第3章 言葉の贈り物

3-1


 卓上に並べられた鮮やかな甜味おかしの数々に、史淑妃は相合そうごうを崩した。


「まぁ、なんとあでやかなこと」


 後宮の一角、泉のほとりにある四阿あずまやを借りて星狼殿下と妃たちを招いた。


 侍中の温漣伊殿や少数の護衛だけを伴って身軽に現れた殿下は、小冠をいただき腰に宝刀をき、宴席の場にふさわしい出立ちだ。

 温侍中は一度お会いした時の様子と異なり、気配を消して静かに控えている。あぁしていれば立派な官吏に見えるから不思議だ。


 徳妃である劉涼様には招待を拒まれてしまったが、それは想定の範囲内だった。最初の対面で「個人的にあなたと会うのはこれで最後にしたい」と眼光鋭く斬り捨てられてしまったのだから。


 史淑妃は、やや身を乗り出すように甜味の一つ一つに視線を止めている。

 つかみは悪くないようだ。一切の隙がない完璧な妃である淑妃が、好奇心をにじませている。


 最初に目を引いたのは螺旋酥ルオシュエンスーだろう。これは異なる色の生地を順々に巻いて焼き上げたパイで、渦を巻いたように見えるのでこの名前がある。

 生地の色付けに使ったのは人参と菠草ほうれんそうだ。菠草の微かな苦みが中に隠れた小豆餡の甘さを引き立てる。


「全てわたくしが采配して調理したものです。我が故郷のお茶とともにお召し上がりください」


 大黄帝国公主として、翠山の方々に故郷の甜味おかしを振る舞い、故郷との間に友好の橋を架けたい――というのがこの茶会開催の表向きの理由だが、私にはもっと具体的な目的がある。


 史淑妃の胃袋をつかむことだ。


 彼女は頭のてっぺんから爪先まで洗練された妃のかがみだ。

 先日の初めての対面で私は彼女に圧倒された。未来の王后として張り合おうと試みたが、相手にもされなかった。


 今は彼女と競おうとは思っていない。それよりも史淑妃と友情を育みたい。

 どれほど完璧な妃でも美味しい物の前ではが出るに違いない。そして大黄帝国の甜味に胃袋をつかまれたら、私と仲良くせざるを得ないはず。


 温賢妃には事前に宴席で淑妃と打ち解けたいと伝えてある。私の思いを理解してくれる彼女の同席はとても心強い。


 給仕をしている夏泉と目配せする。さぁ、我々の本気をみせてやりましょう。


「皆様、よろしければこちらの双皮奶シュアンピーナイからお召し上がりください」


 私の言葉を合図に、夏泉が蒸籠せいろの蓋を外す。


「まぁ、これは?」

「牛乳の良い香り……」


 碗を満たす純白のお菓子に、二人の妃が感嘆の声を漏らした。


「こちらは牛乳と卵白を甘く煮込んで蒸したもの――牛乳の布丁プリンでございます。どうぞ冷めないうちにお召し上がりください」


 さじ双皮奶シュアンピーナイをすくい、淑妃が驚いている。


「まぁ不思議。酸奶ヨーグルトのようなものかと思っておりましたが、もっと弾力があって……ふるふると匙の上で踊るようですわね」

「お味も酸奶ヨーグルトとは全然違います。さぁ、まずは一口」


 淑妃は知らない料理を口にするのを怖がっているようだ。慎重に匙を口に運んだ。


「まぁ……ほんのりと甘い。口の中で溶けるよう」


 淑妃はうっとりと頬に手を当てた。先ほどの恐れはどこへやら、とろけて消えた双皮奶シュアンピーナイを惜しんでいる。


 蒸し立ての布丁プリンには人を内側から温めるような優しい味わいがある。淑妃の心にも温もりが生まれているはずだ。


「次はこちらもいかがですか? 銀耳湯インアルタン――甘いスープです」


 私はどんどん卓上の甜味を紹介していった。

 幸い淑妃は甘いものが好きなようで、一品食べるたびに極上の笑顔を綻ばせている。


 でも、まだ彼女は素の自分をさらけ出してはいない。上品で、清楚な妃の衣をまとったままだ。


 淑妃を注視すると同時に、私は別のことも気になっていた。


 星狼殿下の視線だ。

 私が動くたびに彼の視線が追って来る。まさか毒を盛るのでは、と警戒されている? 後宮を友好の場にしたいという私の狙いが、ちゃんと伝わっていないのだろうか。

 その割に、彼の表情は普段よりも柔らかい。相変わらず星狼殿下が何を考えているのか、私には全く分からなかった。


 *


「それでは皆さま、次が最後の品でございます」


 私の合図に夏泉が応じ、もったいぶっておおいをかぶせた盆を運んできた。次は何かしら、と皆の視線が集まる。


「こちらは本日の最も美しいお菓子。まずはその優雅な姿からご堪能くださいませ」


 仰々ぎょうぎょうしく覆いを取り払う。


 現れたのは、大輪の花――薄紅の優美な蓮をかたどったお菓子、荷花酥フーホワスーだ。


「このパイは作るに少々難儀するのです」


 目の見えない賢妃にも伝わるよう、丁寧に説明する。


餡子あんこを包んで丸めたパイ生地に何ヶ所か切込を入れ、低音の油でさっぱりと揚げます。すると花がほころぶように生地がだんだんと開き、

このように蓮の花そっくりになるのです。揚げたてのものをご用意いたしましたから、ぜひサクサクとした食感を……」


 かつん、と私の言葉をさえぎる硬質な音が響いた。


 音の出た先に視線が移る。

 淑妃の扇が皿の上に広がっていた。彼女が落としたのだ。


 物を落として皿を鳴らすなど、本来宴席ではあってはならぬこと。妃の鑑である淑妃が、どうして?


 皆の注目を集めていることにも気づかぬほど、淑妃は動揺していた。自失したように両手で口許くちもとをおさえている。


「どうされましたか……?」


 問いかけに言葉は返ってこなかった。

 淑妃の大きな瞳から大粒の雫がせり上がり、やがてそれが頬を伝ってこぼれていく。ぎょくが連なるように次から次へと。


「……紫薇しび?」


 星狼殿下が淑妃の名を呼び、立ち上がった。淑妃と荷花酥フーホワスーとの間を彼の視線が行き来し、何かに気づいたようにはっと目を見開いた。


 淑妃はただ泣いている。声をあげず、微かに震え、ただひたすら苦しげに荷花酥フーホワスーを見つめていた。


 その様子ははかなく、今にも散ってしまいそうなほど痛ましかった。


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