3-4


 殿下とともにとばりに包まれ、語り出してからずいぶん時が経ったように思える。


「すみません、楽しくもない生い立ちなのに長くなってしまって」


 聞き上手の殿下に促されるまま、自分の話ばかりをしてしまった。退屈ではなかっただろうか。

 不意に彼の長い指が私の髪をすくいとった。


「……申し訳ない」


 彼の声はかすれていた。

 なぜ謝るのだろう。私の過去など、殿下にはいっさい関係がないのに。


「そんな過酷な日々をお過ごしになっていたんですね……それなのに俺は軽々しく昔の話を聞きたいなどと言ってしまって」

「いえ、もう過ぎたことですし、帝国の宮城ではよくあることですから」


 彼は苦笑した。


「桃英様は立派な方だな。背負ってきた苦労を一切感じさせない――俺は、あなたのことを奢侈しゃしにふけってきた方だと誤解していました」

「えっ……?」


 殿下とのこれまでのことが思い返された。

 たまにしか私のもとを訪れず、彼はそれをごまかすように豪奢ごうしゃな宝飾品や高価な毛皮を私に与えた。それで納得せよと、蔑ろにされているのだと思っていたけれど。


「もしかして、だからたくさんの贈り物をくださったのですか?」


 闇の中で彼は静かに頷いた。


「えぇ。奢侈しゃし品に囲まれた暮らしこそが、帝国公主の『普通』だと思っていたので」


 そういうことだったのか。私はかえって恐縮した。


「こちらこそ申し訳ありません。私は殿下がお考えになっているような公主ではなくて……」

「俺が浅はかでした。桃英様の公主という身分だけにとらわれ、あなた自身を見ようとしていなかった。俺は思慮しりょが足りないんです、いつも」


 私の髪を優しく指にからませながら、彼は苦しげに言った。


「浅はか、ですか?」


 その言葉には違和感があった。

 たしかに、彼はだますようにして私を後宮の妃にした。その契約違反に対し、侮られたという怒りはある。


 でも、星狼殿下は決して浅はかな方ではない。


 ――あなた自身の望みを聞かせてください。

 ――俺はご許可をいただかない限りはあなたに触れたりしない。


 むしろ殿下は、誰よりも私自身の声を聴こうとしてくれる。

 そんな風に私の想いをみ取ろうとしてくれた人は、これまで一人もいなかったのに。


「違います、星狼殿下は浅はかな方ではありません」

「桃英様……」

「ご自分を的外れに卑下ひげして落ちこまないでください。たしかに初めは後宮に突然放りこまれて腹を立てたりもしましたけど、むしろよく私なんかと向き合ってくださると感心しております」


 今だって彼はわざわざ政略結婚の妻の話を聞いて、その為人ひととなりを理解しようと努めている。


 ふっと力の抜けた笑い声がした。


「桃英様はやっぱり俺に腹を立てていらっしゃったのですね」

「……ま、まぁそれは、そうです」


 しまった、正直に言い過ぎた。好かれる必要もないと開き直っているせいか、本音と建前の区別がおざなりになっていた。


「的外れか、たしかにそうですね。反省します」


 殿下はくすくすと笑っている。


「桃英様は容赦ようしゃのない方だな」

「も、申し訳ございません!」

「謝らないでください。立太子以降、至らぬところを正面から指摘してくれる者も減りました。あなたのような方が俺の妻になってくれて有難い」


 そんなものだろうかと思っていると、彼は不意に声の調子を変え、ささやくように私にたずねた。


「ひとつだけ約束を破ってもよろしいですか?」


 なんのことかと問うより先に、彼の大きな手が私の頭に触れていた。


「で、殿下?」

「あなたの許しなく触れることはないと申し上げましたが……今宵はほんの少しだけ」


 赤子を愛おしむような優しい仕草で、彼は私の頭をでる。闇に慣れてきた目が、彼の銀色の瞳を間近に捉えていた。


「あ、あの」


 彼の視線が、まるでいつくしむような優しさを帯びていて、私は身じろぎもできなかった。


「あなたは、これまでずいぶん頑張ってきたのですね」


 耳もとでささやく声は私を甘やかすようだ。


「兄君を守るため、己を犠牲にしてきた」

「それは……」


 喉が詰まった。

 熹李を守るのは当然のことだ。熹李と私では命の重さが違う。女である私が皇帝になることはないけれど、彼にはその可能性が十分にあった。事実、彼は玉座に登った。身を盾にして熹李を守ったことは、私の誇りだ。


 でも殿下はそんな当たり前を労ってくれている。


「この国では、桃英様が己を削るようにして生きる必要はない。お望み通り『普通』の妃になってください」


 甘い言葉と撫でる手の温かさに、鼻がつんとした。うるんでいく視界が銀の光で満ちていく。


「大丈夫、ここではあなたは守られる側だ。俺が、あなたを守ります」


 ひとすじこぼれた涙を、彼の指先がそっとすくった。


「あ……ありがとう……ございます」


 どうしよう――嬉しい。


 政略結婚の相手で、他にも妃を抱えていて、私のことを騙して後宮に押し込んだ夫なのに。

 

 ――守りたいと言ってもらえることが、こんなにも嬉しいなんて。

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