第2章 星の光のように
2-1
翠山国の後宮に入って半月が過ぎた。
「今日も誰も来ないわね」
「はい桃英様、先触れもございません」
毎朝しっかり化粧をほどこし、髪も高く結って、不意の来客にも失礼がないように準備している。
今日は大ぶりの
故郷の大黄帝国では
未来の王后としていつ誰が尋ねてきてもいいように整えているが、今日もこの百花殿に客人は訪れない。
夏泉も緊張感を失って、私と向き合って頬杖をついていた。
「大黄帝国の公主様が入宮したのですから、後宮の妃はこぞって挨拶に来るのが礼儀――だと思うのですが」
「我が国ではそれが慣例よね」
「今までこの国には後宮自体がなかったわけで、そのような慣例が存在しないのかもしれませんね」
「でも貴人には挨拶しに来るものじゃない? それは後宮とは関係ないはずよ――ねぇ夏泉、私もう限界。やっぱり簪は外してちょうだい。
夏泉は慎重に簪を引き抜いた。いくつもの
殿下は多忙なようで、半月の間で数えるほどしか顔を合わせていなかった。毎回社交辞令を交わして、贈り物をされて、返礼をして、それで解散。政略結婚により結ばれた冷めきった夫婦の典型例と化している。
「さすがにこれではまずいわ、ほかの妃に存在感を示さねば」
この范桃英こそが将来の王后ですよと、さりげなく、でも明確に主張せねばならない。
正直、私は少し焦っていた。星狼殿下と顔を合わせた数回は全て朝や昼の短い時間で、『夜のお渡り』がないのだ。
自らの意思で後宮を構えるような好色(多分)の王太子なのだから、きっとすぐにお渡りがあると思っていたのに。
「仕方ないわ、こちらから妃の皆様をお呼びしましょう。未来の王后としての威厳を示さねば」
決意したものの腰が重い。
私は後宮という制度そのものに
故郷の後宮には千を超える妃嬪が仕えていた。私の母はその中から選ばれて皇帝陛下の寵愛を受けたのだ。
とても名誉なことだけど、同時に千の
後宮なんて、本当に恐ろしくて馬鹿馬鹿しいところだ。
そんなもの、なくて済むならそれがいいはずなのに。
* * *
三人の妃それぞれに遣いをやった。帝国から持参したお菓子を呼び水に、一緒にお茶を楽しみたいというお誘いだ。
最初に応じたのは
翠山国の急ごしらえの後宮では、三人の妃に徳妃、
大黄帝国ではこれに
劉徳妃は、翠山国の北方を治め、武官を多く輩出する大貴族・劉家の出身で、
私が女官から事前に知り得た情報はそれだけだった。
*
劉徳妃が女官を従えて現れた時、私は彼女の
「徳妃の劉
襟や袖に猛虎の
劉徳妃は男――いや、声の響きはやや低音だけど間違いなく女性のもの。首元もすっきりしている――男装をしている女性、なのだろう。
徳妃の中性的な立ち姿には匂い立つような怪しい魅力があった。星狼殿下も目を
「あの……初めまして徳妃。お訪ねくださってありがとう。大黄帝国から参りました、范桃英と申します」
想定外の徳妃の姿に虚を突かれながらも、微笑みとともに名乗った。初対面の相手への挨拶としては無難だったはずなのに、返ってきたのは冷えた視線だった。
「遠方からのお
「お気遣いありがとう。徳妃、ぜひこちらでくつろいでちょうだい」
部屋に一歩だけ踏み入れたまま動こうとしない彼女に席を勧めたが、返答はにべもない。
「いえ、こちらで結構。尊いご身分の公主様にわざわざお招きいただくような者ではございませんので」
あれ、これは……。
「本日はご挨拶だけ。ぜひ、こちらを」
劉徳妃は女官に持たせた包みを受け取ると、ずいと私に差し出した。
「公主様のお口に合うとも思えぬ粗末なものですが、田舎者の精一杯の贈り物ゆえご
徳妃のこの態度は、
「ありがとうございます。私からも徳妃に故郷のお菓子を差し上げたいの、ぜひ
私の必死の歩み寄りに対し、徳妃はさらに表情を険しくした。眼光の鋭さで人を斬りつけることができそうだ。
「
徳妃は断固として言い放った。
「あなたが星狼殿下に王后位を誓約させたのは存じ上げている。それを
一息に言い終えると、徳妃は背後の女官に「さぁ、行こう」と声をかけた。引き留める間もなく一方的に拱手をして、徳妃は振り返りもせず去っていった。
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