3-8


 養心殿は正殿のそばにある小さな殿舎だ。礼典の際の控えの間として、もしくは少数の官吏との簡単な合議などで使用される。


 衛士を伴って房内に入ると張大使が机の奥、上座にどすんと腰をえていた。ふてぶてしい様子に呆れるが、狭い部屋の奥まったところに自ら入り込んでくれたことは都合がいい。

 俺が向かいに座ると、大使はろくな挨拶もなしに本題に入った。


「王太子殿下、翠山は朝貢品として毛皮を提案しておるが……」

「張大使、その前にご確認したいことが」


 相手の言葉を断ち切って、俺はあくまでにこやかに切り出した。


「貴殿はご自身を皇帝名代とおっしゃった。ならば皇帝陛下の御璽ぎょじの押印された書状をお持ちでありましょう。それを確認させていただけますか」

「あぁ、まだ見せていなかったか」


 大使は側に控えた部下に視線をやった。彼の態度は自然だったが、部下の方には緊張が見える。部下が軽く首を振ったのを確認し、張大使は俺の方に向き直った。


「すまない。書状はここにはないようだ。後ほど提示しよう」

「そうですか、ではそれまでお話を進めることはできません」


 ぴくりと大使の眉が跳ね上がった。


「まさか王太子殿下は、この張をにせの大使だと疑っておられるのか?」


 威圧的な太い声だが、ひるむ必要はない。


「とんでもない。張大使が帝国の重鎮であることはもちろん存じ上げております。位階は従四品じゅよんほんじょう、枢密院客省司きゃくしょうしに任官されて三年ほど。それまでは南方の州で長官をされていたとも伺っております」


 大使はうっと喉を詰まらせた。こちらが己のことをそこまで調べ上げているとは思わなかったようだ。


「ですが、皇帝陛下から全権を任せられた方であるのか、それは承知しておりません」


 強い視線で睨みつけるように笑むと、張大使はさすがに口ごもった。俺は容赦なく言葉を続ける。


「書状はどなたがお持ちで? その方をすぐにこちらにお連れになってくださいませ。張大使のお時間も限られておりましょう?」

「そ、それは……今確認させる」


「まさか書状の所在を把握されていない? 皇帝陛下の御名が記された書状を?」

「い、いや……」


「それとも、まさか皇帝名代をかたっているわけではございますまいな? 独断でいらっしゃり、皇帝陛下の意に反する交渉を進めようとしていらっしゃるとか?」


 俺が詰め寄るように身を乗り出すと、大使は気圧けおされて椅子の前足を浮かせた。


「そ、そんなはずがあるか!」

「たしかあなたは現皇帝陛下の即位に長らく反対のお立場でいらっしゃいましたね?」


 笑みを絶やして睨みつけると、大使は額に脂汗あぶらあせを浮かべ始めた。

 やはり、と俺は確信した。


「劉将軍!」


 声を張り上げると、すぐに武装した衛士数名が入り込んできた。

 大柄な者ばかりだが、先頭に立つ男だけ身丈みたけが低い。童顔で、一見すると優男だが、これが翠山国軍一の剣の使い手、劉ぎょう将軍だ。

 俺は張大使を指で示す。


「あの男は皇帝名代を騙っている。これは我が主君、大黄帝国皇帝陛下への大逆である。捕えよ!」

「承知」


 劉将軍は素早く剣を抜いた。大使の護衛も一瞬遅れて腰に手をやったが、その手がつかにかかる頃には劉将軍が間合いを詰めていた。椅子から立ち上がった張大使の首に正確に剣先が突きつけられる。がたん、と倒れた椅子が乾いた音をたてた。


「違う……俺は名代を騙ってなど……」

「ならば書状を出してくださいませ」


 往生際おうじょうぎわの悪い大使に、俺は要求を繰り返した。


「それは……ある、本当にあるんだ。その……どこかに……」

「では、こちらから帝国朝廷に問い合わせてみましょう」


 その言葉で、張大使は言葉を継ぐのを諦めた。


 *


 劉将軍の指示のもと、張大使とその部下たちは速やかに捕縛ほばくされた。


「手際が良くて助かる。さすがは我が国軍一の剣豪だ」


 全て片付いた後に暁を労った。二人並んで宮城を囲む歩廊から街を眺める。彼は俺の顔を見ようとせず、ふんと鼻を鳴らした。


「殿下にそうおっしゃられても嫌味にしか聞こえませんね。俺が国軍一になれたのは、殿下が立太子とともに軍から逃げたおかげですから」

「逃げた、とは心外だ」

「おまけに漣伊まで殿下にくっついて軍を抜け侍中になどなってしまった。今の軍は張り合いがございませんよ」


 苦笑した。俺とて、気心の知れた暁や漣伊とただ一心に剣の腕を磨いていられた頃が懐かしい。


「だが、殿下は国王名代としても立派にやってらっしゃる。つくづく器用で嫌な男であらせられる」


 暁は俺の顔を真っ直ぐ見上げた。顔貌がんぼうは幼いが、視線の強さはどんな将軍にも劣らない。


「よくあの大使が皇帝の名を騙っているとお気づきになった。なぜお分かりになったのです? 御璽など殿下ご自身が確認するようなものでもないでしょう」

「……ちょっとした違和感があっただけだ」


 宰相が言った「公主様は翠山の利のためには動いてくれないだろう」という言葉。

 それが腑に落ちなかった。

 桃英様はこの国でどう暮らし、そして後宮をどのような場にしたいのか、確たる展望を持っている。翠山の朝廷、そしてこの国の人間をないがしろにはしないと思えた。


「もしあの張という人物が本当に皇帝の名代ならば、皇帝の妹君である公主様が使節団訪問を事前に俺に教えてくれただろうと思ったのだ」


 ほう、と、暁はあごをあげて興味深そうな顔をした。


「政略結婚でめとった妻だが信頼できる相手だ、と殿下は公主様を評価されているわけだ」

「信頼……まぁ、そうかもしれないな」


 暁の堅苦しい言い様は、自分の心持ちを的確に表現しているわけではなかったけれど、さほど外れてもいない気がした。

 ところで、と暁は話題を変えた。


「我が妹は大禍なく過ごしているだろうか」


 鉄面皮てつめんぴの暁のことだから一切表情は変えないが、やはり妹のことは気になるようだ。


 彼の妹は劉涼――徳妃として俺が後宮に召し上げた、俺の婚約者だった人だ。


「問題なく暮らしている。俺や他の妃と顔を合わせるのは好まぬようなのであまり顔は見ていないが、女官たちの報告によると心配はいらぬようだ」

「涼め。後宮の妃となったからにはその勤めを果たさねばならぬというのに……」


 思わず額に手を当てた暁の肩を、軽く叩いた。


「まぁ今は仕方がない、あんなことがあったんだ。しばらく休んで気が回復すれば、振る舞いも変わるだろう。それに臘日ろうじつ祭ではさすがに徳妃も表に出る。気分を変える機会になればいいな」


 暁は深く頭を下げた。


「殿下の配慮に感謝する――涼は殿下の後宮に迎えていただけて本当に幸運だった」

「そうだといいんだが」

「だが殿下は面倒ごとを抱えることになってしまわれた」

「面倒ではないが」


 いや、面倒だろう、とにべもなく暁は言い切る。


「殿下に負担を強いている分、俺も人一倍働く。もっと頼っていただきたい」


 暁は無骨な揖礼ゆうれいをし、俺の返答を待つことなく去っていった。


「頼る、か」

 俺にはそれがよく分からない。必要な時には漣伊も暁も呼び寄せて職務に当たってもらっている。だが、どうしてか今みたいにもっと頼れと言われてしまうのだ。


「本当は向いていないのだ、王太子など」


 そもそも俺など、しょせんは「代わり」の王太子なのだから。

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