第34話 息を切らせて


 拍手が鳴りやまない。

 教室全体が祝福ムードに包まれていて、まるで俺たちが本当に付き合ったかのように錯覚してしまう。


 だが、それでも確かな違和感があった。

 まるで急に別世界の、それこそ伊万里と付き合った世界線に放り込まれてしまったようなそんなイメージ。

 これじゃない、という感情が胸の内でどんどん膨らんでいく。


「いやさ、前田の奴がたまたま伊万里の家に三好と二人で入ってくのを見てさ! マジびっくりだよほんと」


「お、おい奈良橋」


 興奮した奈良橋は、俺の声なんて聞こえてないみたいに続ける。


「いやぁー俺はさ? 二人が早く付き合えばいいのにとかずっと思ってたし。なんなら他の奴らもお前らをすっげぇ推してたからさ!」


 きっと、奈良橋に悪意など一つもないのだろう。

 奈良橋は今までずっとそうであったように、ただ友達の幸せを願っているだけだ。

 これも、友達同士のカップル成立を純粋に喜び、祝福しているだけ。


 だが、悪意のない行動に傷つけられるほどタチが悪いのだと、伊万里の表情が物語っている。


「マジで嬉しいよ! ほんとおめでとう! もうそのまま結婚まで行けよなガチでっ!!!」


「あ、あのなぁ奈良橋。一つ言わせて欲しいんだが……」


「なんだよ惚気るのは後にしろって。今は俺のターン! いや、ずっと俺のターンだ! ガハハハ!!!」


 興奮冷めやらぬと言った感じの奈良橋を前に、俺の頭は至って冷静だった。

 早く誤解を解かなければ。その一心で今度は強めに切り出そうとした――その時だった。


 奈良橋が俯く伊万里に言った一言。





「でもよかったな、伊万里! お前の願い叶ってさ!!」





「ッ――――!」


 言ってしまった。言われてしまった。

 まるでこの瞬間、時が止まったかのように思えた。


 伊万里はばっと顔を上げ、いつもみたいに笑ってちゃんと誤解を解く――ことはせず、苦しむように唇を噛み、目には涙を浮かべていたのだ。


「え……」


 思った反応と違ったのか奈良橋が驚いたように固まる。

 そこで初めて何かがおかしいと気づいた様子だったが、時はすでに遅く。

 

「ごめん……っ!」


 伊万里は言い残して、足早にその場から立ち去ってしまった。

 騒然とする教室。

 先ほどの祝福ムードが一転して、誰もが心の置き場を探していた。


「ど、どういうことだよ。あ、あれ? なんか俺、変なこと言ったかな」


 俺は奈良橋が好きだ。

 本当にいい奴だし、みんなから好かれていて純粋にすごいなと思う。 

 だから俺は、奈良橋を嫌いになったりしないし、奈良橋に悪意はないってことをちゃんとわかっておく。それが奈良橋に対する友情の誠意だ。


「奈良橋、悪いな。俺たち付き合ってないんだよ」


「へ……そ、それはほんとか?」


「おう」


 俺の言葉に、奈良橋が口を抑える。


「ご、ごめん! お、俺勝手に盛り上がって、あんなこと……」


「……それは、伊万里に言えよな」


 俺が言うと、朝のホームルームを知らせる予鈴が響き渡る。

 クラスメイト達は俺たちが気になっているものの、習慣として刷り込まれているのか、予鈴に反応してわらわらと席につき始めた。

 伊万里は帰ってきていない。


「……くそっ!」


 俺は覚悟を決めると、目の前で絶望している奈良橋に鞄を投げ渡した。


「奈良橋! 罰として俺の鞄を俺の席に置いとけ! あと、遅刻ってこともな!」


「え、え⁉ わ、分かった!」


「頼んだぞ!」


 俺は地面を蹴って、駆け出す。

 登校するときにせっかく靄が晴れた頭は、すっかり元通り、いやそれ以上にぐちゃぐちゃになっていて。


 俺は邪念を振り払うように、とにかく腕を振って走る。

 考えるのはもちろん、伊万里のこと。


 いつもの伊万里だったら、絶対にあんなことで動揺しなかった。

 初め、教室に入った時。俺と伊万里が付き合っているという誤解を奈良橋から告げられてすぐ、何バカなこと言ってんだって軽く一蹴できた。


 でも、やっぱり伊万里はどこか変だったんだ。

 昨日から。いや、もしかしたら俺が鈍感で、何も知らなくて、そんな状態で雪音と出会った時からかもしれない。


「あーっ! なんでこういう悩み事って言うのは、順番を待ってくれねぇんだよッ!!」


 つぐつぐ自分が嫌になる。

 それと同時に、いるのかも分からない神様を俺は憎んだ。

 憎まずにはやってられない。何かを憎まなきゃ、このやるせなさはどうなるって言うんだ。


「たぶん、伊万里はまだ学校にいる!」


 俺は伊万里という女の子が、それでもやはり強い女の子だと知っている。

 そんな伊万里が、逃げるように家に帰るなど想像ができなかった。


 俺が信じるように、俺が知っているように伊万里が確かに伊万里なら、この学校内のどこかにいるんじゃないかと思った。

 ――そして、伊万里が、俺が追ってくるのだと想定しているのなら。


「たまに昼飯を一緒に食べる、あそこしかないだろ!」


 俺は器用な人間じゃない。

 未だに雪音との問題は解決していないし、俺が今、伊万里に会ったところで何かできるわけでもない。


 それでも俺は、俺の中にある確かな信念に駆られて、ただひたすらに走るのだった。

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