第2話 僕、初デートみたいです

(あぁなんて素晴らしいの!)


 今、目の前に立っている彼の姿を見て歓喜に打ち震えた。

 顔は最低限のメイクに、髪は彼の為に用意しておいたウィッグ。服は去年の冬に出したものの試作品で、サイズはディスプレイ用の少し小さいものだ。

 私の会社でモデルをしている2人が着るにはもう一回りは大きいサイズが必要なのだが、彼はこのサイズで丁度良い。女性用でも小さめのサイズだが、華奢な彼は難なく着ることが出来た。

 男性らしい骨格や喉仏は隠れているし、この姿だけを見て男性だと気づくのは至難の技だろう。


(やっと見つけたわ。私の理想に最も近い人。)


 名前は鈴之助と言ったか。鈴とは名前も実に可愛らしい。声は鈴のようとまではいかないが、男性にしては高めで、大人の女性と言っても通用する。

 彼のような相手を見つけるのに実に10年もかかった。もう40歳になってしまったが、絶対に妥協はしないと決めていたのだ。


 始めのころは知り合いの紹介や結婚相談所、婚活パーティーなど直接会うことを重視してとにかく時間を見つけては探しまわった。

 だが、集まるのは顔や経歴や経済力や女性の扱いに自信のある連中ばかり。「君なら自分に釣り合う」とか、「何一つ不自由はさせない」とか、「つまらない仕事なんてもうする必要はない」とか、とにかく連中の話の聞かなさにはうんざりした。

 私の求める条件にはさっぱり当てはまらないのに、「女性なら自分のような男を求めて当然」とでも思っているのか自信満々だった。


 途中からとにかくお見合いのプロフィールとか、婚活サイトだの婚活アプリだので自分の顔やプロフィールを極力隠して相手をしらみつぶしに探した。

 条件の容姿は絶対。それに加えて誠実さが欲しかった。少なくとも自分の話を聞いてくれるかは重要だ。なぜなら私の服が似合って、尚且つそれを常用してもらう必要がある。多少容姿の良さそうな相手にこの条件を提示してみたこともあるが、だいたい冗談と一笑に付すか回れ右して逃げ出すかだ。一体私を何だと思っているのか。


 しかし彼は、鈴は違った。

 彼のぎこちない笑顔の写真を見た時、先の見えない暗闇に一筋の光明が差したようだった。プロフィールも自分の現状やダメなところが馬鹿正直に書かれていて、誠実というか嘘のつけない性格が垣間見えた。

 彼は美貌の持ち主だったが、女性受けはしないだろう。実に中性的というか性別を越えた美しさに見える。男らしくないからとかではなく、こんな人を隣に置いて、自分が醜く見えるのではないかと思わせるほど。

 だが目の前に居れば愛でずにはいられないだろう。どちらかというと愛玩動物のような魅力も持っているように思う。もし彼の魅力を開花させられたら、男女関係なく魅了するようになれるだろうが、幸いにも未だ原石の彼は誰の目にも止まらずひっそりと埋もれていたのだ。


 しかし、彼を見つけるのに時間をかけすぎてしまったのも事実。

 40という年齢は楽観出来る域をとうに越えてしまっている。

 だがここから結婚まではあっという間に事が進むだろうという直感があった。なぜなら、彼のプロフィールからはまるで助けを求めるような、拾って下さいと書かれたダンボールに捨てられた子犬みたいなものが感じられたからだ。

 少々強引でも直球で誘ってやれば自分のところへ連れ込めるだろうと思っていた。もし渋ったらこちらから迎えに行こうとも思っていたが、彼はあっさり私の部屋までやってきて従順に従い、服を着てくれた。


(あぁ、なんて可愛らしいの。ずっと愛でていたい。)


 不安そうに見上げてくる彼。こちらの方がずっと背が高いせいで見下ろす形になる。デカ女と馬鹿にしてきたヤツもいたが、彼を抱きしめるのに都合の良い身長差は悪くない。

 とりあえず姿見の前でもじもじしている彼をスマホで全身が入るように撮影する。次に彼に着せる服の参考になるし、新しいデザインを考えるのにも使えるし、後で個人的にも楽しめる。


(いつまでもこうしていたいけど、とにかく彼の気持ちを私に向けないと。)


 ニヤけそうな顔を笑顔に留めて、彼の支度を始める。デートコースは決めてある。ディナーの予約もすでにしてある。今日の予定は大雑把に決めてあるから連れて行って話を聞き、彼の求めるものを探り出してやればよい。


 彼のプロフィールから自信の無さと現状の辛さが滲み出ていた。

 こういった自分の環境に不満や不安を持ったり、自信を喪失している相手には、相手を理解していると示してやるのが一番だ。そうやって今までも有能な人材を集めてきたのだ。まして今回は自分の夫である。是が非でも物にしなければ。


 彼の小さいながら少し骨ばった手にレースの手袋をはめてやり、服装にあったハンドバッグを出して彼の貴重品を入れさせ持たせる。靴も事前にサイズを聞いていたので丁度の物を用意してある。

 気になったのは薄いながら処理されていないムダ毛くらいだが、今は露出を極力抑えた服装で隠してあるし、あとでつるつるにしてやればよい。


「さぁ行きましょうか。」

「は、はい。」


 彼を導いて部屋を出る。緊張からか頬を赤らめ、下を向いてしまった。縮こまるように足をそろえ、手を体の前で合わせる。しぐさがいちいち可愛らしい。無意識でやっているのなら大したものである。


(服に慣れさせがてら、通行人に見せびらかしてやりましょう。)


 細かいことはいちいち考えなくてもフィーリングでなんとかなるだろう。もうウキウキとした気分は止められない。彼の手を引いてデートへと向かった。


§


(しまった、部屋を出る前に気づけなかったなんて。)


 人生初のデートに浮かれたまま、彼女に連れ出された。

 それは良かったのだが、今の状況は喜んでなどいられなかった。着飾ったからデートに行こうと言うからには、そのままの服で外へ連れ出されるに決まっていたのだ。

 まぁ、それに気づいていたとして逃げることも拒否することも出来なかっただろうが、心構えくらいは出来たかもしれない。


 ともかく、僕は今、福江さんに手を引かれておしゃれな店の並ぶ通りを歩いている。

 服装はさっき着せられたゴスロリのまま。足元はサイズぴったりの厚底ブーツ、手にはレースの手袋、口元は彼女とお揃いのバラの刺繍のマスク。可愛いフリルとリボン付きのハンドバッグには自分の持ってきた財布とスマホが入っている。もちろん全部黒系で統一されている。彼女も帽子とマスクを身に着けて、マンション前で会った時と同じ格好になっている。いや、黒い革のハンドバッグを持っていることだけは違うか。


(は、恥ずかしい。)


 先ほど室内で姿見を確認したから、自分が見事に美少女の見た目となっていることは分っているものの、中身は39歳のおじさんである。いくら外見が可愛らしいと言われようと、女装趣味の無いおじさんがゴスロリを着て歩いていれば、恥ずかしいという気持ちが溢れてきてしまうのだ。

 おかげで、せっかく美人の婚約者とお手々つないでデートだというのに、さっきから道と靴ばかり見ている。


「ふふ、そんなに恥ずかしがらなくていいのよ。可愛いんだから胸を張りなさい。」


 彼女は嬉しそうに言う。

 たしかに、せっかくデートへ連れ出してくれたのに、いつまでも俯いていては申し訳ない。

 恐る恐る顔を上げると、多くの人々が行き交いすれ違う中で、いくつもの視線が明らかにこちらへ向いている。顔を下げるわけにはいかないものの、とにかくそちらを見ないように目線だけは下へ向ける。

 目立つ服装をしているから見られているのか。もしくは自分では分らない、男だと分かる違和感に気づいて見ているのか。前者でも恥ずかしいのにもし後者だったらと身が縮む思いだ。


 ふと、店のショーウィンドウに自分たちが映っているのが目に入る。彼女だって若々しく見えるが、どう見ても親子か、良くて姉妹にしか見えない。

 これが婚約したばかりのアラフォーカップルだと言ったら正気を疑われるだろう。

 つまり、どう頑張っても自分は彼女の婚約者には見えないわけで。


 彼女が手を引いてくれているのに、自分の歩みは実に遅い。慣れない厚底ブーツが歩きにくいのもあるが、そうでなくても、彼女の脚は自分の倍くらいありそうな長さだ。普通に歩いても自分のほうが圧倒的に遅い。それを彼女が手を引き、躓きそうになるたびに支えて、歩調を合わせてくれているのだ。その優しさが、男として惨めに思えて、より羞恥心を煽る。


「少し疲れたかしら?休憩しましょうか。」

「は、はい。」


 彼女に手を引かれるまま、おしゃれなカフェに入る。歩き疲れたというよりは精神的に疲れているが、ともかく休めるならありがたい。出来れば人目につかない席で。


 しかし、そんな甘えが許されるはずもなく、彼女はテラスの通りに一番近い席を選び、向かい合って座る。明らかに通りを歩く人のうち、幾人かが通りすぎながらこちらを見ている。彼女の方を見ると、微笑みながらこちらを見ているが、僕の反応を楽しんでいるのだろうか。


 とりあえず注文を済ませたが、多少高めとは言え僕の声は男に聞こえるはず。店員さんは違和感を覚えたのではないかと思わずまた俯いてしまう。


「ふふ、恥ずかしがってるのも可愛いわね。まぁそのうち慣れるわよ。」


 相変わらず楽しそうな彼女の声に顔を上げる。


(そうだ、デートに来てるのに、僕は何を。)


 意中の女性とデートでお茶だなんて人生初だ。女装しているという理由もあるが緊張するのは仕方ない。それでも周りばかり気にして相手のことをまったく考えていないとは、あまりにも失礼だろう。


(なにか話さないと。)


 彼女は嬉しそうにしているが、黙って座っているわけにはいかない。なんとか乏しい会話の知識を絞り出す。会話のきっかけはなんでも良いはず。たとえば天気の話とか。


「ええと、いい天気ですね。」

「ええ。晴れてよかったわね。」


 彼女の返事に次の言葉が出てこない。


(なんて返事すれば。うぅ、会話が続かない。)


 女性との会話の引き出しなんて持っていない。ただでさえ多少人見知りなのだ。それでも、彼女を退屈させないように、なんとか話をしなければと気持ちばかり焦る。


「お待たせしました。」


 と、そこで注文したものが来る。福江さんはカフェモカのシナモントッピングとレアチーズケーキだったか。

 自分はコーヒーはよく飲むものの、大抵コンビニか、自分でレギュラーコーヒーをドリッパーで淹れるくらい。カフェになんて入らないからメニューを見てもさっぱりだった。で、とりあえず確実に味がわかるエスプレッソを頼んだ。ケーキはティラミス。このケーキもコーヒーが使われているから被っているけれど相性のチョイスなんて分からない。

 たしかティラミスという名前には[私を元気づけて]という意味があったと何かの本で読んだ。もう羞恥心をどうにかしてくれるならケーキにだって縋りたい気分だった。


 とにかく落ち着こうと、マスクを外し、カップを口に運ぶ。強い苦みに少しの酸味とコク。香ばしい香が鼻を抜ける。


「ふぅ。」


 文字通り一息つける。それからティラミスを一口。マスカルポーネの独特の風味にカカオの香が重なり味わい深い。そういえばいつもはコンビニやスーパーのカップ入りのやつで、店で食べたのは初めてだったかもしれない。


「鈴は砂糖やミルクを入れないのね。」


そう言って彼女も飲み物を一口。


「ええと、飲み物だけの時は入れたり、カフェオレにしたりしますけど、ちゃんと味わいたい時は入れないですね。福江さんのはシナモンでしたっけ。お好きなんですか?」


 マスクを取った彼女は優しく微笑んで見える。さっきから声や目元で嬉しそうだと感じてはいたが、笑顔を見るとなんだか安心する。


「別に、たまにはいいかと思って。一番飲むのはワインね。食事の時も、友達や会社の子と飲みに行く時も美味しいワインが飲めるかどうかでお店を決めたりするくらい。今日のディナーもワインがおいしい店だから楽しみにしてなさい。」


 彼女は楽しそうに言う。


「そうなんですね。僕はあんまりお酒は飲まないですが、福江さんが美味しいと言うなら楽しみです。」


 他愛のない会話がなんだか無性にうれしい。そう思いつつカップに口を付ける。


「鈴は魚と肉ならどっちが良い?」

「僕は海の無いとこに住んでるのでどっちかというと肉の方が好きです。福江さんは?」

「私も肉のほうが好きね。特に鶏肉。まぁ魚が食べたい時もあるけど、そういうときは白ワインが欲しいときね。」


 彼女もまた飲み物を一口。顔立ちだけでなく、しぐさも美しく見える。ずっと見ていたいほどに。


「そういえば鈴の住んでる所はなんて言ったかしら?遠いの?」


 婚活アプリで住んでいる都道府県は出ているはずだが、彼女にはピンとこない県だったのだろう。まぁ県の知名度ランキングが下から数えた方が早いのは知っている。観光地とかの名前を言ったらなんとなく分ったようだった。


「僕は北の、東京からは遠い方に住んでるんで、新幹線で1時間くらいですね。」


 おかげでこちらに来る車内でも、これからどうなるのかと1時間無駄に考えっぱなしだった。その時はまさかその後デートでお茶してるなんて夢にも思わなかったが。


「そうなの。それなら出来れば早いうちに一緒に暮らしたいわね。服の心配は無いし、生活に必要なものはそろってるわ。あと足りないものも買い足せば良いし、そんなに持ってくるものはないでしょう。こっちに住むのにどれくらいかかりそうかしら?」

「そうですね。ええと……。」


 もう婚約はしているし、恥ずかしながら結婚の資金は彼女が工面してくれるだろう。自分の趣味品は漫画や小説なんかの本が大半だし、あとはゲームとかフィギュアとかが少しだ。彼女のマンションに持ち込みたいと思えるものはない。となると彼女の言う通り持ってくる物なんてほとんどない。


 あとはパートの仕事だが、工場の現場作業だし、前職の正社員で働いていた時のように引継ぎを細かにしなければならないこともないし、すぐ辞められるだろう。

 あとは実家で父が一人暮らしになってしまうことが少し心残りだが、自分と違って社交的で友人も多く、なんなら親戚だって近くに住んでいる。

 むしろ自分の方が親友が1人しかいないさみしい人間だし、生活能力も自分を男手一つで育ててくれた父には勝てないだろう。


「退職と転居の手続きはしないとですが、たぶんそれくらいですね。終わればすぐにでも来られます。」

「そう。それじゃ明日やって来られる?」


 明日は月曜日。しかし、今日上手くいかなかったとしても、観光でもしてから帰ろうと思って有休を取っておいたのだ。まさかここまで上手くいって、退職の手続きをしに行くとは思わなかったが。


「大丈夫です。明日手続きしてきますね。」


 まぁ他にも手続きは必要かもしれないが、わざわざ帰ってやらなければならないという事もないだろう。本当に必要ならまた時間を作ればよいだけだ。


「じゃあ戻ってくるのは明後日でいいわよ。今やってる仕事が仕上げで今週は少し忙しいの。明日と明後日の分、服はすぐ用意できるから、簡単なメイクを明日の朝教えるわね。戻った次の日くらいにはやってもらいたい事もあるし、来週までには籍を入れておきたいわ。」

「分りました。」


 明日1日で手続きをして明後日なら余裕があるだろう。何も問題は無いと、カップを口に運び一息つく。

 ……うん?明日と明後日の分の服ってまさか!


「えっと、あの、明日と明後日も福江さんのデザインの服を?」

「もちろんよ。」


 さも当然と事もなげに言ってカップに口をつける彼女。

 つまり女装して新幹線に乗って地元に帰って、帰りは自分でお化粧までして女装して返ってくると。


「あの、職場に行く時は他の服に着替えても?」


 本音では明後日戻ってくるまでは男の服で居たい。しかし女装するという条件はすでに飲んでいるのだ。


「ふふ、もちろん。まぁ着飾って行きたいならそれでもいいけど。」

「いえ、さすがに職場を混乱させたくはないので自分の持ってる服で行きます。」


 落ち着こうとまた飲み物を口にする。なんとか3度目のしまったは回避できたようだ。

 明日どうするかは明日考えよう。今は彼女を見ることに集中して余計なことは全部頭から追い出すことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る