2-5
「あのぉ、公主様はいったい何をなさってらっしゃるのですか?」
「え?」
袖をたくしあげ、大鍋の中身を
それが知らない男の声だったので、私はギョッとした。かがんで
大きな
「豆を煮てます」
「豆を」
後宮は男子禁制の場。国王や王太子以外の男が足を踏み入れるなど許されぬはず。だけどこの男がまるで気負わずふらりと現れたため、私の頭は混乱して、素直に問われたことに答えてしまった。なぜか男もそれを復唱した。
立派な体躯に反し、どうも人懐こい印象を受ける人だ。
「貴殿は?」
いつもの調子を取り戻し、夏泉が私の前に立ちはだかって男の身分をあらためた。
「あ、すいません、ご挨拶が遅れました。俺は
無骨な
「ここは後宮。王太子殿下以外の殿方が足を踏み入れてよい場所ではございません。早々にご退去くださいませ!」
怒りをあらわにする夏泉に対し、温と名乗った男はのんびり頬をかいた。
「お許しなくお伺いして申し訳ない。でも、
「はぁ!?」
夏泉は青筋を立てたが、茶目っ気たっぷりに言われたせいで、私はどうも怒る気が起きなかった。それに、なんとなく察しがついていたというのもある。
「夏泉、この後宮の規律は故郷とは異なるのではないかしら」
「そうなんです、特に男子禁制というわけではないんです。というか、そもそも規律みたいなものが定まってなくて。なんせ間に合わせで作った後宮なもので」
「ほら、私が入宮した時も
「たしかに……あ、鍋!」
夏泉は慌てて竈に戻った。鍋の中身が焦げたら大変だ、そちらは彼女に任せておこう。
この後宮には
だけど、今はその時ではない。この男には厳重に抗議しておきたい。
「とはいえ、お約束のない方のご訪問は迷惑こうむります!」
腕を組んでなけなしの威厳を示した。
私の全身からは汗が噴き出している。秋といえど厨房は暑いのだ。どうせ全身汗びっしょりになるだろうからと、髪は適当にくくっただけで、化粧もしていない。そんな時にやってこないでほしい。
「いや、本当にすいません……まさか公主様自ら竈の前に立っているとは思わず……」
へこへこと謝った後、彼は不意に
「にしても、想像していた方とは違うなぁ。公主様がこんなに生き生きして可愛らしい方だとは思いませんでした。あっ、こんな言い方も
私は唖然とした。こうも無邪気に「可愛らしい」などと言い放ってみせるとは。
「あれ……温と言えば、もしやあなたは温賢妃の御親類でいらっしゃるの?」
「あ、もう
一気に話し終えてニコニコと笑っている。大らかで親しみやすいところが温賢妃とそっくりだ。
「賢妃は不足なく暮らしていらっしゃると思うわ。一度お会いしただけですけど、本に
「そっか、よかったぁ」
彼はくしゃりと笑う。心から彼女の幸福を願っているのが見てとれた。
だけど、少しでも
「あなたに危険を感じているわけではないけれど、殿方が我が
「うーん、でも星狼サマは後宮を持っても宦官を使いたくはない、とおっしゃっていましたよ――気の毒だから、って」
不意をつかれて、私はゆっくり瞬いた。
「気の毒……」
「体の一部を切除される痛みや屈辱は、はかりかねるほどでしょう? その後の生活でも何かと苦しみが続くと聞いていますし……たとえ罪人にであってもわざわざそんな苦しみを味わわせたくはない、と星狼サマはお考えのようです」
故郷では宦官たちはあまりにも当たり前に近くにいた。
彼らの存在に疑問を抱いたことはなかった。けれど考えてみれば、彼らは己の体の一部と引き換えにして後宮に仕えていたのだ。
そんな存在や制度を作らずに済むのならそれに越したことはないと、殿下は考えている。
取り
「星狼殿下は……私などが思い至らぬようなご深慮をされているのですね……」
無礼な振る舞いが印象に残っているし、
「星狼サマはお優しい方ですよ。それに有能だ。今は開国直前ということで、山積みの公務に追われてさすがにいっぱいいっぱいですけどね。一日中机に貼り付いていて気の毒になります。どちらかというと頭より体を動かして物事にぶつかっていく奴だったのになぁ」
「殿下と随分気安い仲でいらっしゃるのね」
「かつては軍の同じ部隊に所属していたので。じゃあ、俺はそろそろ失礼します。小梟姉様にお会いしたら、よろしく伝えてください」
「あら、出入りを禁止されていないのですから、ご本人にお会いして行けばいいのに」
首を横に振って、彼はこの日一番の笑顔を見せた。
「姉様が不自由なく過ごしていらっしゃると分かれば、俺はそれで満足なんです」
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