3-7


 外廷の正殿に踏み入れると、普段と異なる張り詰めた空気に肌を刺されるようだった。正殿を占拠する大黄帝国の使節団が、その原因だ。


「翠山国王代理、王太子のこう星狼でございます」


 使節団の大使を前に名乗り、揖礼ゆうれいをすると、相手は拱手を返してきた。

 さすが翠山国皇帝の名代、極めて威圧的だ。

 揖礼が貴人へ敬意を示すものであるのに対し、拱手は位の近いものに対して行う礼。翠山ごとき小国の王太子よりも、自分の方が位が上だと言いたいらしい。


「大黄帝国皇帝名代を拝命している張と申す。突然来訪した無礼をびよう。貴国との交渉が遅々として進まぬことに気をもむ陛下に直接交渉を命じられ、こうして急ぎ参った次第である」


 名代は壮年の男だった。蓄えたひげと堂々たる太鼓腹たいこばらがいかにも大国の高官然としている。

 俺の背後にひかえた宰相が一礼ののちに言葉を挟んだ。


「遠方よりのお越し、誠に痛み入ります。長旅でお疲れでしょうから本日は宮廷内でゆっくりお休みくだ……」

「必要ない。我々は忙しい。すぐにでも王太子殿下と本題に入らせていただきたいのだ」


 宰相の言葉をさえぎって彼は俺の顔を見た。俺はわざとゆっくりと返答する。


「本題と申しますと、いまだ決着のついていない朝貢品のことでしょうか」

「もちろんだ」


 翠山は開国とともに帝国との交易を開始する。

 帝国は決して対等な関係では交易を行わない。臣下である翠山国が帝国に献上品を貢納し――これを朝貢ちょうこうという――、その返礼として主君たる帝国から下賜品かしひんたまわる、という形式をとるのだ。


 朝貢使節には国内の商人を伴うことが許されているので、商売は必ずしも国家間の形式ばった取り引きに限られるわけではないが、交易は帝国の恩寵おんちょうとしてほぼ完全に国の管理下で行われる。


 俺たちはより有利な条件で帝国との交易交渉を決着させたい。それが今後翠山の生死を左右するのだから。

 俺は努めて穏やかに微笑んだ。


「承知しました。隣の養心殿に席をしつらえておりますゆえ、すぐにそちらへ」


 張大使は一瞬だけ眉を跳ね上げた。こちらが先回りして場を整えていたことに少々驚いたようだ。


「殿下のご厚意に感謝する。ところで、もう一つ頼みがあるのだが」

「なんでございましょう?」


 いったい何をと構えると、彼は髭を撫でながら悠々と要求してきた。


「部下たちの見聞を広めるため、貴国の各地を巡らせたい。誰か案内をつけてくれるか?」

「なるほど、大国の方々は随分勉強熱心でいらっしゃる」


 かろうじて笑みは維持したが、内心では舌打ちをした。

 見聞とは名ばかりの監察だ。要求を呑めば我が国の貧しいふところ事情を知られてしまう。なんとかして断りたいところだが、「帝国に見せられぬものでも隠しているのか」と言いがかりをつけられるのもいただけない。


「分かりました。案内役を準備いたしましょう……あぁ、ただ」


 まさに今思い至ったという風に俺は眉を寄せた。


「翠山はすでに冬。残念ながら北部の草原地帯や西部の山岳地帯はご案内できません」

「ほぅ? 帝国に見せられぬものでも?」


 想定通りのおどし方をしてきたので、思わず軽く噴き出してしまう。それを誤魔化すように首を振った。


「とんでもない。とにかく北は寒いのです。放牧を生業なりわいとする者たちも冬は南下しているくらいでして、無人の草原は一面の雪化粧――見る価値もございません。それに、西は熊が出ます」

「熊? たかだか野生の獣に我々がひるむとお思いか」


 俺は大袈裟おおげさに驚いてみせた。


「なんと! では翠山からも一軍をお貸しいたしましょう。帝国の衛士の皆様と協力し、厳重に大使殿をお守りさせていただきます」

「軍を出す? いくらなんでも熊ごときに……」

「まさか大使殿は翠山の熊をご存知ないのですか?」


 どういうことだといぶかしむ大使に、俺は首を振る。


「翠山には、長く山で生き怪異と化した熊が多数おります。彼らも寒くなれば冬眠しますが、この時分はまだ眠りに入った直後。山に踏み込んで起こしてしまえば、怒りのままに襲ってくるでしょう。数人の衛士ではとても手に負えませぬ。わなを仕掛け、一軍を率いて挑まねば」

「なるほど……帝国の竹林にみついた虎のようなものか」

「おそらくその通りかと」


 神妙に頷くと、大使は納得したようだ。とりあえず見て回れるところだけ案内せよ、と方針を転換した。


「承知しました。では、案内役を準備させますので、しばしお待ちを――大使殿を養心殿へご案内しろ」


 方々に指示を出して俺は一度正殿を下がった。すぐに宰相と漣伊が寄ってくる。


「殿下、さすがでございます」


 宰相は俺を拝むようにした。ひょろりと細いせいで今にも風で吹き飛んでしまいそうな我が国のちん宰相は、帝国大使の威厳と比べるとあまりに頼りない。


「西部は最貧地域だ。あそこを見られてしまったら帝国に足元を見られることになるからな」


 常には軽い調子の発言が多い漣伊も、今ばかりは厳しい表情をしている。


「漣伊、その通りだ。だが東南部の比較的暮らし向きの明るいところですら帝国からすれば貧相にうつるだろう。帝国使節団を適当な口上で誤魔化せる案内を用意しろ。漣伊、お前も行け」

「おう、諸々有耶無耶うやむやにしてやるよ――今は祭祀さいしに向けて身を浄めるために清貧を旨とした日々を送る季節でございまして……とかな!」


 俺は頷き、漣伊を見送った。ふざけているようだが、漣伊なら本当に相手の目をだまくらかしてくるだろう。

 宰相が言いにくそうに俺を見上げた。


「あのぉ……せっかく帝国の公主様をめとられたのですから、公主様に大使殿との仲立ちを依頼してはいかがです?」


 思わぬ名が出て、俺ははたと立ち止まった。

 桃英様に仲立ちを? たしかに、彼女は何かあれば頼ってくれと言伝をくれたが。


 不意に彼女の姿が脳裏に浮かぶ。

 初めて会った際の絢爛けんらん豪華な彼女ではなく、厨房で汗をかく素朴な姿が。

 重大な交渉ごとに向かう直前だというのに、そんな彼女の姿にどこか温かな心地になる。


 だからこそ、俺ははっきりと首を振った。


「桃英様には後宮で静かに暮らしていただく――わずらわしいことに巻き込むつもりはない」


 宰相は承知しましたと頭を下げた。


「そうでございますね……嫁いだばかりの公主様が帝国よりも翠山の利のために動いてくれるとも思えませんし。実際、今回の使節団訪問も教えてくださいませんでした。殿下の言う通り、ここは我々だけで対処いたしましょう」

「……あぁ」

「それにしても、本当に殿下がいてくださってよろしうございました。予期せぬ立太子からまだほんの数年だというのに、こんなに立派に国を率いて……」


 続く言葉は耳に入ってこなかった。宰相の「公主様が翠山のために動くとは思えない」という台詞が引っかかり、腹におさまらない。


 桃英様はそういう方だろうか? わざわざ使節団訪問の日程を伏せて、翠山朝廷を混乱させたりするだろうか?


「……ないな」


 思わず口に出した独り言に、宰相がびくりと反応した。


「宰相、貴殿のおかげで重要事に思い至った。急ぎ、劉将軍を呼んで来い。配下を連れ、養心殿の外で待機せよと命じてくれ」

「劉将軍を!? は、はい、承知いたしました」


 慌ててかけて行った宰相を見送り、俺は衛士数名を引き連れて養心殿に乗り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る