4-3


「お加減はいかがですか?」


 とばりを開いた寝台のすぐそばに椅子を寄せ、殿下は腰を下ろした。常には余裕の笑みを浮かべている顔に、今は気遣わし気な様子がうかがえる。


「……お見舞い、恐れ入ります」


 自分の声がよそよそしく響いた。

 私が『普通』の公主ではないことはもうばれてしまったのだ。それなのに殿下が本心から心配してくれるはずがない。彼は場を取りつくろおうとしているのだろう。


「お怪我は痛みますか?」


 声音はやわらかかったけれど、嘘を貼り付けた彼の顔を見る気にはなれなかった。うつむいて、彼の視線から逃れるように言った。


「そのうち治ります。ご心配には及びません」


 形式的な見舞いの言葉を交わし終えると、会話が途切れた。

 それでも殿下は腰掛けたままだった。じっとこちらを見つめている気配がする。そしてついに切り出した。


「桃英様、あのお力は……?」


 私は一瞬口ごもった。殿下に化け物だと思われたくなかったけれど、もう隠し立てすることはできない。


「驚かせてしまい、申し訳ございません。私はあのように常人ならざる力を持って生まれたのでございます……帝室の血がそうさせているのか……それはよく分からないのですが……」

「そうですか」


 彼は静かに頷いた後、少しの沈黙を挟んでこうこぼした。


「……桃英様は、お強くていらっしゃるんですね」


 その言葉が、私の胸をしめつけた。

 かつて彼は私のことを守ると言ってくれた。

 もうその事実をなかったことにしたいに違いない。私は強くて、化け物で、『普通』じゃないから。


 ぽつ、と微かな音がした。静まり返った房にぽつりぽつりと小さな音が続いていく。

 それは私の瞳からこぼれ落ちた涙の音だった。いつの間にか私は泣いていた。


「桃英様、涙が……」


 彼がそっと私の頬をぬぐおうとするので、私はついに耐えられなくなった。


「星狼殿下、ご無理なさらないでください。本当はわたくしのことを恐ろしいとお思いでしょう?」

「恐ろしい……?」


 彼は微かに首を傾げた。

 演技を続ける彼に、私は晴れ晴れと笑ってみせた。


「でなければ、扉の向こうに衛士を控えさせたりしないでしょう?」

「は? 衛士? どういうことです……?」


 殿下が背後を振り返ると、扉の向こうから男が二人現れた。


「気づかれていたとは。公主様のお力、聞きしに勝る」


 剣のつかに手をかけた小柄な男が私に笑みを向けてくる。女性的な面立ちに対して、まなざしは獰猛どうもうだった。


ぎょう! なぜ……!?」


 驚く殿下に答えたのは、やはり扉の奥から現れた侍中の漣伊れんい殿だった。彼も帯刀して、気配をとがらせている。


「我が国の大事な王太子殿下が、単独で危険な公主のもとに行くのを、放っておけるわけないだろう」

「そういうことだ――牢に放り込んだ大黄帝国の偽大使に公主の過去を吐かせたが、帝国では幾人もの将兵をぎ倒し、怪物と恐れられていたとか」


 暁と呼ばれた男はそう言うと、続けて私に問いかけた。


「なぜ我々が隠れていると分かったのです?」

「……お二人の呼吸と、剣の鳴る音で。それに殺気が満ちていますから。私は、耳も目も鼻も、全ての感覚が常人より鋭いのです」


 感心したように、暁殿は「ほう」と息を吐いた。


「それは面白い。『化け物公主』と名高いあなたと、是非ともやりあってみたいものだ」


 割り込んだのは星狼殿下だった。


「暁、ふざけるな! 漣伊もだ! 桃英様を危険人物などと……!」

「危険だろう。常軌じょうきいっした力を持つのに、それを隠していたのだから」


 暁殿は容赦なくそう言い切った。


「この公主が帝国の送り込んだ間者や暗殺者ではないとなぜ言い切れる? 殿下の寝首をこうとやってきたのかもしれないぞ」


 殿下は絶句したけれど、私は驚かなかった。

 これまでも、私は常に警戒されてきた。「力で朝廷を支配しようとしている」「新帝を脅している」とまで噂されていた。


「お二人は、忠義に厚い臣でいらっしゃいますね」


 私は無理をしてにっこり笑ってみせた。


「それほどに私を警戒しているのに、たったお二人で殿下を守るためにいらっしゃったんですもの」


 この国に未練を残したくないから、からりと笑わねばならない。


「ご安心ください、わたくしはこの国を出ていきます。熹李きり――大黄帝国の皇帝陛下には上手く説明しま……」


 私の言葉を、「いい加減にしてくれ」という静かな怒声がさえぎった。その怒りのまま、殿下が立ち上がって私に言う。


「桃英様、俺の許可なく俺の妃の処遇を決めないでいただきたい」

「せ、星狼殿下……?」


 その強引な言いぶりに唖然としているうちに、殿下は今度は二人に怒気をぶつけた。


「だいたい悪いのは全てお前たちだ! ここは俺の妃の寝所だぞ! 俺以外の男が立ち入って許されると思うなよ!」


 二人はぎょっとした顔をした。

 私も同様に驚いている。殿下はいつだって涼し気な顔で、余裕たっぷりにふるまう方なのに。

 けれどすぐに漣伊殿が反論した。


「今はそういう話をしてる場合じゃ」

「この阿呆どもが!」


 殿下は吐き捨てた。


「桃英様が危険人物? 力を隠していたから? では、なぜ桃英様が力を隠すのをやめたと思っているんだ!?」

「なぜ……?」


 言いよどむ漣伊殿に、殿下は断言した。


紫薇しびを救うためだ。あの時、熊が向かう先には彼女がいた。彼女を助けられるのは桃英様しかいなかったんだ」


 殿下の勢いに二人は圧倒されていた。


「桃英様によこしまな気持ちがあったのなら、わざわざ妃を救うために力を使うわけがないだろう!」


 そこまで言い切って、彼は私に視線を向けた。

 どきり、と胸が跳ねる。

 彼の銀の眼差しに目を奪われた。


 そこには、かつて「あなたを守る」と言ってくれたぬくもりが変わらず宿っている。


「この無礼な二人のおかげで、桃英様の心の内が少しだけ分かった気がします」


 彼は躊躇ためらいがちに微笑んだ。


「そのお力を隠していたのは、これまでも、こうして恐れられてきたからでしょう。だからこそ、ここでは力を振るうことも知られることもなく、ただ穏やかに暮らしたかったのでしょう」


 言い当てられ、一瞬頭が真っ白になった。

 殿下はさらに言葉を継ぐ。


「だから桃英様は『普通』にこだわっていたのですね」


 鼻の奥がつんとする。

 こらえることができず、涙と言葉がこぼれていった。


「そうです……隠していて申し訳ございません。私、本当に本当に、この国で『普通』の妃になりたかったのです……ただ、それだけだったのです」

「えぇ」


 彼は寝台のそばにひざまずくようにした。そして私に手を伸ばす。


「桃英様、ありがとうございます。紫薇を、俺の民を救ってくれて」


 強く優しい力が、私の怪我をしていない方の手をとる。


「この国から出ていくなどと言わないでください」

「殿下……でも」


 ちらりと彼の背後を見た。漣伊殿と暁殿が口を引き結んでいる。


「桃英様、ダメです。俺だけを見てください」


 そう言いながら、殿下は大きなてのひらで私の頬を包んだ。

 私の視界は否応いやおうなく星狼殿下に支配される。


「俺は、あなたに俺の妃でいてほしい。己を犠牲にしてでも他者を救おうとする、勇敢で優しいあなたに」


 彼は視線を下げる。


「臣下の非礼については、俺から陳謝させていただきます」

「そんな、謝ることでは……」


 くすりと殿下は笑う。いつもの余裕の笑みだった。


「さすが桃英様はお優しいな。こんな阿呆どもにも情けをかけてくださるとは」


 では、と軽い調子で彼は続ける。


「情け深い公主様に、もう一つ俺の願いを聞いていただきたい」


 彼は私の顔を覗き込んだ。銀の瞳が切実に揺れる。


「翠母殿でのような無茶はもうおやめください――いや、あんな無茶はもう俺がさせません」


 何度でも申し上げましょう、と彼は私のひたいに自分の額を寄せた。


「この国では、俺があなたを守ります」

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