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 言っていたとおり、小一時間ほど時間をおいてオフィスを訪れた神酒樋を、来て早々に社外へ連れ出した。応接室なんてものはうちには無い。それに、周りで扱っているのは他の客への納品物で、他人の目には晒せない。

 代金はこちらで持つので、と近所の喫茶店を示すと、神酒樋はすこし思案して、それならカラオケにできないか、と言った。

「あんま人に聞かれたくない話なんですよね……。もちろん、料金は出させてもらうんで」

 客なんて見かけない寂れた喫茶店だったけれど、そういう問題でもないのだろう。奢りは丁重に断りつつ、神酒樋と共にカラオケの個室へ入った。昼のフリータイム。結構な長話を想定しているらしい。

 硬めのソファーに、斜向かいに浅く腰かける。テレビでは知らない歌手グループが、賑やかしく新曲の宣伝をしている。飲み物が運ばれてくるのを待って、神酒樋は話し始める。

「実は、人捜しをしてるんです」

 バッグから何枚か写真を取り出してテーブルの上に置く。膝ほどの高さに広げられたそれらに目をやる前に、俺は一応の確認を取る。

「警察の仕事かと思いますが」

「警察には行きません。事件性があるとか、そういう話ではなくて……」

 また黒縁に戻っていた眼鏡の奥に、さっきは暗くて見えなかった隈がくっきりと浮かんでいる。ともかくご覧になってください、と言ってから、神酒樋は、鬱陶しそうに顔をくもらせて、テレビの音量をゼロまで下げる。

 息をつく。面倒そうな話だ。

 神酒樋は、インターネット怪談や都市伝説なんかを扱う、ライトなオカルト話専門のユーチューバーだ。はじめは日比谷さんの客だったけれど、何度目かの注文の際に担当が俺に替えられた。その時はたしか、そこそこ真剣マジな客、と評されていたはずだ。

 一緒に仕事をしたのは五、六回ほどで、そのうちの一回は俺の作った写真をメインに架空の都市伝説をでっちあげる企画だった。ギリギリまで修正を重ねた甲斐あって、神酒樋のチャンネルのなかでは再生数が伸びた方だったらしい。だからてっきり、今日はその礼でも言われるのかと思っていた。

 写真を一枚拾いあげる。どこかの紅葉を背に笑う小学生くらいの兄弟と、その両親らしき男女。絵に描いたような、平凡な家族写真。

「捜している人というのは?」

「父です」

 神酒樋が写真の内の一人を指差す。地味な色合いの服を着込んだ男が、はしゃぐ家族を見守るように、一歩離れて微笑んでいる。

 俺は、プラスチックのコップに注がれた、薄いアイスコーヒーに手を伸ばす。

「お父さんが……。それはでも、失踪とかでは、ないってことなんですよね?」

「失踪では……はい。ええと、要は……」

 神酒樋は、きまり悪そうな様子で言いよどむ。コーヒーの安っぽい苦みが口に広がる。

「家出、みたいな……」

「はあ……」

 神酒樋の父親は、子の贔屓目を抜きにしても、比較的いい父親であったという。

 サラリーマンとして世の平均以上に稼ぎながらも、家庭を蔑ろにすることはなく、休日は子どもたちの遊び相手を勤め、宿題を教えもし、運動会の日には会社を休み、遊園地やキャンプにも連れて行ってくれた――と語りながら、神酒樋はどこか自嘲的に笑う。

「そんなのでいい父親ってのも、馬鹿馬鹿しい見方っちゃ、そうなんですけど……」

「まあ、ご立派だとは思いますよ」

「別にそれだけってわけでもなくて、なんていうか……普通に、夢とか進路とか、大事な相談とかも全然できたし……たぶん、なんですけど、一般的な父と子ってやつより、良好な関係だった、と思うん、ですけど……」

 神酒樋が、何かの癖であるように、空のピアス穴をつまんで弄ぶ。それに押し分けられ、色褪せたピンクの髪が力なく揺れる。

「でも、それがいなくなってしまった、と?」

 俺の確認に、神酒樋は無言で頷く。俺は写真を置いて、正面の神酒樋を見据える。

「何も言い残さずにですか? ならやっぱり警察に――」

「嫌に」

 俺の言葉を遮って、神酒樋が言う。

「嫌になった、と」

 ラインのメッセージ音が二、三回、連続して鳴り、神酒樋がスマートフォンを取り出す。そうして、一瞥し、溜め息とともに目を伏せて、苛立たしげに側面のボタンを押し込む。また音量を落としたのか、あるいは電源を切ったのかもしれない。無造作に、スマートフォンをテーブルに置く。

「すいません」

 軽くさげた頭に、ついさっき弄っていた耳たぶが、熱っぽく赤らんでいるのが見える。

「正直言って、よく分からないんですよ」

 ふっ、と音を立てて息を吐き、神酒樋はオレンジジュースに口を付ける。

「親父は俺と、弟に言いました。嫌になった。もう、父親でいるのが嫌になった、って。いなくなる前の、晩のことです」

「嫌に? それは何か……喧嘩、とか……」

「ないですないです。そもそも俺も弟も実家は出てて……あの日は母の命日で一家揃ったってだけで、交流なんて、普段は全然……」

 ワケ分かんねえよ、と言う声には、明らかな怒気がこもっている。

 壁の向こうでは古い流行曲が歌われていて、ベース音が振動として伝わってくる。

「嫌になるも何も、最近じゃ父親らしいことなんてしてねえだろって。そのままでも何も変わんねえのに、わざわざ家出て行ってるんですよ。他に誰も住んでない家をですよ?」

「へえ……じゃあ今ご実家は空っぽですか」

「はい。たまに様子見に行ってますけど、帰ってる気配はないです。連絡もまったく取れないし、仕事もリタイア済みだから、本当にどこにいるやらで……結構ね、ヤなもんですよ、誰もいない実家って。違和感っていうか、こう、どことなく不気味でね。いま暮らしてる部屋よりずっといい家なのに、泊まっていこうとか、そんな気すら起きないですから」

 神酒樋が立ち上がって、追加の注文をしに電話機へ向かう。俺もアイスティーを頼んで、残っていたコーヒーを飲みきる。

「だからね、俺としては、家もどうしていいか分かんねえし、それ以外でも、のちのち何か面倒なことになっても嫌なんで、意味わからんことせんでくれ、くらいの感情しかないんです。親父の気持ちなんて……ねえ?

 俺もユーチューバーなんてやって、別に専業じゃないですけどまあ、割と好きに生きてるし、ベタベタ付きあいたいでもない。ヤバい借金取りでも出てくんのかなと思ってたけど、そんなこともなさそうだし。そうすると、ただただめんどいってだけで……」

 愚痴ともつかない神酒樋の言葉に曖昧な相づちを返しながら、しかし俺は、自分の母親のことを考えていた。俺と両親の三人で暮らしていた実家には、今、母一人が残っている。

 嫌になった、か、と拾われない程度の声で呟く。

「でも、弟にとってはそういう問題じゃなかったみたいで……」

 神酒樋がそう言ったのとほぼ同時にドアがノックされ、スタッフが飲み物を持って入ってくる。すっと黙りこむ神酒樋の唇が、乾燥のせいだけではなさそうに赤く荒れていることに、俺はこの時初めて気がついた。

「弟は、俺と違って結構真面目というか……まあ、まともな人生送ってきてるんですよ」

 店員が去ってから更にすこしの間をおいて、神酒樋はようやく口を開く。

「大学も四年でちゃんと出てるし、卒業してすぐ働いて、俺は無職の時期とかあったんですけど、そういうのも無いし。数年来、結婚を考えて付きあってる子もいるみたいで。まあなんつーか……親を困らせるような子どもじゃなかったんですよ、俺と違って。

 だから、あいつからしたら、親父の言ったことは全部『なんで?』って話で。まるで心当たりも無いのに、急に逃げられるような……捨てられるようなことになって、困惑してるし、傷ついてる。どうでもいいなんて、まあ思えないみたいで」

 言いながら、神酒樋は消えた画面のままのスマートフォンに、億劫そうな視線を投げる。俺は何も言わず、アイスティーを引き寄せ、ミルクを落とす。

「あいつはずっと、親父がどうしてそんなことを言い出したのかを考えてるし、親父の行方も真剣に追ってる。

 彼女には、若い女でもできたんじゃないかみたいなことを言われたみたいで、俺も弟もあんまりそんな風には思ってないんだけど、でもそうだとしたら今度は遺産の問題にもなってくるでしょう? 俺はこんなだから、どうでもいいっちゃいいんですけど、弟は家庭を持つ気だから……当てにしてるって言うと、悪く言ってるみたいですけど……」

「いや、当然の思考ですね。お相手にちゃんと話してるあたり、誠実だとも思いますよ」

「だから、真面目なんですよ……。そのせいで闇雲に自分を責めてもいるし、言わないけど、俺のこともちょっとはそうでしょう。

 彼女も、今は弟のことだけを心配してくれてますけど、いざ結婚しようって段になったらそんな大らかに構えていられる話でもない。向こうの家族だって、なんて思うか……」

 軽く咳き込んで、神酒樋は、それすらも煩わしいかのように眉をゆがめる。自分では否定する風でいるけれど、自責の念に苛まれているのは神酒樋も同じなのだろう。ピアスのない穴に、また指が伸びる。

「だからあいつにとって親父のことは、家庭の問題である以上に将来の問題で、さらには自己の問題でもあって……必死なんですよ。ほとんど家捜しみたいにして親父の消えた先に繋がりそうなものを見つけては、仕事が休みの日に出かけていって、何も得られずに帰ってくる――そんなことを繰り返してて……。

 俺は精々それに付きあってる程度のもんですけど、あいつはもう、そろそろ本当に止めてやらないといけないかんじで……」

 神酒樋が体勢を整えて、改めて俺に向かう。

「それで、今日はお伺いしたんです。待さん、親父に会ったり、あるいは親父から何か、依頼を受けたりしてませんか」

 斜向かいにそれを受けて、俺は訊ねる。

「どうしてそこで私が出てくるんです?」

 神酒樋はすこし言いよどみ、耳たぶを強く捻って言う。

「……待さん、七面しちめんって憶えてますか?」

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