第6話 僕、地元に着いたみたいです

(なんだったんだ、あのお姉さん。)


 まだ心臓がドキドキしている。

 次の駅で彼女は降りて行ったが、まさか写真を撮られるとは思わなかった。やはりこの格好で新幹線に乗っているのは相当に珍しいらしい。男だとバレただろうか。まさかそのせいで写真を撮られたのか。


(考えないようにしよう。)


 あのお姉さんの降りた駅から一つ先の駅をすぎると乗客もだいぶ減ってくる。これなら大丈夫かと思いスマホを取り出す。

 向こうに着いたらまず自宅に帰り、化粧を落として、着替えて――と、これからやることを順番に思い浮かべ整理する。


 とりあえず帰りの化粧をすんなり出来るようにと、レクチャーをしているサイトを開き、今朝福江さんに教わったことを思い出しながら手順を確認する。やはりサイトで見るだけより細かな注意点や自分に合わせたやり方等、彼女の教え方が良かったのだと改めて感じる。

 あとは、職場に事前に電話をかけておこう。今は始業時間よりだいぶ前なのでかけても誰も出ない可能性が高い。自宅に着いたあたりでかけるのが無難か。

 しかし退職したいと急に言ったら当然理由を聞かれるだろう。言い訳というか、理由をなるべく詳細を省いて伝えないといけない。女装しなきゃならないことは言う必要が無いし、福江さんの会社とか、住んでいるとことか、その辺も言う必要はない。とにかく、妻と一緒に住むことになって地元を離れるので退職したいと、それくらい言えば良いか。言い方や突っこまれた時にどこまで話すかを考える。

 急な退職で本当に申し訳なく思うが、こればかりは福江さんの方を優先させてもらおう。


(そうだ。退職するんだしお世話になったお礼にお菓子でも持って行ったほうがいいよね。)


 職場を去る人が居た時、自分も何度かいただいたことがある。ちょっとした物でも礼儀的は置いてきたほうがいいだろう。時間的には途中で買えばすむ。


(駅のお土産屋さんでいいかな。東京で買っておいたほうがよかったけど気づくのが遅かったな。)


 昨日、考えるのを後回しにしたせいでいろいろと詰めが甘い。幸い地元に着くまでまだ少し時間はあるので、向こうですべきことはちゃんと詰めてメモしておこう。


(そういえば、お財布にいくら残ってたかな。)


 自分の財布を開いてみるが残念ながら紙幣は1枚も無い。そういえば交通ICカードへ使う分はほぼチャージしてしまったのだ。駅中ならこれでも買い物は出来るだろうが、残高が足りるかは怪しい。となれば、自分はクレジットカードの類は持っていないからお金を下す他無い。駅にATMはあっただろうか。なければ自宅に帰る途中で銀行かコンビニにでも寄る必要がある。


(この服で行くのはまだ恥ずかしいし、着替えてからになるかな。時間、大丈夫だろうか。そういえば、福江さんから預かったお財布。)


 ポーチの中に自分の物と別にもう一つ、可愛らしい財布が入っていたのを思い出す。福江さんがマンションの鍵と少しお金を入れておいたと言っていた。


(あんまり頼るのは気が引けるけど、仕方ない。少し使わせてもらおう。)


 福江さんが用意してくれた財布を開けて中を確認する。マンションのカードキーと、紙幣が束で入っている。


(使いやすいように千円札で入れておいてくれたのかな?)


 そっと枚数を確認しようとめくってみる。


(!?千じゃない、一万円札。)


 さすがに取り出して数えるのは控え、財布に入ったまま軽く確かめてみるが、1枚も千円札なんてない。それどころか全て一万円。ざっと見てもパートの自分の月給手取りを軽く超えている。


(これで少し。少しか。)


 軽く眩暈を覚える。金銭感覚が違いすぎる。こんな金額持ち歩いているのが少し怖く感じるくらいだ。とても手を付ける気にはなれなかったが、背に腹は代えられない。1枚だけ抜き、自分の財布へ入れる。


(これから福江さんと暮らすんだし、これくらいで驚いていられないよね。)


 少しため息が出る。別に決意が揺らいだわけではないが、自分の惨めさが辛い。これでもし、何もしなくても家に居ればいいなんて言われたら、夫ではなくてペットではないか。少しでも彼女の役に立つ方法を考えなければ。

 とりあえず財布をしまって、化粧の手順確認に戻る。時間はあっという間に過ぎ、気づけば見慣れた景色が見えてくる。


(ここからは手早く行こう。)


 そっと車内を見回して周囲に他の乗客が居ない事を確認。靴を脱いで座席に上がり、荷物棚からキャリーバッグを下す。人が多いところでこんなことをしたら目立つだろう。やはり帰りはキャリーバッグは足元に置いた方がよさそうだ。それから靴を履きなおして忘れ物が無いか確認。出入口の前まで行って到着を待った。


§


 駅中の土産屋に、開店直後、お客は一人も居ない。

 いくら観光地の玄関とはいえ大型連休が終わり、夏休みまで2ヶ月はある。もちろん改札から出てくる乗客はそれなりに居るが、改札前のキオスクに入る人は多いものの、こちらの土産屋に立ち寄る人はいない。おかげで店の品出しもすぐ終わり、店員同士、世間話に花が咲くというものだ。


「そうなのよ、それでねぇ。あら?」


 新幹線が到着してちらほら人が出てくる。スーツ姿のおじさんたちや動きやすい格好の年配の方々といつもどおりの客層。しかしその中に目を引く客が居る。フリルやリボンなんかが飾られた綺麗な水色のドレスみたいな格好で、キャリーバッグを引いた金髪の美少女。その少女はそのまま駅の出口に向かわずこちらの土産屋へやってくる。


「いらっしゃいませ。」


 そう言って迎えると、彼女はペコリと会釈して、まんじゅうやクッキー等、観光地ならどこでもありそうな食べ物系の土産の方へ行く。


(外国人かしら?顔は日本人みたいだし染めてるだけ?案内したほうがいいかしらね。)


「なにかお探しですか?」


 ビクリと体を振るわせる彼女。お喋りは苦手そうだ。


「えぇと、それなりの人数に配るお土産のお菓子を。」


 マスクで口元は隠れているが目元は少し困ったように笑っている。マスクもレースで飾られており市販品には見えない。落ち着いた感じの声からするに見た目よりは少し年上みたいなので、女子大生か。駅前の通りを道なりに行くと大学がある。そこの学生かもしれない。


「それでしたらこっちのクッキーがおすすめです。個別包装ですし数も結構入っていますよ。」

「じゃあそれで。」


 彼女はすすめた箱入りのチーズクッキーを3箱買った。一番大きい紙袋へ入れ、持ちやすいよう取っ手部分を差し出す。


「ありがとうございます。」


 彼女は品よくそれを受け取り、可愛らしくお辞儀して足早に駅の出口へ向かって行った。

「すごい子もいるもんねぇ。」

 送り出したあと、しばらくは彼女の話で持ちきりだった。


§


 駅の出口からエスカレータで降り、出迎えと思われるロータリーに停まっている車を横目にコインパーキングへ向かう。手にはお土産の紙袋とキャリーバッグ。


(やっぱり店員さんに話しかけられるのは苦手だな。しかもこの格好だし。)


 だが結果的に手早く買い物を済ませられたので感謝してはいる。ロータリーの車で待機している人達も明らかにこちらに気づくと目で追っている風だったので、相当目立っていることはわかる。だが、気にしてもどうしようもないので、とにかく気にしないと頭の中で繰り返す。

 平日の朝方に歩いている人はほとんどいない。観光シーズンなら学生なんかの団体が居ることもあるが、今は普通の観光客もほとんど見当たらなかった。

 ロータリーで待っている人達はほとんどがスーツや会社名が入った作業服で会社名の入った車も多く、シーズンにはやたら停まっているホテルや旅館の車や、私服の人は居ない。おそらく、こちらにある工場や研究所なんかの人が、都内とかから出張や見学で来た人を迎えに来ているのだろう。ようは仕事なのだ。対して自分は仕事を辞めるために帰ってきたわけだが。


 コインパーキングへ着くと自分の軽自動車へ乗り込む。たった1日停めていただけなのにずいぶん久しぶりに乗った気がする。しかしお世辞にもきれいとは言えない使い込まれた軽自動車にこんな格好の自分が一人乗って運転していたらかなり目立つだろう。


(考えないようにしないと。)


 とにかく用事を済ますことだけ考えてエンジンをかけた。


§


「社長、お迎えに上がりました。」

「えぇ、ありがとう。」


 整った顔立ちながら無表情、皺一つ無いスーツ姿の女性が車の前で待っていた。

 彼女が開けてくれたドアから後部座席へ乗り込む。座ると股に鈍痛が。昨晩のは想像を絶する痛みだった。股が裂けたというか身体が裂けたというか。しばらく時間がたった今は痛みも多少は和らいでいる。余裕が出てきたおかげか、その痛みさえなんだか愛おしい。


典子のりこちゃん、いつもありがとうね。でも、仕事前なんだし名前で呼んでくれていいのよ?」

「いえ。確かに始業前ですが社用車でのお迎えですので。」

「いつもきっちりしてるわね。そこが良いとこなんだけど。」


 しっかりとこちらのドアが閉まっているのを確認してから運転席へ座り、車を出す彼女。彼女は起業前からの付き合いだが、細かいところまで実にきっちりとしている。仕事だからとかではなくて、彼女の性格らしく、彼女の家にお邪魔したときには一人暮らしにもかかわらず家もきっちり片付いていて驚いた覚えがある。まぁその性格のおかげで自分の会社が回っているところもある。


「やっぱり副社長になってほしいわ。」

「いえ。さすがにこれ以上の出世は辞退させていただきます。」


 運転しながらはっきりと言う。彼女は今、総務部長を任せている。それだって下手したら自分の秘書業務まで兼任させているようなものだが。


 そもそもこうして迎えに来る必要だってない。

 彼女の自宅が駅から多少離れている上に車を持っていないというので、どうせほとんど使っていないからと社用車を貸与したのだ。

 そうしたら会社に行く途中にうちの前も通るという理由で、こうして出社時に拾ってもらている。しかも車の燃料費やメンテナンス費も、月毎に使用している時間から彼女の使った分を割り出し、自分の給料から出している始末。

 別に経費で落としても問題ないと言ったら、会社の備品を私用で使っているので管理はしっかりすると言われてしまった。まぁそういう所も信用している点ではあるが、その調子で自分の社長としての業務まで管理しているわけで。仕事を過剰に抱えていないか心配なのである。


「副社長になって総務の仕事は全部引き継いだほうが多少は仕事も減るんじゃない?」

「今でも十分総務の仕事は皆さんにやってもらっていますよ。おかげで社長の無茶を管理できていますので。」


 ぐうの音も出ないとはこのことか。割と思い付きで後先考えずにやってしまうこともあるが、だいたいなんとかなっているのは彼女の手腕と言わざる負えない。もしかしたら彼女に社長をしてもらったほうが良いような気もするが、さすがにそこまで甘えられないか。


「社長、今日はご機嫌のようですね。なにかあったのですか。」


 顔色一つ変えずに言う。感情の起伏に乏しいわけではなく、表情に出すのが苦手らしい。もっとも付き合いが長いとそれなりに感情を読み取れるが、社員には鉄面皮と思われている節がある。いや、そんなことより聞かれたことか。そんなに顔に出ていただろうか。


「わかるかしら。」

「ええ。仕上げの時期でこんなにニコニコされているのは初めてですね。」

「そんなに?」


 まぁ仕上げの時期は工場とのすり合わせで細かい仕様変更があったりピリピリしていることが多いのは確かか。気をつけないといけない。しかし、今は違う。


「典子ちゃんには先に教えておかないといけないわね。私、結婚するのよ。」

「そうですか。ついにお相手を見つけたのですね。おめでとうございます。」


 淡々と言う。顔色一つ変えずに言っているように見えるかもしれないが、そうとう驚いていることが分る。いや、どこがと聞かれても答えられないが。


「来週にはみんなに発表するつもりなんだけど、実奈みなちゃんに知られると根掘り葉掘り聞かれて長くなるでしょ?直接夫に会わせるまでは伏せておいて欲しいの。」

「わかりました。」


 運転もまったくブレていない。この程度で彼女が動揺するはずもないか。


「それで、婚姻届の証人になって欲しいんだけどいいかしら。」

「ええ、かまいません。もうお一人は?」

まことくんに。口止めすれば実奈ちゃんにも黙っててくれるでしょ。」

「それはそうでしょうが、後で実奈さんに怒られますね、真さん。」

「それはしょうがないわ。」


 真は美奈の夫なのだ、どうせ家でもそれなりに怒られることもあるだろう。今回の件はあとで皆と飲みにでも連れていって埋め合わせれば良い。来週、鈴を皆に紹介して、その時にでも一緒に行けばよいだろう。そう考えるとなんだかワクワクする。 

 皆鈴をみたらどんな反応をするだろうか。そんなことを考えているうちに会社が見えてきていた。

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