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「は……?」


 王太子は一瞬目を見開いた。


「愛を誓ってください、と申し上げたのです」


 私は広い房内しつないを見渡す。

 王太子の背後には翠山すいざん国の女官たちが平伏し、私の周囲には帝国から伴った侍女や衛士えじたちが控えている。


「ここにいる全ての者が証人でございます。このはん桃英とうえいこそが殿下の一の妃であると、今ここで誓ってくださいませ」


 もしこの後宮に北玄ほくげん国の姫が入宮していたとしても、あくまで未来の王后はこの范桃英――それを認めさせることができれば、その事実自体が国益にかなうはずだ。

 「王后の位をよこせ」と要求するのは露骨すぎる。だから「愛を誓え」と命じることで、遠回しにこちらの妥協点を提示したのだ。


 片眉を上げ、王太子が私に興味深そうな視線を寄越してくる。彼は、ふっ、と肩の力を抜くように笑った。


「なるほど、承知いたしました」


 迷いのない動きで彼は私の足もとに膝をついた。銀色の長い髪がはらりと舞って、大きな瞳がためらいなく私を見上げる。


「天に誓約申し上げる。翠山国王太子、こう星狼せいろうは、大黄帝国公主、范桃英を唯一の妻とし、生涯愛し守り抜く」


 堂々たる宣言に、その場にいたすべての人間が息をのんだ。

 衆目の前で、恥ずかしげもなくそこまで言い切るなんて――「生涯愛し守り抜く」ですって? 心にもないくせに。


 私の身丈が低いせいで、長身の王太子がひざまずくと存外に顔が近い。

 彼の瞳は、髪と同じ銀の色。はがねのように硬質の瞳がこちらをじっと覗き込んでくる。

 悔しいことに、頬がわずかに紅潮した気がした。


「公主様、どうかお返事を」


 余裕の微笑を浮かべ、王太子が私を急かした。

 なんてこと。こちらが主導権を握ったはずだったのに、どうしてこの男ばかり余裕なの。


「せ、誓約、しかと受け取りましたわ」


 精一杯の強がりでつっけんどんに言い放ち、私はすいと視線を逸らした。

 彼はすぐに立ち上がると、今度は私を見下ろして言う。


「納得していただけてよかった。本日は長旅でお疲れでしょうし、お部屋でごゆるりとお休みください。明日またご挨拶に伺います――それと、事前のお打ち合わせ通り、正式な入宮の儀は、開国がなって落ち着いたのちに」


 顔面ににっこり笑顔を貼り付けて一礼すると、王太子は優雅に身をひるがえして去って行った。


 振り返る素振りもない彼の背を見つめながら、なんて温かみのない男だろう、とあ然となる。こんな男に嫁がねばならない自分を呪った。


 でも、もう故郷に私の居場所はない。この国でこの男の後宮に入るしかないのだ。

 私が『普通』でいられる道は、これしか残されていないのだから。


 * * *

 

 なんでこんなことになったのかしら。


 翠山国の宮城、『翠天宮すいてんきゅう』。その西に位置する後宮内に、私はやしきを与えられた。


 『百花殿ひゃっかでん』という名のこの邸は、春になるとその名の通り花に満ちた美しい姿を見せるらしい。だがあいにく今は秋で、なんとなく寂しげな印象だった。


 その一房いっしつにようやく落ち着き腰を下ろすと、自然とため息がこぼれた。ほとんどの侍女を下がらせてしまったので、つい気が抜けてしまう。


 王太子殿下の唯一人の妻として、降嫁したこの国で穏やかに暮らすはずだった。

 それなのに、なぜか後宮がある。私は多くの妃の中の一人になるらしい。

 加えて、まさか夫となる男があんなに不誠実で嫌味な奴だったなんて。


 後宮のことを双子の兄である熹李きりが知ったらきっと悲しむだろう。幸せになってね、って私を送り出してくれたのに。


 私たちの思いを抜きにしても、後宮の存在は大黄帝国と翠山国との契約違反だ。

 熹李にこの状況を伝えるべきかしら?​


 だらしなく机に頬杖をついて考えて、結局踏みとどまった。

 慣れない皇帝業務に奮闘する熹李に心配をかけたくない。帝国の国益の観点からすれば、翠山に後宮があろうがなかろうが、私が両国の橋渡しになれればそれでいいのだ。


 一人の王が一人の妃だけを愛する。そんなこと、やっぱり御伽噺おとぎばなしだ。桃源郷なんて、物語の中にしかない。


 そう、私の役目は何も変わっていない。


 ――帝国と翠山の関係を良好なものにするため、王太子妃としての地位を確たるものとし、ゆくゆくは王后となり、大黄帝国に利をもたらす。


 降嫁の目的を再確認すると、心のもやが晴れてすっきりした。

 ……はずだったのだけど。


「でも、やっぱり腹が立つ……!」


 余裕で微笑む憎たらしい顔が思い出される。多少顔がいいからってどんな女でも自分に従うものだと思わないでほしい。


「もうっ」


 私は怒りにまかせ、ごくごく軽く足を踏み鳴らした、はずが……。


 バキバキバキっ!!


 凄まじい破壊音とともに、私は床を踏み抜いていた。

 さーっと血の気が引いていく。

 や……やってしまった。


「公主様っ! 何事ですか!!」


 音を聞きつけて侍女たちが駆けつけてきた。穴の開いた床を見て愕然がくぜんとしている。


「こ、これはいったい……?」

「あの、いや、これは」


 言い訳をせねばと焦るけど、頭が空回りして何も思い浮かばない。

 つい油断してしまった。私の場合こうなってしまうこと、ちゃんと分かっていたのに。


 ――『化け物公主』。


 父である前皇帝には、たくさんの娘がいる。その数多あまたの公主の中で私だけ、尋常ではない怪力をもって産まれたのだ。

 腕力だけじゃなく、体力や走力も常人を遥かに凌駕りょうがし、視力や聴力も人より鋭敏だ。


 熹李にはこんな異常は見られない。ただ、彼も他の人とは違う『特別な力』を有している。

 彼は皇帝の座に着き、今はその力を統治に生かしている。私の異常な力も、彼の登極の助けにはなったけど――その代償に私は『化け物公主』と罵られ、故郷で迫害されることになった。


 母の言い付けを守らなかったせいだ。彼女は私に、この力を隠して『普通』でいなさいと常々諭してくれていたのに。


 故郷に居場所を失った私は、熹李に勧められ、私のことを誰も知らない国――この翠山国に嫁いだのだ。

 ここではこの力を隠して、『普通』の妃になりたかった。今度こそ母との約束を守りたかった。


 それなのに初日からこんな失敗をするなんて。

 どうやって誤魔化ごまかそうかと焦って空回る私の前に、すっと人かげが進み出た。

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