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翌日、夏泉は真顔で私に言った。
「私、王太子殿下を見直しました。『顔だけ王太子』という言葉は謝罪とともに撤回させていただきます」
私の傷を手当てしながら、彼女は
「昨日の殿下は本当に素敵であらせられました。あの方なら桃英様をお任せできると決断した熹李様――皇帝陛下はさすがでございます」
「う、うん。そうね」
どんどん頬が熱くなる私にはおかまいなしに、夏泉の言葉は続く。
「あのような方を『
「……夏泉、なんか胸が痛い」
彼女はハッと真顔になった。
「腕以外にも悪いところがありますか」
「いや、なんだか心臓がうるさいの。どくんどくんと脈打って、痛いくらいに」
夏泉はきょとんと目を丸くした。その後、唐突に笑いをこらえるような変な顔になる。
「え……何なの、その顔?」
「桃英様、そのお胸の痛みはですね……」
その顔のまま夏泉が解説を始めようとした時、来客が告げられ、私たちは慌ただしく身だしなみを整えることになった。
*
百花殿を訪ねてきたのは史淑妃と温賢妃だった。
入房するなり淑妃は頭を下げた。
「公主様、先日はわたくしの命を救っていただき、まことにありがとうございました」
下女のように頭を下げる淑妃に、こちらが恐縮してしまう。
「おやめください。別に特別なことをしたわけではないのですから……それにわたくしも
「なにをおっしゃいます。公主様がいなければ私は間違いなく死んでおりました」
賢妃が彼女の隣で頷いた。
「あのとき私も翠母殿から動けずにおりましたから、公主様は私の命の恩人でもあります。本当にありがとうございます」
夏泉が促すと、二人ともこだわりなく卓についた。それが私には意外だった。
「あの……お二人とも私が怖くないのですか?」
昨晩、殿下の腹心二人は武装して私のもとを訪れた。丸腰で私と向かい合う二人は、なんと恐れ知らずなのだろう。
賢妃は
「私は何も見ておりませんし」
「そういうことでは……」
「公主様、私は『見る』ことができませんが、公主様のことは私なりに存じ上げているつもりです」
彼女の両目は今日も黒い布で覆われている。もし今その瞳を見ることができるのなら、きっと温かな眼差しをしているだろうと思った。そのくらい親しげな声音だった。
「私は生まれつき目が見えないために、名門温家のお荷物でございました。ずっと家の奥に閉じ込められて、ないものとして扱われていたのです」
彼女は辛い過去を淡々と語ってくれた。
「あそこに控えている侍女と、書物だけが私の友でございました――一族の中では
彼女は微笑む。
「この後宮で、私は公主様と出会うことができました。実は、最初は妃の皆様と交流するつもりはなかったのです。目の見えない自分が妃だなんて畏れ多いと思っておりましたから。だから公主様に意地悪をしたのです」
「意地悪?」
「邸にご招待いただいたのに、我が
「……そういえば」
賢妃は苦笑した。
「あのような不敬を致せば、公主様は怒って私との縁を切ってくださると期待しておりました」
私は驚く。賢妃はそんなことを考えていたのか。
「でも、公主様はこだわりなく鸞鳥殿に足を運び、しかも目の見えない私をいたわって手を握ってくださったでしょう」
ふふ、と彼女は少女のように笑った。
「それがどれほど私にとって嬉しいことだったか、お分かりになりますか? 私は公主様がどんなお姿をしているのかわかりません。でもあなたが春の花のような方だというのは分かります。暖かな陽光とともに芽吹いて
「賢妃……」
胸がいっぱいで何と答えていいのか分からなかった。嬉しい、という言葉では足りないくらい、胸が熱い。
「私が存じ上げている公主様は、そういう方です。怖いはずがありません」
「ありがとう……ございます……っ」
自分の力を明かしてしまったら全てを失うのだと思っていた。こんな風に他の妃たちと『普通』にお茶を楽しむ時が訪れるなんて、思ってもいなかった。
*
二人の帰りを百花殿の門前まで見送った。賢妃は言う。
「今度は徳妃も誘って参ります。四人で楽しく過ごせたらいいですわね」
たしかに素敵な提案だが、さすがにそれは難しい気がした。
「徳妃にも楽しんでいただけるでしょうか……わたくし、元々あまり好かれていないようでしたし、ましてやこんな公主だと知られて……」
「涼様は何を考えているのか分からないところがおありなのですよね」
困り顔の淑妃に、私は尋ねる。
「以前から徳妃とお知り合いなのですか?」
「はい。劉家と我が史家とは古くから付き合いがございますし、王家の
それだけ言うと、淑妃は何かを考え込んでしまった。沈み込むような眼差しをしている。
「公主様」
淑妃は凛と背すじを伸ばした。
「改めてお礼を申し上げます。
「は、はい」
突然かしこまった謝辞を述べられて、私も居住まいを正した。そしてどきりとする。
淑妃はかつてないほど厳しい眼差しを私に向けた。威厳に満ちた気高い表情だった。
冷たい風に乗って、香が薫る。
「あなた様は星狼殿下の妃。妃にふさわしい振る舞いをなさってください。今後は私の命よりも、殿下の、そして己の命を最優先になさいませ」
「それは一体……」
「正直に申せば、わたくしはあなたのような方が星狼様の妃であることが、不安です」
強い言葉に背すじが震えた。
「約束してくださいませ、公主様。決して軽率な真似はしないと」
「……はい、分かりました淑妃」
私が誓うと、彼女はやっと瞳を和らげた。型通りの挨拶をして帰っていく。
彼女が残した香に包まれて、私の頭は混乱した。
私のような者が妃でいるのを、淑妃が疎ましく思う気持ちは理解できる。
でも、ならばどうして彼女は私の命を大切にせよと言ったのだろう。彼女の真意を掴むことができず、心の中がざわざわと落ち着かなかった。
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