第8話 僕、彼女の元へ帰るみたいです
駅から客が待っているコンビニまでは、車で5分程度。10年もタクシーの運転手をやっていれば、だいたい客の傾向は分かってくる。この時期、この時間となればコンビニで待っているのは駅へ戻るサラリーマンあたりか。
あるいは小さな病院やバス停が近くにあるのでそこから自宅へ向かいたい高齢者だろう。学校も小中高大とそろっているが、学生が利用することは稀。もしあったとして大学生がほとんどだ。
考えているうちに件のコンビニに到着。車を停めて周りを見てみるが、老人やサラリーマンらしき中年の姿はない。コンビニの中に目をやると、イートインスペースから飲み物の入れ物を捨て、マスクをつけて、和服をドレス風の洋服に仕立てたような派手な恰好の美少女が出てくる。まさか、とは思ったが、キャリーバッグを携えた彼女はまっすぐこちらへやってくる。
「すみません。タクシーをお願いした設楽なんですけど。」
どうやらお客は彼女らしい。見た目は高校生くらいだが、あきらかに制服ではないし、声の感じも少女というより成人女性だろう。おそらく女子大生か。返事をしてトランクを開け、キャリーバッグを入れてやる。それから後部座席のドアを開けて彼女を乗せ、自分は運転席に戻って車を出す。
案の定、行先はさっきまでいた駅。新幹線の停車駅だからおそらく県外へ出るのだろう。県外が実家でこちらの大学に通い一時帰省するのか、あるいはこちらへ帰省していて県外の大学へ戻るといったところか。まぁ在来線でも県央ならいくつか大学があるからそちらかもしれないが。
バックミラー越しに見える彼女は物憂げに窓の外を眺めている。マスクを着けているので、顔はさっきコンビニの中に居た時しか見えなかったのだが、目の覚める美少女というのは彼女のような娘を言うのだろう。郷愁に浸っているらしき彼女を邪魔するのも忍びないので、話しかけずにおく。駅までは僅か5分程度だが、彼女のこれからの生活が上手くいくことをそっと祈らずにはいられなかった。
§
タクシーを降り、エスカレーターを使って駅の中へ入る。タクシーの運転手は50代くらいのおじさんだったが、無口な人で助かった。あんまり話していて男だとバレると気まずい。
とりあえず券売機で交通ICカードにチャージしようとして、お金を下していないことに気づく。仕方なく福江さんから預かったお財布からお金を取り出し、帰りの電車代をチャージする。夕食は向こうに着いてからになるだろうから、それも彼女に持たせてもらったお金にお世話になるしかないだろう。なんだか申し訳なく思いながらも改札を通り新幹線のホームへ行く。
日はすでに沈んで、辺りは暗くなっている。梅雨前ではあるが、この時間のホームは冷たい風が吹く。タイツのおかげでそこまで寒くはないが、膝上とさらに短くなったスカートは実に心もとない。次の発車時刻は30分くらい後。時刻表を見てみると前の新幹線は30分前に発車したようだ。そのため周囲で待っている人はまばら。
ホームには休憩室もあるが、なるべく人の見えない席に座りたいので、今から並んでおく。もちろん他に並んでいる人は居ないので先頭だ。時折通る人がこちらに視線を向けてくるが、疲れているのか、慣れたのか、今朝ほど気にはならなかった。
しばらくして到着した新幹線に乗り込む。幸い乗客は少なく、また車両の一番前の窓際に座れた。今度はキャリーバッグを足元に置き、スマホを取り出す。時刻は19時になったばかり。
(とりあえずお父さんと、
新幹線が動き出したのを感じながらスマホでメッセージを入力する。父と親友に、結婚すること、結婚相手の福江さんのこと、明日から都内に住むこと、あとは挨拶も出来ずに行くことを謝るのと、そのうち福江さんを紹介しに一緒に帰ることを書いて送った。
時刻が19時半を過ぎるころ、新幹線は都内へ入る一つ前の駅へ着く。ふと、今朝この駅で降りたお姉さんに写真を撮られたことを思い出す。よく考えると見知らぬ人に写真をせがまれるなんて人生初の出来事だった。それだけ福江さんのデザインした服が魅力的だということか。
この駅で多くの人が乗ってきて、座席も埋まる。結局帰りも自由席だったので、自分の隣が空席ならばそこに座ってくる人もいるわけで。
「隣、いいですか?」
今朝も似たような光景に出くわした。コクリと無言で頷くと、「どうも」と言って相手は席に座わる。違うのは今朝は若い女性だったが、今はスーツ姿のおじさんだということか。見た感じ40前後。ようは自分と同じか少し上くらい。彼は通路側の手すりに身体をあずけるようにして、スマホを見ている。
(もしかして、こっちに気をつかってくれてるのかな?)
自分も同年のおじさんである。もし若い女性の隣に座らざるおえないとしたら、万が一身体に触れでもしてセクハラと言われたらことだ。相手に触る気はないのだという意思表示は必要と考えてしまうかもしれない。しかし、実際の所、自分は妙齢の女性どころか、彼と同年代の男なのだ。気を使ってもらう必要はない。
ふと、窓ガラスに映った自分の姿が見える。マスクをしていて顔は分からないが、どう見ても10代後半の女の子である。これをアラフォーのおじさんと認識するほうが難しいだろう。
なんだか騙してしまったような気がしてとにかく彼から身体を離すように窓際に寄る。もしかしたら、おじさんに触りたくない少女と思われてしまうだろうか。まぁとにかく近づかないことがお互いのためなら多少は仕方ないだろうと、窓際の手すりに身体をあずけた。
(やばい。どうしよう。)
すでに新幹線を降り、終点の駅だ。隣に座ったおじさんは終点の1つ前の駅で降り、なにごともなかった。しかし、ここにきてどうしようもなくトイレに行きたい。タクシーに乗る前にコーヒーを飲んだのが効いてきた。
まぁ駅のトイレに入ればいいのだが、トイレの前に来て、果たして男子トイレと女子トイレ、どちらに入ればいいのかと立ち往生してしまったのだ。
(男子トイレに入るべきだろうけど、他に入っている人がいたら驚かせちゃうだろうし。)
かといって女子トイレに入るわけにはいかない。何年か前に女装して女子トイレに入り、盗撮をしていたやつが捕まったというニュースを見た。もちろんそんなことをするつもりはないが、万が一男とバレて誤解されれば、社会的に死んでしまう。
(そうだ、多目的トイレとか性別が関係ないトイレなら。)
そう思い駅の案内図でトイレの場所を探す。とりえあず一番近いところへ駆け込み事なきを得た。しかし、見た目と実際の性別が合っていないというのが以外なところで困るとは。
(これは、行動範囲の多目的トイレを調べておいたほうが良さそう。)
今気づけたのは幸いかもしれない。これからの自分の生活に一抹の不安がよぎった。
その後在来線でマンションの最寄り駅へ着き、外へ出た。確か途中でファミレスが在ったはず。うろ覚えだったが店は確かに存在していて、とりあえず夕食を摂るため中に入る。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
人差し指を立て、一人であることを伝える。お好きな席へという店員の案内に窓から離れた奥の二人掛けの席へ一人座る。お冷はセルフ、注文もタッチパネルというのは今の自分にはありがたい。とりあえずドリンクバーと適当に料理を頼み、コーヒーを取ってくる。
一息ついてスマホを見ると、父と親友から返信があるのに気づく。とりあえず父の方を見てみる。
[ずいぶん急だな。まぁお前ももう子供じゃないんだし大丈夫だとは思うが、必要なことがあったらなんでも言うんだぞ。あと、お前の奥さんに会えるのを楽しみにしてるからな。]
父らしい内容。そういえば子供のころから進学にしろ就職にしろあれこれ言われたことはなかった。自由にさせてくれていると言えば聞こえはいいが、少し寂しいところもあるような。まぁ毎回まったく相談しなかった自分にも問題はあるか。とりあえず自分の車の処分をまかせることと、帰る時には連絡することを返信する。
次に親友の方を開く。
[まじか、お前が結婚するとはなぁ。まぁお前のことだし相手も良い人なんだろ、素直に羨ましいよ、お幸せにな。そのうちまた遊ぼうぜ。そんときお前の奥さん紹介してくれ。まぁ何にもなくても連絡してくれよな。]
何もなくても毎週末には連絡していたが、まさか結婚報告をする日が来るとは思っていなかった。しかし返信はいつも通りの感じで祝福をしてくれてこそばゆいというか嬉しいというか。抜け駆けしたようなちょっと申し訳ない気もする。お礼と近いうちに会えそうなら連絡すると返しておく。
身近な2人に連絡をしたが、しばらく会えないだろうことを思うとなんだか寂しいような気もする。自分の女装を見せる決意が固まったら会いに行こう。
あとは、ずっと気になっていた福江さんに、これから帰るとメッセージを送る。思えば、昨日連絡先を交換してから初めての連絡になるか。
そういえば福江さんのご両親の話はまったく聞いていなかった。家族や親戚の話は話題に上がらなかったのだが、当然結婚するなら、少なくともご両親に挨拶をするべきだろう。もっとも、彼女の要望とはいえ、女装をしてご両親に会うことになったら受け入れてもらえるのか不安だ。それに父や親友に会うのもためらわれるのに、初対面の相手に挨拶に行くなんてどれほど心の準備がいるのだろう。彼女からご両親への挨拶へ行くと言われたら覚悟を決めねばならないが、自分からその話題を振るのはしばらく止めておこうと、申し訳ないがそう思うしかない。
頭の中で悶々と考えているうちに注文していた料理が届いたので、冷めないうちにと夕食にとりかかった。
夕食を終え、ファミレスを出たのは20時過ぎ。福江さんから返信が来たが、急いで戻ってきたことを驚いていた。まぁ福江さんに会いたいからと理由を添えていたことに、素直に喜んでくれたのはこちらも嬉しい。21時前にはマンションに着くと短く返信はしてある。
キャリーバッグを引き家路を急ぐ。さすがにこの時間は人通りもまばらだが、自分の地元ならこの時間に人なんて歩いていないと考えると、やはり遠くに来たのだという気持ちになる。
少し歩くと自然豊かな公園が見えてくる。公園前には交番。その向こうには住んでいるマンションが見え、もう歩いて5分くらいの距離。今日一日ずいぶんと忙しかったような気がするが、終わってみればなんてことはない。もう家についたらお風呂に入って、あとは福江さんと一緒にベッドで……。
「そこの君。」
ビクリと身体がこわばる。交番の前から声がする。見ると若いお巡りさんが声をかけてきたようだ。
「こんな時間に一人かい?保護者の方は一緒じゃないの?いくら交番が近いとはいえ、公園の周りは人通りが少ないから君のような女の子は一人じゃ危ないよ。」
どうやら心配して声をかけてくれたらしい。どうも女の子の一人歩きと思われたようだ。まぁ、自分の見た目を考えたら彼でなくても女の子が歩いていると思うかもしれない。
「だ、大丈夫です。もう大人なので。」
なんとか返事をする。
「そうかい?家は近い?送っていくよ。」
心配そうに言ってくる。見た目20代だろうか。自分より一回りは年下だろう。もっとも相手はこっちのほうが年下に見えているのだろうが。
「す、すみません。紛らわしい格好ですが、僕、男なので。家もそこのマンションですし、5分もあれば着きますから。」
勘違いさせたことが申し訳ないのと、とにかく早く解放してほしくて男だと明かしてしまった。まぁ嘘をついてもしょうがないだろうとは思うが。交番の前からでも十分見えるマンションを指さしたし、さすがに解放してくれるだろう。
「し、失礼しました。ですが、男性でもあなたのような見た目の人は変質者に襲われることも考えられるので十分気をつけてくださいね。」
お巡りさんのあっけにとられたような顔。目が点になるというのはこういうことだろうか。彼は相当驚いているようだが、自分が男だということを疑っているようには見えない。あるいは都会ならまれにそういうこともあるのだろうか。
今更だが女装した自分も変質者と言われる可能性はあったのでは。焦り過ぎてとんでもないことをしてしまった気がする。あとは見た目に勘違いされるということは襲ってくる人がいるかもしれない、というのは盲点だった。どちらの意味でも警戒するに越したことは無いだろう。
「ありがとうございます。それじゃ失礼します。」
「いえ。お気をつけて。」
挨拶を交わして彼の前を足早に立ちさる。今日一日で何人の人に申し訳ないと内心謝っただろうか。女性に間違われるという生活が自分が思っているような単純なものではない気がしてくる。まぁ今から心配しても出来ることなんてない。なるようになると思うことにして、足早にマンションへ向かった。
「おかえりなさい、鈴。」
「福江さん、ただいまです。」
玄関で迎えてくれた彼女を見て安心する。今朝と同じタイプのネグリジェに下着は色が違う。この姿の彼女に安心するというのもなんだか変かもしれないが。
「帰ってきてくれたのは嬉しいけど、こんな時間に一人は危ないわ。」
心配そうに言う彼女。
「さっき近くの交番のお巡りさんにも同じこと言われましたよ。こんな時間に女の子の一人歩きは危ないって。自分が変質者に襲われるなんて今まで考えたこともなかったけど、気をつけた方がいいんですよね。」
自分はか弱い女性ではない。が、それは中身の話であって、相手は見た目でしか判断できないとなれば可能性はある。自分の見た目について認識が甘かった、というかそこまで考える余裕が無かったというか。もし襲われても非力で護身術も身に着けていない自分は、少女よりはマシ程度の抵抗しか出来ないだろう。
「それはそうよ。鈴、可愛いんだから。男でもかまわないなんて人に襲われたら大変よ。」
「それは、さすがに怖いですね。気をつけます。」
彼女についてリビングへ。まだ部屋の中は見慣れないが、今日からはここが帰るべき場所なのだ。
「そういえば荷物は行く時と変わらないわね。持ってきたものとか買ってきたものはないの?」
「ええ。持ってくるものは特にありませんでした。買い物は、必要なものをメモして後で行ってきます。」
マスクを外し一息つく。
「そう。やってほしいことは明後日頼むから、明日買い物に行くといいわ。渡したお金で足りそう?」
「十分すぎます。むしろ多すぎるくらいで。」
職場へ置いてくるお菓子、帰りの電車賃と夕食代に使わせてもらったが、10分の1も使っていない。自分用の基礎化粧品とか洗顔料やらシャンプーやら髭剃りやら買っても全然余裕だ。今までならこれで2ヶ月は暮らせてしまいそうなくらい。
「ふふ、なんでも好きに使ってくれてかまわないわ。多すぎるなら無駄遣いしちゃってもいいのよ。」
いたずらっぽく笑う彼女。
「い、いえ。そういうわけには。しばらく養ってもらうわけですし。」
「真面目ねぇ。夫婦になるんだからもっと頼ってくれていいのよ?」
「は、はい。」
いまでも十分頼っていると思う。いや、よりかかっていると言うべきか。自分程度が彼女の負担になるとは思えないが、彼女に頼りきりなのも気が引ける。やはり彼女の役に立ちたいのだ。
「さて、それじゃ荷物はあずかっちゃうわね。」
「はい。僕はお風呂へ入ってきます。」
キャリーバッグとポーチを彼女に渡す。
「寝間着は出しておくわね。それじゃ、ベッドで待ってるから。」
「は、はい。」
ウィンクして作業部屋へ行く彼女を見送り、風呂場へと向かう。彼女の言葉に、すでに身体が熱くなっていた。
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