第10話 僕、部屋を見て周るみたいです

 朝、マンションの住人を見送る時間がすぎるとコンシェルジュの業務もようやく一段落を迎える。この時間帯は朝食のデリバリーサービスの取次と、出勤前のクリーニングの受け取りが主な業務となる。


 比較的新しいマンションのため、ここで働いている年数は短いが、自分はここに勤める前に別のマンションでコンシェルジュの経験もあり、業務自体は手馴れたものだ。

 ホテルで働いていた時期もあったが、宿泊施設の一時の客より、何度も会うマンションの住人に接する今の職のほうが好みだ。毎日のように顔を会わせていればその人となりや人生を垣間見ることもあり、その一助となれることにやりがいを感じている。

 つい仕事の満足感に浸ってしまったが、まだまだやるべき事はあるのだ。気を引き締めなければ。


 ふと見ると、エレベーターが開き、見事な装飾の紺色のドレスに長い巻き髪ツインテールのお嬢さんが出てくる。大きな肩掛けバッグにキャリーバッグまで引いた大荷物だ。彼女はそのままこちらへやってくる。


 見覚えのある顔だが、服装や髪型が以前と変わっているせいかすぐに思い出せない。住人の顔は覚えており、住人のところへ会いに来た客なら入ってきたことを覚えている。消去法で思い当たるのは一人しかいない。最上階の上市様のところへ一緒に住むことになった新しい住人であろう。

 格好が変わっても愛らしいくも美しいその顔だちは覚えている。それに服も前とは違うものとはいえこんな立派な服を普段から着ている人など他に思い当たらない。  

 そういえば何度か違う髪型、服装で同様の美少女を見かけたが全部同一人物だったということか。ならば髪はおそらくウィッグだろう。美しい顔に甘えず、ファッションにも気を使っているということか。


 だが、とはいえ、確信することは出来ずにいる。それには1つ大きな理由がある。


「すみません。最上階に住んでいる、設楽……あっいえ、上市なんですけど。」


 やはり上市様のお連れの方らしい。


「かしこまりました。失礼ですがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。」

「は、はい。設楽鈴之助です。」


 そうだ。最上階の上市福江様が同居することになった方は設楽鈴之助という名前だ。念のため鍵を確認させていただいたが間違いない。


「結構です。男性の方でいらっしゃいますか?」


 つい聞いてしまった。声も見た目もどう見ても自分と同じ男には見えない。まして登録された年齢は39歳。自分の2つ下などありえないとしか。


「そ、そうです。紛らわしい格好ですみません。福江さんとは結婚予定で、先に同居させていただくことになりまして。」


 恥ずかし気に顔を赤らめて目をそらす彼女。いや彼か。なるほど、これで合点がいった。日曜日に上市様に連れられて入ってきたのはたしかに小柄な少年に見えた。もっとも、少女が男装していると言われれば納得できる容姿だったので、その後ドレス姿の美少女を上市様が連れて出てこられた時、あれは実は少女だったのかと一人納得していたのだ。

 しかし、登録されたのは男性でしかも39歳。なんだか喉に小骨が刺さったような感覚だったのだが、こうして本人に確認がとれて納得がいった。いや39歳男性と言われて納得できる容姿ではないが、世の中そういう人も居るのだと感心するしかない。


「それはおめでとうございます。さて、余計なことをお聞きして申し訳ありませんでした。ご用件をお伺いします。」

「は、はい。ええと、クリーニングをお願いしたくて。」


 そう言って彼が出してきた荷物を受け取る。何着かの見覚えのあるドレス。たしかにこれを着て出入りしていた長身の美女と小柄な美少女を覚えている。自分の納得はさておき、彼からクリーニングに出すものを預かり、上市様へクリーニングから戻ってきた服をお渡しする。

 手続きをすませ、戻ってきた服をバッグにしまうと、彼は丁寧に礼を言ってエレベーターへ戻って行った。一体彼はこれからどんな家庭を築いていくのだろうと、1つ増えた楽しみに思いを馳せるのだった。


§


(とりあえずクリーニングはこれで大丈夫かな。ちょっと恥ずかしかったけど。)


 対応してくれたのは自分と歳の近い感じの落ち着いた男性だった。もちろん実年齢の方で。

 最上階の住人であると確認してもらうと、いつも通りの仕上げで良いか尋ねられたので、それでと任せてしまった。案の定、クリーニングから戻ってきた服もあったので受け取っておいた。確認すると、自分が初日に着ていた服も入っていた。タイミング的に初日に着替えた後にはもうクリーニングに出されていたのだろう。どうせ着ないと思われたのか退路を断たれたのかは分からないが。


 戻ってきた服は作業部屋にとりあえず置く。今洗っているものが乾いたら次は下着を入れねばならないが、その間にウィッグを洗ってしまう。

 髪だけを手に取って洗うというのは不思議な感じもするが、手入れ自体はそれほど難しくはない。問題は今着ている服の袖を濡らさないようにすることだった。一回服を脱ぐことも考えたが、作業部屋のドレッサーにヘアゴムがあったので、それで袖を留め、水が跳ねないよう優しく洗うことでなんとか濡らさずに終える。ウィッグスタンドにかけて脱衣所で陰干しし、次は掃除へ取り掛かることにした。


(さて、とりあえずどこを掃除しようかな。)


 実はこの家全ての部屋を見て回ってはいなかった。せいぜい玄関から廊下、トイレと洗面所や風呂、寝室とリビング、ダイニング、あと作業部屋と呼んでいる裁縫道具や化粧道具の置かれているところくらい。

 今日で3日目とはいえ、家には夜から朝の時間までしか居なかった。しかもその間はほぼ福江さんと一緒で自由に部屋の中を見て回る暇は無かったのだ。あとは収納場所や何が有るかも聞いていないので、掃除用具があるかすら分からない。


(とにかく見て回るしかないかな。)


 まず玄関に向かう。玄関のすぐ横に収納らしき扉がある。位置からして下駄箱だろうが、立って中に入れるサイズの両開きの扉だ。開くと、奥行はさほどないものの、それなりの広さの収納スペースがある。だが、足元から自分の頭くらいまである下駄箱の棚は全て靴で埋めつくされ、棚のないところには床から箱が積み上げられている。一緒に円筒形の透明な筒がついた大き目の掃除機が入っているが、まったく汚れや傷が見当たらない新品同然のものだ。


(この箱って中身入ってるのかな?)


 積まれた一番上の箱を手に取ってみると重さから空では無いことが分かる。蓋を取ってみるとブーツが入っていた。次の箱を手に取ってみるがやはり中に別の靴。


(これ積んである箱全部中身入ってるみたい。)


 そういえばウォークインクローゼットにも靴が入っているのが見えた。ファッションデザイナーの彼女がおしゃれに気を使わないはずが無いが、靴だけでも相当な数があるようだ。自分の靴のサイズは婚活サイトのメッセージで送ってはいるが、さすがに靴をいくつも用意してはいないだろう。

 もっとも、すでに昨日までで3足の靴があったし、今日も出かける時履く靴を玄関に用意してもらっている。それに、たとえ今ある自分用の靴がそれほどの数でないとしても、これから一緒に生活していくのならば服に合わせてどんどん増えていくに決まっている。すでにこの状態なのにどこに仕舞えるのだろうか。


(と、とりあえず別の部屋も確認しよう。)


 次は洗面所。まだシーツとバスタオルは洗濯中だ。収納の中に掃除用具が入っていないのはさっき見たとき分かっている。洗面所の収納もシャンプーや洗顔料、歯ブラシ等の買い置きが少し入っているだけで、掃除用具が見当たらない。お風呂場も見てみるが、洗い場に収納スペースはない。ふと洗い場の鏡の前に置かれた沢山のボトルが目に入る。初日は分からないものがいくつかあったが、福江さんに教えてもらった今は把握している。


(あれに今日買ってくる僕のやつも入るんだよね。ちゃんと整理して仕舞っておきたいな。)


 お風呂場の掃除用具が無いこともそうだが、整理用の入れ物もないし、あったとして、今の服でお風呂掃除なんて出来ないだろう。動きにくいし、汚したり傷めたりしたら大変だ。それに掃除用具が無いということはハウスクリーニングでお風呂掃除もしてもらっているということだ。今見てもピカピカになっているし、毎週掃除されているなら自分が手入れをする必要があるのだろうか。


 掃除は出来ないと判断してお風呂場を後にし、トイレへ。別に用を足しに来たわけではない。トイレは実家よりは広めで収納も付いているが、別段豪華とかものすごく広いわけでは無い。ただ、実家には無かったウォシュレットが設置されている。これくらいは店のトイレ等でも見かけるが、トイレの隅に蓋つきの小さなゴミ箱がある。


(これってを入れるやつだよね。)


 ゴミ箱には黒いゴミ袋がセットしてある。男所帯の実家には無いし、当然女子トイレに入ることなんてないから日常生活で目にしたことはない。学生の時販売店でアルバイトしていた時、トイレ掃除で見たことがある程度だ。確かサニタリーボックスとか言ったか。


(一応ゴミが入ってたら回収して捨てないとだよね。)


 トイレのゴミを確認するだけなのになぜかドキドキする。蓋を開けて見ると中は空。


(よかった。いや、別に回収が嫌なわけじゃないけど、なんか罪悪感が。)


 なんだか無意識に言及を避けていたが、ようは使用済みの生理用品を捨てるゴミ箱というだけだ。これから妻や、産まれてくる子が女の子なら娘の使った物も処分することだってあるかもしれないのだ。ただのゴミと思えるよう慣れないといけない気がする。

 それからトイレ掃除の用具が無いか収納を開いてみる。中には生理用品が入っているが掃除用具の類はない。


(なにもやましいことはないから。大丈夫大丈夫。)


 何が大丈夫なのかわからないが、落ち着こうと心のなかで繰り返す。とりあえず、お風呂場よりは使用頻度が高いだろうし、業者がしてくれるのだとしても、週1~2回は自分でも掃除したほうが良さそうだ。まぁ今は服のこともあって出来ないので、買うものにトイレ掃除の道具を入れておいて明日にでもやろう。


 次はリビング。

 絨毯にローテーブルと、ソファーが1セット。マガジンラックがあって大人の女性向けファッション雑誌とロリータ系ファッション雑誌が入っている。どっちも最新号と1つ前の号。ほかに調度品はまったくない。絨毯を傷めないように掃除機をかけて、ソファーやテーブルが拭ければ良いだろうか。これは毎日やっても良い気がする。掃除機はあったが、雑巾や使い捨ての拭き掃除用クリーナーのたぐいは見当たらない。


(とりあえず掃除機はかけよう。でも装飾とか置物とか福江さんはそういうの置かないのかな。)


 置くとしたら観葉植物とかだろうか。そういえばテレビがここもダイニングにも無かった。もっとも自分もゲーム機やPCのモニターとしてしか使っていなかったが、父はとりあえず点けっぱなしにしていたな。もし置くならテレビ台や収納台を使うか、壁掛けタイプだろうか。あとは時計とか。

 別に自分も飾りたいと思うわけではないが、あまりにもシンプルというか殺風景というか。

 広い窓から眼下に街並みが見渡せるからそれで十分とも取れなくはないけど。とりあえずここも彼女に相談して物を置くか聞いておいたほうが良いだろう。


 あとは置いてある雑誌が少し気になる。今まで無縁だったが、今はロリータファッションに身を包んでいるのだ。たとえ福江さんがコーディネートしてくれるとしても、自分も知識があった方が良いだろう。もっとも読むとしても家事や買い物を済ませて時間が出来たらだが。


(次は作業部屋とクローゼットを見よう)


 リビングから作業部屋に入る。作業机は相変わらず多くの物に占領されているが、よく見ると、ボビンや糸、端切れ、レース、フリル、リボンと種類ごとにケースがある。もっともどれも収納出来る容量を越えてはみ出した分は机に溢れている。スケッチブックや紙のはみ出たファイルも本立てに入っているが、入りきらない分は本立ての外側に立てかけてあり、一部は倒れて机に寝ている。

 あと作業机の横に布のロールが何本か立てかけてある。たしかホームセンターとかで長さ単位で売られているロール布を見たことがあったが、これは小さめとはいえ切られる前のロールそのものだ。何着分の布地になるのか見当もつかない。


(これはケースを買い足して溢れたぶんを入れるだけでも違うかな。)


 それから机の隣、化粧台を見る。こっちも口紅やマスカラ、チークやファンデーションと種類ごとにケースに入っているし、風呂場に置いてあったのとは違う、コットンタイプの化粧水や顔パック等もある。最も、作業机と同じで溢れて机の上にはみ出しているが。これも入れ物を買えばだいぶマシになるだろう。出来れば使用期限とか残り少ないことが分かるようにホワイトボードかなにかでもあれば使いやすいだろうか。よく見ると化粧台には引き出しがついている。しかも一番上の広い引き出しは鍵つきだ。


(これ、貴金属系のアクセサリーとかかな?開いてても見ない方がよさそう。)


 彼女が貴金属や宝石のついたピアスやネックレス、指輪なんかをしていたのを思い出す。最もあまり大きく目立つ物では無かったと思う。自分はアクセサリーは着けていないが、そのうちピアスなんかも必要になるのだろうか。もちろんピアスの穴なんて空けていないので、少し怖くはあるが、必要とあれば空けないわけにいかないだろう。他の引き出しはヘアアイロン等大き目のものや、机の上に置ききれなかったと思われる化粧品が入っている。


(あとはクローゼットか。)


 作業部屋にある大きな扉の前に立つ。


(勝手に入っていいのかな。いや、僕が着る服も入ってるから着替えが必要になった時は入れなかったら困るんだけど。)


 たとえ夫婦でも妻のタンスを勝手に開ける夫はそう居ないだろう。だが、このクローゼットの大きさである。下着が入っているとしても、クローゼットの中に下着用のタンスか何かがあるはず。それに手をつけなければ入っても問題はないだろう。

 どうしても気になるなら連絡をすればいいが、クローゼットに入っていいかなんて忙しい彼女に聞く勇気はない。まぁ入るだけ入って触らずに、事後報告で謝っておけば大事には至らないだろう。

 思い切って扉を開く。中は薄暗く服や箱で余計周囲が見づらい。壁にスイッチを見つけ、電気を点ける。


(これは……、すごい。)


 かなりの広さだと思ったクローゼットは、目の前がジャングルの木々のように無数の服にさえぎられて中がまったく見渡せない。広めのスペースにハンガー掛けの金属らしき棒が渡してあって、そこへ様々な服がぎっしりと掛けてある。しかもハンガー掛けは服の間から奥にも見え、さらに奥にもあるのが少し見える。もっとも服のジャングルで一体何本ハンガー掛けがあるのかは分からない。さらに足元には円筒や四角の箱が所せましと並べて置いてある。中には箱の上に靴や帽子、バッグなんかが載っているものもあった。


(これ、整理されてないのかな。)


 福江さんが着ると思われるサイズの服と、明らかに自分が着る程度のサイズの小さいロリータファッションらしき服が法則性も無く掛けられている。初めは自分の着る服もわざわざ用意してくれていたのかと思ったが、明らかにここ数日で置かれた状況には見えない。むしろこの服の山の中から、自分に合うサイズの服を探してくれたと考えるほうがしっくりくる。


 なんとか服のジャングルをかき分け、クローゼットの壁へ到達する。が、壁がほとんど見えない。正確には壁に備え付けのタンスがあるところ以外は足元にあったのと同じような箱が積み重ねられ、壁を覆っていた。


(タンスの中は止めておこう。箱は空じゃないよねたぶん……。)


 とりあえず手の届くところにある箱を取り蓋を開ける。円筒形のそれは中に帽子が入っている。次に四角い箱を開くとバッグ。さらに別の箱には靴。別な箱はウィッグ。そんな感じでこれも中身にかかわらず取り合えず置いたというか積んであった。

 箱の後ろ側には備え付けの棚もあったが、当然のごとくそこも箱やらなにやらでいっぱいだ。


(これは掃除というより整理が必要だよね。ちゃんと福江さんに聞いてからの方が良いだろうけど。)


 もしかしたら使っている彼女にはある程度どこに何があるか分かっているのかもしれないが、規則正しく並んでいるとはお世辞にも言えない。

 自分は大学の時、図書館司書の資格を取ったし、博物館とかに就職を夢見ていた時もある。実はこういうものを仕分けるのは正直ワクワクした。

 もっとも、ファッションへの興味はまったくなかったので、残念ながら服や帽子や靴なんかを効率よくしまう方法なんて分からない。所謂収納術というやつを調べるか、誰かから教わらなければならないだろう。


(すぐには出来ないだろうし、時間をみて少しずつ分類したほうが良さそう。収納方法も調べなくっちゃ。)


 とりあえず服のジャングルからなんとか脱出し、作業部屋を後にした。

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