3-6


「な、なにをなさっているのですか!?」


 私は思わず声をあげた。

 私に気づいてはっとする徳妃と女官の方へと詰め寄る。


 劉徳妃は今日も麗しい。結い上げた黒髪がほつれてうなじにかかる様が色っぽく、女官と睦み合っていた姿と合わせて私の顔を赤面させた。


(昼間からこんなに堂々といちゃつくなんて……!)


 徳妃は悪びれずに女官を抱き寄せた。表情は固いが、情事を見られて狼狽ろうばいしているという様子ではない。女官は徳妃の胸にすがり、私をにらみつけている。


「公主様こそ、私の風光殿で何をなさっているのですか?」


 徳妃の冷たい声音に少々ひるんだ。たしかに私は断りもせずやしきに踏みこんだ、それはとても無礼なことだ。

 それでも叱責されるべきは徳妃の方だ。


「勝手にお尋ねしたことはおびいたします。ですが……あ、あんな行為許されるはずがございませんっ」


 たちまち徳妃の瞳に憎悪とも言える色が浮かんだ。


「なんとでもおっしゃいませ。ですが、女同士で愛し睦み合うことが罪深いなど、我々は考えておりません」


 彼女の声は刃のように攻撃的で、そして真っ直ぐだった。女官を抱き寄せる手に、必死な力がこもっている。本当にこの女官を大切に思っているのだろう。

 でも私だって屈するわけにはいかない。


「そんな話はしておりません。劉徳妃、あなたは後宮の妃でしょう」

「……一応、そういうことになっておりますね」


 徳妃は一瞬、きょをつかれたような顔をした。


「あなたは星狼殿下の妃です。妃は殿下をお支えするための者――殿下以外の方と、その、情を通じるなど、あってはならぬことでございます!」


 徳妃と女官は目を合わせて瞬いた。何も言わない二人に、私は再びを説いた。


「私が殿下の妻となったことで、徳妃のお立場を損なったことはいくらでもお詫び申し上げます。けれど、星狼殿下を裏切るのはおやめください!」


 殿下はこの国のために身を削るように働いている。それなのに淑妃や、そのうえ私の事情にまで寄り添ってくれる。

 そんな方が自分の妃に裏切られるなど、私には許せない。


「公主様、あなたは勘違いをされている」


 徳妃は静かに言った。瞳に燃えていた憎悪はどこかにひそんで、私に向けられた視線はいでいた。


「殿下は、私とこの女官――桂鈴けいりんが愛し合っていることをご存知だ。その上で私を後宮にお迎えになったのです」

「……え?」


 今度は私が虚を突かれた。

 開いた口が塞がらず言葉を継げないでいると、徳妃は桂鈴という女官を背後に下がらせ、無骨な拱手をした。


「公主様、ようこそ我が風光殿にいらっしゃいました。このような場所で立ち話をさせるわけにはいきません。どうぞあちらへ」


 まるで何ごともなかったように彼女は言って、私を正房おもやへと導いた。


 *


 風光殿からの帰路、私は頭の中を整理しようとした。

 星狼殿下は、劉徳妃に恋人がいると知っていて、あえて彼女を後宮に迎えたのだという。


 普通に考えればありえないことだ。

 後宮は、有りていに言えば夫君の子をなすための場なのだから、妃が夫以外の者を愛するなど許されるはずがない。それなのに、なぜ?


 悶々としたが、いくら考えても答えが出るはずがない。

 殿下に事情を聞いてみようと気持ちを切り替えたが、残念ながら彼との対面がしばらく難しいことが分かった。


 百花殿に帰ると、殿下の言付けを預かった女官が私を待っていたのだ。


「大黄帝国の使者が来る?」


 若い女官は頷いた。翠山の国境を守る関所に、大黄帝国の皇帝名代みょうだいが率いる一団が訪れたそうだ。その報が今朝宮城にもたらされ、翠山朝廷は使節団を迎える準備で混乱しているのだという。


「それは大変ね……」


 自然と眉が寄った。

 皇帝名代の使節団となればそれなりの規模で、翠山としては扱いをおろそかにはできない。それらの人々の寝食を用意するだけで、翠山国にとっては人的にも財政的にもかなりの負担になるはずだ。


「何かわたくしにお手伝いできることがあればおっしゃってください、と殿下に伝えてちょうだい」


 女官はそれを承ると、慌ただしく百花殿から去っていった。

 それにしても「皇帝の名代」が突然来訪するなんて。皇帝とは要するに私の兄の熹李だ。

 彼が自分の使者を派遣するなら、私に事前に報せをくれそうなものだが……。


「夏泉、星狼殿下のために私たちにできることはあるかしら?」

「そうですねぇ。私たちは後宮から出られませんし、特にできることはないのでは?」


 身もふたもない返答の後に、彼女は首をかしげる。


「桃英様は王太子殿下のお役に立ちたいのですか?」

「えっ?」

「つい先日まで、『顔だけ王太子』とののしっていらっしゃったのに」


 夏泉はからかうでもなく微笑むでもなく淡々と続ける。


「先ほどは徳妃の殿下に対する不貞ふていについてもかなりお怒りでしたし。昨日の一晩で、殿下とずいぶんとねんごろな仲になったのですね」


 ね、懇ろ?


「やだ、そんなわけないじゃない!」


 必死で首を振って否定した。顔がやたらと熱い。


「昨晩は本当に添い寝しただけ! ただ……殿下は私の話に真剣に耳を傾けてくれて、それがちょっとだけ嬉しくて……優しい方だと分かってしまったから、力になりたいし、傷ついたりしてほしくないと思っただけ!」


「さようでございますか。ご夫君が仕えるに値する方と判明してよろしうございました」

「……そうね、本当にそうだわ」


 思わず頬が緩んだ私に、彼女はニヤリと笑う。


「とりあえず今はやることがないのでお茶にいたしましょう。まだ桃酥タオスーが残っていたはずです」

「大賛成。腹が減っては戦はできないもの」


 美味しい甜味おかしでお腹と心をいっぱいにして、必要な時に殿下のために動けるようにしておこう。私はそう前向きに決意した。

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