第5話 僕、女装のまま帰るみたいです

 右腕の感覚が無い。

 ものすごく痺れて感覚が無くなった感じで、目が覚める。柔らかい物が顔に当たっていて、良い香りがする。


「うっ」


 意識がはっきりしてくると目の前には福江さんの体がある。そして自分の右腕が下敷きになっていてうっ血して冷たくなっている。


(うわっヤバイ)


 壊死でもするんじゃないかと怖くなり、なんとか体ごと彼女から離れることで腕を引っ張り出す。左手でマッサージするが血が通っていない感じと冷たさで焦る。だんだん血が巡ってきて強いくすぐったさとひどい痺れの感覚があって一安心。


「ん、う。」


 さすがに動きすぎたのか彼女も目を覚ます。


「ごめんなさい、起こしちゃいましたね。」

「ううん、大丈夫よ……。おはよう鈴。」

「おはようございます、福江さん。」


 昨日は気づかなかったが壁に時計がかかっている。時刻は起きるにはまだ少し早いくらいか。しかし、よく見るとシーツは血で汚れているし、自分と彼女の下腹部にも血がついている。


「その、まだ痛いですよね。大丈夫ですか?」

「ええ。まぁ、大丈夫よ。」


 なんとか目的は果たせたものの、まさか彼女も初めてだとは思わなかった。痛いとは一言も言わなかったが、一つになったあと強く強く抱きしめられて身動きが取れなくなった。

 少し窒息しそうになったが、大きな胸の下の隙間でなんとか息をして、身体が離せなくてもなんとか下くらいは抜こうともがいているうちに出てしまい、あとは気が付いたら寝ていたようだ。


「その、言ってくれればもうちょっと痛くないよう準備とか――。いや、ごめんなさい。」

 自分だってこの年で童貞だったのを言うのは憚られた。もっとも恥ずかしいという気持ちは30歳を越えたとき諦めに変わってしまったが。


「いいのよ。この歳で処女なんて重いでしょ?」

 少し自嘲気味に微笑む彼女。


「福江さん。」

 なんだか愛おしくなってそっと抱きしめてしまう。


「まぁ、おかげで忘れられない夜になったでしょ?」

 耳元で囁かれる。

 ドキリとした。


「起きちゃったし、シャワー浴びましょうか。」

「そう、ですね。」

 



 それから一緒にシャワーを浴びて、自分は髭を剃る。女性の一人暮らしなので当たり前だが髭剃りが無いので、そこはボディケア用のカミソリで代用した。もっとも、彼女は脱毛をしているとかで、わざと残してある一部を手入れするくらいしか剃らないらしい。


 それから彼女の用意してくれた服に着替える。

 彼女が隣で着替えているのに昨日より余裕があるのは一晩過ごしたからか。

 そのあとは化粧台で彼女の化粧する所を見た後、自分も化粧のやり方を教わる。いくら早起きしたと言っても時間をたっぷりかけられるほどでは無いので、簡単に出来る範囲でだが。


 教わった通りに化粧をしてみて彼女に確認してもらい修正する。

 自分が手順を反復している間に、彼女は空色に蝶の柄の可愛らしいキャリーバッグに、明日の着替えと化粧落としやスキンケア用品を用意してくれた。

 あとはポーチに化粧道具と、部屋の鍵と少しお金を入れておいてくれたという可愛らしい財布。それから自分の財布とスマホも同じポーチに入れる。


 今日の服装はパステルブルーのドレスで、フリルやリボンも大きい。スカートは昨日のゴスロリより短い膝丈で、ウィッグはなんと金髪のロングヘア。

 眉も少しウィッグの色によせて描いている。もっとも目はそのままなので黒い瞳だ。福江さんの見立てだから間違いなく似合っていて違和感もないのだが、もはや自分だと分る要素がほとんどない。


 身だしなみや用意が終わると、マンションのサービスの1つだという食事のデリバリーを頼んで朝ごはんをすませる。今日、彼女は仕事で朝には出掛けるが、自分は早めの新幹線に乗るため先に家を出ることにした。


 服に合わせた青のストラップシューズを履く。白い厚手のタイツにもよく映えている。マスクはレースの白。どうもマスクも彼女の手作りらしい。あの作業部屋を見ればマスク程度造作もないのだろう。


「それじゃあ、いってきます。」

「いってらっしゃい。」


 彼女に抱きしめられてから部屋を出る。なんだかまだ夢を見ているようなここちだ。しかし、いつまでもそんな気分に浸ってはいられない。エレベーターで1階に降り、外へ出て足早に駅を目指す。


 急いでいる理由は、今日中に用事を済ませて戻って来るつもりだからだ。

 もちろん、愛しい婚約者と少しでも長く一緒に居たいという理由もある。しかし、本音を言うと、地元に帰って父や親友、知り合いに絶対見られたくないからというのが一番の理由だ。これは彼女には言っていない。


 今日父は仕事で、帰るのがいつも通りなら早くて18時だ。

 実家に戻って、化粧を落として自分の服に着替え、退職と転居の手続きを終え、また化粧して福江さんの服に着替えて18時前には実家を出なければならない。


 彼女は明日帰ってくれば良いと言ってたが、昨日の今日で女装した姿を父に晒す勇気はない。いつまでも隠し通せるものではないだろうが、せめて堂々と人前に出られるくらいになってから、彼女を連れて父に会いたい。いや、堂々と女装できる日がいつになるか分らないが……。


 ともかく、今日は周りの目が恥ずかしいなどと言っていられない。目的を果たすことだけを頭に置いて足早に駅へ入る。

 幸い靴も厚底ではなく歩きづらくはないし、昨日こちらへ来る際、帰りの分まで交通ICカードへお金をチャージしてある。カードはすぐ出せるようにしておいたので、ほぼ止まらず改札を抜けられた。

 

 在来線に乗って新幹線の始発駅へ向かう。

 時間は通勤ラッシュより早めだが人はそれなりに多い。もっとも席に余裕で座れたのだから都内ではかなり空いているのかもしれない。地元で空いているといったら、1両に自分以外居ないなんてこともあったが。


 ともかく、目的の駅について新幹線のホームへ向かう。人の流れに乗って改札を通り、目的の路線のホームへ。人ゴミへ紛れてしまうと意外と自分への視線など感じない。人が多いと多少変わった服を着ていても分らないのか、みんな目的が有って他人を気にしてはいないのかもしれない。

 新幹線のホームへ着くと前の新幹線が出て間もないので人はまばら。並んでいる人も居ない。


(予定通りだ。あとは目的の席に座れるといいけど。)


 自由席の車両入口をホームの表示で確認して並ぶ。もちろん自分が最初だ。これで自由席でも自分の狙った席にほぼ座れるだろう。

 狙うは車両の一番前の窓際。左右どちらでもかまわない。人の視線が気になって恥ずかしいのならば、自分の視界に人が極力入らなければよいのだ。座りたい席があるなら指定席を取っておけば良かったのだが、今頃思いついても遅い。


 ホームに並んでいる間も反対側のホームには視線をやらず、後ろも気にしない。さて、スマホを出して読書でもしようかと思ったが、スマホのケースは飾り気のない手帳型。別に変ではないだろうが、男性っぽいスマホケースをこの格好の自分が使っていては目立つのではないか。

 杞憂だとしてもなるべく目立つ行動は避けたい。そうすることで少しでも心の安寧を守りたいのだ。仕方なく、ホームの時計や時刻表や広告の看板に目をやって、周囲の人を意識しないよう注意しながら時間を過ごす。


(もう少しかな。)


 発車時刻が近づく。始発だが、この駅へやってきた新幹線が車内清掃から折り返しで出るはず。もし違っても結局は人のいない車両に乗り込むのだから、列の先頭で並んでいれば確実に狙った席に座れるだろう。


 さすがに周囲に人の気配が増えてくる。反対側のホームも次の発車時刻が近いのか、車両は来ていないが人が増えてきているのが横目で分る。こっちを見ているかは確認してはいけない。


「ママ見て!あのお姉ちゃんお姫様みたい!」


 突然背後から小さな女の子の声が響く。

 背筋が凍る。


 そっと振り返って見るが、並んでいる人はスーツ姿のおじさん、スーツ姿のおばさん、カジュアルな格好のお兄さんに旅行カバンを携えた上品なおばあさん。どう見てもお姫様みたいなお姉さんは居ない。


 自分の見た目以外には。


 列の一番後ろには母親らしき女性と手をつないだ小さな女の子が嬉しそうに話をしている。ふとその女の子と目が合ってしまった。こちらに手を振ってくる。無下にも出来ず笑顔に見えるよう目元を意識して手を振り返す。母親らしき人と嬉しそうに話を始めた女の子を見てまたそっと向き直る。


(ごめんよ。お姉ちゃんじゃなくておじさんなんだ。)


 別に自分が悪いわけではないだろうが、騙してしまったような罪悪感を感じながら新幹線が来るのを待った。


 ほどなくして新幹線がやってくる。清掃が終わって乗り込むと予定通り車両の一番前で窓際に陣取る。これで窓の外を見ていれば視線が気になることもほとんどないはず。

 とりあえずキャリーバッグを荷物棚へ上げようとするが、服の脇が引っ張られる感じがして腕を真上まで挙げられない。

 身長の低い自分ではいっぱいに腕を上げないと荷物棚へバッグを入れるのは厳しい。しかし万が一服が破けでもしたらことだ。もちろん、福江さんの服がその程度で破損する安普請とは思えないが危険を冒す気にはなれない。

 座席へ上がれば届くだろうが、今の自分の服装でそんなことをするのは明らかに悪目立ちだ。諦めるしかないか。


「大丈夫ですか?手伝いますよ。」


 ふいに後ろから声をかけられ、キャリーバッグが荷物棚へ上がる。見ると長身の爽やかな青年が手伝ってくれたらしい。


「ありがとうございます。」


 少し上ずった声が出てしまう。


「どういたしまして。」

 そう言って青年は車両の奥へ歩いて行った。


(勘違いさせちゃったかな。)


 果たして困っていたのがおじさんでも彼は助けてくれただろうか?いや、彼の善意を疑うわけではないが、可愛い女子の振りをして助けてもらったようで気が引ける。


(帰りは足元に置こう。)


 そう思って席に着く。降ろす時にはどうせ乗っている人もほとんどいないだろうし、座席の上へ靴を脱いで上がればいいだろう。

 そんなことを考えているうちに、新幹線は走りだした。


 次の駅につくとまた多くの人が乗り込んでくる。当然座席も埋まっていき、自分の隣にも人が座ってくる。


「隣、いいですか?」


 スーツ姿の若い女性だ。20代くらいだろうか。

 コクリと首を縦に振る。声はなるべく出したくない。彼女は「どうも」と言って隣に座り、スマホを取り出す。こちらはまた窓へ向く。なるべく気にしないようにしているが、時折窓ガラスに映る彼女がちらちらとこちらを見ている。


(な、なにかおかしなところがあったかな?)


 まぁ自分の格好が派手だからという理由は考えられるが、万が一男だと気づかれていたらどうしようかと思う。いや、気づかれたからといって別に通報されるようなおかしな見た目ではないと思うが恥ずかしさか恐怖か鼓動が早くなる。


(何事もありませんように。)


 祈るような気持ちで窓の外を眺め続けることにした。


§


 朝のラッシュ前とはいえさすがに都内の駅は人が多い。自由席で座れたのはラッキーだった。まぁどうせ次の駅で降りるのだが。

 当然先客がいて通路側に座ったのだが、その窓際の先客がなかなかの相手だった。昨日の仕事で都内まで来て、結局現地解散のあと飲んでビジネスホテルに泊まった。おかげで、休みだと言うのにスーツで新幹線に乗るはめになったが、偶然とはいえ良いこともあるものだ。

 スマホを見てコミュニケーションアプリを開き、目的地の駅で待っている迎えを頼んだ友人にメッセージを送る


なっちゃん:新幹線に乗ったけど、隣にとんでもない美少女!堪能中。

みゆきち:ずるい!見たい!写真おくれ。


 即返信が返ってくる。写真って、いきなり見知らぬ人の写真を撮れるわけがない。


なっちゃん:無理言うな。脳内フォルダにだけ保存しとく。

みゆきち:どんなん?顔は?服は?


 ちらりと彼女を横目に見る。ずっと窓の外をアンニュイに眺めているが、窓ガラスに顔が映っている。口元は上品なレースの白いマスクで分らないがそれでもかなりの美少女だろう。これでマスクをとって不細工だったらどんなマジックだ。


なっちゃん:マスクで顔は目元しかわからん。でも金髪で水色の甘ロリっぽい服でマスクもレースだしおしゃれで可愛いいがすぎる!


 頭から足元まで統一のとれたコーディネートで服のディティールも凝っている。ブランド物かもしれない。身長は座っていて分りづらいが自分より少し低めか。胸はスレンダーだが少し覗く白いタイツの足元や手元も実に細い。お人形さんのようとはまさに彼女のことだろう。


みゆきち:まじか!服もロリか!絶対見たいんだけど。ダメもとで写真頼んでみ?出来ればマスクも外してもらえ。


(こいつ、頼むの私だと思って無茶苦茶言うな。でも私も見たいんだよね。)


 どうせ失敗しても乗車時間はたいしてない。なら言わなきゃ損か。


「あの、すみません。」


 彼女の方を向いて声をかける。ビクッと肩をすくめ、ゆっくりとこちらを向く彼女。


「な、なんでしょう?」


 思ったより低めな声。少女というよりは大人の女性のようだ。もしかしたら女子大生くらいかもしれない。


「お写真撮らせてもらって良いですか?」

「えっ?」


 可愛らしいパッチリした瞳がさらに大きく開く。さすがにいきなりすぎたか。


「お姉さんがおしゃれで可愛いので、ぜひお願いします。1枚だけでいいので!」


 まだ拒否されてはいない。誉めて押すのだ。


「あ、ありがとうございます。まぁ1枚だけなら。」


 身をすくめて控えめな声で言う。しぐさまで可愛いのかよ。


「ありがとうございます!出来ればマスクを外していただいて。」

「わ、わかりました。」


 おずおずとマスクを外す。困ったような顔があらわになる。マスクで隠れてるほうが美人に見えるなんて言うが、本物には通用しないのか。

 生でこの可愛さとか本当に同じ人類かよ。

 とにかく相手の気が変わらないうちにと、座席から立ってなるべく全身が入るようにし、上品に座っている姿を余さず納めシャッターを切る。まるでアンティークドールのようだが、新幹線の座席というのが実にシュールだ。


「ありがとうございました。大切にします!」

「はい。ど、どうも。」


 彼女はマスクをしなおしてまた窓の方を向く。心なしか顔を赤らめているのがまた可愛らしい。撮った写真をすぐ友達に送る。我ながらよく撮れている。



なっちゃん:意外といけるもんだ。撮ったよ。

みゆきち:ふぉぉぉぉ!



 謎の歓声らしき返信と、さらにGJという文字のキャラクタースタンプ。

 それから降りる駅に着くまで2人で美少女について白熱したメッセージを送り合った。もちろん自分は横目に本物を堪能しながら。

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