが届きました。どうかなされましたか?心ここにあらずといった感じでしたが。」

「大丈夫よ。彼のことを考えていただけ。さ、確認しにいきましょう。」


 そう言って立ち上がる。


「本日もご機嫌ですね。」

「ええ。やっぱり愛する人と一緒に暮らしているのって良いわね。うふふ。」


 自然と笑みがこぼれてしまう。


「そうですか。はぁ。」


 彼女を伴って社長室を出た。珍しく彼女がついたため息は見ないことにして。


(これは何か考えないとだめね。)


§


 どれくらい時間が経っただろうか。やっとの思いでエステサロンを後にする。時間を見るとお昼になっている。予約していたからか、混んでいなかったからか、ともかく入ってすぐにやってもらえたのだが、それなりに時間はかかったようだ。


(うう。もうこれ、新手の拷問だよね……。)


 激痛という程ではなかったが、ピリピリとした痛みで、まだ肌に少し違和感がある。しかし、痛みよりなにより、施術してくれた方が若そうな女性だったのが一番辛かった。全身というのは髭から、身体は脇や腕、脛はもちろん、股間やお尻までされた。

 毛はお風呂に入ったときすでに剃ってあったので、毛穴をレーザーみたいなもので処理された。手袋をしていたとはいえ福江さん以外の女性に触られながら。恥ずかしさと痛みでいい歳したおじさんなのに泣きそうだった。


(もう考えないようにしよう。とりあえず、お昼を食べなきゃ。)


 適当に近くの蕎麦屋に入って、昼食を取る。格好のせいか、なんだか注目を集めていたような気がしたが、もうどうでもよかった。


 それから福江さんに頼まれたもう一つの用事を済ませるために、宝飾店へ。


(これ、自分が入っていいお店じゃない気がする。)


 きらびやかな外観の店に恐る恐る店内へ。「いらっしゃいませ。」と50代くらいの上品な女性店員さんが出迎えてくれる。中はガラスケースに見栄えがするよう、様々な宝飾品が飾られている。女性用アクセサリーの店と勝手に思っていたが、男性向けの高級腕時計も並んでいる。

 まぁ、男性だって貴金属や宝石のアクセサリーを身に着ける人もいるだろうし、今回の目的のように結婚指輪やプレゼントを買いにくることもあるだろうが。


 店員さんに予約してあることを伝え確認してもらう。それから案内されて、奥の机の前に座る。なんだか、机や椅子まで高級そうに見える。いや、見えるだけでなく実際に良い物なのだろう。


「指輪のデザインと設楽福江様のサイズは承っております。あとは旦那様の鈴之助様のサイズをいただくだけですね。サイズをお伺いしてもよろしいでしょうか。」


 聞かれても自分の指のサイズなんて分からない。指輪なんて買ったこともないのだ。


「いえ、分からないので測っていただいて良いですか?」

「かしこまりました。それで、旦那様は?」


 当然連れなんていない。というか自分が旦那だ。


「僕です。紛らわしい格好ですみません。僕が設楽鈴之助です。」


 自分は何回このやりとりをするのだろうか。慣れてきて恥ずかしさが薄れてきている。おそらく、性別を確認されるたび、女性にしか見えない姿なら驚かれて当然か。これからこの姿でおじさんであると伝える機会は増えるだろうし、腹をくくるしかない。

 しかし、自分が妻に間違えられたということは福江さんが来た時には別の人が対応したのだろうか。来店せずに指輪の注文も出来なくはないだろうが、おしゃれに気を使っている福江さんが、大切な結婚指輪を確認もせず注文したとは考えにくいから。


「まぁ、失礼致しました。男性の方でしたのね。ずいぶん可愛らしいお姿でしたので、判りませんでしたわ。」


 歳の候かこの店員さんの性格か、随分はっきりと言う。嫌味な感じはしないし、純粋に驚いているようだからあまり気にはならないけれど。


「ありがとうございます。妻の手作りの服なんです。」

「それは素敵でございますね。実に見事なお洋服ですし、こんなに可愛らしい旦那様なら奥様のお気持ちもわかりますわ。」

「それはどうも……。」


 いや、福江さんの服が素晴らしいから可愛らしく見えるのであって、自分が可愛らしいから服を着せられているわけでは無いのでは。と思ったが、自分が可愛らしいから服が似合うようなことを言ってたような気もする。自分でも意味が分からなくなってくるが。


「それではサイズを測らせていただきますね。」

「はい、お願いします。」


 サイズの測定はすぐに終わる。


「結構でございます。これで調整させていただきますね。」

「お願いします。あ、あともう一つお願いがあるのですが。」


 結婚指輪は大丈夫だろう。そこで、もう一つ注文する物があった。実は宝飾店に来る予定を聞いて注文しようと思っていたものがあったのだ。

 店員さんにそれを伝える。ある程度候補を見繕ってもらって、自分の気に入ったものを選んだ。これでここでの用事は一通り済んだ。


「どちらも土曜日にお渡しになりますね。」

「わかりました。よろしくお願いします。」


 店員さんと挨拶をかわし、宝飾店を後にした。

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