第3話 僕、彼女の気持ちを聞くみたいです
(あぁ、可愛らしいわ。ずっと見ていたい。)
カフェテラスの白い机に黒いゴシックロリータに身を包んだ彼がよく映える。
黒いエスプレッソの入った白いカップの持ち手を右手に、左手を反対側にそっと添えて口へ運んでいる。振る舞いなんてわからないと言った割には上品で可愛らしい仕草。
まぁ、男性らしい振る舞いではないだろうけれど。ケーキも小さく開けた口で少しずつ味わっている。見ているだけで頬が緩んできてしまうが、あんまりニヤけていると怖がられてしまうかもしれないと自重して、微笑む程度に抑える。
「お味はいかが?」
「おいしいです。僕、こういうおしゃれな店って入ったことなくって。」
天気の良い暖かい陽気に初夏の爽やかな風が吹く。ウィッグの髪がなびくのを控えめに手で抑え、通りの方を気にしている。
これが自分の1つ年下の男性だというのだ。
もちろん特殊メイクなみに厚く化粧を重ねてやれば、だいたいの男性だって見られるようには出来るだろう。だが、今日は素材の味を活かすためにナチュラルメイクに留め、体形を補正するような下着類はつけさせていない。それでこれほどの完成度なのだから計り知れないポテンシャルを秘めている。
しかし外へ連れ出してからずっと恥ずかしげな様子で下ばかり見ている。女性用の服を着ているからか、あるいはロリータファッションに抵抗があるのだろうか。まずはおしゃれを楽しんでもらうことが課題かもしれない。とはいえ、今の様子もなかなか。
(あぁ、可愛いわ。抱きしめたい。)
さすがに出会ってすぐ、そこまで距離を縮めてはいない。ならもう一押しが必要だ。カップを口へ運び、喉を潤す。
「そういえば、今夜は泊まる所を決めているの?」
「いえ、ビジネスホテルにでも泊まろうかと。」
上目遣いに申し訳なさそうに言ってくる。可愛すぎる。いや、そうではなくて。気を遣ってくれているのだろうが、気遣いの方向が違う。
「その服装で?」
「いえ、その。」
私の指摘に恥ずかしげにうつむく。撫でてあげたい。
「ふふ、困らせるつもりはなかったの。ただ、知り合ったばかりだからこそお互いを知るべきじゃなくって?うちに泊まりなさいな。」
「いいんですか?」
驚いたようで口元が少し笑っている彼。すぐまた恥ずかしそうに下を向いてしまうが。
「もちろん。むしろ今日から一緒に住むのよ。」
「は、はい。よろしくお願いします。」
これで今夜も一緒にいられる。頬が緩むのを止められないので、不自然に歪むよりはとにっこり微笑む。彼も安心したように微笑んだ。あとは、メイクを落とす時に一緒に風呂へ入るようにすればよいし、子作りの条件も合意してもらったのだからベッドへ誘ってもおかしくないだろう。
問題は、自分がこの歳で処女な上、自慰行為すらまともにしたことがないくらいか。身体のほうは健康でまったく問題は無いのだが。一応結婚相手を探し始めた時、初めては相当痛いらしいと知り、試しに自慰行為を試してみた。しかし、指先をほんの少し入れただけで驚くほど痛くて諦めたのだ。
いくら外見が可愛らしいとはいえ、彼も中年男性である。そういう行為は任せた方が良いだろう。痛いのはこの際我慢すればいい。一夜を供にすれば律儀そうな彼のことだ、離れていくことは無くなるだろう。何より好きなだけ抱きしめて撫でて愛でることも出来る。そう思うだけでウキウキとした気分が止められなくなってきた。
(まぁ、まずはケーキと飲み物をいただいてしまって、次はディナーね。なんて楽しいのかしら。)
高揚した気分のまま、まずはケーキを味わうことにした。
§
日が傾いて辺りが色づいてくるころ、福江さんに案内されてディナーをいただく店へやってきた。
結局カフェのお代は彼女が出してくれ、ディナーも彼女持ち。情けないが見栄を張ってもしょうがない。なんなら明日すんなり行けば有休消化を経て無職だ。出来れば早いところ、こちらでも仕事を探したい。
もっとも、自分がどんなにあがいて就けそうな職を探しても彼女の収入からすれば雀の涙程度の額しか稼げないことは明白だった。
デザイン性の高い外観に、おそらく店名なのだろう立体のアルファベットが並んでいる。英語ではなさそうなのでさっぱり読めない。たとえ自分がデートコースをセッティングしても、選べないお店だ。
店内に入るとムーディな照明に落ち着いた雰囲気で、実に高級感に溢れている。入口の扉に創作イタリアンと書かれているのを見るに、店名はイタリア語なのだろう。イタリアンなんて自分にはピッツァとパスタしか思い浮かばない。まして創作なんて何が出てくるかさっぱりである。
彼女は先に立って店員とコースの確認をしている。どうやら予約済みだったらしい。最初から自分と来るつもりだったのだろうか。すぐ予約して入れるような店でもなさそうだし、だとしたら初めから失敗することなど微塵も考えていなかったのだろう。あるいは絶対に自分を落としてここでディナーをすると決めていて、実行出来るだけの行動力があるということか。もはや自分がどんな心づもりだろうが彼女に身を任せるしかないような気がする。
「お飲み物はお二人ともアルコール有りでよろしいでしょうか?」
「ええ。鈴もいいわよね?」
「はい。」
店員とのやりとりに急にこちらに振られて反射的に答える。
「失礼ですが、お連れの方の身分証を確認させていただいても?」
「はい。」
ハンドバッグを開いて財布を開き免許証を取りだし――
あっ、しまった。
4度目いや、さっきは回避と考えて本日3度目か。
そもそもカフェでワインの話が出た時点で気づくべきだった。自分と福江さんの2人連れ立った見た目は親子か姉妹と自分でそう思ったではないか。
というか、最初に着替えた時点で歳の頃15~6の少女に見えると思ったのだから、当然お酒を飲もうと思ったら確認されるに決まっている。
果たしてここで馬鹿正直に自分の身分証を出して、39歳男性の身分証と目の前の少女が一致するのか。いや、もう引っ込みはつかない。
免許証の写真をチラと見る。自分のウィッグも化粧もしていない顔。そんなに厚化粧ではないしウィッグで印象が変わっていても顔は同じだ。生年月日は記載されているので歳はごまかせないが性別は記載がない。もっとも写真の自分は少女には見えないと思うが、あと一押しすればなんとか信じてもらえるかもしれない。
「ど、どうぞ」
免許証を見せる。店員は、こちらの顔と写真を見比べ、戸惑った様子。
「ええと、ご本人様で?」
でしょうね。信じろと言う方が難しい。なんなら写真のない20代前半くらいの女性の身分証を借りてきて見せたほうがまだ信用される。
「そ、そうです。僕、男なんです。紛らわしい格好ですみません。」
顔から火が出るというのはこういうことか。声も多少低めで出したつもりだ。もう恥を忍んでこうするほか思いつかなかった。恥ずかしさで死にそうだ。
「はい。結構です。それでは、お席へご案内いたします。」
店員は何事も無かったかのように対応してくれる。
(店員さんごめんなさい。)
無用に混乱させたことを内心謝る。もう恥ずかしくて顔を上げていられない。福江さんは、というと笑いをこらえているように見える。やっぱり楽しんでるのか。いや、もう彼女が楽しければそれでいいと思うことにする。
店内の奥まった一角、整えられた席へ案内され、向かい合って座る。案内してくれた店員さんが居なくなっても、まだ恥ずかしさは消えないが、場の雰囲気に背筋が伸びる。彼女の顔をまっすぐ見つめる形になるが、ムーディな照明のおかげで自分の赤い顔も少しは隠せるだろうか。
ほどなくして、案内してくれた人とは別の店員さんが食前酒を持ってくる。グラスにワインが注がれ、「ごゆっくりどうぞ。」と店員さんは戻って行った。福江さんはマスクを外してグラスを手にする。自分もとりあえず同じことをする。
「それじゃ、婚約祝いとこれからよろしくということで、乾杯。」
「か、乾杯。」
彼女がグラスを上げたのに合わせてぎこちなくグラスを上げる。それから彼女に倣って一口。爽やかな酸味とアルコールの香り、ほのかな炭酸が口を刺激する。スパークリングワインというやつだろう。
それから出てくる料理を順番に味わい、違ったワインも途中でいただいたりして、食事をする。というか、緊張で楽しんでる余裕がほとんどない。味は繊細で上品だと思うが、正直食べなれない味がする。どういう料理かもよくわかっていないし、自分にはもったいない気がする。
「やっぱり恥ずかしいかしら?」
「えっ?ええ、まぁ。」
彼女の問いかけに反射的に答える。料理を食べながら少し彼女の方を見ていたが、微笑む彼女と何度も目が合った。彼女もこちらを気にしてくれているようだが、何を考えているのか様子をうかがっている自分とは違い、楽しそうに眺めているように見える。
「どういう所が恥ずかしいと思う?」
そう言ってワインを一口。彼女の唇が艶やかに濡れる。
「ええと、女性向けの服を僕が着るのはやっぱり、ちょっと。」
多少酔いがまわってきたのか、言葉がスルリと出てくる。あるいは思考力が鈍ってきたというか。
「たしかに女性向けとしてデザインしているし、そういうカテゴリーで売ってはいるけど、別に女性しか着てはいけないと言うつもりも無いわよ。」
言わんとしていることは分る。女物を着こなす男性やその逆もまたいるだろう。
「それでも、女物を着ている男性がいたら変だと思う人の方が多いのでは。」
ついつい目線が下を向き、グラスを持つ自分の手が見える。フリルの付いた袖に黒いレースの手袋。自分の手だと思うと実にシュールだ。
あるいはこんなレストランで美人の婚約者とディナーなんて、全てが夢でも見ているようで、目が覚めたら自分の部屋のベッドの中なのではないかとも思う。
しかし、もし夢ならもう少し手心というか、なんだって女装して羞恥の渦へ叩き込まれなければならないのか。夢のようなひと時に浸ることも出来ないではないか。
「鈴は自分が周りから変な人だと思われることが恥ずかしいのね?」
なんだか楽しそうに彼女は言う。彼女が出した条件に難癖をつけているような内容ではないかと少し思ってしまったのだが。
「たぶん。そうですかね?」
別に何が恥ずかしいとか、そう考えて悶えているわけではない。ただ、とにかく恥ずかしいという気持ちが湧き上がってくるのが、自分ではどうしようもないのだ。
「周りから奇異の目で見られるのは、違和感があるからでしょうね。たとえば、ロリータファッションを普段着で着る人が少ないのは、カジュアルなファッションの中では目立つから。TPOが合っていないと思われることもあるでしょう。逆にイベントで同じファッションの人が集まれば、カジュアルな装いのほうが奇異な目で見られるでしょう。男性がレディースを着て奇異な目で見られるのだとしたら、着ている人と服が合っていないからでしょうね。」
彼女はワイングラスを見ながらそう語ると、一息つくように口に運んだ。
「でも、鈴。今のあなたを、あなたのことを知らない人が見たら、果たして着ている人と服が合っていないと思うかしら?」
彼女がすっとこちらを見てくる。
「それは、ええと。見た目で似合ってないとかおかしいと思う人は少ないんじゃないでしょうか。たぶん。」
彼女と合った目をそらす。
「ふふ。今日の鈴のコーディネートはね、私が自分のデザインの中で、鈴に似合うように選んだのよ。」
「僕に似合うように。」
彼女の方を見る。実に嬉しそうに微笑んでいる。デザインをした本人が似合うように選んだのだ。これに異を唱えられる人間がどれだけいるだろうか。
「男性向け、女性向けなんて、一般的にどちらの性別が着るかを意識した分類でしかないわ。乱暴な言い方をすれば、個人に向けて作られてはいないのよ。だから、一人一人に似合う服はそんなカテゴリー分けでは分らない。ただなんとなく、自分の性別や年齢で着るものを選んでいるだけって人も多いんじゃないかしら。」
彼女と目が合う。今度は目をそらせない。
「私はね、私の服が良く似合う人を夫にしたかったの。あなたを見つけるまでに10年もかかったのよ。」
彼女はそっと目を伏せる。それが実に色っぽくて見惚れてしまう。
「今はまだ原石のようなものだけど、それでも少し着飾っただけでこんなに綺麗になったわ。きっとこれからもっと美しくなれる。」
彼女の瞳がまた、自分を捉える。
「あなたは性別とか年齢とか関係なく私の服を着こなせる、そんな私の理想を体現できるような人になれると思うの。男性でも私の服を好んで着てくれる人もいるわ。でも男が女性の服をとか、女性でも年齢が高くなってロリータファッションなんてっていう声もある。そんな人たちの前に立つだけで黙らせられるような人にあなたをしたいのよ。手伝ってもらえるかしら。」
有無を言わせぬ瞳の輝き。
「は、はい。」
女装して過ごすという条件は、恥を我慢すれば済むと考えていた。だが、彼女の考えはそんな甘っちょろい物ではないのだ。彼女の期待に答えられるようになるのだろうか。恥ずかしさすら吹き飛ぶ不安と重圧がのしかかってくるが、今は、ワインに乗せて飲み込むしかなかった。
「ふふ。ちょっと口が回りすぎちゃったわね。まぁ、とにかくあなたは、ファッションを楽しんでくれればいいのよ。気楽にね。」
彼女がウィンクする。彼女のブランドのロゴのように。それがなんだかとても素敵で、胸が高鳴る。
そういえばデートの間、ずっと彼女は楽しそうだった。きっと自分も恥ずかしさなんて気にしなければ、彼女と居るのは楽しいはずだ。
(福江さんと一緒にいられるだけで、僕は。)
ふわふわとした幸せな気分。ただ酔いが回っただけかもしれないが、もしかしたら彼女の魔法にすでにかかっているのかも。それも悪くない、そう思ってグラスの中身を飲み干した。
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