第9話 僕、家事を頑張ってみます

 窓から差し込む朝の日差しがダイニングの大きなテーブルを照らす。8脚の椅子が余裕をもって並んでいるところへ、今は二人で向かい合って座っている。


 すでに着替えも化粧も済ませてある。福江さんは菫色のフォーマルドレス。昨日着ていたものとは違うが、仕事着も毎日変えているのだろう。アパレルメーカーの社長かつファッションデザイナーの彼女が、仕事着とはいえ毎日同じ服を着るわけにもいかないだろうし。

 対して自分は、紺色の膝丈のスカートに同色で白いフリルが付いた上着。ドレスの紺色はただ1色ではなく星のように小さな煌めきがちりばめられており、リボンとレースが飾られて、まるで夜空を纏っているようだ。ウィッグは青みがかった黒でくるくると巻かれたツインテールに、小さめのシルクハット状の帽子はレースリボンで留めている。


 テーブルには食後の紅茶。福江さんはミルクと砂糖入り、自分はストレート。このお茶も朝食もデリバリーサービスだ。


「鈴、今日は買い物に行くのよね?」


 そう言って彼女は、カップに口をつける。


「ええ、そうですね。基礎化粧品と髭剃りとシェービングフォーム。あとは脱毛クリームかカミソリあたりを買おうかと。」


 とりあえず、初日に言われていた自分用の物を買うつもりだ。あとで買うものをリストアップして、スマホにメモして買い忘れが無いようにしたい。


「スキンケア用品は鈴に合いそうなものをリストアップしたから、メッセージで送るわね。髭剃りやムダ毛処理用品はほとんど使わなくなると思うから宿泊時用とかの少ないやつでいいと思うわ。」

「はい、ありがとうございます。正直スキンケア用品とかどう選んでいいかわからなくて。助かります。」


 彼女が手元に置いてあったスマホを操作すると、すぐ自分のスマホにメッセージが入る。見ると種類と商品名が順に書いてある。

 実は彼女に教えてもらうまでスキンケアなんて考えたこともなかった。だが男だって肌をきれいにするに越したことはない。まして40歳目前ともなれば、いくら見た目が若々しくても肌はごまかせないだろう。遅すぎる気もしないでもないが、やらないよりはずっと良い。


「あとの予定は?」

「とりあえず、家の中で僕でも出来ることを考えます。あと仕事も探そうかと。」


 実のところ、食事のデリバリーだけでなく、服のクリーニング、ハウスクリーニングと、家事全般のサービスを頼んでいると彼女から聞いてはいた。それでも服のクリーニング、ハウスクリーニングは週1~2回だというし、食事も外食が多いという。それなら普段の簡単な掃除と洗濯、少しくらいは料理を作ったりとか、出来ることはあると思うのだ。

 もちろん、仕事だってする必要は無いかもしれない。彼女の収入がどれくらいかは分からないが、自分を養うくらい朝飯前だろう。それでも、彼女の出した条件に子供を作ることがある以上、産まれてくる子供のために少しでも稼いでおいて損はないはず。


「そう。なにか分からないことがあったら、なんでも聞いてちょうだい。あと仕事は来週から少しうちの会社を手伝ってもらうつもりだけど、大丈夫かしら?」


 彼女の会社を手伝う。考えてもいなかったが、確かに適当なアルバイトやパートを探すよりは彼女の役に立てそうである。自分の収入にはならないかもしれないが、彼女の会社を手伝えれば巡って彼女の収入に貢献できるだろう。


「もちろん大丈夫です。僕に出来ることならなんでも言って下さい。」

「ふふ、頼もしいわ。それにせっかく結婚するんですもの、会社のみんなにも紹介したいわ。」

「は、はい。がんばります。」


 何を頑張れば良いのかわからないが、まず間違いなく女装したまま紹介されることになるだろう。彼女の会社の社員ならば、社長の夫が会社の製品を着ていてもおそらく大丈夫なはず。変なやつが社長と結婚したと思われなければいいが。


「そうだわ。時間があるならネイルサロンでも行ってみたら?」

「ネイルですか?」


 さすがにネイルサロンくらいは知っている。ただ知識としてあるだけで、当然入ったこともないし、ネイルを飾ったこともない。もっとも、いつもは普通に切るだけだった爪も、彼女に言われて磨き、マニキュアは塗ってある。

 実は昨日の帰りの電車内て、ちょっと爪を削っておいたのだ。もちろん削りカスが散らばらないようにティッシュを敷いてやった。爪ヤスリは化粧道具に入っていたので丁度良かった。理由は夜の営みで、もうちょっと彼女にいろいろしてあげたいと思ったからだ。1日目が童貞と処女だったとはいえだいぶ残念な結果だったので、次は彼女に気持ちよくなってほしいと思い、いろいろ調べた上での下準備のつもりだった。

 まさか帰ってすぐ実践することになるとは思わなかったが。


「ちょっとスマホを貸してくれる?」

「はい。」


 彼女はスマホを受け取るとなにやら操作し始める。


「私もしばらくネイルはしてなかったけど、きれいにしてもらえば気分も違うわよ。あら?運がいいわね。早い時間で予約が取れたわ。はい。」


 彼女がスマホを返してくれる。画面を見るとネイルサロンの予約がされている。店の場所を見てみるが、そう遠くはなさそうだ。


「ありがとうございます。行ってみますね。」

「ええ。出来たらぜひ見せてちょうだいね。」


 そう言って彼女は嬉しそうに紅茶を口にする。


「あ、そうだ。お金は昨日渡した分で足りそう?他に必要なものとか買うかもしれないでしょう。」

「問題ないですよ。あんなに使い切るほど買う予定も無いですし。ネイルサロンの分を考えても多すぎるくらいの額なので。」


 ネイルサロンにどの程度の金額がかかるかは確認していないが、高いコースを頼んだとしても、あんな額に届くとは到底思えない。必要なものを買ってネイルサロンに行って、外食したとしても半分も使わないだろう。


「それなら良いんだけれど。後でクレジットカードを渡すから、今日は今ある分で我慢してちょうだい。」

「えっ!?い、いえ、そんなに使うことは無いと思いますけど。」

「ほら、私が居ない間にいろいろ支払いを頼むこともあるかもしれないし。」

「そ、そうですね。分かりました。」


 言いたい事はいろいろあったが、出勤前に手間を取らせるのも心苦しいのでぐっと飲み込む。あるいは信用しているという意思表示なのかもしれないが、そうであるなら絶対に不誠実なことはできない。

 何でもないという顔をして紅茶を楽しむ彼女を前に、心の中で彼女の期待を裏切らないようにしようと決意を固めたのだった。




 彼女が仕事に行くのを見送って、まずは洗濯をしてみようと洗面所へやってきた。


(すごい洗濯機だな。いろいろ設定できるみたいだし。)


 大型で正面に扉がついているタイプ。コースも何種類か選べるようになっている。実家にあるのは動いているのが不思議なくらい古い二層式洗濯機。洗濯するときは適当に洗濯機に全部入れて洗っていたし、乾燥もコインランドリーでまとめてやっていた。

 だが、今洗濯カゴに入っている自分や福江さんが着ていたドレスのような服や、柔らかく肌触りの良い下着やら寝間着やらを乱暴に洗えるようには思えない。とりあえず目の前の洗濯機やデリケートな服の洗い方を検索してみる。


(これ、結構大変だな。間違って服を傷めないようにしないと。)


 洗濯機はドラム式の乾燥機能付きで、水の温度設定や服を傷めない乾燥が出来るかなり高性能なものだった。ネットで説明書も見られたので使い方は分かったが、問題は服の方だ。


(たしか服のタグで洗濯できるかわかるんだよね。)


 洗濯カゴの自分が来ていた服を取り出し、傷めないよう注意しながら内側や襟など自分が見た覚えのあるタグの場所を探してみる。


(あれ?どこにも無い。)


 タグらしきものはどこにもない。そもそも襟についているメーカー表示みたいなものもない。


(これ、もしかして福江さんの手作りなんじゃ。)


 彼女の会社で売られているものまで作っているわけがないだろうが、試作品を作っているとは言っていた。つまり、自分が今まで着せてもらっていた服は彼女のお手製である可能性が高い。それを恥ずかしがっていたと思うとなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


(でもこれ、生地の材質がわからないし、洗いようが無いんだけど。)


 手触りの良いものや、かなり薄手のもの等、使われている部位によって違う生地になっている。当たり前だがそれぞれに合った洗い方もあるだろうし、素人が適当に洗える代物には思えない。

 服は諦め下着を手に取ってみる。もちろん自分が身に着けていたもの。福江さんの下着も容赦なく一緒に入れられているが、彼女と二晩過ごした今でも、やましいことをしている気がして手に取るのは勇気がいる。


(これ、シルクだったんだ。洗えなくはなさそうだけど。)


 調べてみるとシルクは自宅で洗濯できないものや、出来ても手洗いが基本のようだが、タグの表示は温度に気をつけて弱い力なら洗濯出来るもののようだ。洗濯機の機能で十分出来るだろう。


(でもこんな良い生地の下着、洗うの失敗出来ないしな。福江さんの下着とか余計に。)


 自分の下着と同じ洗い方で大丈夫だと思うが、念のためそっと彼女の下着を洗濯カゴから出してみる。もちろん洗濯するためでやましい気持ちなんてないと自分に言い聞かせるが、彼女の良い香りが誘惑する。手にとって分かる彼女の胸のサイズ。片側でも頭に余裕でかぶれる。いやかぶらないけど。というかこの中身を直に触りまくったのに今更な気もする。あの柔らかさと大きさと重量感はかなりのもの。挟まれて窒息するかと思った。


(いやいや、洗濯しないと。)


 首を振って思い出さないようにする。ともかく洗い方を調べるが、洗濯ネットに入れて型崩れを防がないといけないらしい。こんな多きさの物を形状を保ったまま入れるネットがあるのだろうか。いや、調べるとたしかにそういう洗濯ネットもあるらしい。


(もしかしてあるんじゃ。)


 洗濯カゴの乗った収納台を開いてみると案の定洗濯ネットがいくつか入っている。大きな立体タイプもあるので、おそらく福江さんもこれで下着を洗っているはず。


(とりあえず下着はなんとか洗えるかな。服はクリーニングに出すしかないか。福江さんに聞けば材質も洗えるかも分かるかもしれないけど。)


 今朝、分からないことはなんでも聞くように言われたばかりではある。しかし、時間的にすでに仕事中のはず。今週は忙しいと言っていたからこんなことで連絡するのは正直気が引けた。


(これも洗った方が良いよね。)


 洗濯カゴの中には毛の塊、つまりウィッグが入っている。これも日曜から毎日違うものを付けていた。今までウィッグを付けたことも無かったのに、ここ数日はつけるのが当たり前になっている。


(髪が伸びたら地毛でもいいかもって福江さんは言ってたけど、長いのとか凝った髪型とかするなら付けるしかないかな。いや、付けたいわけじゃないけど。)


 最初福江さんが持ってきたウィッグを見た時は少し不気味にも見えたが、慣れてしまえばどうということはない。むしろ付けていた自分が手入れをしなければと思う。調べてみると、付け毛とはいえ髪と同じように手洗いで手入れをするようだ。ウィッグネットは洗濯すればいいだろう。


(あとは、バスタオルと……そうだ。シーツなら洗えるかも。)


 思い立ってベッドルームへ行く。二人で寝ていた大きなベッドに大きな掛け布団、枕、そしてシーツ。布団は畳み、シーツだけ取る。さすがにサイズが大きくて畳むのも苦労したが、ほんのり甘い香りと湿り気がある。


(たぶん汗だ、汗。うん。)


 そういえば、昨日寝る時は薄暗くて気づかなかったが、血の染みがどこにもない。よく考えると寝間着だって血がついていたはず。昨日だってまだ痛むだろうからしない方がいいと言ったのだが、軟膏をたっぷり塗れば大丈夫と押し切られてしてしまった。

 幸い、爪を丸めておいたので、股以外は愛撫してみたものの、昨日の今日で上手くなるはずもなし。とはいえ嬉しそうにしてくれたので方向性は間違っていないだろう。行為自体は痛がってはいなかったが気持ちよさそうにもしていなかった。この辺も話合って歩調を合わせた方が良いのだろうが、どうやって話を切り出したものやら。


 思い返せば初夜は、一応入れて出しはしたものの、そのまま彼女に強く抱きしめられて身動きが取れなくなり、いつの間にか眠っていて朝だった。それこそ痛いくらいきつく抱きしめられ、彼女は震えながら汗が滲んでいた。声は上げなかったものの、そうとうな痛みを我慢している様子だったのだ。

 で、朝になったらべっとりとシーツに血がついていた。彼女自身は傷も大した事は無いと言っていたし、昨日の様子なら無理しなければ来週には完治しているだろう。しかしシーツはあれだけ血がついていて洗って落ちるとは思えない。寝間着もそうだ。おそらく捨てて新しいものを使っていると考えるのが妥当か。


(換えのシーツがあるのかな。寝間着も1着ってことはないだろうし。)


 とりあえず今回収したシーツは洗濯機で洗って、乾燥出来ればそのまま使える。もちろん換えのシーツがあるに越したことはないが、探してみるしかない。


(あとはクリーニングに出すものは出して、もしかしたら戻ってきてるものがあるかも。)


 たしかこのマンションはコンシェルジュ付きで、デリバリー等の取次はやってもらっているはず。というのも、ここに来てからずっと福江さんがやっていたので、自分がコンシェルジュに取次を頼んだことは無かった。あとは宅配ボックスが1階にあって、そこでもクリーニングの受け渡しは出来るらしい。


(でも何着も出すものはあるし、デリケートな服ばっかりみたいだし、無人で受け渡しするのは怖いな。)


 出来ればクリーニングに何を何着だしたかメモして、服を傷めないよう仕上げしてもらうよう頼みたい。コンシェルジュさんに言って取り次いでもらうか、なんなら直接店に持っていきたい。


(でもさすがにこれだけ服を持ってクリーニング屋さんまで行くのは大変そう。)


 実のところ昨日と一昨日、つまり自分がここへ来てからの服と下着が全部カゴには入っている。もっとも、自分が日曜に着てきた唯一の男物の服と安い下着はしまわれたか捨てたのか、どこへ行ったか見当たらなかったので無い。

 それでも、自分が着たロリータ系の服だけですでに3着ある。さらに中に着ていたタイツとかドロワーズとかパニエとかも3着分あるし、福江さんが日曜と昨日着ていたものもだ。


 一応買い物用に大き目のバッグは用意してもらっているが、全部詰め込めるかは怪しい。まして今のドレス姿の自分が大荷物を抱えて歩けるとは思えない。無理をすれば着ている服を傷めかねないだろう。昨日使っていたキャリーバッグがまだ作業部屋にあったのでそれも使うしかない。


(キャリーバッグとバッグに分けて詰めて、コンシェルジュさんのとこへ運ぶしかないか。)


 現状洗濯すべきものと対応は決まったので、後は順番にこなすだけだ。

 とりあえずシーツとバスタオルを洗濯機にかけ、その間にクリーニングに出すものをまとめてコンシェルジュさんのところへ持っていくことにした。

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