第6話 災厄が修羅場に降り立つ

 キャリッジが停止した。外から、御者と声、招待された賓客、その婦人方の談笑が聞こえてくる。


「アデル。降りるよ」

「へいへい」


 外から人の気配が消える。アデルが御者台を降りたようだ。

そして扉が開けられた。


「じゃあ、殿下…」

「先に私が降りようか」


 言うなり、殿下は立ち上がり、空いた扉を潜りタラップで降りて行く。


「あっ、殿下!」


 私は殿下の姿を追い、外を覗むと先にキャリッジを降りた殿下が振り向いている。そして私に手を差し出し唇を微笑ませると、


「今宵、貴女のエスコートは私めが務めましょう」


   ドキン


 私の胸の中にある心の臓が跳ねた。あの頼りげなく儚げだったのはどこに行った。

 さっきのダンスの時の手にしたキスといい、私の心を騒つかせやがって、いきなり成長したよ。それは認める。

 まあ、私のおかげだとしたら少しは嬉しいけどね。


「では、今宵、私は殿下に、この身を預ければ宜しいのですね」


 なんか、悔しいから微笑みを返してった。殿下は一瞬、惚けるとすぐに頬を赤くして、どことなく顔を向けた。少しだけ溜飲が下がったね。

 私は殿下に差し出された手をとり、扉から頭を出した。そしてタラップに足を掛けて下に降りて行く。

 そこで


「インベント、アペルタ<オドォル>」


 私の周りに張り巡らせた封印を解く。今まで閉じ込められていた花の香りを辺り一面に広げていく。館の入り口に屯する者たちへ香りが届けられた。


「ホウっ」


 ざわめきが起こった。皆は、香りの芳醇さに驚き、どこから香ってくるかを探る。皆は気付いた。香りの中心にいるのが白いコートの貴公子にエスコートされて降りてくる白装束の乙女。それが馬車から降りているのを。

 あちこちで感嘆の声が上がっている。降りきって屋敷に入るまで視線に追われた。


「少し、やりすぎだったかなあ」


 私は頬をポリポリしながら、1人愚痴る。


「あれぐらいの方がインパクトがあっていいんじゃない」


 アデルが馬車から持ち出した衣装ケースを開けながら言ってる。


「ても、満更でも、なかったんじゃないの」

「バレたか」


 皆からの羨望の眼差しで見られる優越感。

 偶には、いいかもね。没落貴族のメイドもどきじゃ、そんな機会なんてないはずなんだからね。

 アデルが衣装ケースから、紙に包まれたものを取り出して私と殿下に手渡してきた。


「殿下は、こっちね」


 アデルが包装を解くと中からマスクが現れる。仮面舞踏会用のヴェネチアンマスク。

 殿下にはフルフェイスで白一色の’無垢'を被ってもらう。顔につけて止め紐を後頭部で結えてもらった。

 アデルは、やはりフルフェイスのバタフライ、顔に蝶の羽根の加工したものがついている。

 私はハーフマスク、女性は棒付きタイプが多いのだけれど、ちゃんちゃんバラバラを予定している私には使えない。白地で金糸で飾られているものにしたよ。ドレスの色と相まってウェディングドレスと間違われそうだ。

 そういえば殿下も白で統一されていたっけ。

 エントランスホールから大広間へ移って行く。途中の廊下の壁側に、甲冑が幾つか立ち、意匠の凝った槍とか剣が壁を飾っている。財力を見せびらかすコレクションだね。馬上で使う大剣もあった。振り回してみたい欲も出てきた。


「レディ! 御手を」


 殿下が右手を差し出して手のひらを上に向ける。私は、その上から手を重ねた。

 踏み心地の良い良質ななカーペットを敷いているエントランスホール、そして廊下を進んでいくと大広間へと繋がっている。

 窓は全面ガラス張りになって壁にはタペストリーと絵画が多数飾られ天井を支える柱も精緻な彫刻がなされている。絵画はストーリーを紡ぎ出す。天井にも神と天使の一大叙事詩が一面に描かれていた。

 天井に掲げられた巨大なシャンデリアが魔法によって自ら輝き周囲を照らしている。

 キラキラといろんな方向から光が来るもだからか影があまり見えないんだ。

 その光のシャワーの下で様々な意匠がされたコートを着て、様々な刺繍に飾られたドレスを着ている男女が歓談し、笑い、ワインを呑み、お茶を嗜み、料理に舌鼓を打ってデザートやフルーツで頬を溶けさせている。

 また、音楽に合わせてポールダンスをしている人たちも大勢いた。

 その大広間の奥手に人だかりができている。着飾っている人たちが並んでいた。私たちも舞踏会到着の挨拶のために並んでいる。

 遠くから眺めると奥には長椅子に座っている何人かの人たちが見える。

 恰幅のいい体に豪奢な刺繍や宝飾品をこれでもかと縫い付けてある品性のない金持ち様々なコートを着ているのが当主のハロルド公爵マクミランだろう。やはり、金色の縁取りで宝石を、これでもかって載せたマスクをしている。

 フルーツタルトじゃないんだから辞めとけよなあ。

 隣に座る奥方もそう。ドレスの袖口や裾にまで派手な刺繍をして胸元のストマッカーも宝石で埋まっていて下布が見えない。財を見せびらかしている。

 それになんだい。盛って盛って盛って結い上げた髪には訳わからんもの刺しているし。どでかい花や緑色に輝く大きな尾羽まで刺さってるよ。首が折れやしないか、こっちが心配になる。

 旦那の方が、なんか大口開けて笑いながら話をしてるよ。

 茶色くなってところどころ、虫食いみたくなっている歯を見せるんじゃない。息だって匂いそうだ。


「ん?  殿下。いいか」

「なんでしょう」


 殿下は私に体を寄せる。


「あの、派手な奥方の隣にいる女性は誰? 公爵夫妻に比べて大人しいと、言うか何というか」


 そうなんだ。あの派手な奥方の影でひっそりと縮こまっているし、その方のとなりにはリネンが敷かれているバスケットが置いてある。

 中で何か動いている。手かな? すると赤ん坊か?


「あぁ、あの方はピザンナ様だよ。側にいるのはアーティ。僕の弟になる子だ」

「随分と、しおらしいのな。あの派手な奥方とは全然違う」

「ピザンナ様は優しい方だよ。辛かった時に、周りから見えないところでいろいろと励ましてくれたからね。すごく心強かったよ」


 そんな儚げな人たちを自分の欲望のために利用するなんてな。物心つかない赤ん坊を王にすげ替えるとは不逞の輩だよ。


「殿下、少し荒事になりますが宜しいでしょか?」

「やってください。私にできることがあれば言ってほしい」


 それを聞いて私の唇が引き絞られた。多分笑っているはず。

 昨晩は恐くて1人では寝られないと言っていた殿下が一端の言葉を吐くようになったんだ。嬉しくなったってバチは当たらない。


「言いましたねぇ。では大事な役周りがあります。殿下のことは私が全身全霊を持って護ります。共に戦って頂けますでしょうか」

「返事は、もう伝えてあります。是非も無し」


   キュン


 胸の中がときめいた。

 真剣な眼差しで見詰めてきた。真剣な物言いで私を肯定する。

 私は思わず彼の頭を掻き抱いていたよ。ドレス越しに彼の頭が私の胸を押しつぶす。だけど、自分の感動を伝えたいがため更に抱きしめたよ。


「ゾフィー。くるっ、苦しい。力を緩めてくれないか。苦しいよ」

「ダメです。もう少しこのまま、このまま居させてください」

衆人が見てる。そんなの関係無い。私は感動しているんだ、それを糧にやってやるぜって気分が高ぶる。彼の頭を抱きしめながら。耳元に唇を近づけて、

「……… 」


 彼は、私の抱擁を引き離すと、


「そんな事で、よいのですか」


 拍子抜けをした感じだった。

「はい、そうして頂けるだけで宜しいです」


「あい、承知した」

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